眠りについたその後に ~ 叔父上様がおっしゃいますには。
『眠りについたその後に』の続きです。申し訳ありませんが、前のお話を読んでいないと、意味不明です。
お話の途中っぽくて、ヒロインとヒーローの接触は、ほぼありません。
叔父上様は、あれから毎日のようにこちらにおいでになります。
こちらの国の成り立ちを語る神話ですとか、神殿のお話ですとか、興味深く拝聴しております。
思えば、わたくしがこちらに嫁してから、どなたにも教育らしきものは受けてはいなかったのです。形の上では王太子妃であっても、やはり、どなたにとっても、仮のものというお考えだったのでしょう。
そういう趣旨のことを申し上げましたら、叔父上様は、それは違うとおっしゃいます。
「この国には『神殿の飾り棚にも触れる扱い』という言い回しがあります。妃殿下のお国でいう、『腫物に触れるような』というのと近い意味だそうですが。要は、均衡を保っているものに触れるのは、細心の注意がいる、ということです。
今現在、王族の数はあまりに減っています。存続の危機と言えるほどに。国の命運に関わる事態に際して、皆が慎重になってしまっているのです」
わたくしが、放置に近い扱いを受けていると感じている間、周りではわたくしの抱え込みに走っていたと聞いて、驚くよりほかありません。
極力外に出さず、限られた人としか接触させず。次代が生まれるまで、決して逃がすまいと結託していたのだ、と。
身分の高い叔父上様ではないと、かいくぐれないような包囲網。
……恐ろしいと、感じてしまいます。
「思うのですが。わたくしのような立場の方が、前にいらしたということはないのですか?」
「妃殿下のような、とおっしゃいますと?」
つまり。王太子殿下が、以前に攫ってきた女性がいらしたということはないか、ということを、なるべく遠回しにお尋ねしました。
わたくしは、たまたま王家の娘であったために、表に出て来ることになりましたが。町や村の娘でしたら、どこかに隠されたまま、あるいは殿下のお子をなしておられるかもしれません。
「……いっそ、そうであればよかったのかもしれぬ」叔父上様は、ぽつりとつぶやかれた後。
「でも、それはありえないのです。殿下が成人してから、いえ、その前から。興味を示した女性は、妃殿下ただおひとりです。それまで、あれは女性全てを疎んじていました。母代りに育てて下さった、側妃様も含めて。
われらにとって、妃殿下は決して手放せないお方です。ですから、申し訳ないことですが、王家としての体面であるとか、妃殿下の名誉なども脇に置いて、事実を盾に取っての、即時の婚礼となったのです」
叔父上様がおっしゃいますには、神殿には王族でなければできない重要な神事がいくつか存在するのだそうです。
それを欠かすと、はじめはじわじわと、やがて明らかに、影響が現れて来るものなのだとか。
「神殿に上がるべき子供というのは、見るものが見ればすぐにわかるものです。私の前に神殿におられたのは、大伯父上ーー先の陛下の兄上でしたが、やはり幼くして見出されたと聞いています。私も、大伯父上にご指名いただいたと聞いて、すぐにでも神殿に参るし所存だったのですが。
大伯父上が身罷られた後、私の神殿入りが遅れたために、どれほどの民の命が失われたことかわかりません」
禍と福とを載せた神の天秤。それが禍の方に揺れる時に、揺れを抑えたり、ほんの少しだけ福の方に傾きを戻す。それが神事の持つ力で。でも、そのほんの少しで、どれほどの民が救われることか。
叔父上様が神殿入りしてからの年月で、それが身に染みてしまったために。王家の血が失われることの危機感は、当の王家より、貴族や庶民の間で、より高まっているのだとか。
たとえ、玉座を維持できない状況になったとしても、神殿の守としての血統は残さなければならない。でなければ、この地は荒廃に飲まれるに任せることになる。
「本来なら、あの馬鹿ーーもとい、王太子殿下も神殿に入るべき人間だったのですが。いまさら言っても仕方がありません。それよりも、こらから先のことを考える必要があるのです」
王族を増やす必要がある、と。それが王族としての、民草を救うための務めであるのだ、と。
ーーそう、なのでしょうか? ……そうなのだとしても。
「……なぜ、わたくしなのでしょう。王女とは名ばかりのわたくしなどより、殿下にはもっとふさわしい女性がいらっしゃるように思うのです」
「名ばかり、ですか? 私の目には妃殿下は、紛うかたなき王家の姫君に見えるのですが。立居振舞、教養とも申し分ありません。よほどしっかりした教育を受けられたのでしょう」
「それはーー」
そう。確かに、姫君として大事に育てていただいた。そんな日々もあった。
『そうそう、上手ね』『よくできました。あなたは、陛下とわたくしの誇りよ』
……継母様を、お母様と呼ぶことが許されていた。懐かしい、遠い日々。
* * *
何だか疲れてしまい、その日は叔父上様には、早めにお帰りいただきました。
叔父上様は、片づけなどのためにいったん神殿にお戻りになるので、二、三日はこちらにはいらっしゃれないとのこと。
もしかしたら、わたくしに考える時間を与えるためなのかもしれません。
叔父上様は、このところは、王家の役割やわたくしにかけるべき術のお話などはされずに、この国についてのいろいろなお話をなさいます。
少しでも、この国に親しみをもってもらいたいと、お思いなのかもしれません。
今までのいきさつから、わたくしの王家の人間としての責任感や、この国や王太子殿下に対する思い入れの薄さに気付いておられるのでしょう。
いずれは、決断しなくてはならない時がくるのだと思います。生まれた国に戻るのか、この国に根を下ろす覚悟を決めるのか。
今までのこと、これからのこと。
即位の祝いに訪問されるという、お父様のこと。継母様のこと。
そして。
その日は、早くに休ませていただくことにしました。
思い悩むうち、眠りは浅くなっていたのかもしれません。
夜中に、誰かの気配に目をさましました。が。
それが、このところ部屋に戻られていなかった殿下だと気付くと、思わず眠ったふりを続けてしまいました。
触れないでほしい。心を乱さないでほしいと、どうしても思ってしまうのです。
「アネリーゼ……」
囁くような。吐息のような呟き。
髪がそっと撫でられるような感触と。そして。
横向きに寝ているわたくしのこめかみに、そっと触れた息と--唇?
ややあって、殿下が部屋を去る気配と、扉が閉まる音がして。
わたくしは寝台の上に起き上がりました。
そして、立ち上がって窓辺へと向かいます。
厚い硝子越しに見える月の光はかすかで、容易には見通すことができません。
……殿下のお声は、昼間に聞かれるものとは違っていました。
かそけき声に、深い苦悩と哀しみが感じられ。胸が塞がる思いがいたしました。
まるで、寄る辺ない子供のような。……継母様に見放された時の、わたくしのような。
--殿下のお気持ちを、生のお声を聞かせていただきたいと。
わたくしはこの時、はじめて思わせていただいたのでした。