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第八話 天文十六年(一)

 二年経った。


 天文十六年(1547年)。

 織田喜六郎秀孝おだきろくろうひでたか、数えの七歳である。


 一昨年の某雲興寺事件の際にケンカをした児童数名は半年くらいの蟄居刑で許されているので、秀孝の傍には小姓が二人。藤浪忠左ふじなみちゅうざ牧清十郎まきせいじゅうろうである。顔色悪い長身の少年と、イケメンだが元気が余りすぎてる少年と判別すれば良い。


 一方、某事件の渦中にあった、井伊次郎法師直虎いいじろうほうしなおとらは、かの事件後、やや大人しくなり、大叔父の井伊刑部大輔直元いいぎょうぶだいふなおもといわく、相変わらず鍛練はよくするものの、以前と比べて思慮が見え始めたらしい。

 お客さんがいる時は境内で肝練りしない、という程度のものだが、直元は感涙して秀孝に話をしてきた。


 さて、その直元である。


「若君はあまり武芸に向いておられませんので、とりあえず体力づくりを基礎とし、戦場いくさばで生き残る力を蓄えさせよう、と考えております」


 と、直元は言う。古渡城ふるわたりじょうの一室である。


 内々の話なので、大広間で話を聴く必要もねえや、と秀孝の親父である織田弾正忠信秀おだだんじょうのちゅうのぶひでが自室に招いた結果である。直元の傍らには秀孝がちょこんと座っているので、いわば三者面談の席であろう。教師役は直元で、生徒が秀孝である。


「あっ、そうか。好きに鍛えてやってくれ」


 と、信秀はやや疲れたような顔を向け、肩を回しつつ、相好を崩した。文机の前で書き付けをやっている。客人相手なら無礼だろうが、内々の家臣なら話は別だ。直元の知行は信秀が出しているのだから、いわば近しい君臣の会話であった(言い方を変えれば親と家庭教師の会話であろう)。


「大変そうですな、殿」


 と、直元が書類の山を見て、ややのけ反りながら言った。信秀は重々しく頷き、文机から胸を離して、直元らのほうへ向き、眉間を揉んだ。


「まあな。てめえのガキ(信長)の初陣と、上司の死去と、隣国の御曹司さまの応対をして、なおさら遠征の準備とくりゃ、目も回る忙しさってもんだ……あっ、いかん。ほんとに目が回ってきた――」

「だいじょうぶ、お父さん?」


 秀孝が心配そうな表情で身を乗り出してきた。孟子のいう『惻隠の情』というものか、他人への仁愛にかけては天然モノを持っている秀孝に対して、信秀は眉間を抑えつつも莞爾として笑い、


「割とだいじょうぶじゃねえけど……おまえが心配してくれるぶんには、だいじょうぶだなぁ、喜六」


 と、愛児のやさしさに若干のHPの回復を果たしつつ、信秀は秀孝を招き寄せて自らの膝に座らせた。秀孝のあごの下を撫でる。秀孝が背筋を震わせて悶えた。可愛い。犬猫と行動様式に大差がない秀孝の扱いはだいたいこんなもんで良かった。


「やはり、斎藤道三さいとうどうさんが最大の障害ですか」


 直元が言った。


 先に信秀の述べた遠征先は、北隣の美濃国みののくにであるが、天文十六年段階では名目上の国主・土岐美濃守頼芸ときみののかみよりあきを擁する、斎藤新九郎入道道三さいとうしんくろうにゅうどうどうさんが実力者であった。

 道三は美濃国内の反頼芸方を反徒として潰し、その土地を部下に再配分するかたちで急速に勢力を伸ばしてきた存在である。


 信秀は秀孝のあごを撫で、やにわに垂れ下がる目元を、はた、と引き締めて、直元の問いに頷いて見せた。眼窩の奥に何度となく攻め入った美濃国みののくにの地形を想い浮かべているのだろう、信秀はどこか遠い目で言うのだ。


「毒蛇みたいなやつだぜ、ありゃあ」

「毒蛇、ですか」


 直元の問いに、信秀は腕を組み、難しい顔をして言った。


「噛まれりゃ終わりだ。マムシだな。マムシの道三。美濃でいちばん強く、そして悪い漢だぜ」


 ◇


 突然ではあるが、秀孝は年始くらいしか兄の信長に会っていない。双方が忙しく動き回るタチではあるが、秀孝は農村や商家、信長は河原や市場と行動範囲が別々なので、あまり顔を合わせる機会がないのだった。


「どう? 変じゃない?」


 だから、信長の初陣の帰りを那古野城なごやじょう(信長の居城で、古渡城の北に位置する。ざっと見て五つの街道の結節点にあるので、かなり重要な土地である)下で出迎える役目を信秀から仰せつかった秀孝は、心なしかウキウキしていた。


 今生の兄である。織田吉法師おだきちほうし、という名前ではぜんぜんピンとこなかったが、織田三郎信長おださぶろうのぶなが、という元服した後の名前を聴けば、イヤでも分かる。織田信長! あの!? という感じだ。


 ただ、信長のビッグネームはさすがに秀孝も知っているが、それ以前に深く考えない性質の子であるから、この場合の信長は滅多に会えないお兄ちゃんが有名人だったよ、程度の話であった。

 例えとして適切かはぜんぜんまったく分からないが、独り立ちして別居してた兄がジャニーズに入った、くらいの喜びであったといえよう。


 え、え、吉法師のお兄ちゃん信長なの? うわあ、すご~いっ! ――と、裏表なく喜ぶだけ! 転生者のくせにやる気があるのかッ、とメタなツッコミをしたところで、たぶんこいつやる気ねーぜ!? と考察するほかない、ただのふつうの男の娘が秀孝であるといえた。


「……いえいえ、変などと。ふだんのお召しものも素敵でございますが、今日の淡い藍色の水干もよくお似合いでございますよ」


 天下一可愛いよ、という声色で言うのは、小姓その一の藤浪忠左である。元服後に秀鑑ひであきを名乗るため、ここでは秀鑑で呼称を統一させてもらう。

 先述の顔色の悪い長身の少年が秀鑑であるが、感情が重いのが特徴の一つであり、立場的には将来の秀孝家の側近・将校候補である。


 礼儀はしっかりしているが、先述の通り感情が――特に秀孝に対する感情が――重いため、気を抜くと秀孝を羽交い絞めにして愛でかねない。なんとなれば自分の存在を希薄に思い、思慕を寄せる誰かと融け合うことで自己満足を得るタイプの――つまり孤独ではいられないタチの――人間だからである。『愛が重い』といえる。


 従って、秀孝と秀鑑の間にはイケメンの元気っ子が棒を持ち、ボディガードよろしく立っている。秀鑑と違い、こちらは秀孝に友情を感じているためだ。単純に、好き、という感情に素直なタイプだといえる。牧清十郎、後の秀盈ひでみつである。


「まあ待てよ、先輩。顔が近い、近い――!」

「……なにが近い? おまえのほうがよほど若に近いではないか。死ねば良いのに」

「も~、二人とも。ケンカはそのくらいに……あっ、お団子屋~!」

「「若~ッ!?」」


 フリーダムである。気もそぞろも大概にせいと言おうか。三人が三人とも『行動が自由』ではあるが、ことさらに主人の秀孝がいちばんフリーダムであった。誰か成人に達している直元を呼んでこい、といえるが、今日の直元はお留守番であった。


 というのも、直元だってタダで雇われているのではないのだ。

 戦国時代の武家は軍閥組織と思えば良い。そんなら、その軍閥の亡命者に求められるものがなにか、といえば、これは軍事的なアドバイスであり、協力である。


 直元に期待されているのは、井伊家(鎌倉~南北朝と転戦を重ねてる名家)の家内戦訓を吐き出させ、織田一門衆である秀孝にしっかと習得させ、井伊家の軍事ドクトリン(行動原則)を織田弾正忠家に取り込む、その協力をすること。

 それから、年少の秀孝に代わって(将来創設予定の)秀孝家の靡下たる部隊組織の練成をする(部隊として完成させる)ことである。一種の実験部隊をつくらせること、でも良いだろう。


 要は、

 一、秀孝を鍛え、

 二、その靡下の足軽衆(歩兵部隊)を戦闘単位として使えるようにする、


 この二つをしてくれれば、直元はそれで良いのだ。つまり、直元は直元で、新規雇用の足軽(傭兵)を鍛えるので忙しいのであるから、直元はお仕事で留守番だといえよう(短くいうと、直元の立場は傭兵隊長兼軍事顧問だと思えば良い)。


 団子屋にその背中を消そうとしていたフリーダムな秀孝だったが、かえって団子に気を取られて前を見てなかったというべきである。


 その団子屋は戦国時代では珍しい茶屋タイプのお店であったが、建物は空き家の転用のようで、さほど労なくして店舗を構えたものらしい。なんせ焼き討ちされるとふつうに燃えるから、この不安定なご時世で、移動不可な店舗なんて大商人以外は持ちたくないというものだ。するとこの団子屋の店主はラッキーだったのだろうが、そこに突っ込んだ秀孝は少しアンラッキーであった。


「あっ、若、危ない!」


 と、秀盈が警鐘を鳴らす間もない。秀孝が走りながら『え?』とばかりに後ろを向くと同時に、団子屋からヌッと大男が出て来たからだ。

 しかし、困ったのは大男のほうだろう。突然、元気な――男の子なのか、女の子なのかは容姿では判別できないが――子どもに突撃をかまされたのだから。


「きゃんっ」


 と、秀孝がエサを抜かれた子犬のような悲鳴をもらし、ぶつかった反動でその場にしりをつこうとした時だ。横からさっと手を伸ばされて、秀孝は腰を支えられる。事なきを得た。


 大男のほうは笹の包みを山ほど抱え、おろおろと狼狽するのみだ。すると、腰を支えてくれたのは誰だろう――そうとばかりに秀孝とその小姓らが視線を向ければ、大男の横に身なりの良い青年が立っているのに気づいた。


 場違いな真っ白い水干――ちょうど公家(貴族)が着るような――を着て、腰帯に打刀を差し、烏帽子をかぶって、ホッとしたように、ニッコリと垂れ目を下げているのだ。武家なのか、公家なのか、ちょっと判別しがたい。


 公家なら別に、この戦乱のご時世だ、都を捨てて縁者を頼って田舎に下る公家も珍しくはない。もちろんお仕事で地方を回る公家もいるが、連歌師と連れ立って歩いている姿はよく見るから、重ねて珍しい格好というわけでもなかった。んが、打刀を差し、鍛えているらしい筋骨の力強さを見れば、武家といっても良かった。


 つまり、身分が分からないのである。

 小姓らは戸惑いを隠せなかったが、良い意味でも悪い意味でもフリーダムなのが秀孝であった。なので、秀孝は青年に支えられた格好で――男の子なのに、こんなお姫さまみたいな支えられ方は恥ずかしいよ~、と照れに照れる感じで――ひどくはにかんで、おずおずと笑ってお礼を言うのだ。


「あ、ありがと~!」


(トク……ン……)と少女マンガでよく見る擬音を胸のなかに感じたのは、なにも秀鑑だけではあるまい。容姿だけなら絶世の美少女といって良い秀孝である。その笑顔に胸をときめかせずにいられるのは、徳の高い僧侶か、そもそもほかにマイスウィートがいるリア充だけであったろう。俗にいう『チューしたい顔』の持ち主だといえた。


「あっ、いや! ――……無事で良かった……と、思う」


 と、ウブな反応を示す青年に対し、無言で刀の柄に手を伸ばす秀鑑と、それを必死で抑える秀盈である。こんなところで刃傷沙汰すんな! というノリであったが、遅れて、大男のほうが腰を屈めて、申し訳なさそうに秀孝に謝罪した。


「これは申し訳ない。なにぶん、手元がコレでな、前があまり見えなかったのだ」

「いーえー。こちらこそ~――」


 と、秀孝がどこかおばちゃん臭い感じで立ち上がり、腰を折って、ごめんなさいしたところで、改めて、という感じで訊くのだ。


「お兄さんたちはお団子好きなんですか?」

「ああ、大好きだ。私はな。こやつは――まあ、良いひとがいるのだ」


 と、青年が応える。大男が照れた。秀孝はそれを見て、好意的な笑みを浮かべて、お辞儀をしつつ名乗った。


「初めまして。ボクは織田喜六郎といいます!」

「これは――」


 と、青年と大男が顔を見合わせた。

 この時点で『秀孝の笑顔を見たやつは全員コロスモード』から立ち直っていた秀鑑が、ふとなにかに思い当たる顔をした。秀盈が小声で問う。


(どうした、先輩? 知ってるひとか?)

(……いいや。しかし――)


 と、そこで大男が一歩、前へ出て、名乗るのだ。


「それがしは森三左衛門尉可成もりさんざえもんのじょうよしなりと申すもの。こちらのお方は……ゆえあって名乗られぬ。しかし、怪しいものではない。それがしと瑞泉寺ずいせんじの和尚さまが保証してくれよう」


 と、最近の尾張の世事を知るものなら、ほぼ正解が出てしまうことを言った。それで秀鑑は確信を持った顔つきをしたが、秀孝と秀盈はピンとこなかったようだ。秀孝は青年のほうを見て、


「じゃあ、なんてお呼びしたら良いですか?」


 と、ズレたことを言ったので、


「次郎と呼べば良い。上美濃の次郎と」


 と、青年――次郎(仮)は笑って応じた。武家に次郎の名乗りは多いので、やっぱり次郎(仮)は武家であったろう。


 その時、馬蹄の音が聴こえ、那古野城下に先駆けらしい騎馬が駆け込み、市場を一回りする感じで音声を上げた。


「殿のご帰城である! お迎えの用意をするように!」


 連呼しながら駆ける騎馬に対し、秀孝が喜声を上げ、小姓らを見やった。


「吉……じゃない、三郎のお兄ちゃんだ!」

「……ええ。お帰りのようですね、若」


 と、興奮する秀孝に愛想の良い笑みを向けた秀鑑は、ふと背筋を伸ばし、凍るようなまなざしで次郎(仮)主従を見て、囁くように言った。


「……そちらの御仁はどうされます? ご用向きがあるのでしたら、どうです、我らと一緒に、三郎君にご挨拶をされては?」

「先輩、その言い方、すげえねちっこい」

「……黙れ。おまえは死んで黙れ」

「一緒に挨拶して良いのか?」


 戸惑うような次郎(仮)の問いに、秀孝はニッコリと笑って、頷いた。


「忠左くんが良いって言うんなら、ボクは良いよ! 一緒にどーぞっ!」

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