第六話 親心と某男の娘
例えば、白磁の製法は戦国時代の日本では未知のシロモノであり、大陸の明朝や李氏朝鮮がその製法を知ってるくらいのお高級なハクライモノである。
なので、
『白磁、知多半島で生産さる!』
の報告を受けた織田信秀は、驚きのあまりに、ちょうど傍らにいた平手政秀を張り倒し、二度目の報告、すなわち事実確認の場で、喜びのあまりに正室の土田御前に酒倉を解放したほどであった。
ここでちょっと裏話、というか、史実の話をしよう。
だいたい、現段階から数えて、二年前の、天文十二年(1543年)の前後くらいから、ポルトガル勢力が日本の種子島に到達した。鉄砲伝来と南蛮貿易という、日本史上の大イベントが始まったのがこのくらいの年代だと推測されているのだ。
そして白磁は、その南蛮貿易の主要品目になりうる品、といえば、その換金商品としての価値の高さが分かるだろう。
なんせ史実の日本では金銀などの鉱物か、硫黄(火薬の材料)、あるいは日本人奴隷くらいしか、戦国時代時点での有力な換金商品はなかったのだから。
ちなみに、そうまでして日本側が欲しがった品はなにか、といえば、火薬の材料である硝石である。なお、この硝石については折りを見て後述するが、たぶんこの世界線では国内生産でまかなえちゃう感じである。
話は白磁にもどる。
信秀が白磁国内生産成功の報告に欣喜雀躍して奇声を上げ、平手政秀がラリッた主君から一発、二発殴られつつも、ともに大喜びし、正室の土田御前は酒倉を解放されたせいでトロ顔になった、というのは先に述べた。
しかし、白磁国内生産成功の話にはウラがあったのである。それも、かなり恐ろしいウラが――。
事件の影に秀孝の姿がある、というのは信秀側で早くから確認していた。
なんか、お宅のお子さんがうちの領地で徘徊してるんですけれど、どうします? 的なものは知多半島の領主のみならず、尾張各地の領主から報告が上がってたのである。
これを半ば放置していたのは、ひとえに信秀が尾張東隣の三河国(※強敵・今川家との国境)の支配基盤確保にやっきになってたからであった。
従って、信秀が気づいた時には、秀孝が尾張各地を飛び回り、知らないうちに白磁ができてたり、養蜂技術が改良されてたり、よく知らない足軽がレンゲ草栽培をしてたり、いろいろやられてたのであった。
ここだけ抜き出すと天狗かなんかの仕業であるが、秀孝にじかに触れたことのある人間は、あー……となんとなく分かるところである。
強いて言えば、福の神だからであった。
ただ、対価なく福を渡したりせず、なんらかの痛みを強要するところは、昔話のなかの妖怪、あるいはその奇跡を起こす道具のような存在ではあった。とりあえず拝み、大事にしておけば大過はない、という点において荒神の仕業か、狐狸の悪戯みたいな気がしないではなかった。
ともあれ、問題はここからである。
その白磁の焼成には、一回につき、『小規模な窯でも』松炭燃料を約五十貫(現代でいうと、約二百キログラム)単位で消費する、という燃料バカ食いの面がある、との報告を聴かされた時、信秀はかかる『痛み』をハッキリと自覚した。
ここでまた裏話。めんどっちいようだけれど、大事なことなので、まあ聴いて欲しい。
現代人視点では、陶芸技術というものは、陶芸教室で簡単に原理を学ぶことはできる(必ずしも習熟を必要としないのは各種研究者を見て判断して欲しい。研究者と技術者は違うのだ)ので、転生者の秀孝が陶芸、特に陶磁器に関する知識――というより、いくらかの経験――を持ち、この世界線の尾張に広めても不思議はなかった。
また、新知見さえ得られれば技術革新が発生するのは史実の江戸時代を見ても良いし、手元の機械類を見ても良い。機種が新しくなって、動作が速くなり、感動したことはなかったか? その閃きが技術と組み合わさるとすごいことになるのである。
しかし、当然ながら、その環境設備は完全にご当地の為政者恃みなのであり、木炭のなかでは比較的、高熱で燃焼する松炭は、庶民には使い道がないため、市場に出回らない特注の品なのである。
あえて詳しくは述べないけれど、白磁生産に伴う松炭燃料(※特注品)を安定して大量に生産し、かつ、販売してくれる炭焼き業者というのはどこにいるのだろう。たぶんいないから、組織するなり、呼び込むなりしなければならない。
そして、その要望を持ち、発言するのは誰だろう。もちろん、領内に陶土を産出する領主や、村々の人間しかありえない。
そして、この尾張国において、領民・傘下の領主の話をまとめ、その整理・調整・執行の責任を負うべきなのは、いったい誰なのだろう? ――と、こういう話になれば、後はもう単純であった。
信秀は泡を噴いたわけである。
もちろんまだ信秀の苦労話(秀孝のもたらす『痛み』の話)はあるが、長くなるので、これ以上は述べまい。いちおう、おさらいしとくと、白磁、養蜂、レンゲ草、がここまでの総括であった。
信秀が泡食って、白目剥きつつ、バリバリ仕事をこなしたのは、まさしく昨年のことであって、ある朝、ションベンをしに厠に行くと、尿が赤かった、というのは、信秀の記憶に新しいことであった。
そんで、いよいよ話は、井伊直元&直虎に会いに、秀孝が雲興寺に出向いた可能性がすげえある、という時点の信秀にもどる。
(イヤな予感がする――)
信秀の背中は格好が良かった。馬に乗り、その手綱を執って、さっそうと馬を走らせる姿は尾張の伊達男(この年代にはそぐわない表現かも知れないが)であって、心なしか主人を乗せる馬も首を上下に振り、いつもの二割増しくらいの速さで疾駆していた。
雲興寺へ向けての道程である。
しかし、前を向く信秀は下唇を噛んで顔面蒼白であり、ぐいと顔を上げているのは顔面の筋肉が半ば引きつっているからにほかならなかった。たまに鼻水が出る。すすり込みつつも馬を駆る信秀の姿は、馬上で天を仰ぐ神秘的な戦士のようにしか、後ろに続く護衛には見えなかった。
(つらい――)
苦節、数えの三十六年。三十路を越え、そろそろ二十代の頃の無理が身体のあちこちに出て来た頃合いであった。だいたい平均寿命の低い中世なのだから、現代の年齢でいえばプラス十は加味して、四十六歳くらいで良いだろう。ハードワークであった。なにがとは言わないが、最近は文書を読むのがつらかった。
「あっ、ご領主さまでねえか」
「あれまあ、奇遇でございまするなぁ~」
行き交うお百姓さんが驚いた顔をした。
雲興寺の山門、その登り口である。
信秀はお百姓さんに出会うや、バッと馬を飛び降りて、馬の陰で顔をぬぐってから、やあ、奇遇だね、とばかりにさわやかな笑顔を浮かべて、馬の陰から顔と手を覗かせた。
ちなみに、日本馬はずんぐりむっくりで、品種的にはポニーに類するが、なかなかでかいので、興味があったらググッてみれば良い。いっそウシに見える。戦国騎馬隊はなかったという説は聴くが、信じられない。だってでかいんだもの。
後続の護衛が次々に到着し、信秀の周囲を固める。だが、そこは尾張一の大貫禄、さっと手を振るだけで護衛を退かせて、わざわざお百姓さんに挨拶するのだ。
「今日は天気が良いな。どうだ、種もみの具合は?」
お百姓さんは痩せて、しかし、腹の突き出た姿で、へえ、と頭を下げて、背中を曲げつつも、キラキラとした笑顔で言うのだ。
「おかげさまで、野盗の類いもなく、無事、今年の作付けができそうです」
「んだんだ。これもご領主さまのおかげで」
「な~に言ってるんだよっ! みんなおまえらのおかげだろうが!」
信秀はそう言って、お百姓さんの肩を揉み、背中を叩き、ガッハッハ、と笑うのだ。お百姓さんは涙を浮かべて両手を合わせている。
そりゃ、ありがたかったろう。
治安が守られなければ、野盗の類いがはびこる。物と尊厳は奪われ、時には命すら危うい。しかし、悪政を敷くところでは、領主こそが野盗の類いの親玉であったりするのだ。治安こそ、もっとも腐敗が横行し、守られにくいものであることを、お百姓さんたちは身をもって知っているのだ。
信秀の護衛の侍たちにとっては、こういう信秀こそが、自分たちの誇りであった。信秀は民の声を聴き、自分の足で歩き回ってその窮状を見、その苦難をともにして、ましてやその毎日を、家臣領民のために健気に捧げ続けているのだ。信秀という漢は、まさしく、仕えがいのある名君であった。
んが、当の信秀の内心はそれどころではないのだ。
(え~と、喜六、喜六……あれ? いねえな??)
信秀はしきりにソワソワして、首を伸ばして、あっちを見たり、こっちを見たりしている。お百姓さんの一人がフフッと笑った。誰を探しているか、お百姓さんにはちゃんと分かっているのだ。
「喜六さまなら……先ほど、そこの斜面を登って行くのをお見かけしましたけど」
「えっ、ななな、なんでそんなところを!? い、いや、分かる。分かるぞ。たぶん『なんかこっちから登ったほうが楽しそう』とか、そーいうアレだろ!!?」
「お止めしたほうが良かったですかね……」
「いやあ、どうだろ。その場合、かえっておまえらに苦労が降りかかったような気がしねえでもねえから、喜六に関しちゃ放置が無難だ。教えてくれて、ありがとうな!」
そう言って、笑顔で片手を上げた信秀であったが、ふと思い返して、上げなかったほうの手を山門に振ったのをググッと反対方向に返し、足元も返して、真顔でお百姓さんたちに向き直った。はてなんだべか、という感じのお百姓さんたち。
信秀は言うのだ。
「迷惑はかけてねえよな?」
誰のこと、といえば、秀孝のことであった。お百姓さんたちも、また、ひとの親だ。信秀の言わんとしていることは理解できた。
――うちの子が悪いことを考えてないのは、分かる。むしろ、善意で動いているのだろう、ということも。でも、いくら善意があったって、ひとに迷惑をかけちゃ、ダメだ。事と次第によっては、叱らにゃなるめえよ……と、こうだろう。
お百姓さんたちはそんな信秀のことが大好きだった。もちろん、秀孝のことだって。なぜもなにもない。お百姓さんたちは元来、支配者が嫌いだけど、自分たちと同じ目線に立ってくれるひとは好きだからだ。
「ああ――なんも、なんも。な?」
「んだよぉ。この前なんか、ハチミツと炒りマメを固めたっていう『ぬがー』いうもんを持って来て、食べてって笑ってくださるんだ。そんで、おっかなびっくり食べてみたら……まぁ~、これがまた、ほっぺたが落ちるほど、うめかったでやんの!」
「だからよぅ……」
お百姓さんの一人が言った。
「ご領主さまの心配なさることは……まあいろいろあるかも知れねえが……迷惑ってことだけは、ねぇですから」
その言葉を聴いて、信秀は照れたように笑った。その気持ちも、お百姓さんたちには分かった。自分のことのように嬉しい。子どもが悪い評価をされてないっていうのは、親の気持ちとしては、嬉しかったろう。
「そっか。まあ、それなら良いんだよ」
信秀はそう言って、呼び止めて悪かったな、と詫びを入れ、また、片手を上げて、山門を登り始めるのだ。その後ろ姿はやはり、尾張の大貫禄だ。お百姓さんたちは信秀の後ろ姿を拝み、帰路についた。
さて、その信秀は、愛息子を褒められて、やや頬が垂れている。にやけているのだ。おっといけねえ、という感じで表情筋を整え、護衛を振り返って、言うのだ。
「良いか、おまえら。井伊家のもんを相手にするにゃ、まず初対面が大事だ。舐められちゃおしまいなのが、侍ってもんよ。大事なのは、連中が、尾張国にとって良いやつか、悪いやつかだ。場合によっちゃ、問答無用で叩っ斬っちまえ。オレが許す! 良いな、気合入れるぜ!」
と、どこかヤンキーじみた激励をかけ、護衛が三々五々、かけ声を返した。信秀が重く頷き返し、また山門を見上げたところで、ふと違和感に気づいた。お寺のほうで、騒ぎ声が聴こえる。
(イヤな予感がする――)
信秀はまた思った。目を細める。護衛がにわかに興奮するのを抑え、手で指図し、選りすぐりの人員だけ率いる。
これが戦場なら偵察を放つところだが、親族のお寺である。ましてや、グイグイと前へ出て行くのが、一般的な良将の条件であると信じられていた(この前提が崩れるのは敵地での民衆蜂起に対する時である)。
信秀は足早に石段を登り、山門の柱の陰に隠れた。続く数人も信秀に倣う。そして境内を覗き込み、信秀は呆れ、次いで、仰天した。
子どものケンカ、と見えたのだ。しかし、ちょうど少年少女が得物を振りかぶっているところに、見知った体格の――小柄でやわらかな背中をした――秀孝の姿が飛び込んで行くのを見た時、信秀は否応なく叫び、駆け出して行くのだ。
「喜六ゥゥゥゥゥゥゥ~~~ッッ!」