第二十二話 守山で(下)
まず、北東の丘陵地帯に登って守山城のようすを確かめた。秀孝は一行の上層部のなかではいちばん目が良い。足軽衆の物見担当の人員と連れ立って、城の防備を調べた。
「あ~、だいたい分かった。ね~?」
と、周囲の物見人員と語らいつつ、みんなと合流する。
「外郭のほうにいっぱいひとがいる。なんかね~、出る気ないね。ね~?」
「外郭のほうの守りが厚い。あれは後詰(援軍)も守りに入れ、外部において連携する意図はないだろう、そういう意味だと思いまさ」
と、秀孝の言葉足らずを物見人員が補強するかたちであった。
「なるほど」
井伊直元が笑い、藤浪秀鑑が状況を整理した。
「……思いのほか、好機のようですね。角田新五は自分の地位が保てるのか、怯えているのかも知れません。我々の恐れるのは相手の後詰(援軍)が外部で動き、守山内部で角田新五が逆襲に出る、挟み撃ちの状況ですから。これがない、となると、守山城奪還の見込みはあります」
みんなで坂井孫平次のほうを見る。
孫平次が頷き、守山城の北辺を指し、言った。
「塀の崩れたところは城の北にあります。ちょうど傾斜がきつくなっているところで、そのままでも要害です。考えられる今川方の侵攻路から外れていたこともあり、補修の時期が伸びていました」
「……足場は?」
「土がやわらかく、崩れやすいです。したがって、こちらがひとの肩に足をかけ、協力して登ります。それまで、別動隊がよそで騒ぎを起こし、見回りの気を逸らせる必要があるでしょう」
「まあハシゴは目立つからな。よおし、その役目、わしらが引き受けよう。どうせ反角田の内応の誘いをかけるんだ。せいぜい目立つ場所で勧誘してやるさ。それでよろしいでしょうか、喜六殿?」
「お願いします、藤三さん」
「任された!」
秀孝勢は森林を隠れみのに河野隊と別れ、少数の物見だけ突出させて機会を待った。
太陽は傾きかけているが、夏場である。日没は遠い。
物見から侵入地点の見回りが動いたと報告を受けた。
「行こう」
秀孝はそれだけを言った。緊張しているが、脳内は白くはない。城中の誰が敵で誰が味方か分からない。だから、できるだけ敵兵とぶつかりたくない、と考え、ゆっくりと中腰で進んだ。
森林が途切れた。城までいくらか距離がある。それはそうだ。でなければお城の意味がない。姿をさらさねば進めない。
見回りが少ないが、いないではない。時間をかければいなくなるか、というと、逆だろう。現場の判断か角田新五の命令かは知らないが、河野隊の脅威度を分析すれば、それほど多くの兵はいらない、と気づくはずだからだ。
「……殿」
傍らの藤浪秀鑑が言った。少数の被害を恐れるなと言っている。秀孝は内心の黒々とした恐怖を抑えて、努めて冷静に手を掲げ、振り下ろし、言った。
「弓・鉄砲、前へ! 残りのみんなはボクに続いて! 行っくよ~!」
この場合、相手方を狂騒のなかに叩き込んだほうがよい。秀孝勢は一気に飛び出し、事前の取り決め通りに、まず弓・鉄砲の隊が前へ出て、支援射撃を開始した。
残りの侍・足軽の隊は大きく三つに分隊し、侵入地点に殺到する。秀孝、井伊直元、牧秀盈の隊である。藤浪秀鑑と坂井孫平次は秀孝の傍であった。
もっとも頑強な精兵を率いた井伊直元が真っ先に突進し、足軽が壁に飛びついて自身が足場となる。後続の人員が肩に足をかける。まだ外郭まで上がれない。およそ二人は足場とならねばならないようだ。
敵の見回りが叫び、事態に気づいた人員が持ち場にもどってくる。すでにパラパラと弓を射かけているものがある。被害は出ていない。秀孝の視界ではそうだが、ためらってはいられない。
土のむき出しになった茶色い壁が迫った。
誰もが息を詰めた。意外に高い。が、誰もが自分の役目を放棄しない。秀孝とともに突撃しているのが大きい。可愛らしい御大将に格好悪いところは見せられない。
足軽が壁に飛びつき、後ろの人員がさっと背中を登る。ウッと息を詰めた呻きが多い。藤浪秀鑑はこの期に及んで秀孝が前へ出るのを嫌がっている気配だが、秀孝が前へ出なければひとが続かない。
「殿ォ!」
どうぞ、とばかりに誰かが叫んだ。すでに外郭によじ登っているものは何人かいるが、大半はそのまま槍で突き落とされていた。
秀孝はキッとまなじりを上げ、叫んだ足軽によじ登った。二人分。が、秀孝の背が足りず、手がいまいち届かない。
(わあっ、どうしよう~!?)
と、秀孝はパニくった。そこへ敵兵と視線が合う。秀孝は二度見し、敵兵も秀孝の愛らしい顔を二度見した。
敵兵が殺意に満ちた表情をする。こんなところに出てくるのが悪い! そう言いたげに、わあっと叫びながら槍を突き出してきた。
秀孝は持ち前の動体視力で槍を見切り、避けつつその柄を取った。が、おかげでバランスが崩れる。わ、わ、わ、と言う間に、大きく支えの足軽二人が揺れた。
「……殿~ッ!」
藤浪秀鑑の叫びが聴こえる。いくらか安定した。チラリと見るに下の足軽を背中から支えたようだ。が、上のほうの足軽が揺れている。
その上のほうの足軽がギッと歯を食いしばり、思いのほか憤怒した形相で秀孝の足首を掴む。え、まさか? 秀孝が思う間に、足軽の手が力み、叫ばれた。
「どッ、せッ、りゃあ~ッッッ!」
火事場のなんとやらだ。秀孝の身体がふわっと浮いた。けっこう高く飛ばされる。秀孝は驚き叫び、敵兵も驚き、喚いた。
「えええ~ッ!?」
「なんじゃ、なんじゃ、なんじゃあ~ッ!?」
手首のほうから外郭に落下する。いくらかすりむき、秀孝はか細い悲鳴を上げた。が、意識はハッキリしている。その場で立ち上がり、腰刀を抜いて槍の柄を斬った。
右手がじくじくと痛む。骨は平気だが、打ち身をしていた。秀孝が右手をかばいつつ、左手を軸に刀を持つ。敵兵も腰刀を抜いて身構えた。
敵兵が睨んだ時、秀孝はパッと身をひるがえした。逃げたのではない。こういう時、秀孝は自分がどうすればみんなの役に立つのか、戦場ごとにキチンと学んでいた。
秀孝はトッと丈夫な柵の上に乗った。そのさまは牛若丸のようにも見えた。刀を振り上げ、振り下ろした。何度も連続しながら、下の人員に発破をかける。
「イケるよ~! イケるイケる~! ゴー・ゴー・ゴーッ!」
あんにゃろう、舐めてんのか! とは敵兵の気持ち。やおら敵兵の憤怒が秀孝に集中し、槍や矢が突き出され、降ってきた。
秀孝はそのすべてをかわしつつ、
「うひゃあ~!?」
と、言いつつ、柵を降りて逃げまどった。
実は、これでいいのだ。
井伊直元が叫んだ。
「みな、殿が危ないぞ~ッ!!」
カッと味方の目が開いたようである。
やおら壁の下の熱気が上昇し、意気のたかぶりが外郭の敵兵を驚嘆させた。
一息でいうと、この瞬間だけ味方は野獣と化した。
超短期決戦型の士気の上げ方だが、効果はてきめん。
秀孝勢が外郭を占領したのは、すぐあとのことだった。
◇
日があるうちに、本郭まで達した。
この段階になると、降兵が多くなる。
元々、織田氏の味方をしていた連中なのだ。これからはオレが主君だ! と角田新五が叫んだところで、兵らの気分は切り替わらない。
むしろ、織田氏の反撃だ、と聴けば、我先に得物の矛先を裏切り者に向けた。
「……外郭の福島・丹羽の両勢は、すでに外へハシゴをかけて逃げて行ったぞッ! 天道の報い来たれり! 主君を裏切り、不意を狙って弑逆した! 盟友も信じず、外郭において役立てない! そんなだからせっかくの後詰にも見捨てられるのだ! 角田新五のような狭量なやからに味方をすると、天道の裁きが降るぞッ!」
藤浪秀鑑が激を飛ばすと、かろうじて本郭を守っていた弓足軽や、槍足軽たちがパッと得物を手放し始める。
いくらも待つ間がなかった。空堀が障害となっている出入り口に板橋がかけられ、内部から兵らに連行された角田新五らしき人間が引っ立てられて来た。
「角田新五です」
坂井孫平次は息を殺したような口調で言った。憤懣を溜め込んでいるのだろう。が、飛び出して殺すこともできない。いまの御大将は秀孝なのだ。
縄で捕らえられた角田新五は目元の笑ったようなひとで、いまは血走った目で周囲を見ている。恐いのか、肩が上下している。息が上がっているようだ。
「角田新五を捕らえた! 我々はどうなる? 殺せば助けてくれるのか!?」
縄を持った足軽が震え声で叫ぶ。天道か、目の前の秀孝勢か、どちらか、あるいは両方を恐れているのだろう。一気呵成に本郭まで攻め上った連中が恐く見えるのは仕方がなかった。実際、精強で間違いはなかった。
秀孝は前へ出ようとして、藤浪秀鑑に止められた。
「……武家には武家の義理がございます。殿はおやさしいためにこの義理をないがしろにされる面がございますが、今後のことを想えば、私の差配にお任せください」
秀孝は藤浪秀鑑の目をジッと見て、本気だと分かると頷いた。自分の責任として、命令として伝える。
「任せます」
「……角田新五を解き放ち、前へ押しやれ! 角田新五のやりようが是か非かは、安房守秀俊殿の魂が決められるだろう、そう殿のおおせである!」
藤浪秀鑑が坂井孫平次を見た。孫平次の瞳がうるみ、感極まったように秀孝らに頭を下げ、言った。
「感謝いたします――!」
坂井孫平次が手槍を持ち、前へ出た。角田新五の前へ似たような手槍が投げられる。
角田新五が手槍を取ると、坂井孫平次が構え、言った。
「なぜ殿を弑逆した」
角田新五が訊かれ、戸惑った。自分がいまどこにいるのかも分からないようだった。ようやっと坂井孫平次の顔を認識したと見え、口元をイヤなかたちにねじ曲げ、喚くように言った。
「おまえがいるからだ! おまえが可愛がられているから! おまえが――」
「また、虚言か」
坂井孫平次が殺気を飛ばし、一歩、踏み出した。角田新五が悲鳴を上げて尻もちをついた。周囲を見回す。誰も助けてくれない。そうと気づくや、角田新五は目を剥くようにして喚き出した。
「弑逆してなにが悪い!? バカか!? あいつが弱かったからだ! いや違うな、この世情のせいだ! 上を目指すしかなかったんだ! どんな手を使ってでも、上を目指すしかなかったんだッ!」
「それでぜんぶか?」
「違う! まだある! 違う!」
「いや、いい。おまえにまともな受け答えを求めたほうが間違いだった」
いきなり、角田新五が奇声を上げて突きかかってきた。混乱しているとはいえ、相手も武家の端くれだ。穂先をやや下げ、必殺の意気で胴を狙われた。だが、ふんばりが利いていない。
坂井孫平次は容易に角田新五の突きをかわし、手槍を角田新五の喉に入れた。重い手触り。ひねると、角田新五が血と息を短く吐いた。引き抜く。まだ生きているはずだが、角田新五は驚いたような表情で仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。
坂井孫平次はいろいろな感情の混ざった表情で角田新五を見下ろして、言った。
「おまえのようなやつに――」
そうして、膝をつき、坂井孫平次は大声を上げて泣いた。
秀孝はそのやり取りをすべて見たあと、多少の気疲れを感じ、ちょっとうつむいた。
ただ、周囲は興奮に満ちている。声を出すのは我慢しているようだが。
なんだろう。秀孝の疑問はすぐに氷解した。
「……殿。終わりました」
そうだ。終わったのだ。藤浪秀鑑の言葉に気づいた秀孝は顔を上げた。
気持ちの整理のため、ちょっとため息をつく。次いで、秀孝は努めて笑顔を浮かべた。周囲を見回す。一人、一人の顔。欠けた人間もいるが、おおむね生きている。刀を振り上げた。秀孝は言うのだ。
「勝どき~!」
はじけるような勝どきの声が守山城に響き渡る。
足軽の一人が秀孝を担ぎ上げ、衆目に見えるようにした。
秀孝はコロコロと笑い、声をかけてくる一人、一人をねぎらった。
そこへ、河野氏吉が少数の供回りを連れて顔を出した。
「やあ、終わったようですな」
「藤三さん! あの――」
秀孝は担いでいる足軽の手をポンポン叩き、降ろして、と意思を示した。降ろされ、河野氏吉に駆け寄る。
秀孝がなにか言うまでもない。河野氏吉は坂井孫平次のほうを見たあとで、秀孝を見下ろし、微笑んで言った。
「坂井殿なら、たぶん平気ですよ」
「え、どうして!?」
秀孝は二つの意味で驚き、訊ねた。首を傾げ、頭上にクエスチョンマークが浮かんだ。
いや分かりやすいですからね、とばかりに河野氏吉は頬をかき、もう一度、泣きじゃくる坂井孫平次のほうを見て、小声で言うのだ。
「泣いてますからね。あれならだいじょうぶ」
「そういうものなの?」
「そういうもんです。それより、喜六殿もこれから大変ですね」
「え、なにが?」
秀孝はきょとんとした。
河野氏吉はニッと笑い、おどけるように言った。
「ま、星の運ですかね。苦労なされるといいです。みんなそれを望んでます」
「え、え、なに、新しいいじわる?」
秀孝がそう言って見えない未来に小さな身体を抱えて震えていると、遠くから守山衆の生き残りが近づいてきた。
坂井孫平次が目元をぬぐい、立ち上がる。守山衆の姿を認めたあとで、秀孝のほうを見る。苦笑された。
なにか妙な予感。秀孝は困惑した。
良いとも悪いとも分からない未来への予感。
厄介事のような、それでいて、慶事のような。
秀孝は思わず、傍らで見守っていた藤浪秀鑑に問うていた。
「ボクはどうすればいいの?」
藤浪秀鑑の答えは決まっていた。
「……殿のご随意に」
秀孝はともあれ、周囲の意見を聴いたあとで、なにもかもご随意にするようにした。
◇
守山城の変事とその事後処理の許諾を求める、守山衆の使者に対し、蟹江城攻めの戦陣にあった織田信長は、
「許可する」
とだけ返した。内心では失ったものと得たものの均衡のなかで、切なさと嬉しさが同居していたが、こちらはこちらで正念場だ。
「かかれ~ッ!」
この日、蟹江城は守護の主宰する(という名目の)尾張国内のいくつかの国衆の連合軍六千人によって攻略され、城主の石橋義忠は国外追放となった。
清洲の南方に縦深を得た信長は清洲一帯の用水や、街道の整備に乗り出す。
守護の領地と政庁をしっかりしたものとし、どうにか先代・信秀と同じ……いや、それ以上の尾張国の安寧を希求するためにだ。
それはそれとして秀孝のほうは、
「ボクに城主は似合わないと思う……」
と、守山城の大広間、その上座で途方に暮れていた。
「なにをいまさら」
と、井伊直元。かれは守山領として没収された角田新五の旧領のうち、村をいくつか任され、守山城の家老格に収まった。引き続き足軽大将も兼任している。
「……さようです。こういう場合、誰がお城を取り戻したか、が重要なのです。奪還の指揮をなされた御大将は殿でした。これがいちばん混乱の収拾が早い手だと考えます」
「そういうものかなあ――」
「往生際が悪いなあ、殿は」
などと、藤浪秀鑑が言い、秀孝が天井を見ながら前後に揺れ、牧秀盈がダメ出しした。
「お連れしました!」
そこへ坂井孫平次が入ってくる。かれは秀孝に仕えるにあたって秀時と名乗るようになっているが、基本は孫平次で通す。近習の幅が厚くなっていた。
いや、これでも足りない。
先の角田新五の謀反騒ぎで、元々の守山衆から欠員が出ている。領内の混乱はまだ冷めやらない。こうなれば、信長から与力をもらうなどして補わなければならなかった。
「誰か呼んだの? お客さん?」
秀孝が来客に興味を示し、井伊直元が素知らぬ顔で背筋を伸ばし、応じた。
「なに、殿がかねての約定を果たす時がきたのです」
言うや否や、入り口に元気のよい影と大人しい影が二つ。
「喜六殿! 久方ぶりじゃのうーっ!」
「お、お邪魔しますぅ~、うひひ~……」
とたん、場が華やいだ。
秀孝はお客さま――というか、近日中に家族になる相手二人を見て面食らったあと、井伊直元のほうを、ぶ~っと頬を膨らませて睨んだ。先に言ってくれればいいのに、という感じ。
井伊直元は澄まし顔だが、口元がひくついている。まあそれはそうだ。大事な又姪の将来がかかっているのだ。ここが年貢の納め時。又姪は数えの二十歳なのだから、これ以上は待てません、という大叔父の気持ちであった。
もう一人のほうは数えの十五歳。秀孝と同い年だが、この際だ。慶事は多いほうがいい、という義兄になる漢の後押しもあっただろう。政略結婚に近いが、ま、なんとかなるだろう。お互い悪い相手じゃないんだから、というのが義兄の心中だろう。
秀孝はぶーっと膨れた頬を自分でパンと張った。ダメダメ、せっかく来てくれたんだから、その……お嫁さんが、ね? みたいな気持ちで、いくらか頬を赤くして、その場で立ち上がった。
トコトコと二人のところへ行く。
秀孝は深呼吸しつつ、あらためて二人を見た。
一人は猫目で男前な侍娘。
もう一人はぼさぼさ髪の陰気な女の子。
一人は武芸達者。
一人は才女。
ボクなんかで釣り合うだろうか、とはこの期に及んで秀孝も思わない。
二人はそれぞれのまなざしで秀孝を見ている。不安と期待。ボクもそうなのかな? とも思う。
ともあれ、二人が秀孝を見ているのは確かなのだ。ここで応じなきゃ、オトコノコじゃないでしょ! と秀孝は割とすんなり二人の気持ちを受け入れた。
秀孝は片方ずつ手を差し出した。
侍娘が顔を赤くして片方を握り、陰気な才女のほうはかえって気軽にもう片方の手を取る。
ドキドキしてるのは侍娘のほうで、腹が据わってるのは陰気な女の子のほうなのだ。
秀孝は二人の手の違いにおもはゆさを感じつつも、それぞれの名前を呼んだ。
「次郎法師ちゃん、お墨ちゃん」
「な、なんじゃろうか、喜六殿――」
「はい、なんですか、き、喜六さま?」
秀孝はまた、深呼吸。二人の顔をちゃんと見て、キリッとした。旦那さまになるんだからね、とばかりの顔。
秀孝は深々と頭を下げて、言うのだ。
「ふつつかものですが、よろしくお願いします!」
違う、逆! 逆ゥ~ッ!! 目前の二人も含めて、周囲のみんなの総意はそんなものだったが、弘治元年(1555)七月の上旬。
ここに、秀孝家が創始され、本格始動したことは、確かなことであった。




