第十七話 戦国男の娘 織田秀孝
※五年ほど時間軸が飛んでいます。
戦国親父・織田信秀とでもいおうか。
根っからの女好きはその晩年まで下半身が元気だったが、もちろん晩年は晩年で、なにもかもが病み衰えて……でも、やらねばならないことは山積される。
例えば、引き継ぎの問題とか。そうするために……自分に迫る死を認めなきゃいけないとか。
親父はいつだって大変だ、親父はいつだって――愚痴りながらもやることはやった、かれはだから、たぶん良き当主であり……最高の父親であった。
天文二十一年(1552)三月三日――織田信秀は死去した。
享年、数えの四十三。
流行り病、と『信長公記』の著者・太田牛一は記述するが――これは諸説あるうちの一つだが――この世界線の信秀は脳卒中の発作で倒れて、三年の闘病の末に亡くなっていた。
時間はあった。迷う時間も、怖がる時間も、妻妾とニャンニャンする時間も、子どもたちを愛する時間も……そしてすべてを決めるための、ほんの少しの時間も。
(決めた)
決められる時は案外、あっさりと決めた。信秀は嫡男の三郎信長を呼んで、こう言ってやった。
「おう、三郎。喜べ。おまえにお役目(仕事)を遺してやる――」
信秀は痩せた頬をほころばせて、ケラケラと笑った。絶対、バカを見るぜ、とこういう顔だ。でも、イヤだとは言わせねえ――自分がなにものかを知るのなら……遺る仕事のあることは幸いだろう。おまえなら分かるはずだよな、と。
悩んだぜ。
正室の次男か三男か。
誰を選んでも、誰かは反発するから――苦労したかって?
ああ、したさ。
だいたい病人は寝るのがお役目だぜ、なんだってこんな――まあいいよ。
しけたツラすんな、三郎。
信秀は、いつものくだらない戯言を述べる口調と態度で、どこまでも悩みぬいた末の答えを託した。
「苦労をかけてやる」
いいか、よろしく受け取れ、バカ息子。
――信秀の葬儀の場で、かれのバカ息子はバカな行動をした。
おおっ――葬儀の場がざわめき立つ。バカ息子の格好は人目を引いた。大小の刀を荒縄で巻き、雲のように巻き上げた茶筅マゲに上だけの着物。抹香を掴んで、親父の位牌にぶち撒ける。
(クソ親父ッ!)
――バカ息子たるかれの……信長の目の涙に、気づいたものがどれほどいただろう。なんだってこんな苦悩を押し付けた! なんだってこんな苦悩に耐えられた! 死のさまをまざまざと見せつけ、命の有限さを思い知らせ……いまだ孫すら抱かせず、なんの働きも見せられず! なんだって早く死にやがったァッ!?
その息子としての悔しさを察するものが、どれだけいただろう。哀しくってならないのに、そのまま泣き崩れられない苦しみを誰が悟ったろう。
「カ~ッ!」
吼えるように心中のなにかを吐き、荒々しくバカ息子は去った。
かれの同腹の折り目正しい格好の弟は、嫡兄の醜態――そうとしか見えなかった――に狼狽し、内憂外患の世のなにごとかを考えた。自分なりの責任。家中の動揺。早くから後継者として育てられた兄が、なぜこんなことをするのかが分からない……かれは嫡兄に敵意を覚える自分に気づき、戸惑った。
なにかを察した母親はおのれの生んだ子の苦悩の重さを知り、そんなら、せめてアタシは長生きしてやろう、と夫の死にやつれた頬に気色を取り戻し、さあさ、葬儀の続きをしておくれ! と武家の妻としての要請をした……なによりも、子どもたちのためにそうすべきだと信じた。
もう一人の同腹の弟――この存在は女の子のような見た目をしていた――だけは、兄を呼びながら、そのあとを追った。この男の娘には、現状、自由があったし、内憂外患なんて難しいことは分からなかった……分かるのは、前世もそうだが、今生の家族になにくれとなく愛してもらった記憶くらい。
勇気だけはありふれていた。同じ量か、それ以上の愛情を、この男の娘はもらっていたから。
『なんという大バカものだろう――ッ!』
家臣たちは口々にあのバカ息子をののしった。その背景には深刻な――尾張国の危機があった。内憂外患、内憂外患だ。それですべての説明がつく――あの大バカものはそれが分からないのか。分からないのだろう。なんて薄情な……道理の分からぬ大バカものだろう! と。
が、ただ一人、病床の信秀の祈祷の場に居合わせ、父と子のなにごとかをそっと見聴きした、九州の僧侶だけが述べたのだ。両手を合わせて、かのバカ息子なるものの、父への弔いと責任の心を受け取りながら。
「あの方こそ、国持ち大名になる御仁よ――」
織田信長。数えの十九歳。この頃より上総介の受領名を名乗る。独り立ちのあかしであった。
そして、葬儀の場で嫡兄を追った女の子のような弟――いやさ、男の娘も、信長にならって……あるいは、寄り添って、苦もなく――実際は、先の通り、みんなに愛されていたからこそ、だが――決断をした。
元服。おとなになること。
嫡兄の代わりに泣きじゃくりつつ、だからこそ、この男の娘は武家がそうするって今生で学んだことを……名をあらためて、おとなになることを選んだ。嫡兄はこの愛らしい弟の小さな肩を抱きながら、嫡兄なりの返礼で寿いだ。泣くな。笑っていろ。そうしているのが、キサマには似合いだ、と。
男の娘は頷いた。うん――と。
元服してのち、名前を、
織田喜六郎秀孝、
と、名乗った。
秀孝。時に、数えの十二歳の春。
◇
さて、この頃、世間では鉄砲――火縄銃がけっこう使える、という噂が盛んであった。
史実のことは諸説あるのだが……この世界線だと民間での火器の普及が先であった。この場合の火器は大陸の明朝や、大越由来の火器。後追いで西洋の火縄銃が入ってきた。
富裕な惣村の猟師が使用し、鳥や獣を獲るのに使える、ということで流行った。みやこのほうではすでに軍事使用がなされている。二年前の話になるが、足利将軍家の築城のお城に鉄砲対策の防備が施されているから、その普及度は想像できたろう。
信長はこれを聴いて鉄砲の師範を雇い、まだ信秀が生きていたころに、数百挺の火縄銃を買い集めている。が、おそらく信長だけではなく、全国規模で同様の動きはあったろう。
出てくるネックは火薬……材料の硝石の調達の難しさだ。
現状では海外からの輸入品だから、せいぜい数挺が連続使用――ほんとうに鉄砲を使おうと思えば、一人で何十、何百回かの発射を考えねばならない――に耐えうるくらいであった。数十、数百の鉄砲の連続使用となると、どう考えても供給が足りなかった。
「なんとかならぬか」
津島の商家屋敷で信長は言った。中庭に面した部屋の一つ。ぐるりと中庭を囲む部屋は一つではない……収容人数の多さで、中庭で侵入者を叩く、という想定がなされているのだろう。警護役だろうひとが要所、要所を歩いている。客がこの屋敷の持ち主の敵か味方かで印象が変わる庭だろうな、と信長は横目で見ていた。
厚みのある塀の向こうでは、津島参拝のお客さんを案内する、神官や巫女の声がしていた。ともあれ、ふつうにしていても詰問する響きになるのは信長の変な癖であったが、慣れている商家の旦那は気にしたふうではない。さて……とあごに手を当てて考え込んでいる。
この頃、外洋は帆船の時代である。大航海時代。多国籍の海賊がウヨウヨし、商船も時と場合によっては海賊と化す、この頃の海は、ちょっと航海に出るには血塗れになる勇気がいる。
そのぶん利益もガッポガポだぜ、ということで、命知らずは東南アジアやインドのほうまで行ったり、逆に西洋のほうからインドや新大陸経由で来たりしている(もっとも、新大陸経由のほうはもう少しあとの話だが)。
ポルトガル領のゴア(インド西部の都市)やマラッカ(マレー半島南部の都市)とかは有名である。特にゴア。現在のゴア州の州都はパナジという丘の多い土地だが、現段階では東の奥まった河口の辺りにある(旧ゴア)。ここ数十年でカトリックの学校ができ、人口が増えている。行ったものの話では……なかなかその隆盛は目を見張るそうな。
商家の旦那が言った。
「ご存知かもしれませんが……南蛮の船が来航するのは夏場。潮と風の都合でそうなるわけです。そして、日本国で荷を売り払ってしまえば、四ヶ月ばかしは滞在しますが、年があらたまる前に帰ってしまいます。いまは春ですからねえ……――」
「無理、か」
「いずれのご家中も硝石を買い求めていらっしゃるようですから……」
と、旦那がやんわりと断りかかった。
そこで、傍らで脚を伸ばして、パタパタしていた男の娘が言うのだ。
「硝石? あるよ?」
秀孝である。
信長と旦那が、ギ、ギ、ギ、と首を動かし、秀孝を見る。信長と連れ立って来店していた、この二つの澄んだ瞳が輝く男の娘は、たまにこういうことを言う。恐ろしいのは、言うことはたいてい『ほんとう』な点。秀孝は正直な男の娘なのである。『ある』と言えば『ある』のだ――それが、いま、なんと?
信長と旦那はいっそ、恐いくらいの無表情になり、ムッツリと黙り込んだ――あるいはここで、秀孝は事態の重みに気づくべきであった――が、秀孝が首を傾げて、
「ある、よ?」
とうっかり『ほんとうのこと』を言った。
とたん、信長と旦那がざざざっと這いつくばって近寄ってきた。秀孝が、
「わ~っ!?」
と、悲鳴を発して逃げ、壁際に追い詰められた。秀孝は壁を背にした。信長と旦那がジリジリと囲んでくるのに気づいたので、秀孝はぶるぶると震え、涙目で首を振るほかなくなった。
そこで、
『あっ、これはダメなほうに気持ちを追い込んでいるぞ』
と気づいた、信長と旦那、小動物っぽく震える秀孝の周囲をかこんで退路を断ちつつ、こうと言った。
「店主、喜六にまんじゅうかなにかを!」
「アッ、ハ、ハイ! ついでに熱いお茶かなにかをお付けしましょう! おおい、誰かいないかいっ!」
哀れな虜囚となりかけた秀孝は、しかし、ほかならぬ捕獲者の気配りによって救われた――まったくマッチポンプじみてはいたが――超特急で持って来させたまんじゅうを信長が受け取り、
「まあ食え」
とまるで自分のまんじゅうをやるように差し出した。甘味(と鳥肉)が好きな秀孝は生気を取り戻したような表情で、パクッとまんじゅう――砂糖でアンコを煮込んだ上等なもの――を頬張り、もぐもぐと咀嚼する。旦那が、
「どうぞ、お茶です」
と、秀孝の好みである煮出す形式のお茶を差し出し、これも、秀孝が差し出されるままに口に含むや、口内で甘味としぶみの素敵なハーモニーが広がったようだ。秀孝の表情がほわっと溶けた。
「おいしい――」
いまだッ、と信長が秀孝の肩を掴み、甘味でノーディフェンス状態となった秀孝へ詰問した。すったもんだのなかで極度の興奮状態になったので、信長もひどく端的な言葉遣いになってしまう。
「どこだッ!」
そこで、かえって秀孝のほうが冷静になった。
もうちょっとおまんじゅうをちょうだい、とばかりにまんじゅうに手を伸ばし、さっさと言え! とばかりに、ぐいと押しつけてきた信長の手からまんじゅうを受け取って、パクリと食べる。
幸せそうな顔。見て、信長と旦那がやきもきする。お茶も飲んじゃおう、とまったくマイペースであった。
信長と旦那がイライラしすぎて半ば白目になった。
秀孝がまた、お口のなかがハーモニー。信長と旦那が倒れそうな姿勢でピクピクしたところで、秀孝は幸せそうな息をつき、やっと、どこから話せばいいんだろう、というふうに、困ったような笑顔で言うのだ。
「アイスクリームをつくろうと思って――」
硝石丘(風通しのよい小屋で家畜の尿をアレコレやって硝石をつくるやつ)をやってみました、と。
幸か不幸か、秀孝は前世において地方の夏祭りの運営――中学生のやるお仕事――に飛び入り参加したことがあるので、硝石のつくり方を知っていた。この場合、硝石の使い道は、祭りでぶん回す竹縄の燃焼度を上げるため、硝石を練り込む用途のもの。
もちろん、というか、なんというか、硝石を使って氷をガン冷えさせ、ボウルのなかの材料をかき混ぜてアイスクリームをつくろう! というおまけイベントのほうが秀孝には重要だった。
ちなみに、現代だと砂糖でまったり濃いめ味のアイスができるが、この世界線だと水アメやハチミツになるので、スッキリ甘いアイスか、ハチミツアイスになるので、やるのは楽しみだったろう。
ともあれ、信長と旦那、秀孝の惣村での硝石づくりの暴挙を聴き、その場で『ダメだこれはーっ!?』と仰向けに倒れるしかなかった。だってだって、この手の知識はそのまま軍事利用が可能なものなのだ。
あるいは、信長や旦那は想像もつかなかったろうが……秀孝の知る祭りそのものが過去の延長線上にあるものなので、元々が中世から近世、もしくは近現代における軍事利用が先にある――武家、あるいは軍務経験のある誰かが地元に持ち帰った知識がお祭りの華となった――ものなのかも知れなかったが。
とにかく、分かるものではない。すべては秀孝の内部の記憶。魂の神秘のアレコレなのだから。訊かれると答える男の娘かも知れないが、訊かれない限りは答えない。本人、自分の知識がそこまで大それたものだとは知らないからだ。
信長と旦那は次のような感慨をえるほかない。
竹縄に硝石を練り込んで燃焼性を上げる? そんなもん火縄でも同じことができるだろう。雨の日でも燃える火縄とかどんだけーッ! 硝石のほうはいうまでもない。だいたいなに? 土の表面削るとけっこう硝石が採れるし、尿を混ぜ込んでかき混ぜると継続しての生産ができる? ハハハ、もう笑うしかない。バカかッ! すごい軍事革命かなんかではないかッ!?
その時、信長の脳裏に亡き父のニヤニヤ顔が浮かんだ。
バカを見るぜ――そんな笑顔。
(あのクソ親父がァァァ~ッ!)
信長はすべてを悟った。その上で、なお、胸のなかに湧き立つ――なにか、無性にワクワクするものを感じた。
褒めてやろうか。信長は思う。いや、どうしようかな。褒めたところで意味など分からず笑うに違いない。あいつ――秀孝はそうだ。どこで覚えたのだろう、こんな知識を……出歩くことが多いから、どこでとも言えないか。
この世だ。きっとそうだろう。なんというか……良いではないか。そうだ。分かるのは悩みが解決した、ただそれだけだ。信長は仰向けに寝転んだまま、ニヤリ、と横で同様の姿勢でスッ転んでる旦那に言った。
「店主。分かっておろうな?」
「エッ、アア、ハイ……分け前はもらえるので?」
「惣村に銭を払え。喜六はそういうところにうるさい」
旦那が仰向けの状態で瞳を輝かせた。笑い声が上がっている。秘密にしろ、その代わりに分け前をやる。ただし、生産者は大事にな……そんなやり取りだ。
守ってやらねばならない。信長はそんなことも思った。
織田喜六郎秀孝――アレはあまりに危なっかしい。放っておくとなにをしでかすか……まあ、それはそれで楽しそうだが、周囲が不幸になっては、アレ自身が泣くだろう……バカな。笑っていろと言ったのは、このわしだ。
ふと、信長の視界をさらりとした茶髪の房がふさいだ。秀孝。明るいところだと赤く輝く髪質だが、室内だと茶色なのだ。総髪をまとめてマゲにしている。なに笑ってるの~? と首を傾げている。
信長が言う。
「起こしてくれ、喜六」
秀孝は、うん、と応じ、信長の手を取り……信長がその手を、ぐいっと引っ張った。秀孝の驚いたような顔が近づく。頭に手をおき、きゅっと目を閉じた秀孝を撫でる。信長は叫ぶ。
「やはり褒めてやる!」
転がって、埃が舞う。庭がキラキラと輝く。
信長は秀孝の小柄な身体を抱きしめ、頭をワシャワシャと撫でた。やわらかな髪質。さらさらと指に解けていく。まるで女の子のような……キャー、という笑い声がした。なにも考えてないだろう。意味もなく笑うのだろう。
それでよい。キサマはそうだからこそよいのだ。
信長も笑った。旦那も。秀孝も。みんなバカみたいに。なにがなんだか分からない護衛の人員も、最初は面食らってのち……もらい笑った。
織田喜六郎秀孝。戦国の世に生きる、この男の娘はまあ……そういう男の娘であった。




