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第十六話 かれは本来こういうお方

 ハチの巣をつついたような騒ぎであった。


 尾張国おわりのくにが、敗戦に動揺している。みんな、なにをどうしていいか分からないが、分からないなりに動こうとして、かえって自分を見失っている。なんのために動くのか? それが、誰もが分からなくなっているのだ。それは、織田弾正忠おだだんじょうのちゅう家も、また、その嫡男も、同様のことだった。


林佐渡守はやしさどのかみはどうしたッ!?」


 筆頭家老の林秀貞はやしひでさだはどこだ、信長はそう言っている。相談すべき相手の姿がない……相談すべき相手の姿が!


 那古野なごや城の大広間である。


 小姓頭の岩室長門守重休いわむろながとのかみしげやすが、凛々しくはあっても、どこか軽薄そうな顔に珍しく動揺を浮かべて、生唾を呑んだ。まだ数えの十四歳の主君に対して、それでも一途なまなざしを向けているが、唇からは血の気が失せている。震えた声で言った。


「は、林さまは、今回の変事に対して議論するため、お屋敷でご親族の会合の場をもうけているので出られぬと――」

「あ゛あ゛ッ!?」


 信長がダミ声を出して激し、こらえ切れないなにかを吐き出すように、その場でダンダンと地団駄を踏んだ。なぜこの大広間で話し合いをしないのか、たかだか一家で済む話なのかッ! と態度に出して憤慨している。

 岩室重休が平伏し、


「どうか! どうかお鎮まりを、若殿さまぁ!」


 と、懇願して、ほかの小姓や近習もそれにならって平伏したが、信長は手近のひじかけを蹴り上げるのみであった。なぜ来ない! そればかりを思った。大事な筆頭家老が、なぜ!? と。


 その一幕は、主君と家臣の館城がおおよそ同規模で立ち並ぶこの那古野という地のなにごとかを語っていた。そして同時に、林秀貞の性格と、林家のなにごとかも。


 のちの世に第六天魔王の異名(自称だが)を残す信長も、この世界線、この時間軸では一介の城主にすぎない。それすら若すぎるくらいだ。


 その時、小姓の明るい声が響いた。


平手中務ひらてなかつかささま、参られました~っ!」


 険悪な空気がパッと散ったようだった。二番家老の平手中務丞政秀ひらてなかつかさのじょうまさひでが少し足早に現れた。

 信長はその報告を聴き、政秀の姿を視認するや、上座から飛び降りるようにして大広間に降り立ち、そのまま速足で歩いた。信長の顔色を見て、即座になにかを察した政秀は優雅とも見える動作で、その場で平伏した。


「ジイッ!」


 信長は幼いころからの守役の手を取り、急いてはいたが、どこかやさしげな手つきで立たせて……やや間をおいてから、言った。


「どうすればいい?」


 平手政秀は顔を上げた。まさにそのためにきたのだ、という顔であった。一方で、ちょっと虚を衝かれたような表情も見せた。政秀の視界では、信長が真摯な瞳で政秀を見つめている。お家の将来を本気で案じている顔だった。


(本来、こういうお方なのだ――)


 政秀は信長に対して好意的なものを抱き、あらためて、キリッとしたもののふの顔をした。


「三郎さま。いや、若殿さま。こういう時は、ふだん通りが肝要でございます――」


 政秀は言った。ふだんは温厚なこのおきなは、ここぞという時は武断的な処置も辞さない一面を持っている。織田弾正忠家の外交官の一人をしている、そのお役目から表に出さないだけで……信長が好むタチの果断さは、濃厚に持っているおとこであった。


「ふだん通りと申すか?」

「さようでございます」


 信長が、握る政秀の手に力を込めている。信頼のあかしだ。そうでなければこの若殿さまは腹芸の類いを好まない――政秀はそう思っている。潔癖といえばそう、よくいえばお人好しな若殿さまであった。


 政秀はニッと力強く笑い、握られる手から片方を離して、さらに上に乗せてパンパンと叩き、続けた。自分がこのお家を、大殿さまを、そしてこの愛すべき若殿さまを支えねばならない、とも強く念じている。


「大本でござる。なにごとも、大本が肝心! ゆえに、犬山いぬやまの辺りで兵をまとめておられる、大殿さまを迎えに参りましょう。この那古野のことは林佐渡殿に任せておかれればよろしい。無理強いは禁物ですぞ。さすれば、あれぞ織田弾正忠家の若殿さまじゃと、国中の噂になりましょう」

「林佐渡を捨て置けと申すか、ジイッ!」


 信長の目が燃え上がった。怒っている。なんのために? おそらく……なんのためでもない。我を忘れて、ただ、怒っているだけだ。赤ん坊のように――思えば、政秀はやさしげに笑った。


 すると、信長がムッと目をつり上がらせた。それを察した岩室重休が、今度は政秀のほうに懇願するようなまなざしを向けた。


(まったく、この子らは――)


 政秀は祖父のような気持ちになった。いつまでも手がかかる子らだ、と。そして急に真顔になって、冷たい声で言った。


「そんならば、斬り捨てまするか」

「なに――」

「林佐渡殿でござる。斬り捨てるなら斬り捨てる、許すなら許す。若殿さまがこの場の総大将! 決めてもらわねば、動くに動けませぬわいっ!」


 信長が身体を震わせた。怒っているわけではなく、ただ驚いているのだ。岩室重休やほかの近習・小姓衆など青い顔でなりゆきを見守っている。政秀が信長を睨み上げた。無礼かも知れないが、このくらいはすべきだった。

 やる? やらない? どっちにするの! と、まったくお母さんじみたことを言っているわけだ。


 すると、急に信長がしょぼくれた顔になった。情けなくも悔しげな表情で、ダンダンと床を踏み鳴らして抗議の姿勢を示している。こういうところ、ほんとうに幼いころのまんまだな、と政秀。


 ダ~メ、とばかりに、政秀は腕を組んで仁王立ちをした。ちゃんと口で言いなさい、態度で分かってよ、なんて、そんな横着は、とお~りません! みたいな、信長の抗議全面拒否の肝っ玉お母さん、ならぬ、鬼の守役スタイルであった。


 信長、政秀には弱い。急に静かになった。そろそろ頭も冷えてきたろう、と政秀は感じた。冷静になりさえすれば、この若殿さまはデキるのだ、とも信じている。信長がため息をついた。いよいよクールダウンしたものらしい。信長は政秀をジロリと睨んで、最後の抗議、とばかりに言った。


「足りるかッ!?」


 那古野全域の防備・治安が林家の手勢だけで保てるかと信長は訊いている。政秀は心配しすぎだと思ったが、口には出さない。同時に、やっぱり、この若殿さまはちゃんと考えればデキる子なのだ――とも、ずっと見守ってきた気持ちで思う。

 この若殿さまが、行動の前段階において非常に慎重な面を持っていることは知り尽くしている。政秀は信長の不安への答えも用意していた。


 でも、その前に――律義な政秀はその場で膝をつき、深々と頭を垂れて謝罪の意を示した。


「ご無礼をいたしました――」

「よい。申せ!」

「ハァッ!」


 政秀はもう一度、頭を下げ、ようやっと頭を上げて、片手を振りつつ、言った。


「御意のままにいたしまするが――どうか怒らないで聴いて頂きたい。実を申せばこの中務、佐久間さくま家へ依頼を出しました。知多ちた水野みずの家へ後詰(援軍)を出してもらいたい、と。むろん大殿さまがご不在の間の、それがしの勝手な判断でござる。なにかあれば、この中務、腹を――」


 そこまで言ったところで、信長が首を振った。そうして、ものすごく不機嫌な顔をつくる。でも、その瞳は笑っていた。スッキリした目つきでもあった。


「くさいわ、ジイ。気遣いなどいらぬッ!」


 下手な芝居しやがって、と、信長はいま、なにもかもに気づいた様子だった。政秀はちょっとだけ悪戯っぽい笑顔を浮かべた。信長がプイッと拗ねたように顔を背けたので、政秀は苦笑を返した。内心で喜びもある。


(この若殿さま、なんだかんだで度量がある)


 政秀が目を細めた。そこでやっと信長が目を合わせ、頷いた。そして、大広間の内外に響く声で老臣の忠義を賞した。


「よいわ、ジイ! 苦労!」


 そして、周囲の近習・小姓衆に手を振り向け、こうも続けるのだ。


「陣ぶれぞォッ! ご当主さまをお助けせぇ~いッ!」


 続くのは、大広間中に響く、応ッ!

 信長は政秀に見守られながら思った。なにはともあれ、自分がなにものかが思い出せたのなら、その必要とされるあらゆることをせねばなるまい、と。織田三郎信長は那古野城主であり、そして――織田弾正忠家の嫡男なのだった。

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