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第十三話 加納口の戦い(三)

 対岸の河原に土塁がはしっている。稲葉山いなばやま城の北西部、中河原なかがわら。半ば中州化し、長良川ながらがわに突き出たような場所だ。渡河できる地点でもある。


「つくりかけではないか」


 西から土塁を遠望し、青山与三右衛門信昌あおやまよさうえもんのぶまさはすぐに言った。

 道案内、兼、織田信秀おだのぶひでへの報告・連絡役である、金森五郎八可近かなもりごろはちありちかが、秀麗な顔立ちに媚びたような笑みを浮かべて頷き、手を前方へ向けた。


美濃国みののくに斎藤道三さいとうどうさんめの台頭が明らかになってから、騒乱続きでございまして、いかに悪漢・道三といえども、連年の出兵のなかで城下の整備をするのは大変だったのでございましょう、与三殿」

「悪漢な」

「なにか?」


 訊かれて、今度は信昌のほうがあいまいな笑みを浮かべた。馬を御すふりをして考えている。自分とこの軍監ぐんかん(監視役)はお互いに難しい立場なのは分かっている。しかし、さも敵方を当然の悪のように述べる、こいつの姿勢は好きになれない。

 同時に、


(だが、こいつは出世するんだろうな――)


 とも、信昌は思った。めぐり合わせといえばそうであった。

 この美濃生まれの若い才人は――信昌は可近を見て思う。きっと物事を動かすのは自分だと信じられる人間に違いない。自分はどうだろう。分からなかった。だからこそ信秀に従っている。


 信昌は鼻で息をついた。ダメだ、うまい返答が浮かばない。


 眼前の長良川は渡河できる場所だけに急流で、川底の石がコケで黄色く光っている。枯れ葉が流されていた。自分もそうに違いない。信昌はふっとそう思い、なにか許しを請うような笑みを顔に張りつかせたまま、結局、その場しのぎの言葉を返した。善良だが策のできない漢であった。


「ん、いや。さあ、どうやって攻めるか――」


 こいついまごまかしたな、と古女房のような細目をしたのは可近のほうであるが、こちらは策もできるし性格も悪い漢である。えてしてそういう漢のほうが才覚が多いのは確かであった。


「つまり――」


 可近が周囲の諸将に聴こえるように、朗々とした声で張り切った。可近は自分がなにをすべきか分かっている。それはこの戦争でなにを得られるかを知っている、ということでもあった。


 美濃の道三政権が消えた空洞には、あらゆるものが入り込めるはずであった。例え、それが一度、没落した家のものであっても!

 だから、可近は気張るのだ。指揮権のない監視役にできることは、全体に今次作戦の主旨を思い出させ、焚きつけることであった。


「いまやここが主攻と申してもよいでしょう! 気張りますなぁ、手柄はそこに転がっているようなもの!」

「まあ待て、まあ待て」


 だが、実際に別動隊の指揮権を握り、陽動なり、攻略なりの判断をせねばならない信昌の態度は違った。性急にことを運ぶものではない、なんかあったらどうする、という態度だ。そんなイケイケドンドンでやれたら苦労はしない! 焚きつけに乗りかかっていた諸将が落ち着いてしまう。


 可近はあからさまにムッとしたようだが、口には出さない。信昌は可近の不満を察し、内心はともかくとして、なだめるような言葉を続けた。


「分かっている。我らのすべきことくらい。分かっておるのだが……」


 信昌の懸念はむしろ味方にあった。可近が口うるさい、というのではない。監視役なんてどこも口うるさい。


「ならばいったい――」


 と、可近が言ったところで、ハッと気づいたようだ。さすがに頭のよい人間は思考の速さが違うらしい。信昌のほうが理解できない勢いで、可近はさっと馬から身を乗り出し、さも名案を思いついたように、言うのだ。


「陣を構えますか」

「えっ、すでに着陣しておるが?」

「いや、そういう意味ではなく……」


 いたって鈍い反応しか示さない信昌に対し、可近は頭の痛そうな表情を浮かべた。身振り手振りを交えつつ、かみ砕いて言うのだ。


「幸いにして、道中、村々を襲って蓄えた資材がござる。これを用いまして、この場に柵を立て、仮の陣を構えるのです」

「あっ、なるほど」


 信昌はここで納得した。信昌だって計算ができないほど鈍いわけではない。ただその計算方式が足し算や引き算であって、ある要素が倍々か、バッサリカ~ット! 的な、物事に乗っかったり、さっと排除したりする、かけ算や割り算でないだけであった。


 つまり、堅実な漢といえた。かえってこういう漢のほうが、その場その場の人間関係を大事にする。


「兵らが休める場所をつくっておく、か。確かに名案である」


 この物言いで、初めて可近は信昌という大将の資質が分かった顔をした。確かに鈍い漢だが、まったくの無能というわけではない。銭金勘定が嫌いなだけで、銭金を用いて他者を助けるのは、むしろ好きな種類の漢だろう。


「さようです。兵らはできるだけ、村に帰してやらねばなりません」


 可近はニッコリと笑って、信昌に対応した言葉を選んだ。実際はまったく別のことを考えている。傭兵としての足軽衆に比べて、惣村から引っ張ってきた動員兵は使い物にならないな、的な思考であった。


 仕方のない話ではあった。誰もかれもが足軽衆を組織できないし、養えない。騎士と歩兵で構成される軍隊が当時の理想だとしても、数が求められた場合、元来が畑仕事を生業とする人間を多数、引っ張ってこざるをえない。

 名こそ同じ足軽だが、練度が違う。畑仕事と戦闘は使う筋肉が違うし、動き方が違う。士気も違えば、考えも違う。


 より具体的にいえば、侍は死んでも子孫が取り立ててもらえるが、お百姓さんはそうではない、ということだ。


 当然のこと、死ぬ気にはなれない。勝ち馬に乗らないとやる気が出ない。いったん、敗走となれば、味方すら容易に見捨てる。後がないから。そんならどうするか。


(わたくしが思うに――逃げられないようにするに限る)


 そう、この現実に、目に見える明確な一線を引き、そこからいなくなった人間がすぐに分かるようにする。後は簡単。『味方のほうが味方を監視し、罰してくれる』――可近の策はそんなものであった。


 悪辣なのは分かっている。自分が自分でいやになる面もある。可近はニコニコとした笑顔の裏で、現状のかけ算と割り算をした。そうでもせねば動員兵は戦わない。それどころか逃げてしまう。そうでなければ、督戦のために侍が指揮を放り出さねばならなくなる。冗談のような話だ。


 この大軍を指揮するのに、そんな侍(将校)の余分も、再編の時間もないのだ。


 言い方を変えれば、動員兵は侍たちとは世界観が違い、得意な、または、必要とされる戦い方が違うのだった。その戦い方を用意するのは上の役目でもある。後はどんな方法で兵らに接し、また、指揮するか、という、指揮官個人の好み(自由裁量)が残されるのみであった。その好みでいえば、


(この大将は領主なのだ)


 可近はしきりに頷いている信昌を横目で見て、ふいに思った。


 可近の場合、確かに生まれは美濃国の領主家の一つだったが、幼い頃に没落して、よそで客分をしていた。領民の暮らしなど考えたことがない。あるのは出世。自分の領地を得て、武家として返り咲くことであった。


 一方の信昌はどうだろう。尾張国の一領主として、惣村の人々と親分子分のちぎりを結んでいる。親が泣けば子も泣き、子が泣けば親も泣く、そういう世界観の住人であった。だから、


((こいつとは生きる場所が違う――))


 この時、まったく奇跡なことに、信昌と可近の考えがシンクロした。目線が合い、相互に笑み崩れる。お愛想である。


(なにはともあれ、金森五郎八とは――)

(青山与三。こいつとは――)


 仲良くすべきだ。二人はそう思った。意見の違い、考え方の違いなんて、およそ仕事の上では日常茶飯事なのも、また事実であるからだ。二人そろって我意は抑えた。捨ててはいない。


 かれらは侍であった。侍には仕事があった。公人として、戦士としての仕事がだ。好き嫌いで仕事ができればけっこうなことだが、実際はそうもいかないし、そういう仕事のほうが当たればでかいのも確かなのだ。


「やるか」


 信昌は言った。善良だが策のできない、しかし、仕事人の顔であった。言われて、可近は頷いた。すべては我々の勝利のため、我意は抑えて補佐してやる、そんな偉そうで性格の悪い才人の顔をしていた。


 周囲の諸将の顔も似たようなものであった。

 善人の顔、悪人の顔、才人の顔、凡才の顔。

 そして、たまにいる、独特の地位を持つ変人や天才の顔。


 かれらは生きていた。そしておそらくはいつか死ぬ。当たり前の人間の顔。


 時刻は昼前。突貫工事で陣を構築する信昌勢に、東から情報を求めつつ敵村の焼き討ちを重ねてきた別動隊の織田信康おだのぶやす勢が合流し、いざ稲葉山城下北部を攻めんとする時、すでに正午をすぎていた。


「のろしを揚げろ」


 信昌が命じ、味方のすべてが道三を倒すために、動き始めた。南部の尾張衆本隊も、こののろしで動くだろう。


「ところで、五郎八さま」


 信昌が上司にして同僚の信秀の近習に対し、微妙に気を使って呼びかけた。すでに信昌勢の先鋒が騎馬武者を先頭にして、渡河攻撃を開始している。動員された兵たちは見違えるように勇猛だった。押しているからだろう。よいことだ、と信昌は思う。可近がニコリとして応じた。


「なんでしょうか、与三殿?」

「土塁の先の町は、なんというのかな?」


 信昌の問いに、可近は機嫌よく応じた。


「井ノ口でござる」


 信康勢が北部の河からいかだで渡り、敵勢に側面から強襲をしかけたところで、土塁の敵が逃げ散り始めた。よし。信昌は小さく拳を握り、ふと時刻が気になって、兜のひさしを上げた。

 陽はかろうじて高い。まだ進める。


「行くか」


 信昌は誰ともなく言った。

 信昌の声色は、自軍の優勢も相まって、陽の高さと同程度の明るさをともなっていた。

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