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第十二話 加納口の戦い(二)

 美濃国みののくに

 稲葉山城いなばやまじょう下。

 加納かのう町。


 織田秀孝おだひでたかのいないところで、織田秀孝の人生の転機が訪れる。案外とそんなもんかも知れない。

 そう、考えてみれば、運命は目に見えないところで働く。


 天文十六年(1547)、九月二十二日。

 未明。


 冬の朝に近くなった濃厚な闇のなかで、松明を持った優男・金森五郎八可近かなもりごろはちありちかが、陣幕のなかで床几に座る織田弾正忠信秀おだだんじょうのちゅうのぶひでの眼前で片膝をつき、うやうやしく言った。


「諸将が配置につきました、殿」

「よし。やってくれ、と使いを出せ」

「ハッ!」


 可近が応じて、下がった。使い走りの近習衆に指示を飛ばす声が聴こえ始める。ひとが動き始めた。

 信秀はかがり火でほてった自分の頬を撫でた。老いがある。数えの三十八歳。若いといえば若いし、年を食ったといえば食った年齢であった。


 夜討ち、朝駆けは戦の華。景気づけの一撃がなければ、誰であれ動かない、動きたくない。信秀は個人のやる気は認めても、人間のやる気は信じてなかった。だいたい自分がそうだから。ケツを叩かれなければ動かない。なにかをやって、自分がその責任を引っかぶるなんてごめんこうむる。しかしやらねばならなかった。


「……やってもらうぜぇ~」


 信秀は独りごち、鼻毛を抜いた。かがり火にかざすと、白く輝いていた。それをうんざりと見て、ペッとそこらに放り捨てる。信秀は腕を組み、ジッと虚空を睨んだ。


 敵は斎藤道三さいとうどうさん。異常なほど野戦に強い漢である。勝てるかどうかは分からなかった。しかし、勝たねばならなかった。そういう相手だし、そういう現場であった。


 信秀は目を閉じた。

 北のほうから、戦場の喧騒が届き始めた。


 ◇


 村を焼く炎が見える。


 織田与次郎信康おだよじろうのぶやすは唇だけ動かし、わずかに念仏を唱えた。娘も息子もいるが、祈るためではない。戦士としての心構えを持つためだ。戦場においてなお、平凡であるためだ。


 平常心は難しい。平凡であることは難しくない。いつも通りにするだけだから。そのための念仏だ。鳥が好きなものは鳥を眺めているし、犬が好きなものは野犬の遠吠えに意識を向けている。が、ある部分は戦士として、研ぎ澄まされていく。

 信康は念仏を唱え切ったあとで、さっと自らの馬廻に問うた。


「動きはないな?」

「ハッ。やはり、村人の退避は済んでいるようす――」


 村から悲鳴が上がらない。


 意識したとたん、信康の左顔面が痙攣した。

 日照が近い。時は確実に進んでいた。薄闇のなかで、赤々と燃えるわらぶき屋根から目をそらし、信康は山影に隠れた北西のほうを見た。山影から、やや西にそれたほうでも煙が上がっている。別動隊が、ほかの村へ火を放っているのだ。が、おそらく戦果はないだろう。


 いきなり、信康は手甲を打ち合わせ、忌々しげに呻いた。


「道三め――!」


 ひとを隠した。敵勢も見当たらない。動きがつかめなかった。


 信康は睨むように稲葉山城の辺りを見上げた。道三の動きが分からない。敵勢は稲葉山の山系に隠れているのか、やはり、城下町の惣構そうがまえ(防御施設)で待ち受けているのか。あるいは、もっと別の場所で伏せているのか。


「殿」


 馬廻のなかでも歴戦かつ年かさの武者がうながすように言った。信康は軽く息を吐くようにして、胸中の想念を鼻から抜いた。そうだ。焦ってもしょうがない。信康は大きく息を吸って、吐いた。


 信康が顔を上げ、周囲を見渡す。兵らの視線。指示を待っている。信康はふっと羞恥心を覚えたが、一度、首を振り、わずかにあごを上げた。しっかりと手槍を小脇に抱え直して、朗々と叫ぶ。


「斎藤方は、おら~ぬ! ならば予定通り、我らは東から北へ向かい、道中の村々を焼き払~う! が、その前~にっ!」


 そこで、信康は無理やり笑った。この時点では、まったく誰のための笑顔かは分からなかった。兵らが身を正した。かれらのためのものだ。信康は思い、兵らの期待に応じるように手槍を掲げて、言った。


「腰抜けの斎藤勢がどこに隠れようとも、その耳に届くほど大きな声で、勝どきを揚げ~よッ! えい、えい!」

『お~ッ!』

「えい、えい!」

『お~ッ!』

「えい、えい!」

『お~ッ!』


「やかまし~いッ!」


 信康が言って、今度こそニッコリ笑った。素敵な兵たち。信康は白い歯を見せている。しかし、素敵というなら、信康もそうなのだ。

 織田家は美男美女が多い。色白で目元の涼やかな信康が笑うと、それだけで絵になる。士気も上がる。多少のシャレもまた、やる気の向上に役立つ。兵らから見れば、ちょっとうっとりするくらい『ハマった』将領であった。


 信康はまた手槍を小脇に挟んで、兜の緒を締めた。目深に直された兜の奥で、ギラリと光る信康のまなざしは、まだ若くとも、歴戦のもののふのそれである。信康が兵らに頼もしさを覚えるのなら、逆もまた然りであった。


 信康は手槍を持って、東のほうへ振り向けた。兵らも意識も穂先にならう。主人の気のたかぶりに影響されてか、いななき、荒ぶる馬の手綱を御しつつ、信康は言う。


「伝令! 兄上に報告! 村に敵影なし、我ら東進し北上! あとのものは私に続け! 多少の物資は捨て置くのだ! あとで兄上が公平に分配なされるだろう! また、功なり名を遂げれば、追って恩賞の沙汰もある! よいなァ~ッ!」


 声は上がらない。ギラギラとした気焔だけが上がる。信康自慢の、鍛え上げられた手勢である。信康はある種の興奮のなかで手綱を操り、乗馬の鼻先を朝日のほうへ向けた。手槍を一度、振り上げ、叩きつけるように進路を示し、言うのだ。


「私に続けぇ~ッ!」


 前進。すべて予定通りに。

 美濃国攻略の総仕上げは、すでに始まっているのだ。


 ◇


 三段に構えた。

 東西一里半(約六キロ)ほどの惣構えに対して、千五百人の先鋒である。長良川ながらがわの水を引き込んだ水堀と、その先の黒い土塁は、なかなか高く、よい守りだと思える。先は城下町。城攻めの実質はここからだ。


 これが味方の惣構えならめんどくさがらずに済んだのに、と内藤勝介ないとうしょうすけは思った。いうまでもなく攻略をめんどくさがっている。

 顔には出さない。足軽大将(傭兵隊長)の身の上とはいえ、兵らの手前もあるし、いちおうは織田弾正忠家の重臣である。が、新興の仕事人のならいとして、手柄は常に必要であった。


 なみなみと黒く揺れる水面は山影と溜まった泥のせいで底が見えないが、たぶんなにかしかけている。昼頃まで待つわけにはいかない。進退停止は意外と労力を食う。


「しかけてみるか」


 勝介が、ふだんは飼い猫をごろにゃんしている手で自分のあごヒゲを撫でると、幾人かの部下がいきり立った気配だ。横目でじろりと眺めてやると、早死にしそうなやつが雁首そろえて自分を見つめていると、勝介は思った。笑顔になる。


「勇敢じゃあ」


 と、素直に褒めた。


 こっちの矢は土塁の向こうに届くか分からない。おそらくは水堀のなかほどで敵勢からの斉射を喰らうだろう。バカを見るのはこちら。そんなのはこいつらだって分かっているだろうに――褒めるしかない。


 程度以上のバカは聖賢だ。こういうバカがいないと物事はまったく動かない。勝介もそのバカだった。いまは立場が違うが、いきり立つ気持ちは分かる。たぶん、こいつら、いまの自分は好きだろう、と目を細めた。ただ年齢の積み重ねだけが勝介の両目をうるませた。


「大将。お許し願えるのならば――」


 と言う若い部下を見て、勝介はハッキリと涙ぐんだ。勝介の涙腺のゆるみを見た、若い部下たちは自分たちの決心を深めるだろう。ふっと、罪悪感が湧いた。

 勝介の気も知らず、


「大将!」


 と急かすような声が続いた。やさしいな、こいつら。もったいねえな。でも、その気持ちは、戦場じゃ贅沢だ。勝介は冷静なまま涙ぐみ、若者たちの差し出した命運を使う決心を固めた。  

 勝介は惣構えのある一点を示し、こう言った。


「ええか、おまえら。突っ込む時はバラけるな。何人射倒されても怯むな。あいつらは弱ってるほうだから守っているのだ。一点だ。攻める時はそうだ。相手が素にもどるくらいの勢いで、圧せ。素にもどれば勝ちだ。弱者でしかない」


 口先だけだ。情報はこれから得る。弱いかは対応を見なければ分からない。

 道三はどこにいる。勝介はふと思った。美濃でいちばん悪い漢と聴く。さてな……勝介は思念を残して若い部下たちを見回し、言った。


「無理だと思ったら引き返せ。生きても死んでも殿さまに功を報告してやる」


 できるだけ、後悔を残させないこと。生きても死んでも、という辺りがミソ。こいつらはやさしく、勇敢な、バカだ。こういうのを勇者という。その勇者が、生き残って利益なしでは立つ瀬はなかろう。


 若い部下たちがこわばった笑みを浮かべた。かれらなりの感謝らしい。まだ硬いな、と勝介は思ったので、とっておきの冗談を言ってやる。


「もし父母が心配なら、安心せえ。わしが息子になって孝養を尽くしてやる」

「それはありがたいけど――」


 気の利くやつが話に乗ってきた。


「大将の歳じゃ、どっちが父母か分からねえ」


 くっだらねえ笑いが周囲からもれた。そうだ、それでいい。勝介はあたたかな残酷さで思った。わしはおまえらの命を使う。運があるかは自分で問え。わしにできるのは、おまえらの命に値段をつけ、その使い道を考え、いくらかの対価の支払いの責任を負うことなのだ。


 勝介が真顔になる。引き締まったもののふの顔。見た、兵らの気持ちも引き締まる。しょうもねえ大将だと思うだろう。勝介は思った。おまえらは、そのしょうもねえ大将のもとで、生きて、死ぬのだ。


「弓衆を並べろ」


 射幸心バクチごころを持った若い部下を数え上げつつ、勝介は命じた。ざっと四十人。運を問う人間の数。もちろん、実際の命運は人間の知るところではない。その若い四十人は手元に留めおき、事前の取り決め通りの攻撃の手順を踏む。偽装である。


 勝介の命令で弓衆が前面に走り出てきた。随行の足軽がさっと木盾を並べている。敵方から見ると、力攻めの構えに見えるだろう。当たっている。ただし、少しく外れてもいるがだ。


「やれ」


 勝介の傍らで太鼓が鳴らされた。応じて、前面の射手が弓を射始める。たいていは土塁上の土塀にさえぎられ、防がれる。うまくいかない。予想通り。勝介が手で合図する。太鼓の調子が変わった。渡渉用の板を持った足軽が走り出る。さっと、敵勢の間に緊張が走るのが分かった。


「まだだぞ。ま~だ」


 勝介が若い部下に言う。焦れて走り出しかねない連中である。言う間に、偽装渡渉の兵らに対応して、敵勢に動きがあった。勝介は馬上で半ば立つように眺めた。目を皿のようにする。


「大将」


 若い部下が言った。勝介はじっと見極める。水堀中央の動き。敵勢の対応。大将。もう一度言われる。同時。喧騒が一点に集中した。ここ! 勝介は思った。手をバッと東部に挙げ、言った。


「行けっ、山の手側だ。走れェッ!」


 言う間に、すさまじい勢いで若い部下たちが駆け出した。弓衆の間を駆け抜け、偽装渡渉の兵らを尻目に、続々と山の手側の水堀に飛び込む。山の守りがあると安心していたのだろう、敵勢の動揺が伝わってきた。勝介は拳を握りしめたが、若い部下たちを目で追うのはそこまでだった。


 じっと見る。敵勢全体の動きだけをだ。その間にも偽装渡渉の動きは続いている。敵勢のどこが弱くて、どこが強いか。どれくらい集中していたのか。誰かが呼んだ。


「大将、崩れました!」


 ハッと視線を東部に移すと、若い部下たちが斉射に倒れて、水堀に手をかけたところでこと切れるか、散々に矢を射かけられて、途中で引き返すかしている。すでに二十人そこそこに減っている。退路で、さらに減った。背後から射かけられ、仰向けになって沈んでいく。水中に、なにか引っかけるものがあって、動くに動けない人間も見かけた。


 勝介は唇を噛みつつ敵勢の動きを追った。強い。それがハッキリと分かる。乱れらしい乱れがない。逆にそれが、敵がなにものかを暗に語っていた。前線に総大将がいるのではないか。


「斎藤道三……!」


 まだ確定情報ではない。だが不思議な確信があった。


「どうされます、大将?」


 年かさの部下が言った。勝介はそこでやっと、馬の鞍に尻をつけて、腕を組んだ。考え込むような姿勢だが、実際は考えてない。勝介は言った。


「わしらだけでどうこうできるところではない。北側から渡河して攻めかかる、青山殿の合図を待って、一斉に攻めかかるほかあるまい」


 事前の予定通りに。それが、ある不吉さをはらんでいる気はした。確定情報ではない。なにもかもがだ。


「退き鉦を鳴らせ。そして兵らに耐えさせろ。いずれ情勢が変わるであろう」


 戦闘は全体として、優勢である。勝介としては、そう思い、もはや瞑目して機会を待つほか手段はなかった。時刻は、昼前にさしかかろうとしている。勝介は自分の兜を、陽光があたため始めるのを感じていた。

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