第十一話 加納口の戦い(一)
風と雨が近い。朝方になると、霜が降り始めているのだ。雲が連なる、この時期の美濃国の天候は荒れる。尾張衆一万二千強の大軍。移動は困難を極めるだろう。斎藤道三が、その機会を逃すはずがなかった。
そんなら、行動は拙速がよい。
天文十六年(1547年)九月、織田弾正忠信秀は、盟主・土岐次郎頼充の美濃国帰還・守護(国主)就任支援作戦を開始した。
信秀は特定の国衆(地域領主層)に向けて要請を発し、美濃~尾張国境の領主層への調略のヒモを一斉にたぐった。そして、引っかからなかった一部領主の多少の抵抗を撃破して、大軍をもって木曽川を越えた。
本来なら、主筋の織田大和守家(清洲織田家)に連絡の一つも入れてから、軍事行動に出るべきだが、急がないと冬がくる。
ましてや、協調する越前衆四千五百を率いる大将・朝倉宗滴から、出陣の催促がきているのだ。すでに越前衆は国元を発して南下しつつあり、北から美濃国をうかがう構えだという。
斎藤道三もバカじゃない。春から夏にかけての兵糧の買い付けなどから、尾張衆の近い将来の美濃侵攻の可能性は考えるだろう。当然、長年にわたって頼充の支援を重ねてきた越前朝倉家の動きも掴んでいるはずだ。できうる限り、美濃斎藤家に備えさせてはならなかった。
従って、上司への説明とか、その辺はまあ、あとで盟主の頼充殿からお手紙の一つでも書いてもらって、釈明してもらおう、と信秀は開き直っていた。コネの類いは全力で使うタイプの漢である。
今回の尾張衆の動員自体は、お飾りとはいえ、地元でいちばん偉いひと、尾張守護・斯波義統の頼充支援への確約という幸運があったからこそ、尾張国衆の三番手かそれ以下の身分でしかない信秀が、尾張衆一万二千強の大軍を動員できたのだ。しかし、好機は好機であった。使わにゃ損である。
(美濃に親織田方の家を立てて、南進して三河国をがっちり確保し、ついでに伊勢国北部の国衆と結んでしまえば、尾張国は一息つける――)
信秀の思いであった。その一息は、尾張国の百姓の土地開発を促進させ、物産をはぐくみ、商業を発展させる。安定こそは、尾張国とそこに住まうひとを豊かにさせるもののはずであった。
為政者の役割は、極論すれば、庶民が勝手に豊かになる手助けをするもの、それ以上ではない。政治家が国を豊かにするのではなく、庶民が国を豊かにするから、あらゆる災難に対して、国民の意気がくじけないように、さまざまな工夫や手立て、支援を行う、というものだ。その点、信秀の考え方はいたってシンプルであった。
(争いをなくす。まず、そこからだろう)
どんな手を使ってでも、戦争のぶっ続けで民力が疲弊するよか、小汚い方法で国の安定を目指したほうが、百倍は偉いわい、と。
器用の仁、という異名のある信秀である。基本的に有能な仕事人である、この尾張国の出世頭は、機を見るに敏なこと、同時代の人間のなかでも傑出した才能を持っていた。
「一気呵成に攻める。たとえ拙速とはいえ、一番槍さえつければ、味方はあとから増えてくるもんだ。尾張・越前の国衆の連合軍、いかに大軍といえども、それにあぐらをかいちゃしまるめえ」
美濃南部のお寺で諸将の会合を行っている、信秀が、机上の地図を鞭で叩きつつ言った。
木曽川を渡河して以来、尾張衆は美濃斎藤家の本城である、稲葉山城へと迫りつつあった。
一日で木曽川沿いの抵抗を突破し、あくる日には美濃国のお寺に『乱暴狼藉はしませんよ』という安堵状を発布していた。快進撃である。なお、お手紙の類いはぜんぶ信秀がやるわけではない。諸将が割り振られた場所へお手紙を出すのである。
すでに美濃国では頼充方の領主が決起し、西部のほうで斎藤方を破ったという。決起軍は南下してきた越前衆と合流し、現美濃守護・土岐頼芸方の近江六角家の援軍路を遮断すべく、美濃・近江国境に布陣したようだ。
情勢の変化を受け、開戦前は斎藤道三・土岐頼芸方だった領主までもが、頼充の側に走り始めていた。最大手は頼芸の弟・揖斐光親である。
美濃国南部の国衆とのつながりが深い光親が、甥・頼充のもとへ寝返りの気配を示したところで、美濃西部から南部にかけての領主層ラインの動揺は決定的となった。戦況は織田・朝倉連合軍側の優位に傾いている。補給用の荷駄の交通路からいって、美濃国衆の動きは天恵に近かった。
「いまや次郎殿の美濃国ご帰還の達成も間近。今朝方、次郎殿は赤坂の辺りの朝倉勢のところへ、ご自身で謝辞を述べに向かわれましたが……まずまず、一安心の戦況でございますな、兄上」
会合の席で、信秀の三弟の与次郎信康が言った。
まだ数えの二十九歳という、若い将領だが、すでに軍事・政事の両面で実績を残しつつあった。尾張国北東部の有力な国衆である、犬山衆と付き合いのある弟でもある。
「うん」
信秀は言って、成長した弟に目を細めた。
末弟の信次と並んで、ともに暮らした時間が長い弟である。なにをするにも、兄上、兄上、だった弟が、よくもまあ……と目頭が熱くなるところ。九歳下の弟であった。
最近では歳のせいか、涙もろくなっていけねえや、と度々愚痴っていた信秀だ。信康はもちろん、長弟の信実、二弟の信光も、今回は留守番とはいえ、一方の武将として立派に成長している。そうなれば、くうっ、と家族思いの信秀は目頭を押さえ、やおら、漢としての不覚を取るのもやむなしであった。
「懸念は木曽川の増水でござる……」
と、風のようなヒューヒュー声で述べたのは、犬山城主の織田与十郎寛近である。
寛近は落ち着いた老将で、かねてより信秀を支持してくれている。名前の響きから分かる通り、同じ織田氏とはいえ、系統の違う家柄であったが、今回も参陣してくれていた。
寛近の末弟の心甫宗伝が、信康の嫡男の師僧だ。こうなれば、家族ぐるみの付き合いといってよかった。
「与十郎殿、その通りだ。天候だけは気合でなんとかなるものではないゆえな!」
こわもての武将が応じた。足軽大将の内藤勝介である。
足軽大将(傭兵隊長)というと、家格が低そうで、実際、家格自体は低かったが、歴戦の猛将である。信長の家老の一人を務めていた。いわば特例の立場で、慣例では見てはいけない人間だ。部隊指揮官、兼、軍師(作戦顧問)の役割である。
どうしても立場がイメージしにくいなら、甲斐武田家の軍師・山本勘助と引き比べてもよいだろう。
元々が信秀の直属だったので、今回の戦争で一時的に所属をもどしている。勝介の胸元では、ニャー、と猫が鳴いていた。
戦場であるが、ペット同伴の武将がいてもいい。戦国のトップブリーダーこと太田資正の例もあるし、現代に近い例だと朝鮮戦争のフランク・ミルバーン少将の例もある。どっちも連れていたのは犬だが、精神安定上、かえってペット同伴は良策の部類に入るかも知れなかった。
信康が、猫をやさしく眺めて、手を伸ばし、
「今日も可愛いな、おまえは。ん? トラ?」
と、猫・トラのあごをやさしくもふった。にゃお~ん、とトラがごろにゃんし、諸将がそろって微笑ましい表情をした。こわもての勝介もニッコリである。信秀が周囲をきょろきょろと眺めて、うおっほん、と空咳をした。
「あ~、ともかく、我々の目標は稲葉山城だ。道三の居城だな。ここさえ取れば、次郎殿の美濃国ご帰還は成る。目的は斎藤道三の打倒! そのための稲葉山城直進だぜ。諸将らもよくよく心得られたい。あとは、え~……」
信秀が横目で見た。ちょっと首座から横にズレたところに、信秀と同年代の知的な印象の漢が控えている。青山与三右衛門信昌だ。
信長の四家老の一人で、席次は三番。末席の勝介の上だが、特例席の勝介とは違い、那古野地方の有力な国衆である。もちろん、勝介にせよ、信昌にせよ、史実の事績に乏しい家老たちなので、実際の経歴は不明である。この世界線はこうだ。
信昌は、参陣した国衆の利益代表の立場にある。信秀の家臣だが、同時に同僚なのである。複雑な立場であった。その複雑さを示すように、信秀の目くばせに気づいた信昌が手を挙げ、言った。
「私から一つ、よろしいですか、殿?」
「もちろんだ、与三」
「では、折あっての諸将の参陣、尾張衆の一員として、私も頼もしく思います。しかし参陣のための自弁、諸将もなかなかに苦心したろう、と思いますれば、殿におかれましてはそのねぎらいをなにか一つ、我らに振る舞って頂ければ、と」
とたん、諸将がざわめいた。
『ハハハ、なにを仰せか、与三殿!』
『さよう、さよう。なにも我らもさような――』
『このたびの義挙、御前(守護)さまの肝いりと聴き及べば、なんのなんの。自弁などへでもなかろうて!』
と、散々、白々しい声が上がる。
もちろん、まともに聴く信秀ではなく、
「ああ~、いやいやいや! いいんだ、いいんだ。これはな、オレが悪い! みなの衆、ほんと、すまん、すまんッ!」
と信秀はさも忘れてたかのように、うっかり顔で後頭部に手をあて、ダッハッハ! と笑った。それから、おおい、と陣幕の外の近習を呼び寄せて、なにか命じた。なお、その近習の髪は長く、眉目秀麗の部類に入ったが、別に変な関係性はない。信秀は極度の女好きである。
ややあって、近習が布のかかった箱を持ってやってきた。信秀に一礼し、信秀が頷いてやると、近習は諸将に向き直った。顔がよく見える。優男であった。信秀が言う。
「まずは、うちの近習の挨拶を受けて欲しい」
次いで、近習が名乗った。
「金森五郎八可近、と申します。わたくし、美濃国の生まれでございまして、みなみなさまの道案内に駆け回ることもあるかと存じます。殿のご厚意によって、まずはご挨拶させて頂き、次いで、殿のご下命を果たさせて頂きます――」
可近、のちの長近であるが、可近が陣机の上に箱をおき、さっと布を取り払うと、諸将の気配が変わった。黄金の山なのである。可近が自分の耳元で手をパンパンと鳴らすと、次々に近習衆が黄金を持って陣幕のなかに入ってきた。
「いや~、悪いぜ。遅くなってしまってな!」
と、信秀がいけしゃあしゃあと述べ、諸将が、参ったなぁ、という顔をした。実際、お金はあって困るものではない。
行きの兵糧は、領主級の連合軍首脳部のぶんを除き、兵卒に関しては、諸将の自弁である。戦争も楽ではない。すると、恥も外聞もなく乱取り(略奪)をせねばならないが、乱取りは乱取りで手間がかかる。誰かがいくらかの負担してくれる、というのなら、これほどありがたい申し出もなかった。
お金をもらえば、自分の部下に配って、いい顔ができるのだ。戦国領主という、大中小の軍閥の長としては、お金をケチって、部下が仕事をしない、とか、裏切られた、とかでは困るのだ。
「よおよお! じゃあ、お近くのところから!」
信秀がジャッと金を手に取り、近くの席の国衆へ渡し始めた。その際、問題があったらなんでも言ってくれよな、的なリップサービス、兼、政治工作も忘れない。ことが成る前から諸将に大盤振る舞いだ。なんと豪勢な! 弾正忠殿は良将であるな! という風評が立つはずだ。
文字通り現金な話だが、事前の根回しの重要性である。ここでケチるとみんな働かないのだ。
資金でも、領土に関する空手形でもいい。この戦は国衆の共有する現実なのだと周知せねば、諸将はふわふわと存在するのみで、まるで役に立たないだろう。かえって、それは連合軍の将兵全体の命にかかわるから、信秀としても必死なのだ。プギャーって眺めてるやつが敗走に巻き込まれない保証はないのである。
織田弾正忠信秀、いま、ノリにノってる漢である。尾張国の生産品は、近頃、急にその質と量を増やし始めていた。明確に発展の傾向を示し始めているのだ。尾張衆の台頭もその勢いのなかにあった。もちろん、各地の大名領国もまた、同様の傾向を示しつつあるが、尾張国の躍動はピカイチであった。
鑑賞にたえうる白磁は土とガラス質の置物ではおられず、養蜂技術の発展で生産量が増大したハチミツは市場に流れ込まざるをえず、すみじょうゆと数種類の油の登場は料理の世界に新風を吹き込まざるをえず、農業技術の発展は人々の農業への関心と動員を誘発せざるをえず、新興勢力の台頭は周辺との摩擦を引き起こさざるをえない。
各種の問題はその事務処理と問題の調停のため、顔役を必要とした。尾張国の場合は織田信秀こそがその顔役にほかならない。顔役の登場はその土地の大中小の共同体・近縁集団に、いやおうなく自己の再編成を求める。
従うか、抗うか。協調するか、反発するか。
あるいは、まとまるか、まとまらないか。
尾張国の国衆たちは、織田信秀の個性のもとで、確かに、まとまりつつあった。