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瓦礫の山を突きぬける正拳 2

 その夜、瓦礫の山と化した街を一人の少女が歩いていた。

 震災によって全てが流されたということは、当然電柱も流されてしまっている。もちろん、電柱が無事でも電力がまだ回復していないため、瓦礫の山を照らすあかりといえば、夜空に輝くお月様か、少女が右手に持った懐中電灯くらいのものだろう。

 崩れかけた家に戻ると、ワンという泣き声が人気のない空間にひびき渡る。


「さんた!! 元気にしてた?」


 少女がその名前を叫ぶと、さんたと呼ばれた一匹のダックスフントが少女に飛びかかった。

 それを少女は満面の笑みで受け入れ、さんたを抱きかかえる。

 綺麗な絵だった。

 ダックスフントのさんたも毛並のいい犬であったが、それ以上に抱きかかえる少女が、とても可愛らしい顔立ちだった。

 細身で華奢で、そのうえ身長も低いが、貧弱そうという印象もない。むしろ、脚や尻が程よく引きまっているのに柔らかそうで、健康的な少女だという印象を与えていた。

 肩まで伸びた髪はおそらく一週間ほど風呂に入っていないだろうが、それでもさらさらで不潔ふけつさを感じさせない。真面目そうに引き結んだ唇も水分を十分に含み、とても柔かそうだ。

 灰色のスウェットに白のパーカーという色気を微塵みじんも感じさせない服装だったが、それでも多くの者に可愛いと言わせられる素材を、この少女は持っていた。


「ほらさんた、おにぎりだよ。半分持ってきたからね」


 少女が半分に千切られたおにぎりを差し伸べると、さんたは勢いよくそれを口に含もうとし、一度は地面に落としたが、舌を使って舐め上げて、なんと米粒一つ残さず、全部綺麗に食していた。


「相変わらずいい食いっぷりだね……でも、足りないよね?」


 さんたは下を出して小刻みに息をしながら、少女に愛想を振りまいている。おそらく、まだお腹が満たされていないので食べ物を要求しているのだろう。

 しかし、ここは被災地である。人ですら満足に飯を食べられない状況下で、犬に与えられる食料など限られていた。断食すれば犬に満足な飯を食べさせることが可能だろうが、そうしてしまうと、今度は人間のほうが餓死してしまう可能性がある。

 少女は、呼吸をするのがつらくなった。

 胸に痛みが走り、パーカーの胸元を自分の右手で握りしめる。


「グルル……ギャン!! ギャン!! ギャン!!」


 突然、さんたが牙を剥き、吠え始めた。

 少女は突然の荒々しい鳴き声に驚き、しゃがんでいた姿勢から尻餅をついてしまう。


「いった……ちょっとさんた、どうしたの?」


 吠え続けるさんたに違和感を感じた少女は、振り返ってさんたと同じ方向を見てみると、二つの影が勢いよくこちらに迫っていた。


「──ヒィンッ!?」


 次の瞬間、さんたは遠くへ吹っ飛ばされ、舌を出してヒクヒクと痙攣けいれんしながら倒れていた。


「さんた!! ……えっ?」


 いつの間にか影は少女の斜め左右へ移動し、それはどんどん少女に迫っていた。


「──ッ!?」


 片方の影から手が伸びてきたため、少女は咄嗟にそれを避けようと左に半歩、ずれる。

 不測の事態だったが、少女には自信があった。地元にある伝統派の空手道場で、小学三年生の頃からずっと空手を続けてきた。そしてつい最近、黒帯を允許いんきょされたばかりなのだ。

 自分は強い、そう慢心まんしんしていた。

 しかし。


「えっ──!?」


 足場が悪く、かかとが何かに引っ掛かってしまい、少女は背中から転倒してしまう。


いや……っ」


 すかさず二つの影のうち、一つは少女に覆いかぶさった。

 おそらく、というか間違いなく人間だろう。鼻息が荒く、感想しているのか、指先と思われる部位はカサカサして触れられると痛い。


「アァーやべえェェ……っ」


 その声を聞いて、少女は影の正体が男だと理解した。そして月明かりが少女の周囲を照らし、ようやく二つの影の正体が明らかとなる。

 一人はニット帽にサングラスをかけた怪しげな男。もう一人は肥満体で耳にピアスを開けていた。


「──早くしろよ、まってんだよ」


 敵は三人だった。

 物陰からもう一人、痩せこけた無精ひげの男が現れ、少女を押し倒しているニット帽の男に行為を早く済ませるよう、催促さいそくしている。


「ふん────ッ!?」


 少女は大声をあげようとしたが、ニット帽の男は手際よくガムテープを口に貼り、少女がうまく声を出せないようにした。

 手馴れている。

 少女はそう思い、そして目に涙を浮かべ、男をにらんだ。


「いいね、その反抗的な目……そそられるぜ、なぁ!?」


 ニット帽の男は右手で少女の首を押さえながら、左手を着ていたパーカーのポケットに突っ込んだ。

 そして次の瞬間。


「──ッ!!」


 少女が着ていたパーカーのファスナーが下ろされ、着ていたTシャツとスポーツブラが切り裂かれる。

 少女は目を瞑り、歯を食いしばり、一心不乱に暴れようとした。しかし組手では男に勝ったことがある彼女でも、単純な腕力であれば男のほうが確実に上。増してやマウントポジションを取られているという最悪の状況を脱するすべを、少女は持ち合わせていなかった。

 控えめの丘陵きゅうりょうに、桜色の突起があらわとなる。

 

ってんぜぇ? こうされたかったんだろォ?」


「ンン────ッ!!」


 ニット帽の男は右手で、その柔らかな丘陵を強引に包んだ。

 声にもならない声を出し、必死に暴れようとするが、ニット帽の男はびくともしない。ただ、汚らしい笑みを浮かべて突起を指でコリコリと、もてびはじめた。


「へへ、ちいせーが、感度は良さそうだな。姉ちゃん、たっぷり遊んでやんぜ?」


 そういって黄ばんだ歯を剥き、舌を出し、丘陵と突起に顔を近づけようとした。


「ふご……ッ!?」


 刹那せつな、少女は重量感から解放された。

 何が起こったのか分からないが、咄嗟に少女は胸を両手で多い、膝を内股気味に立てて座り込む。吹っ飛ばされたニット帽の男と、新たに現れた影を交互に見つめる。

 その影に月明かりが当たり、正体が明らかとなった時点で。


「やめろよカスども、その子嫌がってんだろうが」

 

 静かだが、怒りのこもった声で、学ランを身にまとった黒髪短髪の少年が言葉を投げかけた。


「なんだオメー!?」


なにしやがんだ、小僧!!」


 無精ひげの男とピアスの肥満体は声を荒げたが、少年は表情ひとつ変えずに男たちを見据みすえている。


「このクソガキャーッ!!」


 無精ひげの男が右の拳を大きく振り上げ、真っ直ぐ少年に向かって殴りかかった。


「──シュッ!!」


 拳の先端が少年の顔面を捉える寸前、少年の右足のかかとが相手の水月すいげつ、すなわち鳩尾みぞおちに深く入り込む。

 足は手よりもリーチが長く、力も三倍から五倍ほど強い。さらにかかとという足の中でもかたい部位による中段の横蹴りは、下手に顔面を殴る以上の威力を発揮する。

 数多くの神経が交差し、痛覚に敏感な奥の腹腔神経叢ふっくうしんけいそうと、蹴りの衝撃による横隔膜おうかくまくの一時的な動作停止が、とてつもない痛みと呼吸困難をもたらす。路上でのケンカでも、空手でも、その他の格闘技でも、水月すいげつを狙う理由はそこにあった。


「ォ……ォああ…………ッ」


 気絶はしないが、悶絶もんぜつはする。既に勝負は決したも同然だが、途中で動かれたは厄介なため、少年は左足を軸にとり、右足を横から回して足の甲を相手の側頭部が突き刺さる。

 加減したとはいえ、正確に当たれば命さえ奪いかねない技。無精ひげの男を気絶させるには十分すぎる威力をほこっていた。


「小僧……ナメた真似しやがって!!」


 それを見た肥満体の男はおくしながらも、懐から刃渡り八センチほどのナイフを抜く。


「へへへっ、拳法少年がよぉ……刃物コイツに勝てるかァ?」


 肥満体の男は少年よりも身長が高く、分厚い脂肪で包まれている分、打撃技の効果が出にくい可能性があった。しかし、少年はすぐに肥満体の男が素人であることを見切った。


「やめとけ、そんな持ち方で刺したら怪我するぞ」


「知るかよ、ならオメーは死ねや!!」


 ナイフを横から振りかざした肥満体の男が、全身の肉を揺らしながら猛牛の如く、接近してくる。


「──あっ!?」


 一閃いっせん。しかし振り下ろされたナイフに血液はついておらず、返り血もこない。それどころか、一刀両断するはずの少年は大きく後ろへ下がっていた。


「チェストォーッッ!!」


 また一閃いっせん。ただし肥満体の男が持つナイフによるものではない。少年の上段足刀蹴りが、素早く、的確に、やいばの如く、剥き出しだった乳様突起にゅうようとっきに直撃した。無精ひげの男はバランスを崩し、衝撃で転がるようにして倒れ込む。

 蹴り終えた少年はすぐに左手を引き、右手で手刀しゅとうかたを作って構えたが、戦闘続行の必要はもうないだろう。少年は目で男たちの様子を確認したが、三人とも完全に意識を失っていた。

 三人から動く気配が感じられないことを確認した時点で、少年の意識は服を切り刻まれた少女に向けられる。

 少女はただ呆然と、少年の戦いを眺めていた様子だった。


「……あの、お怪我はありませんか?」


 少年は、少女の上半身が裸であることに気付いたのか、顔を赤らめ、少女から目を逸らしてから、震える声で安否あんぴを確認する。


「あ……はいっ! 体のほうは大丈夫です……っ」


「えっと、パーカーは着れる?」


 少年は、地面に落ちていたパーカーを見つめながら聞く。


「なんか、ガチャって音がしたし、たぶんファスナー壊れてるかも……それよりさんたが!!」


「さんた?」


 少年はきょとんとする。


「ここで飼われてたダックスフントです」


「えっと……あっ!!」


 周囲を確認すると、確かに五メートルほど離れた場所にダックスフントが横たわっている。少年は近づき、ダックスフントの背中に手を当てて様子を探る。


「骨は……たぶん折れてないな。呼吸も安定しているけど、一応病院に連れてったほうがいいかな」


 その言葉を聞いて、少女は安堵あんどのため息をいた。

 それを確認した少年は、学ランの上を脱ぎ、微妙にうつむきながら少女に近づいた。指定のカッターシャツではなく、赤のTシャツなせいか、余計に目立つ。


「あの、これで良かったら着てください。多分ないよりマシだと思うんで」

 

 そう言いながら、右腕を伸ばして学ランをし出す。


「……あ、あの。ありがとうございますっ」


 目に涙を浮かべながら、みながらも少年に感謝の言葉を発した少女。

 震災で家と両親を失った有馬ありま義治よしはると、同じく家と父親を失った成瀬なるせ莉央りおが初めて顔を合わせ、会話をした瞬間だった。

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