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C.C.P  作者: 151A
反乱軍 ~Clarus~
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エピソード69 信じて


 “知人他人に関わらず一箇所に五名以上の人間が集まることを禁ずる”


 ラジオから聞こえた新しい法律にアゲハは身震いをして、淹れたてのコーヒーが入ったカップを両手で包み込んだ。凍える様な寒さが部屋の中に満ちており、心和むはずの香りを嗅いでも一向に癒されはしない。

 寧ろ焦燥と悲壮感が胸に去来し、他には誰もいない空疎なリビングはなにもかもが価値を失ったかのようだった。

 手元を覗き込めば真黒な液体に不安げな顔が映り込んでいる。

 毎日のようにラジオからは革命軍を名乗る反逆者たちと反乱軍討伐隊がぶつかり合い、激しい戦いを繰り広げてどれだけの人間を捕え殺害したかが流れている。

 国に楯突く者には厳しい制裁を下して処断する姿勢を前面に出しながら、善良なる国民と反逆者を見分けるための方法として打ち出された新たな法は日常生活を脅かす物だった。

 買い物をしようと店へと行けば客と店員を合わせれば五名以上になることが普通で、地下鉄に乗れば乗車率が五名以下になることの方が稀である。職場に行けばそれこそ五名以上で集まるなという法律を護ることは困難だった。

 知人他人を問わないとのことだが、家族は許されるのかとの疑問は今の所曖昧にされている。だがそれも直に強化され民の自由は更に制限されることになるだろう。

「これ以上の圧力にはもう耐えられないでしょうに」

 一体なにを考えているのか。

 統制地区に住む人々を思い遣れるほどの想像力が欠如しているのだとしか思えない。虐げられ耐える痛みも苦しみもカルディアの人間には解らないのだ。

「公園で子供たちと会うこともできなくなる……」

 学ぶ権利を国に奪われた彼らに最低限の知識を、と思い始めた公園での小さな学びの場はアゲハに教える喜びを与え、子供たちに知ることの楽しさを教えることができた。

 始めた当初は子供の親たちに胡散臭がられた挙句に仕事の休憩時間を奪うのかと責められた。子供たちも新しいことを始めることを面倒臭がり、疲れているのに読み書きや計算などしたくも無いと拒まれた。

 公園で待っても子供たちは現れず、ベンチに座って時間を潰している老人の話し相手をする日々を何度過ごしたか。

 それでも毎日同じ時間に公園へと行き、老人の知り合いの子供だという少年を連れて来てくれたあの日にアゲハの世界が変わったのだ。

 この国で一般的に知られている伽噺を絵本にした物を広げ、二人並んで文字を追いながら読む。たったそれだけのことだったのに少年は瞳を輝かせて指で字をなぞり、何度もそれを繰り返す。

 ほんの数分くらいしか経っていないように思えていたが、少年が時間だと慌てて立ち上がり、そのまま駆けて行きそうだったのでアゲハは持っていたノートに彼の名前を書いてページを破って渡した。

 少年は四つに折り畳んでポケットに無造作に入れると礼も言わずに走り去った。

 次の日も同じ時間に公園へと向かうと老人はおらず、代わりに少年が待っているのを見た時の幸福感たるや言葉では言い表せない物だ。

 彼はにこりと微笑み「名前、練習して書けるようになった」と誇らしげに、小さな字で真っ黒になったノートの切れ端を見せてくれた。


 子供の純粋さと柔軟さは、奇跡を起こすのだ。


 それから少年の友人や、同じ職場で働く子供たちが集まるようになりアゲハの小さな学びの場はあっという間に賑やかになった。

 彼らの一生懸命さや単純明快な好奇心に応えるべくアゲハも勉強し、様々なことを題材にして子供たちの可能性を引き出そうと努力もした。そうすることで少しは罪滅ぼしができたかもしれないと自己満足して。

 どんどん吸収して育っていく子供たちは最近ではこちらがびっくりするような質問をしてきたり、答えに窮するような疑問を投げかけてきたりするようにまでなった。

 確実に次の世代が育っているという実感にアゲハは安堵と、もっと多くの子供たちに学ぶきっかけを与えてあげたいと思えるようになってきたのに。

 実を結び始めた矢先の法律は希望を打ち砕き、暗澹たる未来を予感させる。

「本当にこの国は人を苦しめ不幸にする」

 ただでさえ反乱軍やテロリストたちが大っぴらに活動をし始め、昼夜関係なく銃声や争う音があちこちから聞こえるようになっている。維持隊も保安部も街の治安の悪化を止めることができずに人々は安心して外出ができなくなってきていた。

 仕事をしなければ食べる物も住む場所も失う。日々の生活を護るために街へと出て命を危険に晒し働かなければならないのだから国民の困窮は更に拍車がかかるだろう。

「ホタル……」

 シオを助けると約束して出かけたまま帰らない兄は今どうしているのか。

 カルディアの家へと戻ったのか、それとも大学の研究室へと戻ったのか。

 どちらにせよなんの連絡もしないままというのはホタルの性格上有り得ないことだ。アゲハがシオを護れなかったことを責めて後悔しているのを知っているのに、その後の顛末を報せずに帰らなくなるなどなにかがあったとしか思えない。

 生きてはいるのだろうが、この部屋に戻ることも連絡をすることもできない状況などホタルにとって好ましい事態であるわけでは無いことだけは解った。

 簡単に「元気で」という言葉だけで別れを告げたタキと、「スイを頼む」と妹をアゲハなんかに託さなきゃならなかったシオ。そのシオを助ける方法を見つけると言って出て行ったまま帰らないホタル。

 あの時受けた身体の痛みよりも今は孤独と不安に引き裂かれそうな心の方が痛い。

「私に……スイちゃんを護れるの?」

 タキとシオが大切に守り育ててきたスイを代わって護るなどできるのか。

 決意と決心はしたが、勇気が持てずにいる。

 スイは今アゲハのいない間に街を歩き回り、タキを探しているのだ。安全など約束できない街をたったひとりで動き、必死で兄の影を追っている。

 それを駄目だと止めることはできない。

 だが危険だと解っていてスイをひとりで街へと行かせるのは承諾できない。そう言って諭し、一緒に探すからと懇願しても部屋に独りでいることに耐えられないのか飛び出して行ってしまう。

「そりゃそうよね……」

 独りで住むには広すぎる部屋におとなしく引きこもっているようなスイでは無い。孤独に押し潰されそうになって、落ち込むのではなく怒りを持って奮い立つ。アゲハならば立ち上がれずになにもできなくなるのに。

 スイは小さな体に不似合いなエネルギーを蓄えている。

 これまではそれを動力源に絵を描き、そして今は兄を探す力として燃やす。

「覚悟を決めないと、スイちゃんを止めることはできない」

 優柔不断なままではスイが危機に陥った際に迅速な対応ができない。外出を止めさせるなら全力で立ち向かう必要があり、行動を共にするのならば危険への備えを十分にしなければならなかった。

 圧倒的な暴力の恐怖は今でもアゲハの身を竦ませる。

 こんな自分が傍に居た所でなにができるのか。

「それでも、希望を失いたくはない」

 すっかり冷えてしまったコーヒーを飲んでアゲハは顔をしかめた。苦みだけが口に残り、香りも失われた黒い液体は胃の底に到達すると存在を主張し痛みを与える。

 時には意味を求めずに我武者羅に行動してみてもいいのかもしれない。

 難しいことも考えず、先のことを心配せずに。


 後悔は後でする物だ。


 やる前からできない理由を上げて尻込みするのはもう止めよう。

 あの日老人が連れて来てくれた少年が世界を変えてくれたように、きっと小さなきっかけがまた新たな世界へとアゲハを連れて行ってくれるから。


 そう信じて。


「もう別れはこりごり」

 失いたくないのならばしっかりと掴んでいればいい。

 握り潰して壊れてしまうかもしれないけれど、掌に傷がつけば記憶に残り、欠片があればそれを胸に抱いて眠ればいいのだから。

 できることを数えよう。

 できることから始めよう。

 結果は後からついて来る。


 だから信じて前へと進もう。




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