エピソード60 空爆後 山の中にて
漸く腕を掴んで斜面を下っていた青年が歩を止めて息を吐く。アオイは昨日の雨を含んだ土で汚れたズボンの裾と靴を見下ろし、すっかり上がってしまった呼吸を整えるのに苦労した。
サロス准尉の使いとしてやって来た青年は戦闘機が近づいて来るずっと前から異変に気付いていたようだったが、それは偶々なのかそれともそういう訓練を受けた人間なのか解らない。
目の前の青年はどう見ても統制地区に暮らす普通の人間に見えたが、珍しい金の瞳が長い茶の前髪の下で炯々と輝き無愛想なのに不思議と惹きつけられる魅力があった。
「あれは、なんだ」
不機嫌さを隠さずに青年が戦闘機の飛び去った方向を睨む。その先に自分たちがさっきまでいたのだという恐怖に改めて襲われながら「マラキア軍の戦闘機だと思う」と答えた。それだけでなく大型輸送機が戦闘機の後を飛んで行ったのを見たので、きっとマラキア軍の兵士がスィール国の領土へと侵入したに違いない。
簡単に国境を超えさせてしまったことを悔やむが、それでも相手の軍事力との違いを思えば致し方ないことだとも思う。
今までマラキア国は控えめな戦闘を好み、戦力と兵力に物を言わせて突撃しては来なかった。それがどういった狙いに寄る物なのかはアオイには解らないが、今回の件で漸くマラキア国が本気になったのは感じられた。
これからはこれまでのようにはいかないだろう。
なのにこちらは物資も人員も確保できない。
まともな戦闘を続けることは困難で、長くせずに敗北宣言をせざるを得ないことは間違いなかった。
「あんなもの――」
震える声が青年の喉から搾り出される。痛々しい声にアオイは頬を強張らせ思わず目を反らした。
「あれを使われたらおれたちはひとたまりもない!あんなのとどうやって戦えばいい!?あんな、空から襲ってくるようなやつと戦えって言うのか!?」
悲痛な訴えにアオイは口を閉ざし、隣りに立ったヒナタが息を詰める。
スィール国にも空軍はあるが燃料が高価なことや、整備、製造に莫大な資金がかかることから、保持している戦闘機や輸送機の数は少ない。技術においても五十年前までは周辺国の中でトップクラスだった飛行部隊も今では訓練の費用を捻出できずに他国に遅れを取っている有様だ。
パイロットは貴重で大切にされるがそのため異常に自尊心が高く、陸軍や海軍の兵士とも折り合いが悪い。陸・海・空の中で一番兵の数は少なく、少数精鋭といえば響きはいいが実際は軍のお荷物として存在しているに過ぎなかった。
この戦争に空軍を動かして欲しいと要請したとしてもたいした成果をあげることは難しいだろう。
「無理だ――」
取り乱したまま首を振り青年は泣きそうな顔で一歩下がる。アオイの後ろに控えている護衛隊を見て、更に一歩退く。そして乾いた声で笑い声を上げて「だって無理だろ?」と同意を得ようと問いかけてくる。
だが一様に黙りこくっているアオイたちを信じられないように見つめた。
「あんたらみんな頭おかしいんじゃないのか?どう考えても勝てない相手に喧嘩を仕掛けて、弾が無くても戦えと無理を通し、戦場では人間が毎日何人も死んでるのに補充の人間はいないから我慢しろなんて考えれば解るだろ!無理だってことくらい」
開戦時からずっと前線で戦ってきた青年の声は無線で報告を受ける兵たちの言葉よりずっと重みがあった。声を振り絞り、戦争の無意味さを突きつけようと必死に言葉を重ねる姿はアオイの胸を重苦しくさせる。
「そのうえあんな空から攻撃されりゃ抵抗できずにみんな死んじまう……。おれたちは死ぬために戦ってるんじゃない!帰りたいから、生きて家に戻りたいから戦ってるんだ!それなのに、あれは無理だろ。戦えるわけない。無理やり連れてきて戦わせて、後は勝手に死ねだと?ふざけるな!」
いい加減にしろと憤りを顕にして金の瞳が更に輝きを増す。
「なんで戦争なんか始めたんだよ?誰が言い始めた?あんたが戦争したいって言ったのか?だからここにいるのか?」
射抜くような視線にさらされてアオイは弱々しく首を振る。犯人捜しをするかのように青年の目が背後の護衛隊たちをも睨みつけた。
「……私じゃない」
「じゃあ誰だ?総統か?総統だろ!?こんな頭のおかしなこと言い出すのは総統しかいないもんな!」
「くっ。黙って聞いていれば――!」
顔を紅潮させ護衛隊のひとりがずいっと前に出る。それを押し止めたのはヒナタで「止めろ」と制して視線で下がるようにと促す。
青年の言葉は無理に戦場へと連れ出された持たざる者たち全ての声である。
総統の息子であるアオイには真摯に受け止める義務があった。父ならば弱者の言い分など聞く価値なしと斬り捨てるのだろう。本当なら今ここでアオイも父にならってそうすべきだった。
でもそれでいいのか?
城壁の上でアオイはカルディアの街並みを眺め、門の向こうに住む統制地区の人々の暮らしを憂えていた。傾いて行く国を立て直すために頭を悩ませて、父の悪政により苦しむ人々を救うために精一杯戦うと決めていたはずだ。
決して父のようにはならないと心に決めて生きていたはずなのに、今や父のように振る舞わねばと模倣しているのだから驚いてしまう。
苦しむ人の為に戦うばかりか、更に苦しめるために彼らの命を戦場へと赴かせている。
果たしてこれはアオイの望んでいたことなのだろうか。
違う。
次代の総統になるためにと重ねた罪と重ねようとしていた愚行を思い羞恥で死んでしまいそうになる。
父のような総統にならぬために、アオイは総統の地位を求めたはずなのに。
目の前の青年は真っ直ぐな瞳で戦争をしたかったのかと責め立てる。その視線の激しさに思わず「私も戦争など望んでいなかった!」と叫び青年を見返した。
驚いた様に丸められた金の瞳が次の瞬間希望を得たように煌めく。喜びと明るい前向きな光を帯びて青年が破顔する。
「なら、戦争なんか止めちまえ」
簡単に言い放つ青年に呆れながらアオイは嘆息する。
始まってしまった戦争を終わらせる方法など敗戦するか、勝利で終えるか、交渉して停戦か終結へと導くしかない。
喧嘩ならば謝罪すれば済むが、国家間での戦争となればそうはいかないのだ。
「そんなに簡単に止められるのなら困りはしないよ」
「なんだよ、面倒臭いなー……」
唇を尖らせて頭を掻く青年の飾らない姿はアオイがこの数日押し殺してきたありのままの姿を引き出していく。
そして本当の願いや思いも。
「それでもなんとか方法を探して――」
「しっ!」
途中で青年が指を唇に当てて静かにするようにと指示する。眉間に皺を寄せてなにかを探るような仕草をすると、徐に走り出した。護衛騎士の間を擦り抜けて、更に奥へと向かいあっという間に姿が見えなくなる。
「なにが……?」
「アオイ様、なにが起こるか解りません。傍を離れないようにしてください」
警戒を滲ませたヒナタが拳銃を手にアオイを背に庇う。だが山の中は静かでなんの危険も無いように見える。
だがあの青年は誰よりも先に敵機の襲来を予測できた。その彼がなにかに気付いたのだとしたら、無害そうなこの場所も安全ではないのかもしれない。
「おい、こいつ知ってるか?」
戻ってきた青年は男をひとり連れていた。その顔を見てアオイは驚き「エラトマ……」と思わず呟く。命令に背き勝手に戦争を始めた参謀部の男は相変わらず陰気な気配を漂わせて青年に後ろから小突かれながらこちらにやって来る。
あの空爆のどさくさに紛れて逃げ出したのだろうが、何故マラキア国の方へと逃げてきたのだろうか。
カルディアに戻っても処罰が待っているからマラキア国に亡命でもするつもりだったのか、それとも逃げ道を塞がれて仕方なくこちらへとやって来たのか。
ふてぶてしい態度でエラトマはアオイの前に立つ。
「よく、無事だったな」
マラキア軍の兵士の手を逃れてよくここまで来られた物だと感心すると、忌々しそうに来た道を振り返り「あの傍若無人なマラキア兵に囚われるなど御免ですので」と吐き捨てる。
逃げる際に転んだのかあちこち泥で汚れ、顔は煤がついていた。あの爆撃の中を生きていたのだから相当な強運の持ち主だとアオイは苦笑いする。
「アオイ様、私が言うのもなんですが」
エラトマが顔をこちらに向けて感情を伺わせない口調で進言した。黙って促してやると狡猾そうな色を瞳に浮かべてシルク中将のことでお話がと声を潜めてくる。
「あの中将がこの空爆を予期できなかったとは思えません。ですが一言も警告なり忠告なりせずに、放置していた。空から見れば無防備ともいえるあの場所にアオイ様を置いて、中将は安全な山の中に身を潜めていたのです。これは明らかに何らかの含みがあると言っても過言ではありません」
「…………成程」
確かに一理ある。
あの場所は山の木々を切り倒した開けた場所だった。上空から見れば山の中に緑では無い部分がはっきりと見え、マラキア軍からすれば狙いやすい標的となるだろう。
空軍を当てに出来ないスィール軍とは違い、マラキア軍が近々戦闘機を使用することぐらいは予想も着く。それを黙っていたシルク中将には含みありと見做されても文句は言えない立場ではある。
実際アオイは邪魔だったのだろう。
次期総統として立たれては困ると思っているのは中将だけでは無いからだ。
「なにか策でもあるのか?」
「アオイ様!」
ヒナタが堪らずに口を挟む。
だがアオイは護衛隊長の声を無視して何か考えがあるようなエラトマに発言を許す。嬉々とした様子で参謀は「中将を裏切り者として差し出すのです」と続けた。
「この戦が勝ち目のない物であることは恐れながら揺るがしようのない事実となりました。できるだけ早く停戦か終戦をするべきです。交渉の場にマラキア国の代表を着かせて、」
「中将を売ろうというのだな?だがそれくらいのことで相手が溜飲を下げるとは思えない」
「勿論相手は様々な条件を出してくるでしょう。ですが今ならまだ交渉の余地はあります。そこで少しでも損害無く、有利になるように、私が」
なんとかして見せましょうと頭を垂れたエラトマを眺めながらアオイは考える。確かに交渉の席にマラキアの代表を引き出すことが肝心で、その時に上手く交渉ができればこの先のスィール国にとっても有益となるだろう。
エラトマは信用できないが、ここは思惑に乗ったと見せかけて変な行動をしないように監視下に置くことが必要だ。
それに利用できるかもしれない。
「解った。エラトマの策を試してみよう」
「アオイ様――!!」
愕然としたヒナタと護衛隊にちらりと目配せをして小さく微笑んでみせる。
大丈夫だと伝わる様に。
頭を下げ含み笑いを堪えながら「ありがとうございます」と応えた参謀を冷ややかに見る護衛隊の視線に気づかないようだった。
青年は戦争が終わるのならばその方法がどうだろうと気にはならないようで、終始黙ってエラトマとの遣り取り聞いていた。