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C.C.P  作者: 151A
統制地区 ~Control.City~
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エピソード04 思いがけない出来事

 朝の混み合う時間を避けて乗り込む地下鉄はそれでも空いているとは言い難い。スイは出入り口の傍の手摺に掴まり、座席と壁が作る角に身体を埋もれるようにして立つ。席は埋まっているが通路はまだ余裕があり吊り革が振動で揺れているのをぼんやりと眺める。


 今朝帰宅したタキの様子は只事では無かった――。


 きゅっと唇を噛み締めてその時の兄の姿を脳裏に蘇らせる。

 扉を背に凭れ掛かり、硬く握り締めた拳を腿に叩きつけていた。金の瞳がギラギラと怒りに満ち、眉間に苛立ちを刻んだその表情は決してスイには見せない顔。

 そして殺気立った気配は妹であるスイの足をも竦ませたほどだった。

「あんなの」

 タキじゃない。

 全く兄らしくない光景だった。

 いつだって冷静で、穏やかな瞳を湛えているのがスイの知っているタキの姿だ。あんなに感情を顕にして憤っているタキはまるで別人のように見えた。

 そう思ってしまった自分への嫌悪と、なにがあったのか話そうとはしないタキに対しての小さな不満。常にその腕と背中に護られてきて感謝もしているが、スイはもう小さな護られるばかりの子供では無い。

 兄の苦しみや悩みも一緒に共有して戦いたいと思うのに。

 灰色のパーカーのポケットに手を突っ込んで溜め息をひとつ。

 タキが目を燃え上がらせて、神経を昂ぶらせているのを見て怯えているようでは共に戦えるわけなど無い。

 そしてそれを兄たちが望んでいないことも知っている。

「学校なんて楽しくないのに」

この国の中心は二十年前まではこの統制地区にあった。その頃はここがカルディア中央都市と呼ばれ、もう少し治安も景気も良かったらしい。物価も今ほど高くなく、砂漠化も汚染量も今ほどでは無かったと聞いている。

 だが五十年前の戦争で使われた化学兵器の影響で受けた傷は長い年月をかけて回復するどころか悪化の一途を辿った。南からの風に乗って砂は緑の大地を覆い、吸い込むだけで肺や気管を病む恐れのある空気は徐々に北上する。

 総統は早々に見切りをつけ建物を放棄し、名称をその時カルディア中央都市から統制地区へと変更して軍を率い北へと移り住んだ。

 そこが現在のカルディア地区。

 高い壁を築いて少しでも害のある空気を阻もうとしているのか、それとも自分たちが捨てた街の住民から贅沢な暮らしをしているのを隠そうとしているのか。それ以降富裕層がどんな生活をしているのか窺い知ることはできない。

 同じ頃第二区にある総統が住んでいた巨大な屋敷に国の威信をかけて学校が創設された。小学課程から高等課程までを教育する義務教育を推奨。優秀な人材教育に力をいれ学力向上を謳った施設には充実した機材、教材、書物が豊富に揃い、それを教える教師にも専門家を招くなどの徹底ぶり。

 もともとあった小さな学校や塾などは次々と潰され、学びたければ国が創設した学校に入るしか方法は無かった。

 十年前までは統制地区の子供たちも学校へと通い、それなりの知性を養う機会は平等とはいえないが与えられていた。だが汚染が進み砂漠化が深刻化する中で、スィール国の食糧自給率は年々低下。それに伴い野菜や食肉、乳製品や加工品の値段が上がり生活するのがやっとの状態になった。子供を学校へ通わせられる余裕など無くなり、今では幼い子供でもなんらかの仕事をしなければならないほど苦しくなっている。

 学校へ通える者の殆どがカルディア地区の子供たちで、元はダウタウン出身のスイがそこへと通っていること自体が異常なのだ。

 そのための授業料を兄たちが必死になって稼いでいるのを知っている。だから行きたくないと駄々をこねることも、働きたいのだと訴えることも出来なかった。

 電車が学校前の駅に着いたことに気付いてスイは嘆息する。重い脚を引きずりながらホームへ下りると三十人程の人間が階段へと向かって行く。その中に子供の姿はあるが、スイのように学校の鞄を背負っている者はいない。

 彼らは学校の施設内で下働きをして小金を稼いでいる。そして階段を上って行く大人たちも学校で契約社員として勤めているのだ。

 階段前にある改札で学生証を提示すると地下鉄の料金は免除になる。スイはそれを駅職員に見せて通してもらい階段を上った。 


 パァーン!


 乾いた音が響いてスイは足を止めた。ダウンタウン育ちには馴染み深い音にそれが銃声であることにいち早く気付く。

 さっと周りを見渡して音の出所を探ると更にもう一発青い空に吸い込まれるように轟いた。流石に通りを歩いている人々も不審そうな表情で歩を止めて、何事かと浮足立つ。

「……ゲートの方から?」

 カルディア地区と統制地区コントロールシティを隔てている厚い壁にはゲートがあり、出入りを規制するため軍の兵士が駐在している。それは学校のある第二区に近く、カルディア地区の子供たちを安全に通わせるためにも存在していた。

 銃声は門の方からで間違いなく、その証拠に騒々しい音を立てて治安維持隊の車がサイレンを鳴らして向かっている。

 危ういことに近づくなとタキに強く言い含められているスイは、なにがあったのか気にはなるが顔を学校へと向けて歩き始めた。


 学校へ行けば安全だ。


「待て!止まれ!」

 だが騒ぎはそう遠くであっていたわけでは無かったらしい。思いがけないほど近くで厳しい声が制止する声が響き、押し退けられた人々の抗議する声が上がる。巻き込まれまいとスイは建物側の端に身を寄せた。

 それを――。

「ちょっと!なにすんだよ!」

 いきなり肘を掴まれて引っ張られたと思ったら後ろから首に腕がぐっと巻きつけられた。背中に感じる自分以外の体温と体臭に震えが来るほど吐き気がする。汗ばんだ腕が顎に触れる感触も、蟀谷に突き付けられた冷たい銃口も嫌悪感しか齎さない。

「やめっ、はなせっ」

「死にたくなきゃおとなしくしてろよ」

 ぐいっと銃口を強く押し付けて意識させ背後の男が低い声で警告する。緊張したかのように男の胸筋が強張り、その瞬間目の前の人を押し退けて治安維持隊が三人姿を現した。

「動くな。無駄な抵抗はやめろ」

 それぞれが銃を構えてゆっくりと狙いをつける。いくらスイが小さいとはいえ、後ろの男だけを狙って撃つなどできはしない。

 打たれれば間違いなくスイも無傷では済まないだろう。

「なんでっ」

 血の気が失せていく。

 漸くダウンタウンから抜け出して兄弟仲良く暮らせるようになったというのに、こんな所で事件に巻き込まれて治安維持隊に撃ち殺されることになるなんて一体なにをしたというのだ。


 ただ慎ましやかに生きているだけなのに。


「っざけんな!」

 竦んでいた身体に力が戻る。スイは右手を腹部へと移動させその下に隠していたナイフを引き抜き、吐き捨てると同時に男の腿目掛けて振り下ろした。

 固い筋肉が阻み、大した打撃を与えられないが男の腕の力が緩んだ隙を見逃さずにするりと逃げ出す。そしてそのままスイは治安維持隊の元へと駆けた。男が発砲する可能性はあったが、それよりも逃げることを優先するだろうと見越して。

 案の定男は人混みの中に上手く逃げ込み、地下鉄の階段を下りて行った。スイはその姿を確認してから近くの隊員の腕に縋った。

 二人の隊員は男を追って行こうとしたが、スイの背負っている鞄が学校指定の物であることに気付くと顔色を変えて「大丈夫ですか?」と丁寧な言葉で怪我の有無を尋ねられる。大丈夫だと答えると安堵の表情を浮かべてわざわざ学校まで送ってくれた。

 スイは統制地区に住む市民だが、彼らは学校に通うカルディア地区の子供だと勝手に勘違いしたようだ。よく見れば着ている物が粗末なことに気付いただろうに、学校に通えるだけの経済力を持っているというだけでこうも扱いが変わる。

 校門前で「ありがとうございました」と頭を下げてスイは校舎へと向かう。

 危うく殺される所だったという事実はいまだにスイの中で消化されずに胸の中で燻っている。

 彼はなにをして治安維持隊に追われていたのだろうか。

 最初に聞いた銃声は彼が撃った物なのか、それとも治安維持隊の威嚇射撃だったのか。

 安全であると思っていたこの場所も、そう安全ではない。ダウンタウンも統制地区もそう変わらないのかもしれない……。

 もしそうなら必死な想いで働いてきたタキやシオの行為は無駄な物になってしまう。それでも寒さや暑さを感じず、危険の無い部屋で温かい食事ができ、眠れることは幸福で恵まれている。

 もう二度とあの頃の生活には戻りたくない。

「沢山のこと望んでないのに」

 今更になって恐怖が襲い鼻の奥が傷んだ。潤んだ瞳を瞬きで隠してスイは胸元に手を添えた。

 二枚一組のドッグタグにはスイの名前の他に兄の名前と住所が記されている。初めて手に入れた安息の地である部屋の住所は見るたびに誇らしく、そして兄たちの名はスイの大切な家族であることを証明していた。

 離れていても、何処にいてもこれがあれば繋がっていられる。

 だから大丈夫だ。

 スイはまだ強くないけれど、自分には頼りになる優しいタキと愛想は無いが意外と面倒見のいいシオがついていてくれる。

「恐れるな……」

 大きく息を吸い込んで教室の扉を開け、逃れられない現実の中へと飛び込んだ。


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