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C.C.P  作者: 151A
カルディア ~Cardia~
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エピソード43 一年ぶりの再会

 流れて行く景色がいつもと違うことに胸を痛めながらヒビキは目を反らさずに見つめ続ける。街の治安維持が難しいと判断されて学校は午後から休校となった。ゲート前の暴動が治まり次第それぞれの家から迎えが来て貰えるように連絡が行き、校舎入口に横付けされた黒い高級車にヒビキは乗り込んだ。

 車を運転していたのは屋敷の運転手では無く何故か父の腹心の部下であるハモンで、隙無く軍服を着こなした男がハンドルを握っている車に乗ることに抵抗と違和感はあった。

 だがヒビキは努めて平常心を装い笑顔で迎えに来てくれたハモンへ礼を言う。

 走り出した車がゲートの傍に差し掛かると物々しい警護と武装に眉を下げざるを得なかった。道路に黒い染みを作っている血痕と未だに回収されていない犠牲者たちの遺体が端に並べられ、暴動の激しさを垣間見た気にさせられる。

 遺体にはカーキ色のシートがかけられていたが、人の形に盛り上がり陰影をくっきりと浮かばせている生々しさは切なさを募らせた。

 暑く乾燥した風にそよぐ頭髪や、収まりきれない血塗れの足先。

 既にこと切れた物言わぬ躯にも家族や友人はいる。

 喪う悲しみに泣き暮れる者たちが。


 私には本当の意味で喪失感を味わう機会が今まで与えられていなかったけれど、と心の中で呟いてそっと己の耳朶に触れた。


 ヒビキは四人兄弟の一番末っ子で、母の命と引き換えにこの世に生を受けた。

まだ学校に上がるか上がらないかぐらいだった兄たちと姉は突然絶大なる庇護者を喪い、悲しみと寂しさの中から立ち上がる困難さを知っている。

 兄弟から母を奪ったことにたいする申し訳なさから、ヒビキは物心がつく頃には愛想よく笑い、手のかからない子供であろうと心がけてきた。父の冷酷なほどの厳しさに萎縮する兄と姉の緊張を和らげ、頑なな父の心にも寄り添い家族間の微妙な溝を埋めようと努力を続けるのは贖罪からだ。


 全部私のせいなのだから。


 孤独な父の拠り所であった母を奪い、父の苦しいまでの圧力から兄と姉を護ってくれていた優しい母を奪ったヒビキの罪。

 母がいることで上手く機能していた家族を引き裂いてしまったのはヒビキだ。


 だからこそ間に立ち、少しでも父と子を繋げられればと思う。

 未熟な学生であるヒビキがそんなことを考えているのはおこがましいことだが、なにもしなければ溝は更に深まるばかりだから。


「……ホタルお兄さま?」

 車がゲートへと侵入し始めた所で一年程顔を会わせていない懐かしい顔を見つけた。埃まみれで酷く疲れているが、その肌の白さも優美な横顔も間違いなく兄の物だ。

 保安部の兵になにやら頼み込んでいるのか、面倒臭そうに首を振られて断れている。

「ハモン様、ちょっと停めて下さいませ」

 慌てて運転席のシートにしがみ付き停車してくれと懇願するとルームミラー越しに怪訝そうな瞳を向けられた。

「どうかなさいましたか」

「お兄さまが、」

「お兄さまとはホタル様のことですか?」

 ええと頷くと直ぐにブレーキを踏んで停車する。ゲートに侵入する際は徐行することが法律で定められているのでほんの少し踏むだけで簡単に停まることができる。

 ヒビキがドアを開けて出るのをハモンが止めようとしたが頓着せずに飛び出した。

「ホタルお兄さま!」

「ヒビキ様、急いで走られると濡れているので危険ですから」

 運転席から降りてきたハモンの忠告など耳に入らず兄目掛けて真っ直ぐに駆けていると爪先が滑って膝から力が抜けた。上体が傾いでなにかに縋ろうと両手を突き出したが生憎前方にはなにも無い。


 転んでしまう、――そう覚悟したヒビキの腰に後ろから腕が回されて優しく引き寄せられた。逞しい胸筋の感触を背中に感じたと思ったら、ヒビキの細い肩の上に顎が乗せられる。目の端に黒い艶やかな髪が映り、耳元で低く「だから申し上げたのです」と囁くハモンの声に小さく「ごめんなさい」と返した。

「ヒビキ様は御淑やかなようで時折予想に反した行動をなされるので肝が潰れます」

 いつもの仏頂面が苦々しい表情に代わるのを、首を回して眺めてヒビキは微笑んだ。すぐ傍にある流麗で冷たい相貌は緊張してしまうほどの美しさがある。

 叱られているのに笑っているヒビキの顔を呆れたように見下ろしながらハモンはそっと腕を解く。

「ハモン様はお優しいですね」

「……優しいという言葉とは無縁だという自覚はあります」

「無様に転倒して痛みに泣き叫ぶ私を笑ってくださっても良かったのに」

 くすくすと笑いながらも兄へ向かって足を急がせていると、ハモンが眉を寄せてそれはできませんと答えながら半歩後ろをついて来る。

 勝手に飛び出した挙句に滑って転んだとしてもヒビキを叱る者はいない。心配してくれる者が殆どで、傍に居てそれを止められなかったハモンが酷く責められる。その場面を想像してちょっと残念に思う。

「でも、私の所為で叱責されて困り果てるハモン様のお姿を見て見たかった気もします」

「……意外と人が悪い」

「普段のハモン様が完璧すぎるから違う一面を見てみたいと思ってしまうのです。お気を悪くされたようなら謝りますけれど」

「ヒビキ様には敵いませんね」

 ふっと笑う気配を感じて振り返ればハモンは目を眇めて優しい皺を刻んでいた。珍しい物を見たと思いながらも負けないように微笑み返して顔を正面に向ければ、もうすぐそこに兄の背中があった。

「ホタルお兄さま」

 呼びかけると「え?ヒビキ?」思わぬ所で会ったと動揺したホタルの顔が振り向く。一年ぶりに会う兄は少し痩せていて、良く眠れていないのか目の下にくっきりと疲れと隈が浮いていた。

「お兄さま顔色が」

「顔色?大丈夫だ。ちょっとさっきの騒ぎに巻き込まれて、疲れているだけだから」

「さっきの騒ぎに巻き込まれたって――」

 確かに誰かと揉み合ったかのようにシャツは捩れ、ボタンが何個か取れて無くなっている。ズボンも汚れ、履いているスニーカーは所々赤い血で染まっていた。

 怪我は無さそうだが心配になる程衰弱しているように見える。

「家にお医者さまを呼んで見て貰わなくちゃ」

「大袈裟だな、ヒビキは」

 腕を引っ張って車の方へと連れて行こうとするが苦笑し、ホタルはヒビキの手首を押えてそっと外した。

 その指の冷たさも、腕の細さまでもが不安を煽り、必死で兄のシャツにしがみ付く。

「久しぶりに会ったお兄さまが暴動に巻き込まれたって聞いて、心配しない妹はいないと思うのにそれを大袈裟だなんて……。お兄さまがどれぐらい家に帰っていないか覚えていないのなら私が教えて差し上げるわ」

 込み上げてくる涙を堪えながら訴える声は震えていたけれど、ここで言葉を止めては今度会えるのがいつになるか解らない。

 父を厭い、兄は家に寄りつかないのだから。

「一年よ、お兄さま。どんなに会いたかったか、きっとホタルお兄さまには解らないのね」

「……ごめん、ヒビキ。解ってるよ、解ってるけど」

 どんなに兄と父を繋げたくても傍にいないのならヒビキにできることはなにも無い。無為に流れて行く月日の流れはもう取り返しのつかない程に二人の間を裂いてしまっているかもしれないと思うと虚しさと無力感に打ちのめされてしまう。

「私が幾つになったのかも覚えてない――」

 はっと表情を固まらせてホタルはヒビキを見下ろす。その目に見えるように下ろしたままの横髪を掻き上げて左耳の裏にかける。もう片方も同様にして顕にすると痛ましい物を見るようにホタルが目を反らす。

「私は十四歳を迎えたけれど、まだ運命を変えられていないわ」

「ヒビキ、ごめ」

「悪いと思っているのなら私と一緒に家に帰ってくれる?」

 傷ひとつない耳を晒している妹の髪に触れてそっと元の通りに横顔を覆ってからホタルは観念したかのように頷いた。

「どうせ保安部に行ってもこの混乱の中ではキョウとも会えないし、家で帰りを待った方が早いだろうから」

「お姉さまに会いたくてここにいたの?」

 責めたつもりはなかったが、ホタルは姉であるキョウにだけ会おうとしていたことを気に病んで俯いた。

 そんな兄の顔を見上げて破顔し「きっとお姉さまも喜ぶわ」と車へと歩き出す。後ろで控えていたハモンがホタルに会釈をした。

「ヒビキ様を送り届けた後で、お迎えに参ろうと思っていた所でしたので助かりました」

「……僕を迎えに?何故」

「これからの統制地区は安全とは言い難い物になりますから……。ナノリ様から絶対に連れ戻すようにと頼まれております」

「父上が、」

 色々な思いがホタルの中で波立っているのだろう。コバルトブルーの瞳は大きく揺れている。

「早く帰りましょう。私、お腹空いちゃった」

 学校の食堂も早々に閉鎖されていたし、いつ迎えが来るかも解らないのにのんびりと食事などできない。昼食を食べ損ねた胃袋が不平を言うかのように主張している。そのことを伝えるとホタルが笑い、ハモンの表情も柔らかくなった。

「それでは急ぎましょう」

 停車している車まで大股で横切り、ハモンが後部座席を開ける。先にホタルに乗ってもらい、ヒビキが続く。ドアが静かに閉められ運転席にハモンがおさまり車は発車した。


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