エピソード40 職務に忠実たれ
軍の支部が集まる壁の内部は混乱の極みだった。
丁度爆破された箇所が保安部の隣にある化学技術部の事務室で、舞い上がる貴重な書類と巻き込まれて飛び散った仲間の無残な姿に慄きながらも侵入者の姿を見て拳銃を抜き放ち応戦したのは兵の鑑だと言わざるを得ない。
与えられていた三階にある執務室からクラウドが駆けつけた時には廊下での銃撃戦が始まっており、多くの兵がこれ以上の侵入を阻もうと果敢に戦っていた。
「状況はどうだ!」
大声を出さねば互いの声が聞こえないくらいの銃声と怒号の中で近くにいた兵を捕まえて尋ねると「それが、妙なんです!」と上擦った声で怯えを滲ませて返答する。
「撃っても、撃っても、弾が、当たらないんです」
「なんだとっ!?」
消え入りそうな兵に耳を寄せて怒鳴りつけると「撃っても弾が当たらないんです!」と絶叫した。舌打ちして青い顔で震える兵の横面を張り飛ばしてやると驚愕の表情で見返される。
「落ち着け!こちらの被害は!」
「け、怪我人が数名!侵入者は銃の所持をしておらず、いずれも軽症です!」
「銃を所持していない?」
武器も持たずに軍を襲撃して突入するなど聞いたことが無い。更に銃を持っていない侵入者を武装した兵士が制圧することができないとは。
しかもたった二人を取り押さえられないとは軍の威信に関わる。
なんとしてでも止めなくては。
「退けっ!」
「き、危険です!クラウド様!」
「銃を持たん人間相手に怯んでどうする!」
「ですが、――ひいっ!来た!」
科学技術部の人間は戦うことよりも研究開発することに秀でている。そしてその技術を使うことにのみ執心するからか腰抜けが多い。中には銃を手に戦う者もいるが、彼らの射撃の腕はあまり高くは無い。
今にも失禁しそうな様子で悲鳴を上げて逃げ腰になっている男を推し退けて前に出ると、廊下の向こうから兵士の一人が殴り飛ばされて床に倒れた。
味方同士で撃ち合うことになるのを恐れて銃撃は侵入者の行く手側――クラウドがいる方――からのみで、闖入者の背後にいる兵たちは弾の届かぬ範囲の距離を保って警戒している。
二人の男たちの勢いに押されて後退せざるを得なくなった時には距離を詰めて銃弾を撃ち込むことはしているらしいが、それでも足を鈍らせることすらできずにやきもきしているらしい。
「たった二人の男を止められないとは一体――」
再び新たな兵士が派手に薙ぎ倒された所で、クラウドの前に立っていた銃を構えていた兵士五人が浮足立つ。どんなに下手糞でも撃てば必ず当たる距離にまで近づいてきた二人組の男の姿を見て緊張が走った。
一人はこの場にいるのが不自然なほど顔色が悪く、酷く痩せた黒髪の男で不吉な気配を滲ませている。男自身から死の匂いを漂わせ、病院のベッドに収まっているのが似合いのようだが、その機敏な動きは不気味で捉え所がなかった。
弾が男の横を擦り抜けてあらぬ方向へと流れて行くのは目を疑いたくなるような現象だがどうやら現実のことらしい。
そしてもう一人の侵入者。
身体を覆う無駄の無い筋肉と相手の動きを読む目と、冷静な判断ができる脳によって一連の行動に淀みは無かった。元々備わっている反射神経と、恵まれた体躯によって生み出される強力な攻撃は素手であっても脅威となる。
若いのに老成した落ち着きを感じさせる眼差しと、男らしい整った顔立ちは穏やかと言った方がやはり似合っていた。
もはやその金の瞳に迷いは無く、戦うことを受け入れた静かな闘志が宿っている。
「……ツクシを帰しておいて正解だったな」
苦笑いしながらクラウドは本日二度目の邂逅に喜びではなく無念さを胸に抱いた。できれば再会などしたくは無かったからだ。
こうして再び相見えたということは敵として立つことを選んだということ。
「よくよく縁のある……」
嘆息したところで目の前の兵たちが一斉に引き金を引いたが、やはり彼らにかすり傷ひとつ与えることはできなかった。再度銃撃せんと動く兵たちに「止めろ!撃つなっ!」と命じると、上官の命令に忠実な兵は直ちに撃ち方を止めた。
真ん中の兵の肩を押して前に出ると金の瞳がクラウドを認めて驚きに見開かれる。どうやら彼の方も覚えていてくれたらしく、勇ましく構えていた両腕から力を抜いて戸惑ったように立ち竦む。
「戸籍を得るためにおとなしく出頭した訳じゃなさそうだな」
もしそうなら壁を爆弾で吹き飛ばして特攻してくるなどしないはずだと解っていて皮肉を口にする。
「なんの用だ?今度も見逃してもらえるとは思っていないだろう?」
そう尋ねるときゅっと唇が動いて悔しげに眉が寄る。
勿論そんな都合の良いことが再び起こるとは考えていないだろうが、危険を冒してまで壁の内部に強行突破をしかけてきたのには理由があるはずだ。
「……弟を」
「弟?」
問い返すと男の瞳に力が戻る。激しいまでの意志の表れに、クラウドの項をそわそわと落ち着かなくさせるほどだった。
「弟を返してもらいに来た」
「弟とは、あの時ツクシの背後を取った――」
「そうだ」
若々しい粗削りな部分が目立った青年の姿を思いだし、その瞳が目の前の男と同じ珍しい金の瞳だったと納得する。反乱軍頭首が現れたのも突然だったが、男の弟がツクシの背後に立ったのも又驚くべき速さだった。
道の向こうから猛スピードで自転車が近づいてきたのには気づいていた。途中で自転車を乗り捨てて、駆けて来る途中でポケットから取り出した銃の安全装置を無意識下で解除し、ツクシの背後に辿り着き後頭部に銃口を突き付けるまでの時間は恐らく数秒に満たない。
しなやかな筋肉と筋の動きに加え、軸のぶれない走り方はあっという間に加速した。脅威的な身体能力は兄弟共通する物がある。
だが直情的な弟は行動が突発過ぎ、己の能力を最大限に引き出せていないようだが戦うことに対して抵抗は無かった。それに比べて兄の方は己の力に翻弄されて戸惑っていた。暴力ということに嫌悪感に近い物を持っていたはず。
その嫌悪と恐怖を超えて戦うことを選択したのは弟を取り戻すためだったのか。
「今朝方の捕縛で捕まったのか?」
クラウドの確認のための問いにただ首肯する男。
深くため息を吐いてそっと顎を左右に振った。
「言ったはずだ。例外は無いと。捕えられた者を理由なく解放することはできん。例外を作れば他の者も同じように壁を破壊して乗り込んでくるだろう。そんなことを赦すことは断じてできん」
せめて戸籍を買うだけの金を用意できれば解決の糸口となるが、クラウドの給金ですら用立てることは難しい金額である。
もとより国は払えない額をわざと設定しているのだから。
「ここに不法侵入してきた以上逃げられると思うなよ」
「…………やはり話し合いでは解決できないのか」
愁いを帯びた男の表情はぞくりとするほど美しい。両腕を持ち上げて戦闘態勢を取った男の後ろで、黒髪の男が不敵な笑みを浮かべる。
「弾が当たらないと言うのならば、」
クラウドは細く息を吐き出しながら腰を落とす。腹に力を入れて拳を握ると左を顎の前に、右を目の高さに構えた。
相手の強肩と腕力は人の命を容易く奪えることは既に証明されている。今の所極力抑えて揮っているからか、こちら側に死者は無く軽傷だけで済んでいたが当たり所が悪ければ危険なことに変わりがない。
どちらかというと筋肉のつきにくい体質のクラウドは、日々の鍛錬を怠るとあっという間に脆弱になる。そのため誰よりも筋肉維持と動体視力や反射神経を研ぎ澄ませる訓練を自主的に続けていた。
次々と入ってくる若い兵たちに示しがつかないこともあるが、なにより戦えなくなった軍人など軍に所属する意味など無いと自負しているからでもある。
己に幹部職につくほどの政治的智謀や策略など向かないと解っており、結局上層部に失望している己にそんな野望など無い。
情勢が安定していればとっとと辞職し、統制地区で一般市民として暮らしても良いとまで思っている程なのだから。
そんな自分が弟を救い出そうと命がけで軍に突入してきた男と相対しているとは。
カルディア地区に住むクラウドでさえも不満や疑念を抱くのだから、底辺で虐げられている無戸籍者の彼らはどれほどの苦汁を舐めて痛みを被って来たのか。想像できぬほどの屈辱と苦しみに晒されてつづけたに違いない。
ただそんな悲壮感など露とも感じさせない目の前の男はただ純然たる自分の正義の元、戦うためにここに立っている。
羨ましい。
軍に身を置いておきながら、心の底から総統閣下や国に敬意を抱けないクラウドには正義も大義も持ち得ない。
羨望の眼差しを持って相見える相手は尊ささえ感じ、できればその望みを叶えてやりたいとまで思ってしまう。
「そうか……これが、ツクシの言っていたやつか」
部下の危惧はこの男が反乱軍の頭首をも惹きつける何かを持っていることに対する恐怖だった。今まさにクラウドも敵であるというのに彼に同情している。
朴訥な何処にでもいるような男だが、それゆえ純朴で気高い精神を持っているような気にさせた。特に戦う理由として弟の救出をあげていることから引きつけられてしまうのかもしれない。
「だが、俺は職務を放棄したりはせん。来い!」
せめて自分から攻撃はするまいと挑発すれば、男は一瞬目を反らしたのちに意を決した様子で踏み込んできた。
重い拳が唸りを上げて近づいてくるのを受け止めては骨が砕ける。左腕の外側で上手く受け流すようにしながら、右足を小刻みに使って男の懐に入り込み右の拳を顎下へ素早く二発叩き込む。
軽い打撃音がしたが、芯に命中はしていない。
「く、貴方とは戦いたくない……」
上半身を反らし気味にして半歩下がった男が眉を寄せて呻く。
それはこちらも同じ気持ちだが、これ以上奥へと突破される訳にはいかない。捕えて北へと送り込むことに躊躇いはあるが、ここまで派手に立ち回った者を無罪放免で逃がしてやる道理も最早通らないだろう。
「戦いを挑んだからには相手を選り好みすることは許されない。例え戦いたくない相手でも、己の成すべきことを知っていれば迷いも消えるはず」
「――!貴方は、どうして……。いや。貴方の言う通りだ。戦うと決めたのならどんな相手であろうとも、戦って、護り抜く」
改めて決意を固めた男はぐっと握り締めた右拳を腰に固定し捻る。左手は手刀の形にされクラウドの眉間に狙いを定めたような位置で構えられた。集中力が高められていくのが解る程纏う空気が濃くなっていく。
黒髪の男が満足気な表情で男を見ているのが気になったが、クラウドは意識を目の前の男に向ける。
激しい戦いになるという予感に気分が高揚する辺り、所詮はクラウドも野蛮な軍の人間に過ぎない。好んで力を行使することはしないが、それでも少しは気概のある人物と戦えることを喜ぶ自分がいる。
声も無く男は右足で床を蹴り大きな一歩を踏み出した。同時に打ち込まれる右拳はクラウドの脇腹から胸を巻き込むように抉る。後方に飛びのいて避けるが、手刀が頭上斜めから振り下ろされた。手首を交差させて受け止めると、僅かな隙を着いて右足裏がクラウドの左膝を強かに蹴りつける。
戦いは素人だと思っていたが、迷いさえ吹っ切れれば備わっている力を自分の物として扱うことは容易なことらしい。
流れるような動作で一歩も引かずに夢中で拳や腕を振り、時には足を器用に使って蹴りや軽やかな移動を見せる。
必死に弟の為に道を開こうとする攻撃の中でクラウドは防戦のみを享受していた。
一打、一打を受け止め、流して、往なしながら彼の痛切な思いを汲みとる。
叶えてやりたい。
何度目かの思いが湧き上がる。
彼の求めている物は大それたものでは無く、きっと小さな幸せなのだ。護りたい大切な物のために仕方なく戦っている。
きっと反乱軍に身を寄せる者たちも同じだろう。
国を支える者たちの堕落と、その者達に追従して甘い汁を啜ろうとする下卑た人間達の犠牲となるのは底辺にいる者と普通の市民なのだから。
自分は何のために戦うのか。
改めて問い返すと仕事だからだ、というくだらない理由しかない。
「せめて、志があればな」
「?」
疑問を顔に張り付けながら男はそれでも攻撃の手を休めない。右から、左と交互に膂力の全てを使用して全力で向かってくる。
大義や正義など掲げるほど若くは無い。
純粋でも無い。
くだらなくとも戦う理由はただひとつ。
「職務に忠実たれ!」
それのみ。
疑問も不満も全部拳に乗せて。
右頬に当たる寸前の男の手首を下から跳ね上げるように殴れば、骨と骨がぶつかり合う鈍い音が響いた。男の空いた左腋に入り込みながら左拳を鎖骨目掛けてめり込ませると、ミシリと骨の砕ける音が耳にも聞こえる。
ついでに左脇腹に右を見舞うと、さすがの男もたたらを踏んでよろけた。
追い込むように右の回し蹴りを胴に食らわせれば、腹部を押えて後退する。
「おとなしく、捕縛されろ」
勧告しながらもクラウドは容赦なく蹴りを脛と膝を中心に繰り出し、戦う意志を奪うまでは攻撃を止めるつもりは無かった。
左腰にまともに蹴りを受けて男が呻いて膝を着いたが、更に顎を蹴り上げ仰け反った所に肩を踏みつけるようにして蹴り倒した。
「止めだ」
冷酷に聞こえるだろう声で腰に佩いたサーベルを抜き放つと、今まで静観していた黒髪の男が動く。
その手に持った手榴弾に気付いた時には既に遅かった。
「退け!」
叫んだクラウドの声に動けた者は少なかっただろう。
投げつけられた手榴弾は丁度クラウドの背後辺り。
おかしい。
爆音と閃光が走り、身体が吹き飛ばされる。
痛みは不思議と無く、衝撃だけがリアルに感じられた。
この距離で手榴弾を使えば自分たちも無事では済まないはずなのに――。
呑気にも疑問を抱きながら迫ってきた壁が視界いっぱいまで広がった所でクラウドの世界は暗転し、意識も途切れた。