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C.C.P  作者: 151A
カルディア ~Cardia~
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エピソード34 葛藤と始まり


「ホタル」

 含み笑いをしながら名を呼ばれて漸く目が覚めた。肩に置かれた手の感触にどうやら揺さぶられていたらしいが、全く自覚がない。

 深い眠りに落ちていたらしく顔を上げて時計を確認すると朝の八時を大幅に過ぎていた。

「あまりにもよく寝ていたから、お伽噺のように口づけて起こそうかと思っていた所だよ」

 くすくすと笑って肩の上の手が離れて行く。

 笑えない冗談にホタルは目を瞬かせながら呆れて「ミヅキならやりかねないから恐い」と嘆息した。

「幾らなんでもそこまで節操なしじゃないさ。麗しい顔をしていたとしても君は男だからね」

「……誉められている気がしないのはなんでかな」

 寝不足でぼうっとする頭を振ってホタルは枕にしていた膨大な数の資料とデータの束に別れを告げて立ち上がると、顔を洗うために手洗いへと向かう。

 せめてひと段落するまでは時間が惜しい。

 部屋に戻らずに研究室で寝起きをしているのは、信じられない数値を出した水を調べるためでもあるが、タキに黙って孤児院を訪ねたことにたいする後ろ暗さと、それ以上にどんな顔をして会えばいいのか解らないのが本音だ。

 ミヤマが言うには彼ら兄妹が来たばかりの頃に裏のポンプが壊れ、近くの施設の水道管とタキが繋げてくれたらしい。

 だがどう考えてもそれは不可能で、軍の施設の水道管を通った水を検査しても正常値が示されることは有り得ないのだ。

 どんな絡繰りがあるのか解らないが、タキは飲料水に相応しくない水を清い水へと変えることができる――それはホタルが望み、研究している物。研究自体を馬鹿にされながらも必死で取り組んでいることをタキは知っているのに。


 その方法をホタルに教えてくれなかった。


 何故なのかは解らないが「研究は進んでいるか?」と事あるごとに声をかけ、研究の成功を応援してくれていたのは間違いない。

 自分だけが知識を独占しようとするような男では無いことは、この二年間の付き合いでよく解っている ホタルが苦しみながら悩んでいるのを心の中でほくそ笑んで、見当違いの方法で研究を進めているのに対して高みの見物を決め込んでいたわけでは無いだろう。


 きっと何か理由がある。


 互いに言いたくないことは言わなくてもいいのだというルールを犯して、その方法を教えてくれと縋りつき無様に懇願してしまいそうな自分がいるのが恐い。

 追及してもきっとタキは口を閉ざして黙するだろう。

 ホタルが泣いて頼んだくらいで喋るくらいならもっと早くに教えてくれているはず。


 両掌を上に向けてくっつけて軽く窪みを作りそこへ管から出た水を受ける。ひんやりとした冷たさに指先がじんと熱くなった。身体を前に倒して顔を近づけるが、あの時のような甘い香りは無く薬品の匂いが鼻に着いた。

 目を閉じて勢いよく顔に水を浴びせても頭の中は一向にすっきりしない。何度も何度も水をかけて、髪と胸元がびしょびしょになった所で諦めて止めた。

「……情けない」

 そんな男ではないと解っているのに、教えてくれないタキを心のどこかで恨んで責めている。すぐ近くに研究の決め手となる力を持っている人物がいたことに動揺し、友人を信じられない自分の浅ましさに心が沈む。

 それでいて友人を失うことを畏れて、人々のためにその方法を聞き出すことを躊躇っているホタルは研究者としても人間としても未熟であることを露呈させていた。

 なんのための研究か初心に帰って見つめてみれば、友情など取るに足らぬことだと斬り捨てて少々手荒で強引な手を使ってでも口を割らせて情報を得なければならないのに。

「僕には、無理だ……」

 研究も、友人もどちらも手放せない。

 あまりにも弱く、甘えが先立つ己に憤りや苛立ちなどより脱力してしまう。

 綺麗ごとばかりを並べて実現不可能な夢を抱く自分は偽善者にも成り切れぬ、ただの暗愚であることは間違いない。

「目は覚めたかい?」

 ミヅキの声は耳触りが良く伸びやかで心地が良いが軽く重みが無い。常に強い風が吹いているか、逆に無風状態のこの国の気候の中で爽やかに紡ぎだされる彼の言葉はとにかく不似合だ。

「もう何日も研究室に泊まっているけれど、根を詰めた所で成果が出るとは限らないよ。焦りはいい結果をもたらしはしない。それにここは外部からの情報は一切入ってこないから今外で何が起きているのか、君はきっと知らないだろう?」

 青い瞳を細めて眉を下げるミヅキは現実の世界と隔絶された研究室に閉じ籠っているホタルを責める。強い口調ではないが、無視できない響きを伴っていた。

「外でって……なにか大きな事件や事故でも?」

「ホタル――君はどこまで平和な頭をしているんだろうね」

 やれやれと頭を振ったミヅキが苦笑いをして「外では無戸籍者を捕えるために保安部と治安維持隊が躍起になってるっていうのに」とため息交じりに呟く。

 彼の言葉はやはり軽く、内容の重要性を上手く掴めずに間抜けにもぽかんと口を開いた。

「……保安部と維持隊が、無戸籍者を――」

 捕えるために動いているのだと理解した途端に、ホタルは研究室の自分の机へとミヅキを突き飛ばし急いだ。背もたれにかけていた上着と足元に置いていた鞄を乱暴に掴んで引き返すと部屋の入り口でミヅキとすれ違う。

「今日は休むって教授には伝えておくよ」

 くすりと微笑んで手を振るミヅキに「ごめん」と突き飛ばしたことも含めて謝罪する。いいよと言わんばかりの顔で頷くのを横目で確認し、ホタルは廊下を走って突き当りの階段に飛び込み踏み外しそうになりながら下りて行く。

 久しぶりに動かした筋肉が悲鳴を上げてあちこち痛むほど自分は研究室に籠っていたのだと反省する。

 以前は毎日のようにあちこちの水を汲みに歩き回って、研究室でじっと座ってデータを纏めたり実験室で実験をする時間は少なかった。あの日孤児院の水を貰って来てからは実験とデータを纏めて検証ばかりで研究棟から一歩も出ていない。

 アゲハとも隣人の兄妹とも長く会っていないことに今更ながら不安と寂しさが募ってきた。

 今まで帰っていなかったのは自分の方なのに。


 後悔しても遅い。


「どうか、」

 無事でいてくれと祈るのは虫が良すぎるだろうか。

 研究棟を出ると空の色はどんよりとしていて厚い雲が覆っていた。心の底に不穏な塊がゆっくりと澱のように沈んでいくような心地にホタルは奥歯を噛み締めて研究所の門へと走る。

 風が無く纏わりつくような熱さばかりが増していき、門までの長い道のりを走りきるまでの間に濡れていた髪も服も直ぐに乾いた。

 額に浮いた汗をぐいと拭って鞄から学生証を引き出して認識モニターに翳し、顔認証と指紋認証を済ませる。

「……勇気無き者、偽善者たれ。真の善たる者、清くあれ」

 乱れた呼吸で出した声でも認識はしてくれたらしい。許可を報せる電子音が響いて門の施錠が解除された。

 再び歩き出そうとして膝が震えているのに気付き苦笑する。腿に力を入れなんとか持ち上げて一歩を踏み出す。門を潜る頃にはほとほと疲れ果ててしまったが、ここで歩みを止めることはできない。

 施行された国民登録義務法が戸籍を持たない者を保護し、戸籍を与える代わりに国への奉仕を一定期間義務付けるものだ。表向きは保護や義務などといった柔らかな言葉を使っているが、実際は国の為に強制労働をさせるための体の良い法律を作っただけ。

 そんなことは皆解っている。

 国が保護などしてくれないことも、奉仕とは名ばかりの単なる労働力としか見做していないことも。

 捕まればどうなるか想像がつく。

 過酷な労働は身体を壊し、満足な食事も与えられぬまま飢えと病に苦しみ、戸籍を手に入れる前に命を落とす者の方が多いに違いない。

 そんな強制労働に誰が喜んで行くものか。

 満足に集まらない労働力を求めて軍が行うのは間違いなく強制連行だろう。

 ミヅキはそれが始まったのだと告げた。


「なんてことを――」

 国はどんどん間違った方向へと走り出している。止められない、止まらない暴挙はやがて跳ね返り自分たちの首を絞めるのに。

 国民がいつまでもおとなしく従うと思っているのだとしたら総統はとんでもない能無しだ。

 平穏と安らぎを願い細やかに生きる人々の気持ちを踏み躙る国政も軍も皆人間らしい感情や思いやりを失っている。


 どこか遠くで銃声が響く。


 永遠に続くかのように焼けたアスファルトを駆けながらホタルは友人たちの無事を何度も祈り、彼らの顔を繰り返し思い出していた。


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