エピソード31 罪の重さ
黒い石で建てられた要塞のような城は優美さも無ければ華やかさも無い。ただ武骨で厳めしい横長の巨大な塊としてカルディア地区で威容を晒していた。
この国の中枢である城を中心に東側に軍上層部や政治家たちの煌びやかな建物と美しい庭園が広がり、そこに仕える者たちの住居が南にある門の近くに並んでいる。西側は物々しい雰囲気の軍の本部と訓練基地が建ち、南西部には高級店やレストラン、劇場などの娯楽施設が集まっていた。
それらを城壁の上から眺めてアオイは物憂げな表情で嘆息する。
整備された道路を走る車や、豊かさを過剰に見せつけるかのようにあちこちで設置されている白い大理石でできた噴水。必要以上に着飾って、高価な物を持つことがカルディアに住む者のステータスのようになっている。
「統制地区では人々が飢えて苦しんでいるとのいうのに」
スィール国は資源が少なくガソリンを輸入して対応しているが、その燃料を使って動く車など贅沢品の極みだ。取引をしている国の資源も枯渇しつつある現状で、ガソリンの値段は月単位では無く日単位で上昇し続けている。
経済に詳しい学者や研究者が口を揃えてその愚かさに警鐘を鳴らすが、軍部はそれを取り合わず軍に追従するばかりの政治家たちも一笑にふして相手にしない。
噴水から吹き出す水も浄化のための薬剤と施設に金をかけていた。飲むためでもないのにそこまで税金をかけて維持することに疑問を抱いている者たちもいるが、それを口にすれば己の首が危うくなるので皆口を噤む。
視線を上げてもそれを阻むように厚く圧倒的な存在感で東西を縦断する壁が映るだけだ。
貧困と圧政に苦しむ人々の姿など見えない。
「このままこの国は死する運命なのかもしれない」
乾燥した風が南から吹き、細いアオイの黒い髪を乱して秀でた額を顕にした。それならばそれでもいいと思いながら、つるりとした美しい形を剥き出しにしたままで紺色の瞳を瞬かせる。
優しげな面差しは父であるカグラとは似ても似つかない。総統である父は常に怠惰で、それでいて獲物を狙う肉食獣のような男だ。貪欲な癖に面倒な事を嫌がる性格で、如何にして楽に成果をあげられるかのみを追求することに余念がない。
そんな父を幼いころから見て育ったアオイは、いつしか父の跡を継ぎこの国を統べることを重荷に思うようになっていた。
「私には傾いた国を正常に戻すだけの力量は無い」
国の頂点に立つ総統がすべきことは私腹を肥やす事では無い。
税金を納める国民が安全で豊かな生活を手にするためには民が働ける環境と社会保障を整える必要があり、安定した物流を保つために貿易と他国との交流を密にしなければならず、食料自給率や生産業に力を入れ、南から北上してくる汚染の恐怖に何らかの対策をうたねばならない。
他にもすることが山ほどあり、それをアオイがどうにかできるような自信も、既に手の施しようも無いほど国は荒れている。
「そんなことはありません」
後方に控えていた護衛隊長のヒナタが神妙な顔で口を開く。そっと視線を転じて振り返るとアオイは苦笑した。
「解っているよ。父の悪政は私の罪でもある。勿論逃げるつもりはない。精一杯私の力の及ぶ所まで戦う覚悟はできているから」
「アオイ様に罪などあるわけがありません!これほどまでに民の窮状に心を痛めておられるというのに」
「ありがとう、ヒナタ」
心を痛めるだけなら誰にでもできる。
それだけで罪が無くなるというのなら、この世の中に犯罪者など存在しなくなるだろう。
「我々の希望は次期総統がアオイ様であるということなのです。心優しいアオイ様ならきっとよい総統としてこの国を建てなおすことができると信じているのですから」
「そんなこと思っているのはヒナタだけだよ……」
眉を下げてアオイは首を振る。
実際後継者としてのアオイの能力を疑問視している者は多い。線が細く、争い事が苦手なアオイにこの国の指導者として軍と政治を全て掌握することは出来ないとの声はずっと昔からあがっていた。
カグラの統治している中で甘い汁を吸っている者の中にも反対派はおり、御しやすいと判断するより引きずりおろしてその地位を手に入れようと画策している者が大半だ。
元々総統は世襲制では無い。
軍と政の両方の支持を得た者がその椅子に座ることができるのだが、やはり一度総統になった者の家族や身内が継ぐことが多かった。それは確かな基盤と人脈、財を後ろ盾に出来る強みと長らく治めているという経験が少なからず影響していた。
そしてなにより代々の総統が暴虐の限りをつくした権力者であったという畏怖が未だに根付いているからでもある。
「私を支持してくれる者は少ない。だが次の総統の地位をむざむざと他人にくれてやるほどお人よしでは無いつもりだ」
「もう少し自信を持ってくださいよー……」
がっくりと肩を落としてヒナタが頭を抱える。
こんな情けない男に仕えなければならないヒナタには申し訳ないが、他人と競うことに慣れていないアオイには自信をもつことがとても難しい。
だがそんなことを言っていては今まで続いてきた世襲制のようだった総統の地位を手に入れることはできない。
「そうだね。強くならなければ……もっと」
生白い掌を眺めてきゅっと握り締め奮い立たせるために口にしたが、どこか空々しくて南の強風に散り散りに飛ばされて消えて行く。
それが己の弱さのようでひどく不安に駆られる。
「アオイ様、そろそろ会議のお時間です」
風の強い城壁の上を危なげなく歩いて来た護衛隊のカタクは胸に手を当てて敬礼し休憩の時間はお終いだと報せた。
「解った。ありがとう」
礼を言われたカタクの眉が寄せられて深い皺を刻むのを眺めながら、不味いと口に手を当てたが口にしてしまった言葉は帰らない。
ギロリと茶色の瞳が煌めいて遠慮なくアオイを睨み上げてくる。
「そう簡単に俺のような下っ端の護衛隊士に『ありがとう』などと口にしてはいけないと、何度も申し上げたはずですが?」
「ご、ごめん」
「――アオイ様」
地を這う様な低い声にどうやらまた失言をしたらしいと冷や汗を掻いていると、ヒナタが朗らかな笑顔で「カタクそれぐらいにしておけ」と間に入ってくれた。
「ですがアオイ様のような身分の方が気安く謝罪や礼を言っていては足元を掬われることになります。少々御高く留まって尊大なぐらいが丁度良い」
彼が善意で言ってくれているのが解っているからアオイもヒナタも苦笑いするしかない。薄茶の前髪をさらりと揺らしてカタクは不快気な顔で反省をしていないアオイを半眼視する。
「優しさなど心の内に隠しておけばいいんです。アオイ様の優しさを向けるべき相手はこのカルディアにおいて皆無と言って宜しい」
不遜な物言いに困りながらアオイは頭を左右に振った。
「そんなことはないよ。ヒナタやカタクたち護衛隊には感謝しているし、このカルディアにもこの国の行く末を心から案じている者がいる。それに」
尊大な態度で御高く留まっている私など、私では無い。
「その通りです。そんなアオイ様など見たくはありませんから。どうかカタクのいうことは忠告として胸に留めて置いて、そのままのアオイ様でいて下さい」
恭しく頭を垂れたヒナタの隣でカタクが苦虫を噛み潰したような顔をする。それを横目で見て手を伸ばし、部下の頭を鷲掴みして力任せに引き下げた。
本意では無いのに頭を下げさせられたカタクは更に渋い表情で「時間ですので、急ぎましょう」とアオイを促す。
「待たせてはまた嫌味と小言を沢山もらってしまうからね」
首肯して横から吹いてくる風に足元をふらつかせながら城壁の上を移動する。後ろに心強いヒナタとカタクを連れて。
まだまだ知識も力も劣るアオイを信じてついて来てくれる彼らの為にも、そして民の為にも必ず総統になるのだと念じて気の重たい会議へと向かった。