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C.C.P  作者: 151A
統制地区 ~Control.City~
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エピソード28 止まらない時間

 独りで迎える朝はとても寂しい。

 スイはベッドで寝返りをうち枕に頬を埋めて現実を逃避するがそんなことで時計が情けをかけてくれることも、動きを止めてくれることも無い。確実に時は進み、スイの起床時間を少しずつ過ぎて行く。

「………………だめだ」

 むくりと身体を起こして毛布を払い落とすとボサボサの髪を手櫛で整えて夜の間に冷えた床に素足を降ろす。足の指先で靴を探ったがなかなか見つけられずに仕方なく前屈みになってベッド下を覗くと、昨夜寝具に潜り込む時にどんな脱ぎ方をしたのか覚えていないが随分と奥の方に転がっていた。

「ああ、もう。朝からこれじゃ、今日も良いことなんて起きないに決まってる」

 うんざりとしながらベッドから滑り降り、冷たい床に膝を着けて手を伸ばした。同世代の子たちに比べ成長の遅いスイの手はどんなに伸ばしても靴に届かない。

 それすら悔しくて腹を立てながら四つん這いになって潜り込んで漸く靴を取り戻すことに成功した。

 埃まみれになりながら這い出して立ち上がると、まずはベッド傍に丸めて置いておいた靴下を穿き、トレーナーとスウェットパンツを脱いでTシャツとハーフパンツを身に着ける。最後に苦労して取った足首まである靴を履き紐をきつめに縛って蝶結びをした。

 学校の準備ができている鞄を掴んで玄関に置き、顔を洗面所で洗って朝食を食べる為に部屋を出る。

 今日は帰りが遅いのかタキもまだ帰っていない。

 その事が酷く不安で心細かったが、隣室の扉を叩く前にポケットから手鏡を取り出していつものように明るく笑えるかどうかを確かめた。

 スイに元気がないとみんなが心配する。

 兄たちだけでは無く、隣人であるホタルやアゲハも。だからどんなに調子が悪くても、そんな気分ではなくても口角を上げて笑みを刻む。スイが笑うだけでみんなが安心してつられたように笑ってくれるのならそれは苦行では無い。

 心でどんなに泣いていようと、恐がっていようとも表面上だけなら幾らでも笑顔を作ることは可能だ。

「……よし」

 鏡をしまってスイは扉をいつものように叩いた。楽しげに聞こえるように軽くリズムを刻むように小刻みに。

「おはよう。スイちゃん」

 施錠を解除する音が聞こえ、扉は直ぐに開けられた。そして迎え入れてくれるアゲハは柔らかく微笑んで挨拶をする。端麗な上に優美さもあるアゲハは綺麗な銀色の髪を長く伸ばしている上に、言葉遣いもあって女性的だ。

「おはよう、アゲハ。今日もホタルは研究室?」

「そう。最近毎日泊まり込みで帰ってこないからちょっと心配だけど。研究が進むかもしれないって言ってたから、必死なのかも」

「真面目だからね、ホタルは」

「頭にクソがつくくらい。あ、鍵かけてからきてね」

 ゆったりとしたVネックのアイボリー色のセーターの袖を肘まで上げながらアゲハは廊下を歩いてリビングへと入って行く。

スイはしっかり鍵をかけてからその後に続く。

「今日はタキも帰って来てないんだ」

「そうなの?タキちゃんもシオちゃんもなに考えてるのかしらねー……。スイちゃんを独りにして」

「しょうがない。仕事だし」

「シオちゃんは違うでしょ」

「シオは――」

 喧嘩をしたのも初めてなら、こんなに長い間離れたことも初めてだった。直ぐに帰って来るだろうと思っていたのにシオはあの日から一週間経っても戻ってこない。

 素直に本心を口に出来ない性格の次兄はきっとどうやって謝っていいのか解らずに困っている間に時間が経ち、今更どんな顔して戻っていいのかと悩んでまた日が過ぎたのだろう。


 謝らなくていいのに。


 ただ帰って来てくれさえすれば、スイが謝って仲直りするから。


 立ったままでぎゅっと唇を噛み締めているスイにアゲハが困ったように微笑む。キッチンでコーヒーを入れてリビングのテーブルへと移動しながら「そんな所で立ってないで、朝ご飯食べましょうよ」と誘う。

 頷いてスイはいつもの席へ座り、用意されているポテトサラダとオムレツを前に手を合わせた。

「いただきます」

「はい、どうぞ」

 オムレツにフォークを差すと中からトマトソースで味付けた豆が出てきた。人参と玉葱と挽肉も入っていて口に運ぶとスパイスの香りがするが、それがなんという名の香辛料なのかスイには解らない。

 ただ少し甘めの卵が全てを包み込んで調和しており、独特な味だが食べ進めると癖になる感じで美味しくなってくる。

 アゲハの料理は意表をついた物が多く、食べるたびに色んな発見があり楽しい。どこで覚えてくるのか知らないが、彼は様々な国の料理をアレンジして調理しているらしい。

 逆にホタルの作る物はシンプルかつオーソドックスだ。冒険はしないが、その分安定した味と手際の良さで素材と出汁を生かした料理で身体に優しい。

「料理って、作る人の性格が出る気がする」

「そんなこと言われたら作るの、ちょっと躊躇っちゃうんだけど?」

 苦笑いして小首を傾げるアゲハは、手作り料理でばれてしまうような性格とは一体どんな物なのかと危惧しているようだ。

「しかも私の作る料理って独特で好み別れるような物だし――まさか、そんな風に思ってるの?スイちゃん」

 ハッと表情を消して自分の作った料理をしげしげと眺めてから、恐る恐ると顔を上げてスイを窺ってくる。

 その動作全てが可笑しくて思わず吹き出す。

「違うって。そうじゃなくて。アゲハといると色んな発見があって楽しいし、固定観念に囚われない自由な発想の持ち主なんだなって」

 笑いながらアゲハの印象を伝えると、少し拍子抜けしたように目を丸める。そしてふわりと笑って「ありがとう」と呟いてきた。

「アゲハ?」

 ただその笑顔の裏にどこか孤独を感じさせ、スイを落ち着かなくさせる。美しいコバルトブルーの瞳を伏せて「自由過ぎて、世界から踏み外したら意味がないのにね」と自分の愚かさを詰るように続けた。

 スイはアゲハの個性をとても素敵なことだと思っていた。自分の思いを、考えをぶつけて絵という芸術へと昇華させるには色々な物から解放され自由でなければならない。

 その点でスイとアゲハの感性はとても近く、理解しやすい物だった。

 それをアゲハは愚かだと決めつけている。他人が受け入れられない物は価値がないと諦めているようだった。

「意味ってそんなに大事なこと?」

 頭を振ってから確認するとアゲハがなにを言い出すのかと視線を上げて怪訝そうな顔をした。「意味を求めるから、意味がないって思うんだよ」その瞳を覗き込むようにしてゆっくりと口にする。

「全てに意味を求めたら苦しくて何もできなくなる。自分を曲げてまで他人の評価や世間体に拘るのは弱さの表れだ。折角誰よりも自由に、柔軟に考えられるのにアゲハが否定しているなんて悔しすぎる。その力は銃よりも強いし、どんな困難なことも乗り越えられる無限の可能性を秘めているのに」

 強い感受性はそれだけで脆い。自分の内面にだけ豊かであればいいが、それは等しく外へ又それ以上に過敏になっていく。明確になって行く他者との違いに悩み苦しんで、心の平衡を狂わせてしまうことに繋がる。

 そうなってしまったら悪循環だ。

 負の連鎖と自己嫌悪の無限ループで立ち上がれなくなる。

 アゲハのアレンジ料理がギリギリの所で調和を保っているように、彼の精神もきっとホタルの存在と支えでなんとか闇に落ちずに済んでいるのだろう。


 だからこそスイは伝えなくてはならない。

 

「この国は外からの締め付けが厳しくて正直折れそうになる。でもそんな国だからこそ心だけは自由に、思考だけは誰にも侵されずにいたい。ううん。いるべきだと思う」


 自分だけの価値観や意識、想像力は悪では無く希望なのだと。


「自由は罪じゃなく力だから。今日を力強く生き抜くための活力であり、未来を夢見る希望の光なんだと信じてる」

 例え踏み外してしまったとしても、どんな世界にいても自由な心は大空を渡り、海に満ちてやがて大地に根付く。

 小さな芽を出し、それが花を咲かせ、大樹と成れば幸せだ。

「だからアゲハも信じて欲しい」


 自分の力と可能性を。


「スイちゃん……私」

「あっと、ごめん。学校行かなきゃ。遅刻する」

 話の途中だが時計の針は待ってはくれない。家を出る時間を回っているのに気付いてスイは食事を残して立ち上がる。

「これ、帰ったら食べるから取っておいてくれる?」

「いいけど……。夜ご飯なら別の作るわよ。色んな発見ができる楽しい食事をね」

 漸くアゲハが片目を瞑っていつもの笑顔で冗談を言う。ほっと胸を撫で下ろし「どっちも食べるから、ちゃんと取っておいて」身を乗り出して右手を突き出す。ぎゅっと軽く握った拳をアゲハの肩にこつんとぶつけ「行ってきます」と言い置いて玄関へと走った。

「気を付けてね。いってらっしゃい」

 追いかけてくるアゲハの声に「は~い」と応えて鍵を開けて、自宅へ戻り玄関の鞄を掴むと飛び出してしっかりと鍵をかけて階段を駆け下りる。


 伝わっただろうか。


 白い紙に向かってなら思いをぶつけることができるが、言葉にするとなると難しい。今まで近しい人といえば兄たちと孤児院のミヤマぐらいで、ホタルやアゲハといった全くの他人と親しくするのは初めてだった。

 だからどう言ったら伝わるのか、こういう時どうしたら正解なのか解らない。

 ただアゲハが自分を嫌悪して、自分自身を蔑んでいるのが許せなかった。

「優しすぎるんだ、アゲハは」

 通りを走り、アパートから一番近い駅へと駆けこんで改札を抜けて丁度停まっていた電車へと乗り込んだ。いつもより遅い時間帯の車内はかなり混みあっていて窮屈だった。

 体温と匂いと空気の悪さにスイは顔を顰める。

 本当に今日はついていない。

 目覚めは悪いし、靴はベッドの下、それを取るために埃だらけになり、朝食途中で登校しなければならない。

さらにこの混雑。

「最低だ――」

 渋面のまま入口に嵌め込まれた硝子の向こうを眺め、その暗闇に必死で目を凝らす。なにも見えないが、それでも誰かと目が合うのも酷く気まずいし、相手が悪ければ難癖つけられて面倒事に巻き込まれることも多い。

 視線を合わすなど正気の沙汰では無かった。

 眩い光が前方から高速で流れてくる。電車は耳障りなブレーキをかけて停車し、扉が左右に開いて道を作った。

 スイは揉みくちゃにされる前に飛び出して改札へ向かい、学生証を見せて通過して階段を駆け上った。後は真っ直ぐ学校へと走れば遅刻は免れる。

 ざわつく人々の間を擦り抜けて見えてきた校門の前に数台の軍の車が停まっているのに気付く。紺色の軍服を纏った軍人が五人並び、その隣には校長の姿もあった。


 なんだろう。


 首を傾げながら学校でなにか事件でもあったのかと思いながら軍の車の横を通って校門を潜ろうとしたら校長がスイを見て指を差した。軍人が頷いて動きこちらへとやって来る。その時になってやっと軍人の目的がスイなのだと気づいた。


 やばい。


 理由は解らないが、今日が最低最悪な日なのは疑いようも無かった。

 咄嗟に逃げることも抵抗することもできないまま、両脇から軍人に腕を取られて動きを封じられる。

「放せ!なんで?どうしてか、説明しろっ」

 叫ぶが保安部の人間が親切に説明などするわけがない。車の後部座席のドアが開けられ、嫌がるスイの頭を無理矢理中へと押し込む。無我夢中で手足を動かして抗うが、紺色のズボンに白い靴跡をつけるぐらいしかできなかった。


 なんで?


 頭の中は疑問符だらけだ。

 スイがなにをした。

 静かな生活を望み、質素に慎ましく兄妹で生きてきただけだ。


 それなのに。


「いやだ!!」

 どこにもいきたくないと叫んでも、軍人も校長も取り合ってくれなかった。絶望的な中でスイの両脚が掴まれ、前の座席にしがみ付いている腕を後ろから捥ぎ取られて乱暴に放り込まれる。

「いやだ!下ろせ!出せ!」

 無表情の軍人たちが見下ろし、ドアが勢いよく閉められた。その瞬間に左足を思い切り突き出して蹴り開けると軍人の膝頭にぶつかる。

 ざまみろと思いながら身を起こしてドアに飛びつくが、直ぐに向こうから押し返されて閉められた。

「ふざ――」

 続く言葉を口にする前に軍人の向こうから若い男が現れてひょいっとスイの顔を確認するかのように窓の向こうから覗き込んできた。

 さらさらの金茶の髪に青い瞳の男で、くっきりした二重と大きな目を縁取る長い睫毛、そして高い鼻梁と作り物のような美しい唇。派手な顔だが品があり、動きも洗練されていた。

 カルディアの人間だと直ぐに解る。

「良かった。間に合って」

 華やかな声で囁き微笑すると、軍人へと向き直ってこの部隊の責任者をお願いしたいのだが、と続けた。

 直ぐに階級章のついた男が歩いて来てスイには聞こえない声で何事か会話をし、若い男が紙の束を取り出して表紙を捲り、一番上のページになにかを書き込んで軍人に渡したことで決着がついたらしい。

 戻ってきた男がドアを開けて再び笑いかけてきた。

「どうぞ。お嬢さん。君は自由の身だよ。安心して出てくるといい」

「自由って……どうして?」

 見知らぬ男がどうしてスイを救うのだ。

 安心することも自由を喜ぶことも迂闊にできない。

「美術室の絵を描いたのは君だよね?」

 その時になってスイは昨日絵を描いた後片づけもせずに帰ったことを思い出した。美術室の絵とはきっと昨日の絵のことだろう。

「蓮の花の絵なら、そうです」

 なんとなく丁寧な言葉で答えると男は「だと思った」と頷く。どうやらスイは相手のことを知らないが、男の方はスイのことを知っているような口ぶりだった。

 そのことが酷く気持ちが悪い。

「その絵を売って欲しい――というか、もう買い取ったから君に権限はないんだ」

 ごめんね事後報告になってしまってと言った後、男は顔を横向けて軍の車の後ろに停まっている黒い高級車を見た。

 スイもつられて視線を動かした先に、確かに昨日描いた絵を持った黒いスーツの老人の姿が目に入る。

「どうして?」

「気に入ったからだよ。大事にするから」

「でも」

 あれはあまりにも不穏な絵だ。カルディアに住む人間が大事に愛でるような代物では無い。

「あれが、いいんだ」

 有無を言わせぬ口調にスイは頷くしかなかった。そして手を引かれ車から降りると男は未練なく去って行く。

 なにがなんだか解らない。

 ただ、助かったのだということだけがじんわりと伝わってくる。

「訳が分からない」

 それでも、時間は流れ始業時間の鐘が鳴った。軍の車が走り去り、校長が授業に出なさいと促すので足を動かして校内へと歩いた。


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