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C.C.P  作者: 151A
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エピソード177 地上で生きる者たち


 爽やかな風が吹き抜けて緑と土の匂いを運んでくる。薄らと目を開けると白いカーテンが柔らかな光を受けながらひらりと翻った。

 頬を撫でる微風には昼間の熱さを感じさせず、ただ穏やかな気配だけを感じさせた。

 陽光はくっきりと部屋の家具の影を床に浮き上がらせて、ここが安心できる自室の寝室であることを知らしめてくれる。

 横向きで寝ていた身体をゆっくりと上向きにすると、ミントブルーの天井が目に入る。寝室が明るいのは好みでは無いので灯りは壁につけられた鈴蘭型の間接照明が幾つかあるのみだ。

 陽のある時間帯に眠っていることに罪悪感を抱くが、死にかけた身としては致し方ないことだろう。

 ひとりで寝るには広すぎるセミダブルの寝台には肌触りの良い肌掛けがかけられ、身じろいだ身体に軽く纏わりついている。

「……起きたのか」

 衣擦れの音が聞こえるが足音は全く無い。ただ近づいてくる際に動く空気の流れが彼の動きを伝えてくる。

 きっといつものように寝室の入り口の脇に置いてあるカウチに座っていたのだろう。

「調子はどうだ?」

 視界の端に茶色の髪が映ったのでそちらへと顔を向けると、くっきりとした二重の下にある金の瞳が細められる。

「……大丈夫。少し喉が渇いた」

「頑張り過ぎだろうが、まったく」

 取ってくると言い残して青年は足早に寝室を出て、続き間にある部屋へと消えた。侍女に飲み物を頼む微かな声がここまで聞こえるのは、きっと誰もが多くを語らずに喪に服しているからだろう。


 多くの人命が失われたから。


 内乱や反乱、そして戦争に駆り出されて者や工場へと連れて行かれた者。それだけではなくこの国を襲った自然災害では住む家や家族や友人知人を失った者は多い。

「……私も」

 目蓋を下ろして父の姿を思い出そうとするが、脳裏に浮かぶのは威厳のある強健な父では無く、棺に納められた無残に殺され痩せこけたみすぼらしい男の最期。

 災害の後で行われた葬儀は例を見ないほどの簡略化されたものだったが、漸く意識の戻ったばかりの身体に鞭打って出席したが結局最後まで見送ることはできなかった。

 その後一週間熱を出して寝込んだが、やらねばならぬことは多く、そして近隣国からの訪問もひっきりなしに訪れていたからゆっくり寝台に横たわっている暇は与えられなかった。

 周辺国の使者は次の支配者がどんな人物でどのような国を築くのかを探りに来ていたが、その殆どが災害で損失した分を支援しようと援助を申し出てくれたのは有難い話しだ。

 だからこそ蔑ろにできず、体調不良を理由に寝ていてばかりもいられなかった。

 体力は根こそぎ奪われ、ぐったりと疲れ切り夜中に熱を出しては医者が駆けつけるという日々を送っている。

 だがそうして忙しく働いていれば余計なことに思考を回さずに済み、悲しみに暮れる隙も無いのは正直助かった。

 裏切りや喪失に傷ついた心を癒すのは、時間と他者の優しい思いやりだけだ。

「……寝てんのか?」

 目を閉じている間に戻って来た青年が少し不服そうに問いかける。折角持ってきてやったのにと文句を垂れる声に我慢ができずに吹き出した。

 面と向かって不満や耳の痛いことを口にするのはもう彼しかいない。

「いつまで傍にいてくれるつもりなのだ?」

 だからこうして素直に不安な気持ちを伝えられるのだが、青年は眉根をキュッと寄せて「いつかは帰る」と不機嫌そうに答えて常温のレモン水の入ったコップを突き出してくる。

 彼は嵐が治まって直ぐに兄妹で暮らしていた統制地区のアパートへと急ぎ帰った。だがそこには荒らされた部屋と人の気配が失われており、兄妹の安否もどこにいるのかも解らないまま放心した顔で戻って来たらしい。

 本当は探そうと思えば探し出せるのだろう。

 だが彼はこうして自分の傍にいてくれる。

「……約束しただろう。お前忘れたのか?」

「約束?さて、どれだろうか」

 考えあぐねるほど沢山の約束をした覚えはない。

 だが傍にいてくれる理由となるような約束はついぞ記憶になかった。

「北の国でディセントラへと向かう道中でお前が言ったんだ」

 なにを、だろうか。

 狼狽えていると金の瞳に剣呑な色を乗せて睨んでくるが、それを笑顔で受け流す。

「終わったら弱音を吐くから、その時はしっかりと愚痴を聞いて欲しいって……言った癖に忘れてるんじゃ世話ねえや」

「そんな」

 その場の雰囲気で交わされたささいな言葉を覚えていたとは。

 だが。

「そう言う男だ。君は」

 ふふっと笑うと片頬を歪めて嫌そうな顔をしたが、そんな顔をしているのを見るのが案外不快では無い自分がいることを最近は面白く思っている。

 今はとても弱音を吐いている場合ではないから、きっと落ち着くまでは居てくれるつもりなのだろう。

 受け取ったレモン水は甘酸っぱくて、喉をすっきりとさせ渇きを潤していく。

 この国は新たに生まれ変わる。

 誰もが平凡を享受できる豊かで平和な国へと。

 必ず。






「なんだよ、また来てたのか?」

 サビオと言う名の少年は大人びた表情で、手押しポンプの傍に座り込んでいるホタルを見て呆れたように呟いた。

 検査キットを広げて水質検査をしたが、やはり正常値であることを示す数値が表示されている。

 ホタルは一旦高価なキットを横に置いて水の流れる管の入り口をしげしげと眺めていた時だからきっと間抜けな姿に見えただろう。

「お邪魔させてもらってるよ」

 振り返ってから挨拶するとサビオは大仰に嘆息する。

 急ぎ足で横に来ると「今度はなに調べてんだ?」と膝に手を当ててホタルが見ていた場所を覗き込む。

 好奇心の強い少年はなんだかんだとホタルの訪問に難癖をつけてくるが、こうしてなにをしているのかと興味津々で食いついてくるのだから素直じゃない。

「この国の水の数値は飲み水にギリギリ適さない数値なんだけど、ここだけは例外でね」

「ふ~ん。なんで?」

 メディアが齎した解放と浄化への力は荒々しいまでの威力でこの国を揺るがしたが、人類を滅亡させるには至らなかった。

 それはきっと彼女が「人の運命は人に」委ねると言った通りなのか、多くの死者を出したが概ね善人は生き残ったと言える。

 そして水質の浄化が不完全なのも、汚染地区が未だに人が立ち入れないくらいの濃度であることも、人の可能性と過去の汚点を残すことで警告を与えているのだろうとホタルは思っていた。

 いつかは安心して水を飲み、作物を育て、風を思い切り吸い込めるようになればと願っている。

 忘れてはならないのだ。

 過去の過ちも、人間の愚かさも。

「なんで、だろう?」

 サビオの質問にとぼけて首を傾げると、友人の笑う顔が見えるようで胸がチクリと痛む。

「それを調べるんだろ?」

 違うのかと少年が唇をつき出すので、その頭を優しく撫でた。

 彼もまた両親を災害で失い、行く所が無くてこの孤児院へと身を寄せているのだ。第八区にある古びたミヤマの孤児院は支援金をつぎ込んで補修され、見違えるように見た目だけは綺麗になった。

 慈しみ育んだ少女に看取られながら一生を終えたミヤマの寝室や内装自体はそのままにされている。

 もちろんスイの意向で。

 そしてミヤマの意思を継いで孤児院を始めたスイは毎日忙しそうに動き回っている。年がそう変わらない子供たちを叱り、親を恋しがる子を不自由な腕で抱き締めて。

 掃除や洗濯は子供たちが率先して当番を決めて取り組み、協力して生活している姿は総じて逞しく明るい。

「一緒に秘密を暴いてみる?」

「いいね!」

 瞳を輝かせた少年の顔を見ているだけで、この国の未来に期待を抱くには十分だった。ホタルは持ってきていた工具を使って台座に固定されているボルトを外す。錆びついたボルトを回すだけでも一苦労だったが、サビオが手伝ってくれたので汗だくになりながらも数十分で本体を取り外すことができた。

「へえ、こんな風になってんだ……」

 横倒しにして地面に置かれた本体とその中で上下運動をして水を汲み上げるために重要な役割を果たすピストンをしげしげと眺めて「意外と簡単な構造なんだな」と素直な感想を述べる。

「どこに秘密があるのか……おっと」

 水口の部分を見ようと持ち上げると白い欠片が落ちてきた。卵の殻のような手触りだが、それよりはもっと厚みがある。

 中から出てきたのだから本体の奥になにか入っているのだろうと覗き込んだが、丁度カーブがありその先はよく見えなかった。

「……外すか」

 それしか方法は無い。

 タキが施した清浄な水を作り出す仕掛けが壊れてしまうかもしれないという恐れと、逆になにが隠されているのかを知りたいと思う探究心が鬩ぎあい、結局はホタルも研究者としての知的好奇心に負けた。

 水口と本体の接合部分を捻るようにして動かせば、意外と呆気なく取れてその部分を顕にする。

「貝殻?」

 こんな所にと怪訝そうに首を傾げるサビオを尻目にホタルは心の中で「そうか」と呟いた。

 水口にぴったりと合うような大きさの巻貝を探して歩くタキを思い浮かべて苦笑いする。

 ホタルの手の甲くらいの巻貝は結構大きく、その中の螺旋状の道を通って流れる水はタキの力と優しさを糧に清らかな水を兄妹たちに与えたのだ。

 貝の形状や水の通り道となる入口がどのようになっているのか詳しく知りたかったが、これ以上手を触れれば十数年は経っているこの貝が失われてしまうだろう。

 そんなことは望んではいない。

 そっと水口を戻しているとサビオが「取り出して見ないのか?」と不満げな表情を浮かべる。

「これはね、スイちゃんの兄さんからの贈り物なんだ。だから元通りにしておこう。サビオもこれにはもう触れないで。約束できるかな?」

「スイの、兄さんって行方不明の?」

 サビオが真剣な顔で聞いてくるが、彼が思い浮かべているのはタキかシオか。どちらも行方不明者として扱われているから返答に困る。

「一番上の方」

「じゃあ反乱軍の頭首の」

「そう」

 タキは何者かと水力発電所の防波堤で戦い、その際に海に落ちたとされている。フルゴルと副官が駆けつけた時にはその姿はどこにもなく、水面にタキのドックタグが浮かんでいたらしい。

 それは首領自治区で災害を生き延びたスイが反乱軍のアジトへと兄を訪ねて来た後で返されたが、彼女は兄の死を頑なに拒んだ。

 遺体を見ぬままその事実を受け入れることは難しい。

 結局は行方不明として捜索願が出されているが、タキもシオも依然として足取りも生死も確認できていなかった。

 いつかきっと再会できると信じていられる方が幸せだ。

「さてと。元通りにして帰ろうかな」

「なんだよ。会って行かないのか?」

「僕だって忙しいんだよ。留学の準備とかで」

「いい御身分だな。相変わらず」

 フンっと鼻を鳴らしてサビオは本体を取り付けるのに手を貸して嫌味を零す。本当のことなので「まあね」と返すが、未だにこの国は改革途中の変遷期で問題がそれこそ波のように押し寄せている状態だ。

 そんな中で学生へと戻ったホタルは、技術者や科学者を育てるために人材を受け入れようと門戸を開いてくれた沢山の国の好意に甘えることにしたのだ。

 水の研究を続けてこの国をもう一度水の国と称される豊かな国にしたいという夢を叶えるために。

「水に携わることで彼と繋がっていると思いたいんだろうね」

 タキは自分のために生きろと言ってくれたから。

 やりたいこと、できることを取捨選択して後悔のないように生きたい。

 共に戦い災害を生きて乗り越えた仲間はそれぞれ違う場所で国のために尽くしてくれている。

 振り返ってみれば本当に色々なことがあったと思う。長かったように感じる道程も年月に換算すればたかだか数カ月の中の出来事だ。

 みんなが辛酸を嘗めて、多くを失い苦しんだ。

 それでも時間は留まらずに流れ続ける。

 キョウは保安部を辞めて傷を癒しながら日々を丁寧に過ごしている。時折庭に咲いた花を持って墓参りへと出かけて行くが、その時は誰の付き添いも拒み自分で車を運転して行く。

 末妹のヒビキが混乱の中で何者かに攫われており二カ月ほど安否が解らなかったと聞かされたのは、災害後に様子を見に屋敷へ戻った時に再会した父からだった。

 異能の民の手に囚われ愛娘をたてにされた父が途中から彼らの言いなりになって権威を失ったのだと告白されて驚いたが、更にヒビキが帰宅を嫌がっているという点については驚愕するしかない。

 ヒビキは革命軍によって保護され、アオイの護衛隊から無事であることを告げられた。喜び勇んで迎えに行った父は会うことさえもできずに気落ちして帰ってきたのだから天地がひっくり返るほどホタルは仰天した。

 何度かホタルも会いに行ったが、ヒビキは城の離れに引きこもっているばかりで面会の許可は下りなかった。世話をしてくれている少女がすきっ歯を覗かせて微笑み「なにかに一生懸命に取り組んでいる間は大丈夫だから」と追い返された。

 いつかは戻って来るからと父を励ましている内に、ぎくしゃくしていた父子の関係が次第に良好になっていったのは不思議だ。

 そしてアゲハは第八区の子供たちを集めて青空教室なる学校のようなものを始めた。午後からは家の手伝いや仕事のある子供たちのために午前中だけ行われるささやかな授業だが、評判は上々のようで国の役人が視察に来て他の地区でもやって欲しいと交渉している最中らしい。

 常々学びの場が失われた子供の現状についてアゲハは嘆いていたから、国が動き始めたことを喜んでいた。

 今はまだ全ての国民に学校で授業を受けさせるまでは行き届いていない。復興や経済安定が先だと叫ばれているからだ。

 だからこそアゲハのような人間が必要なのだろう。

 感じやすい心を持った弟は戦いを経て成長した。

 眩しいほどに。

「会わないで帰したらおれがアゲハに怒られちまう」

「だってまたスイちゃんに付き合って海に行ってるんだろう?だったらいつになるか解らないし」

 スイは自治区と陸軍基地の境目にある白い砂浜に足を運んでいる。そこに行くとタキがいるような気がして、と少し思いつめたような顔をするから治療中の身体で長距離を歩くのは止めた方がいいとは言えなくなるのだ。

 彼女なりにタキの力について薄らとなにか感じるものがあるのだろう。

 海とタキを結び付けて考えるのだから。

 異能の民との戦いの中で能力者により受けた傷が悪化し壊疽した左腕を付け根から切断せざるを得ずにスイは最近隻腕となった。

 右腕は幼児くらいの握力しかないため、日常生活は不便だがスイの根性と持ち前の明るさと元気さで孤児院はいつだって賑やかな声が溢れている。

「じゃあ、また来るから」

 悲しみを乗り越えて人々は歩き出す。

 どんな時でも力強く、前向きに。

 世界的規模で自然災害は起りつつあり、彼女の世界解放と浄化への強い思いは徐々に波及し始めている。

 全てが終わった時に吹く風がなにを運び、大地に根付くのかを想像するだけで胸がわくわくする。

 絶えず波を打ち寄せる海を越えて、空にいる多くの魂たちが見守る中で道を間違えずにどれだけ進めるのか。

「希望でいっぱいだ」

 世界に散りばめられた夢と可能性の光の粒は、人という生き者に多くの期待を与えてくれる。

 多くの約束が交わされ、その中で果たされたものは数少ない。

 反故にされた約束は風化して、次の約束を生み出す栄養となる。

「シオはきっと生きている」

 何処にいるのか解らなくても、それだけは確信を持って言えた。タキに頼まれた弟妹のことを放って留学することを友人は責めたりはしない。

 二年後に戻ってきて、それでもまだホタルの力を必要としてくれるのならばスイにもシオにもできるだけのことは精一杯しようと思っている。

 タキがいないこの国でスイとシオを兄のように支えよう。

「嫌がるかもしれないけど」

 全力で拒否するシオを想像してホタルは力強く未来への道を歩き始める。

 統制地区は新たな体制を築くことに尽力した反乱軍の名である“クラルス”という名称に変更された。

 その名の意味は“清浄”。

 落雷が執拗に何度も襲った壁は衝撃だけでなく火災も相まって殆どが焼失した。崩れた部分は取り除かれ今ではゲートが残るばかりで、カルディアもクラルスも境のないひとつの国となった。

 風通しも見通しも良くなった街はどこか清々したと言わんばかりだ。

 この国の中心である心臓カルディアを力強く動かすための血液を清浄クラルスが担う。

 片方だけでは成り立たない。

 そしてそこに首領自治区プリムスが加わって共存して行くのだ。

 歴史が変わる。

 未来も。

 希望は失われることは無い。

 共に手を取り合って過去の過ちから多くを学びながら、正しき道を行く限り地上で生を受け生きていく権利を与え続けられるとホタルは信じている。



長い間お付き合いいただきありがとうございました。

半年という長い間辛抱強く共に歩んできてくださった方、途中から参加してくださった方、そして完結を機にお読みくださった方すべてに感謝の言葉を。

ブックマークを付けてくださった方、感想をくださった方のお蔭で最後まで書き続けることが出来ました。

重ねて感謝を込めてこの物語を捧げたいと思います。


それでは機会があればまた新たな物語でお会いできれば幸いです。

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