エピソード176 終焉
握り締めすぎて温くなった銃把を掌の汗が滑らせる。廊下や階段に落ちている血痕を追いかけて進む先にヒカリの姿は無い。
ただヒビキを導くかのように点在する小さな血の跡を辿って行けば、いずれは追いつくことはできる。
シオの撃った弾はヒカリの左腕と右腿に着弾し、命を奪うことはできなくても痛手を与えることはできたのだから。
操られていたとはいえシオに銃を向けたこと、助けに入ってくれたシオの仲間を不可抗力ながらも撃ったことは、ヒビキの中に冷えたしこりのような塊を残して重くのしかかっている。
ヒカリは不思議な力を再び使ってシオの動きを遮ると、動揺しているヒビキを尻目に部屋を出て行った。
追っては来れまいと言われているようで悔しかったのもある。
だがそれ以上に胸から出血して倒れている仲間に駆け寄り、縋りつき必死で血を止めようとしているシオを見ているのが辛くてヒビキは部屋をそっと抜け出したのだ。
責められ、恨まれるだけのことをしたという自覚はある。
ヒビキの心が弱かったせいでヒカリの言葉に乗せられ、簡単に言われるがままシオを殺そうと動いてしまったのだ。
何度も同じ過ちを繰り返すなんて、自分がそれほど愚かだとは知らなかったと悔やんだ所で今更取り返しはつかない。
情けなくて、恐くて、その思いだけでヒビキは足を動かしている。
ヒカリは一階分の階段を下りて、二階の廊下を西へと向かっていた。稲光がカーテンの襞の影を濃くして、壁にヒビキの姿をくっきりと浮かび上がらせる。
動悸が激しすぎて雷鳴の音すら良く聞こえない。
荒い息遣いは自分のものとは思えないくらいに頭蓋骨の中で響いていた。
酷く興奮している。
恐さを突き抜けて精神が昂ぶっているのか。
荒々しい感情が自分の中に眠っていたことを知り、ヒビキは驚愕と共に安堵した。ひとり撃った後で、もうひとり殺めることなど造作も無いことのような気がして。
「…………大丈夫。殺れる」
身の内で流れる血潮の滾りを感じながら、ヒビキは離れと本棟を繋ぐ通路へと差し掛かった。
世界が青白く染まり、影を壁や床に刻みつける。
空を切り裂くように落雷し、空気と大地を震動させて丈夫に作られているはずの城さえも大きく揺れ動かせた。
湿気のある風が吹き抜けてヒビキは口内に溜まった唾液を、音を立てて飲み込んだ。
「ヒカリ」
呼びかけは上擦っていて、無様にも震えていた。
ヒカリは壁に背をあてて口を開いて喘いだ後、美しく弧を描いて唇を綻ばせる。
「……ぼくを追いかけて来られるほど君がそんなに強いとは思っていなかったよ」
素直な賞賛だったが嫌味に聞こえるのはヒカリの態度が横柄だからだろう。綺麗で整った容姿をしているが、口調や行動の端々に自分は人とは違う特別な人間なのだと滲み出ている。
言葉だけ聞けば丁寧で柔らかいのに、ヒカリの声が乗ると上から物を言っているように聞こえるのだ。
「残念だけれど、私もそう思う」
常に受け身で相手の顔色を窺って嫌われないようにと生きてきたヒビキに弱さはあっても、強さなど存在しないのだと思っていたから。
人間どん底へ堕ち、底辺を味わえば備わっている狂暴性を顕にするものなのかもしれない。
「恐くないのか?」
ぼくの力が。
忌まわしき記憶が。
雄弁に問いかけてくるヒカリを前に逃げずに留まることができている自分を誇らしく思う。
勿論恐い。
それでもこの男がいる限り、ヒビキはいつ蘇るとも解らない生々しい記憶を利用されないかと恐れなければならないのだ。
そんなこと我慢できない。
「恐れてばかりいては、なにも解決できない」
乗り越えることも、先へ進むことも。
右腕を真っ直ぐ上げてヒカリの額へと狙いをつけ、左手を銃把の下に添えて固定する。命を奪うゲームは終わってなどいない。
軽々しく命を扱う者にはそれなりの報いが齎される。
ヒカリにも。
そしてヒビキにも。
「私たちはきっと、試されているのだわ」
どちらの願いが強いのか。
どちらがより貪欲で、愚かなのかを。
「――勝負よ」
重い引き金を力一杯引けば、通路に反響した銃声の最期の余韻を木霊させて硝煙を燻らせる。
銃口が反動で上を向き、銃弾は天井へとめり込んでいた。
ヒカリは真っ白な顔をして笑い「勝負はぼくの勝ちのようだ」と告げる。
「いや、まだだ」
背後から伸ばされた血だらけの右腕がヒビキの手を銃把ごと握り力強く支えてくれた。耳元で「引け」と囁かれて素直に人差し指に力を入れる。肘が痛くなるほどの衝撃だったが次はぶれること無く目標へと進んで行く。
轟いた雷が窓硝子を打ち破り、廊下に火花を散らした。床が降り込んだ雨で黒く濡れ、焦げ臭い匂いが充満していた。
どこをどう歩いてそこへと至ったのか自分でもよく解らない。
ただ人のいない場所を探して進んでいたことだけは確かだった。
中途半端に開いていた両開きの扉の前に行き当たり、何気なく覗き込んだその部屋が総統の執務室であると気づいたのは寝椅子に四肢を投げ出して息絶えているカグラの姿を見たからだ。
勿論すぐにその人物が総統であると解ったわけでは無い。
テレビや雑誌、肖像などで見知っている総統とは様子が恐ろしく変わっていた。
肩幅が広く筋肉のついていた武に長けていた男だったはずだが、頬がこけて尖った印象の顔が余計に鋭くなっていた。眼窩は落ち窪み、服の上からでも痩せた身体が解るほどで、艶やかだった黒髪が白髪の本数が増えて灰色がかって見える。
一気に老けた――。
カグラは齢五十九になるが、そうは見えないほど若々しく壮健だったはず。
キイッ――――。
絨毯が赤く染まり、遠目にも死んでいるのが解る総統を前に思考を停止していたホタルの耳に椅子が傾いでたてる微かな音が聞こえた。
「誰か……」
いるのか。
総統が死んでいる部屋に平然と居座っているのだから、まず間違いなく殺害した人物だろう。
何故逃げずにその場に留まっているのか。
あまりのことに鈍っている脳を懸命に動かして考えるが、ホタルにその心理は全く理解出来ない。
恐いのに、確かめずにはいられないそんな奇妙な矛盾に突き動かされる。
胸が痛いほど脈打つ心臓を押えながら、そっと扉の隙間から中を窺う。広い部屋にはカーテンが引かれて薄暗いが、時々明滅する青白い光に照らされて細部が見えた。
明らかに高そうな大きな壺は禍々しいほどの色彩で浮き上がり、幾何学模様の壁紙と深い青地に白い色で水が渦巻いているかのような不可思議なデザインの絨毯。黒い革張りの寝椅子と黒壇のローテーブル。天井には執務室には不要なシャンデリアが煌めき、立派な執務机には目を通していないことが解る書類や資料が山になって重なっている。
その隙間から閃光の中で、仄かに白く麗美な面を輝かせている男の姿が見えてホタルは背筋に嫌な汗が流れた。
黒い髪を後ろに撫でつけて瑕ひとつ無い額を見せているが、その綺麗な肌に黒い銃痕を刻んで死の縁を彷徨ったのを知っているのはホタルとセクス、そしてシモンだけだろう。
本人すらその無残な傷痕を見ることは叶わなかったのだから。
「…………一足遅かったようですね」
低い忍び笑いが部屋に響いて、ホタルが覗いていることをいつから気付いていたのか勝利を確定した優越感に浸った声が呼びかけてきた。
「ハモン――」
「やはりあの男では貴方を止めることはできませんでしたか。本当に迂闊で軽率な割にしぶとく、悪運に恵まれている」
貶されてホタルはそっと扉を開け部屋の敷居を跨いだ。
座り心地の良い椅子に座ったハモンが酷薄な笑みを張りつかせて迎えてくれたが、冴えわたるような美貌も冷たい雰囲気も総統の座に収まることで更にその魅力は増し、そして見るもの全てを怯ませる威圧感を噴出していた。
今まで悪政を布いてきた歴代の総統の姿と同じ。
智謀と冷静さを讃えられてきた若き参謀でも、その地位を手に入れた途端に同じ男へと成り下がるのだと知る。
総統の椅子がそうさせるのか、それとも欲する者の性根が似通っているからそうなるのか解らないが、アオイがその座へと上り詰めればきっと同じ轍は踏まないだろうということはなんとなく解った。
そうあって欲しいと思う、ただの甘い期待なのかもしれないが。
「ミヅキを私にけしかけたのはハモンの策略なのか?」
なんとも底意地の悪い策だが、友人同士を戦わせて愉悦に浸るなど参謀部の人間がいかにも好みそうなものだった。
だがハモンは心外だと言わんばかりに唇の端を下げてこちらを睨んでくる。
「違うのか?」
「…………愛だの、恋など、友情などと人はよく美談のように語りますが、そんなものにどれだけの価値があるというのか。私には解りかねます。ただの馴れ合いでしかなく、愛も友も心をくすませ、脳を堕落させる非常に無駄で邪魔なものですよ」
薄ら笑いを浮かべたハモンの中にはなにかが大きく欠けているかのように思えた。真実彼はそう思っており、強がりでも虚勢でもないのはその堂々たる姿から確かだ。
ただ正しい人間性という部分においてハモンは歪んでおり、それが幼少期に才能を見出されて養子に出されたことから来るものなのか、元々の持って生まれた本性なのかは解らなかった。
きっとハモンにも解ってなどいない。
辿って来た過去すらただの通過点で、そこに思い出や感傷など求めていないのだ。
「寂しい男だな……」
「なんとでも仰って下さい。負け犬の遠吠えにしか聞こえませんが」
「負け犬?」
「そうですよ。賭けは私の勝ちですから」
椅子の背もたれに体重をかけてふんぞり返り、満悦の表情を見せるハモンは下々を睥睨するように南へと向かって開かれている大きな窓へと視線を向けた。
そこには高い天井から床までの巨大なカーテンが引かれているが、ハモンにはその先に広がる景色が見えているようだった。
傅かれ、敬われて頂点に君臨した男が民を同じ人間だと認めぬまま奴隷のように扱って、生死を左右して喜んでいる姿が透けて見えた。
「まだ、終わっていない」
そんな忌まわしい未来など実現させてはならない。
そのためにアオイは反旗を翻し、ホタルとタキは奮起したのだから。カルディアと統制地区の人間が手を取り蜂起することができたのはこの国の行く末を案じ、現状に倦んでいたからだ。
カルディアも統制地区も同じく苦しんでいたから。
「お前にこの国を牛耳られては滅んでしまう」
「…………ならば、私を弑することができると?」
「弑する?お前は私の主君では無い。ただの簒奪者だろう?偉そうに。私が膝を着き、頭を垂れるのはアオイ様をおいて他にはいない!」
「見も知らぬ相手にそこまで忠節を誓えるのは愚かなのか、それとも純粋な莫迦なのか」
確かに会ったことも無い相手に忠誠を抱くのは難しい。耳に届くのは優しげで、弱々しい印象ばかりだが、それこそがホタルたちが望む統治者の姿だ。
他人の痛みを我がことのように受け止め、共に悲しみ、苦境から立ち上がるには圧政では無く、真の善たる者の清らかな願いと気高い魂が必要なのだ。
「ハモンには解らないだろう」
愛情も友情も邪魔だと跳ね除けるような男には一生かかっても理解できない。
人の気持ちに寄り添えない者には、甘い汁やおこぼれに授かろうと浅ましく卑しい人間しか寄ってこないのだから。
「貴方も解らないのですから、同じことです」
「賭けは私が統制地区を理想の姿にするのが先か、ハモンがアオイ様の謀反と閣下の傍近くにある邪魔者を排除し軍国主義の機能を取り戻すのが先か、シモンさんがこの国全てを手に入れるのが先か、だったな?」
ハモンは「ええ」とだけ応えて肘宛てに右肘を立てるとその上に頬をあててホタルの言葉を待つ。
「今ここでハモンを殺害できれば強敵を排除でき、私の勝利は近づく」
「そうですね」
簡単に答えの出る問題に興味は無いのか、ハモンは暗い瞳をじっとホタルへと注ぐ。
「元々賭けの代償として自分の命とこの国の未来を賭けていたのだからこれ以外方法も道もなかったんだろう」
「あの時に私を殺さずにいたことを後悔していますか?」
感情を殺しているのか、それともどんな思いも抱いていないのか。ハモンは無表情で問いを向けてくる。
「いいや」
あの時の判断が正しかったのか、間違っていたのかずっと悩んでいたが、あの場でハモンの命を奪っていれば異能の民に対抗する同志を失うことになっていただろう。
欲する願いは別でも、共通の敵は存在した。
異能の民を積極的に排除するような行動をハモンはしていないが、カルディアで鋭い知性と策謀で彼らの動きの牽制にはなってくれていただろう。
門に阻まれてカルディアに干渉できなかったホタルたちにとってハモンの存在は決して悪いものばかりでは無かったはず。
「今がその時」
物事には好機というものが必ずある。
陸軍基地で命を妹であるシモンに救われたハモンは、あの日あの時に死すべき人間では無かったのだ。
「成程」
首肯して立ち上がった男が何時の間に銃を抜いたのかホタルには見えなかった。狙いをつけるよりも先に発砲したのは射撃の腕に自信があったのか、それとも気の弱いホタルの気勢を削ぐためのものだったのか。
きっと両方だろう。
発射された弾は間違いなくホタルの胴体へと当たる軌道を辿っていた。
避けた所で着弾は避けられない。
ならば少しでも動きを損なわれない場所をと考えている間に弾はホタルを撃ち据える。
「―――――!?」
圧迫感と息苦しさに身悶えたが、弾が当たった感触も痛みも身体のどこにも無かった。あるのは頬や肌をひんやりと冷やす水しぶきと、濃厚な死と潮の香りを漂わせている空気。
銃弾が当たる恐怖に身構えて目を硬く閉じていたホタルはなにが起きたのかと恐る恐る目蓋を上げる。
部屋全体を埋める群青の絨毯が秘かに波立ち、白い泡と金の揺らめきで輝いていた。足首を抜ける水の流れは中央の渦から湧き出しており、徐々に水量を増していく。
その度に力強く打ち付ける波の音が部屋に響き渡り、ここがどこなのか解らなくなってくる。
「これは――?」
臍の辺りで水の膜に絡め取られるようにして留まっていた弾は、チリチリと微かな音を立てて回転を止めポロリと足元へと落ちた。
「……タキ?」
姿は無いが波間に光る金色の粒子を見ているとそこに友の存在を感じることができた気がした。
「貴女がマザー・メディアか?」
ハモンが苛立ちを籠めた声で呼びかけたのに気付き、ホタルは慌てて床ばかりを見ていた視線を動かして正面へと顔を向けた。
何故気づかなかったのだろうか。
燐光を放つ美しい女性がホタルとハモンの間に立っていることに。
しっとりとした品の良い顔立ちと、神秘的な目元は切れ上がり長い睫毛が影を落としている。緑だと思った時には青くなり、紫にも見える瞳は金の星を瞬かせて二対の至玉の宝石を思わせた。
白銀に輝く光のドレスは薄桃色の肌に馴染み、佇んでいるだけなのに顔の線を緩やかに強調する立ち襟の美しいレースや裾が軽やかに靡いていた。
「……人ならざる者が母と名乗るはおかしいか?」
澄んだ声は鼓膜を優しく震わせて甘美な響きを残す。
儚いのに優美で、圧倒的な存在感を示す女性は自嘲染みた笑みを浮かべて小首を傾げた。それがいかにも人間臭いのに、纏う空気も気配も明らかに人とは異なる。
強烈な違和感がそこにあった。
「女性を象った容姿をしていれば、人が母と呼び崇めたてるのは仕方がないでしょう」
「女性を象った……か。そもそも何故このような姿を得ているのか疑問であったが、人心を惑わし傅かせるには効果的であったというわけか」
悩ましげな嘆息は聞く者に落ち着かなげな感情を抱かせる。ホタルは息を飲み、ハモンは僅かに眉を寄せた。
「水底で生まれ、陸へと上がった時にはなにも解らぬ赤子同然であったが確かな望みと導く声が聞こえていたが、人に触れ多くのことを見知った今ではそれすらもあやふやだ」
「望みとはこの世界を手に入れることだったのでは?」
人の営みや現状を知ることで悲願である世界の浄化に戸惑いと疑念が湧いたのだろうか。
ホタルの問いかけに女は紺色に金の輝きを乗せて愁いに帯びた視線をまっすぐに向けてきた。
「世界は解放を望んでいる。そして浄化も。ただ人を心から拒絶しているとは言い難い」
「それは世界が?それとも貴女が、ですか?」
「天の尊き御方がどう考えておられるのかは解らないのだ。もうずっと彼の声は届いてはおらぬ」
白く長い指を胸に当てて寂しそうに呟く。
どこか心細げに見えるその風情にホタルの心はざわめいた。
「……他の誰のためでも無く、我がためにこの世界を欲した」
だが、と続けて胸元に置いていた手をそっと放して掌を上向けた。その手中に眩い金の光りを放つ球形のものが現れる。
「人は愚かで救い難い。しかし、だからこそ愛しい」
「はっ、愛などと言う言葉を口にするとは……。所詮貴女は不完全な存在なのでしょう」
蔑みに塗れた声に女性は悲しげな色を湛えて静かに頭を振った。
「完璧な者など存在しない。神とて誤りはする。ただそれを赦し、正すことができるのはあの御方のみ」
では正すために遣わされたメディアが人類の存続を望んだとしたらそれはどうなるのだろうか。
彼女の言う御方が是とするのか、否とするのか。
結局は手に余る物事にホタルは呆然とするしかない。
「妾は単なる媒体に過ぎぬ。この身を憑代にして天の意思と力を揮うだけの」
ただの媒体や憑代としての存在ならば彼女自身の思考や感情などいらないはずだ。それが与えられていたものなのか、後から目覚めたものなのか。どちらにせよそれが使命を全うしようとしている足を引っ張っているのは間違いない。
「……惨い」
一方的に通過していくだけの媒体から、彼女は双方の期待によって揺れ動き媒介としての存在へと変化せざるを得なくなった。
そして声が聞こえなくなったということは天から見放されたということか。
「じゃあ何故、今でも力を使うことができるんだ」
メディアの力は天の力。
完全に見限られたのであればその力も失うはずである。
「結末を、静観している?」
「かもしれぬ」
ならばどんな道を辿ろうとも最後まで手出しはしないだろう。
「貴女に全て委ねられているのか……」
ここへ来たということは彼女の中で結論は出ているのだ。
人類を滅ぼすか。
それとも生かすのか。
「世界の解放と浄化は成さねばならぬ。人の運命は人の手に」
妾は海へと還ろう―――――。
風が吹き、波が高くなる。
激しく打ち付けてくる荒波にホタルは足を取られて飲み込まれた。ハモンも揉みくちゃにされながら壁に叩きつけられ、意識を失ったのか力無く翻弄されている。
終わりを告げるかのような雷鳴を聞きながらホタルはこれが答えかと重く受け止めた。
世界の解放と浄化は嵐と母なる海の荒ぶるうねりで達成される。
――――ホタル。
名を呼ばれて水中で揺蕩っているのに息苦しくないことに気付く。
目を開けるとメディアが掌に浮かべていた金の光球が顔の前にあった。
――――ホタル。
呼びかけにタキと応えると金の光りが喜びに震えるかのように明滅した。
――――死は始まりだ、終わりでは無い。
「僕は死ぬんだね。やっと、楽になれる」
重責や色んなしがらみから解き放たれて自由になれるのだ。
――――ホタル、これからは自分のために真っ正直に生きろ。
祈りと願いを込めた力強い声は鼓舞するかのように胸の奥から聞こえるようだった。ホタルは静かに涙を流して目を閉じる。
何度も温かな声と温もりに励まされて。
穏やかな水中で漸く安堵し、深い眠りについた。