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C.C.P  作者: 151A
異能の民
176/178

エピソード175 生死



 天井の高い廊下を淀みない足取りで向かい、廊下の端に寄り足を止めて辞儀をする侍女を一瞥して通り過ぎる。城内は妙な静けさとピンと張りつめた気配に包まれており、働いている使用人たちにもその変化は伝わっているらしい。

 青白い顔で顔を俯けながら、物問いたげな様子を醸し出している。


 静かだ。


 総統が政務を執り行う部屋があるこの辺りには、最近はずっと耳障りなヴァイオリンの音色が常に響き渡っていた。

 それが今日は無い。

 身の回りの世話をする侍女が数名と、総統の言いなりになっている侍従たちくらいしか寄りつかないその部屋は城の最上階にあり、南へ向かって大きな窓を持つ豪奢なものだった。

 何度訪れても胸が悪くなるような派手で悪趣味な部屋。そこに辿り着くまでの道筋も勿体無いほどの金をつぎ込み、それを所望した人間のセンスの無さが垣間見られるような装飾がそこかしこに施されている。

 それでも沈鬱な音楽が聞こえないだけでも、幾分かは気分が良かった。

 ここ数年の中で心が一番晴やかなのは勿論それだけが原因ではない。

 朝一番で届けられた首領自治区の異変、午前中には第五区で海水が不可思議な動きをしていると報告があった途端に総統の傍で目を光らせている美貌の楽士が最近連れている辛気臭い男が城を出て行った。

 これはなにかあると察することは簡単だ。

 自治を認めてやると餌をチラつかせて連合軍のホタルを呼び出せば、法務部の男が出迎えに名乗り出る。

 その男が大学でホタルと共に学んでいたことは承知していた。怪しいと思っていたら、やはり異能の民側の人間だったとは案外奴らも間抜けだ。

 そこでホタルとセクス共々始末してくれれば助かるが、意外としぶとい上に強運の持ち主でもある彼を滅することは難しいかもしれない。

 革命軍側にも動きがあると目測して兵を向かわせたところ、妙な所で鉢合わせして戦闘を始めたというから、そろそろ幕引きが近づいていると考えて間違いがないだろう。

 両開きの扉をノックもせずに引き開ければ、カーテンの引かれた暗い部屋に饐えたような匂いが漂ってくる。

「閣下」

 呼びかけても反応がないのはいつものことだ。

 執務机にその姿は無く、広い部屋の中央に置かれている寝椅子に横たわりどこともなく見つめている水色の瞳にはなにが映っているのか。

 この国の未来でも、民の幸せでもないのは確かだ。

「閣下。このような暗い中でじっとしておられては気が塞がるばかりでしょう。光りを入れ、空気を入れ替えなければ」

「ひかり――そうだ、ヒカリはどこだ?」

 無感動な目にちらりと感情が湧き、反応を示す。だがそれも直ぐに沈静化し、ぶつぶつと意味の無い言葉を呟き始める。

 あれほど精力的で、野心に溢れた横暴な総統はどこにもいない。

 それを残念だと思いながら、懐古の情を抱くには自分はまだ若すぎた。

「以前のようにご自身の欲望に邁進する閣下であられればよかったのだが」

 腑抜けて身なりに気を使わず、怠惰へと身を落とした総統など必要のない人間だ。強さも傲慢さも持ち合わせぬ支配者などこの国に相応しくない。

 そして恐怖で人心を圧政出来ぬ者など使えぬ。

「他に代わりの者がいればよかったのですが、この国のどこを探しても意に添うような人間がいなかったのです。ならば、」

 この国の総てを統べる者が座る椅子に据える人材がいないのならば、仕方がないとも言えた。

 ゆっくりと寝椅子へと近づき、隙だらけの男へと銃を向ける。

「私が代わってこの国の総てを動かして見せましょう」

 虚ろな瞳はなにも見ない。

 己に死が突き付けられようとも無関心で横たわっているだけだ。

「……憐れな」

 自分ならばそんな最期など御免だと唇を引き攣らせて、抵抗の意思の無い総統の胸部と頭部に二発ずつ銃弾を撃ち込んだ。





 少尉と合流するか、それともアオイに頼まれたようにシオを手助けするかを悩んで、結局友人の弟を追うことを選んで正解だったと思う。

 激しく鳴り響く雷が横殴りの雨を連れて窓を叩く音が部屋に喧しいほど忍び入ってくる。

 人々や大地を押し潰さんばかりの勢いで黒い雲が覆っている空には、二度と青空など戻ってこないのではないかと思わせるだけの迫力と狂気があった。

 それを床に倒れて窓越しに見上げているのは正直本意では無く、できるならばこんな天気の時は狭い独り暮らしの部屋で釣り竿の手入れをして嵐をやり過ごすのがクイナのやり方だった。

 いつも期待できない釣果だったが、魚を釣ることに意味があるのではなく、未だ見ぬ大物の姿に思いを馳せながら竿を磨き疑似餌を作るのが楽しい。そして針のついた糸を垂らして待つ時のなんとも言えない充実した穏やかな時間がなによりも貴重な安息の瞬間なのだ。

 準備から始まり、海へと向かう一連の流れが大切なのだと解らない友人たちは「釣れない釣りのなにが面白いのだ」と首を傾げるが、釣りの奥深さと魅力は彼らには到底理解できないのだろう。

「……ああ、作りかけの疑似餌が」

 保安部に捕まったあの日、仕事から帰ったら色を塗って仕上げるはずだった疑似餌を思いだしクイナは無念さに小さくため息を吐く。

「クイナ、喋るな」

 声と共に押さえつけられる掌がぐっと力を込める。その場所が熱くて、苦しくて、息も上手くできない。

「しかもなんだよ、疑似餌って」

 眉根を寄せて顔を歪めるシオへと視線をやると、クイナは短く息を継いで笑う。

 確かにこんな時に部屋の隅に転がっている疑似餌のことを思い出すのなんて自分ぐらいなものだろうと苦く思う。

「釣りの、道具だ」

「んなの知ってる。おれだって」

 それくらい解ると目元を赤らめて綺麗な金の瞳を大きく揺らす。

「なんでだよ、なんで止まんねえんだよ!」

 叫んだ拍子に目に溜まった涙がボロボロと零れるのを黙って見つめながら、その事実をまるで他人事のように受け止める。

 クイナがこの部屋に飛び込んだ時にはシオは背中から少女に銃口を突きつけられて撃たれる寸前だった。死を覚悟し、受け入れることさえ決めているかのようなシオの姿は今まで見てきた生きることへ執着していた彼の姿とはかけ離れていた。

 だから許せないと思ったのだ。

 そんな簡単に生きることを諦めてしまうなんてシオらしくないと。

 怒っていたのだろう、深く考えずに少女の腕を掴んでその手の中の銃を取り上げようと揉みあった。全力で抵抗しても少女の力ではとクイナには敵わないと驕りがあったのかもしれない。

 ギリギリまで引き絞られていた銃は呆気なく弾を発射して、クイナの胸の中央へと吸い込まれて行った。

 痛みが無かったから、一瞬実感が伴わずに笑顔を浮かべたくらいだ。

 青くなった少女がびくりと腕を引いて、発砲した後の火薬臭さに鼻白んだようだった。己のしたことを理解するまでに数秒必要だったらしい。突然わなわなと唇を震わせてよろめいた。

 慌てて支えようと出したクイナの手に悲鳴を上げて身を捩る少女には結局届かなかった。

 ぐらりと傾いだ身体はそのまま前へと倒れ込み、膝と両掌を床に着けたが力が入らずに横滑りして転倒したのだ。

 そのまま倒れ伏していたのでどうなったのかの詳細は解らない。

 ただシオが喚いていた声は聞こえていたし、何発かの銃声が響いたがトラクレヴォを仕留めることはできなかったらしい。

「アオイ様に、」

「いいから、喋るなって!」

 怒鳴って動揺や恐怖を紛らせようとしているシオにやんわりと微笑みかける。

 いつもこうして強がっているが、誰よりも気が小さくて恐がりなのだ。自尊心が強いから小心な自分を必死で隠そうとする。

 見せようとしない癖に時折こうして弱い部分を曝け出して、人目も憚らずに涙するのだから憎めない。

「頼まれ、た。シオに力を、かし……てやって、ほし……って」

「――――それで、こんな怪我したんじゃ割に合わないだろうがっ」

「い……んだ。頼まれ、なくて……も、そ……つもり、だ、ったし」

「もういいから、喋らなくて」

 シオは顔をぐちゃぐちゃにして泣いている。

 子供のような純粋さを剥き出しにして。

「シオ、生きろ――」

 死んではいけない。

 見っとも無く執着して、己の能力を全て使って。

「……それが」

 クイナの最期の願い。

「たのし、か……た」

「クイナ!!」

 ゴポリと音を立てて傷口と唇の端から血を吐き出してクイナはゆっくりと目を閉じる。名を呼ぶ声も次第に遠ざかり、淡い光に包まれて安堵しながら意識を手放した。



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