エピソード170 一瞬の煌めき
暗闇を払拭するかのように浮かび上がる幾つもの火球は、舐めるように動きながらホタルの肌を焼き、服を焦がして体力を奪っていく。
簡単に焼き殺すことなどできるだろうに、ミヅキは戯れに力を使いながらホタルとセクスをいたぶっている。
ホタルを庇っている分セクスの方が憔悴し、酷い火脹れや火傷を身体のあちこちに負っていた。
闇の中での圧迫感や息苦しさ、怪しげな能力も相まって現実感の失われた空間での戦闘は時間の感覚すらあやふやにしていく。
闇雲に逃げ回るだけでは疲労が溜まるばかりで、ミヅキとの距離を詰めることすらままならない。
どうする?
汗が滝のように流れ肌に張り付く硬い制服の感触が不快で、ホタルは詰襟に指を差し入れて緩めると深く呼吸をした。
吸い込んだ空気も熱く気管を乾燥させ、喉がひりつく。
罠である可能性は想定内だったが、敵として現れる人物が友人である可能性は完全に想定外である。
更に異能の民であり、異能力を持っていたということも驚愕の事実であり、そう簡単に受け入れられるものではない。
正直な感想としては戦いたくはなかった。
退いてくれるのならば言葉を尽くして説得するが、敵としてホタルとの再会を待ち望んでいたというのだから無意味なことだろう。
だがホタルの研究が完成し、水の浄化を現実のものとできていたのならこうして戦わずに済んだのにと言ったことも偽りのないミヅキの本心なのだ。
「不可能であればあるほど、それを叶えた時の充足感はきっと多くの喜びと自信を与えてくれる……」
だとしてもそれは友人を倒しその屍を越えて行くことで得られるとは思えない。
何故ミヅキなのだ。
他にも能力者はいるはずで、ホタルの前に現れる敵はミヅキでなくても構わないはずなのに。
「……これが、ミヅキたちの信じてやまないマザー・メディアのやり口なのだとしたら、どこまでも底意地の悪い」
「だめだよ。ホタル」
やんわりと咎める声にはほんの少しだけ苛立ちが込められていた。視線を合わせるとその青い瞳に揺らめく憤りの色を見て苦く笑う。
「彼女は純真無垢な存在なんだ。私たちとは違う。愛情深き女性であり、この世界の現状を嘆く清らかな乙女であり、新たな命を育む母でもある」
焦がれるような熱い瞳で語られるマザー・メディアという女性を表す言葉たちは、ミヅキの表現力を持ってしてもありきたりな賛辞にしかなり得ないと肩を落とす。
「いくら能力を授けられても、所詮私たちは人の器の中で人の感性でしか動くことができない。足掻いた所で彼女のような純然たる域まで達することは不可能なんだ」
「……不可能」
愁いに沈む表情で首肯するミヅキは、永遠に成就することのない片思いをしているように見えた。
「欲望のまま争い、共存している万物に敬意を払わず、この世界を我が物顔に闊歩し支配しているつもりの人類に」
神の鉄槌を下し、世界を解放せしめる者である。
「その手助けを私たちはしているにすぎない」
ミヅキが言うようにマザー・メディアが神の遣わした存在であるのなら、人類は滅ばなければならない運命なのか。
もしそうだとしても。
「諦めない」
タキはきっぱりとシモンにマザー・メディアと意を異にして戦うことを宣言した。
彼女に能力を贈られたのだから、タキがその彼女と面識があり言葉を交わしているのは間違いない。
それこそがマザー・メディアを知る者全てが彼女に心酔するとは限らないのだという証しだ。
「確かに人類は多くの過ちを犯してきた。特に僕の曾祖父はこの国だけでなく、世界的にも批判され罰を与えられるに相応しい罪を重ねている」
でも全ての人間が等しく裁かれなければならないほどの罪を犯しているとは思えない。
生まれたばかりの赤子や己の道徳に従い清く生きてきた人はどうなる?
人は成長と共に犯してゆく小さな過ちを恥じ、反省して他人に優しくできるようになるのだ。
傷つき、傷つけて始めて痛みを知るのだから。
「始めから全てを理解し、行動できるのならそれは人ではない。経験し、学んで成長する存在こそが人間なんだ。その過程で社会や文明が発展し、万能であると驕り道を見失う……。その一点だけ見れば滅んで当然だと判断できる、でも」
それだけだろうか。
格差を生む社会も、便利さだけでなく兵器すら生み出す文明も完全悪だとは言い切れない。
人はひとりでは生きていけない生き物で、寄り集まればそこに社会性が生じる。不便な暮らしの中で工夫し発見を続けることで文明が開化するのだ。
「個では子を残せないのだから、人は人を求める。孤独を恐れ、情を繋ぎ、子孫を残すことで生きた記憶を紡いでいくんだ。そうやってミヅキも生を受けたはず」
愛する気持ちを持っているミヅキになら解るはずなのに。
「憎むべきは人そのものか、それとも人が作り出した社会や文明なのか……」
極論だ。
自然を破壊し、汚染を広げた原因である発展し過ぎた文明社会を作り出した人類を全て排除することで平安がこの世界に訪れたとしても、また新たな存在が進化し目覚めて小さな過ちを積み重ねて必要なしと判断され滅ぼされるのだろう。
繰り返しだ。
思い通りにならなければ何度でも白紙に戻して、世界をいちからやり直すなんて。
「大きな過ちを犯す前に幾らでも警告することはできたはずだ。それを放置しておきながら突然滅びろとは横暴だろう」
「警告していたのかもしれない。ずっと。それを人は気づかずに、または無視して貫いたのだとしたら?」
有り得る話だ。
「数名の愚かな人間の罪を購うために人類全てが犠牲になるなんてひどすぎる。しかもマザー・メディアを信奉しない者には慈悲も与えられないなんて」
罪を犯していてもマザー・メディアの前に膝を着けば救われ、罪過がなにひとつ無くても彼女を拒めば死が待っているなど受け入れがたい。
「本当の罪人に裁きを与えればいいだけじゃないのか?」
「神はそんなに暇ではないんだろうね」
「無茶苦茶だ!」
ミヅキは肩を竦めてどうでもいいとばかりに首を振る。
「言っただろう?私たちは人に過ぎないと。幾ら理屈をこね回した所で、メディア様や神の尊い至高の精神を正しく理解することなどできないのだよ」
さあ終わりにしよう、とミヅキは炎を吹き出すライターの火口に手を翳して左側を前にするようにして体を開く。
左手のライターを前へと押し出しながら、火口に添えた右腕の肘を外側へと開くように開くと、真っ直ぐに伸びた左腕と限界まで引かれた右肘の先が一直線に結ばれる。
細い火の線が鮮やかな色を帯びて左手の先の火口から右の指先まで走った。
「永遠を得るための一瞬の煌めきを私に見せて欲しい、ホタル」
狙いはホタルの額中央。
クッと喉を鳴らしてミヅキはつがえた炎の矢を放つ。
空気と摩擦によって燃え上がる矢の熱は美しい軌跡を残してホタルへと突き進んでいく。
「諦めて、」
たまるかと口内で叫び、ホタルは寛げた襟元からボタンを引き千切るようにして上着を脱ぐと迫りくる矢を包んで投げ捨てた。顔を上げた時には次の矢が準備されており、すぐさま射ち出されミヅキの本気を感じさせる。
ホタルは苦しい体勢のまま床を蹴り、我武者羅に友人へと突き進んだ。
「無から有は生み出せない――そう、タキ様にお聞きしております」
静かな闘志を秘めた声はミヅキの左側へと回り込んだセクスのもの。二対一は卑怯だと言ってはいられない。相手は異能力を操る敵であり、圧倒的なまでに有利なのだから。
「成程。これが狙いかな?」
「――――!?」
笑顔でミヅキがライターを放ると途端に廊下は闇に包まれた。くぐもった声がセクスの喉から漏れ聞こるが、なにが起こったのかをホタルが知ることはできない。
「セクス!?ミヅキ、一体なにを――?」
ひやりとした掌が喉元に当てられ、ホタルは声を詰まらせる。
「メディア様が授けてくださる能力が、格式ばった融通のつかないものだとしか認められないとは不幸に過ぎる。勝手に思い込んで……」
くすくすと笑う声と共に身体中の熱が触れているミヅキの手に集まって行く。先程までの熱さからは想像もできない程の寒さに歯の根が合わない。抗おうと思う意志すら凍りつき、ホタルは大きく身体を震わせながら奪われていく体温と共に自由を失った。
「タ――――」
己にも力があれば。
なに者にも負けない自信と、勇ましさを得られればこんな所で屈せずに済んだのに。
寒い。
とてつもなく眠い。
このまま目蓋を閉じればきっと温かな夢の中で安堵の内に死ねる――。
「ご、めん」
タキ。
後は頼むと呟いて、ホタルは痺れる鼻の奥で涙の匂いを嗅いだ気がした。




