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C.C.P  作者: 151A
異能の民
166/178

エピソード165 夢も希望も、命も



 執務室の扉が忙しげに叩かれ入室を許可すると、ノック同様勢いよく扉が開かれる。そのまま大股でアオイの座っている執務机の前までやって来ると、低音の耳に心地いい声でクイナは「シオが出て行った」と告げた。

 信じられない内容に目を丸くして窓の外へと視線を向けるが、座っていては雲が悠然と流れる空しか見えない。

 例え立ち上がって窓辺に寄ったとしても、この部屋の窓からはシオたちがいるだろうテラス席を確認することはできなかった。

「出て行った?そんなはずがない。今はヒビキ殿とテラスで楽しく会話をしているはずだ」

 そうしてくれるように頼んだのはアオイだ。彼女の本当の目的を聞き出すために昨日に引き続きヒビキの相手をしているはず。

 血走った目でぞんざいに首を振ると、クイナの茶色い巻毛がゆさゆさと揺れる。多い上に癖が強いせいで髪同士が絡み合っているのだ。ぐっと太い腕を机の上について上半身を乗り出してくると、体格がいいせいか圧迫感がある。

「その、ヒビキという少女と一緒に出掛けたらしい。門の警備から少尉に連絡が来たから間違いないだろう」

「許可なく隊を離れることは規律違反だ。もし本当ならばすぐに追いかけて連れ戻さなくては」

「出て行く時に警備兵に少尉か准尉に伝えて欲しいと頼んだらしい。少尉が飛び出して行ったが、追いつけるかどうか」

「アオイ様、いかがなさいますか?」

 シオの処遇について問われ、アオイは小さな溜息を吐く。正面のクイナからの強い眼差しにも居た堪れなさを感じ、眉間に手を添えてそっと目を伏せた。

「……行く先は聞いているのか?」

 プノエーかサロスに出かけると伝言を頼んだということは、彼がトラクレヴォの妖しげな術で誘い出されたというわけではないのだろう。操られていないのならばヒビキと共に一体何処へいくつもりなのか。

「それが、妹の借りを返しに行くとかなんとか……」

「妹?」

「あと、因縁を断ち切ってくるから心配するなと」

「それはどういう意味だ?」

 残された不可解な言葉に困惑するが、それに対する答えを与えられる者などここにはいない。部屋の中に不吉な沈黙が下りて息苦しいような緊張感が満ちて行く。

 ヒビキを伴って出かけたのだからそう遠く無い場所だろう。

「……シオひとり探すために多くの兵を割くわけにはいかない。プノエー少尉が連れ戻してくれると信じて待とう」

「おれは少尉と合流する」

 のそりと上体を起こしてクイナは広い背中を向けて足早に入口へと向かう。ここでシオと一番親しくしているのは彼だ。

 シオの兄と同じ職場で働いていたという縁があるクイナには、シオのことが放っておけずまるで弟のように感じている部分があるのかもしれない。

「……弟のように、そうか。クイナ!シオには妹がいたな?」

 把手を掴んだ所で呼び止められ、男は円らな瞳を瞬かせてこちらを振り返った。質問には首肯で答え、僅かに寄せられた眉の皺でその真意を求めてくる。

「シオはきっとヒビキ殿から屋敷を毎日訪れる目的を聞き出したのだろう。ヒビキ殿は友人の妹でもある。きっとシオの目には彼女が自分の妹のように映り、憐れに思ったのだ」

 どういった経緯を辿ってたった二人で屋敷を出ていくことを決断したのか解らないが、シオはヒビキに力を貸すために出かけて行ったのだ。

「……シオは信頼に足る男だ。だからきっと帰って来る」

 無事に。

 どんな時でも生きることを諦めない男だから。

「クイナ、シオを見つけて一緒にその因縁とやらを断ち切ってやって欲しい」

「…………見つけ次第連れ戻さなくてもいいのか?」

 十分な時間をかけてアオイの言葉を正しく理解すると、朴訥そうな顔にどこか嬉しそうな表情が浮かんだ。

 きっとシオは無理やり連れ戻そうとしてもおとなしく従わない。

 自分が正しいと信じていることを邪魔されたり、止められたりすることを嫌う男だ。

「私は随分とシオに面倒な頼みごとをしてきた。だからたまにはシオの我儘を通してやろうと思う。だから、クイナ、シオを」

 頼む。

「勿論そのつもりだ」

 くしゃりと微笑んでクイナは掴んでいた把手を押し開けて飛び出して行った。子供のように笑った顔がすぐに見えなくなり、アオイの中にしんと冷えた寂しさが広がって行く。

 できるのならばクイナのようにシオの姿を追い、探し出した彼と共に同じ景色を見たい。だがアオイの生まれや立場ではそれは叶えられない望みであり、心を割ってなんでも話せる友人を作ることもまた難しいのだ。

「贅沢なのだな、私は」

 シオがいうように周りをヒナタを含む多くの信頼できる人間に囲まれていながら、更に多くのものを思い願うのだから。

 廊下に向かって開け放たれたままの扉を苦笑いしながらヒナタが閉めに向かう。どうやら自嘲染みた独白を聞かれてはいないらしい。

 ほっと胸を撫で下ろして、アオイはもう一度窓へと顔を向ける。それほど時間が経ったとは思えないのに、白い雲は消えうせて鈍色の雲が西の方から流れて来ていた。

「……雨が、」

 降るのかと呟いた声が終わるより前に「おや、サロス准尉」とヒナタが新たな訪問者の名を告げた。

サロスもシオを探しに出たとだと思っていただけに驚いたが、そういえばクイナが「少尉が飛び出して行った」とプノエーのことしか言っていなかったと思い出す。普段は陸軍出身のサロスやプノエーは執務室はおろか、この階にもよりつかないのだがなにか大事な用でもあるのだろうか。

 声を頼りに視線を動かすとヒナタは把手へと腕を伸ばし、廊下に半身が出ている状態だった。廊下の先にいるのだろうサロスに朗らかというよりも締まりのない顔で笑いかけている。

「サ――――!?」

 見慣れたヒナタの横顔が瞬時に色を失い、その瞳が驚愕に見開かれた。恐らく相対している人間の名を呼ぼうとしたのだろうが、言葉が最後まで到達する前に空気を震わせる微かな音がアオイの耳にも聞こえたと思った時には、ドンッと重い音を立てて陽気な護衛隊長の身体は扉に叩きつけられる。

 更に二発。

 血飛沫が上がり、力無く扉にもたれかかった身体はその度に大きく跳ね上がる。

「――――ヒナタ!?」

 いつの間に立ち上がったのか記憶は無い。だが大きな執務机を迂回して部屋の中央まで走った所で、ヒナタの身体は扉に背中を預ける形でずるずると床に頽れて行く。

「なにが、」

 そのまま駆け寄ろうとした足が、廊下から歩いてくる気配を感じて進むのを拒むように留まった。膝の震えがあっという間に全身へと回り、アオイの身体の自由を奪っていく。

 足音は無いが確かに近づいてくる濃密な空気が部屋のすぐ傍まで来ていた。

 得体の知れない恐怖と、ピクリとも動かなくなったヒナタの生死を確かめるのが怖くて立ち竦む。

 戦場に立ってもアオイがいるのは最前線では無く固く守られた最後尾の近く。全ての隊の動きが見えるようにとその場所を任されるが、裏を返せばいつでも逃げ出せる場所なのだ。

 命の危険を感じたことが無いと言えば嘘になるが、真剣に己の死について考えたことは無い気がする。

 痛みも、血の流れる感触も、意識を失うその瞬間さえも想像したことは無かった。

 アオイはこの歳になるまで大きな怪我や病を得たことは一度も無く、死とは遠い場所にあるという認識しかない。

 だが今こうして強烈なまでの現実味を帯びてアオイの前に現れようとしている。

「いつも、みなは」

 こんな恐ろしい思いをして最前線という場所で、取り乱すこと無く戦っているのか。

 誰も護ってなどくれぬ孤独と恐怖に震え、逃げ出したくてもできないから武器を構えて必死で引き金を引く。

 北の国境で物資も人員も与えずに闘えと命じた己の言葉を深く後悔した。

「よくも平気で負けることは赦されていないから最後まで戦えと言えたものだ……」

 アオイはぶるぶると震えながら「恐いな……」と呟く。こうなって見て初めて自分は誰よりも大切に護られてきたのだと知る。

 それはアオイが彼らにとって価値があるからだ。

 実の父を討ち、その座を奪い、この国を正してくれると信じてくれているから。

 その自分が簡単に命を手放して諦めるなどできない。

「引き出し――」

 常に携帯してくださいと口喧しく言っていたカタクの叱る声が聞こえるようだ。アオイは慌てて身を翻すとさっきまで座っていた執務机へと戻る。

 一番上の引き出しを開けて冷たい無機質な鉄の塊を掴むと、入口でくすりと笑う声が聞こえた。

 ぎゅっと銃を握り締めてアオイは顔を上げる。

 そこには陸軍の制服を着たすらりと背の高い男の姿があった。艶のある黒い髪と一点の曇りも無い緑の瞳は、部下や仲間に慕われるだけでなくどんな人間からでも好かれる性質を窺わせる雰囲気を醸し出す。

「何故だ、サロス」

 嘘であって欲しいと思いながら理由を問うと、サロスは長い脚を使い入口で倒れているヒナタを跨いで部屋へと入ってくる。

「何故?……そうですね。理由は様々ありますが、一番は時が満ちたからですかね」

「お前は総統派の人間だったのか?」

 どうやら見当違いの言葉だったのか、サロスは眉尻を下げて失笑する。

「貴方はそう思った方が簡単で理解しやすいのでしょうね」

「違うのか?」

「……シオがいない今が一番貴方を始末するのに好都合なんです。悪く思わないでください」

 銃口が上がり真っ直ぐにアオイを狙う。

 軍で射撃の訓練を受けている男と撃ち合って、アオイの付け焼刃の銃の腕で勝てるわけがない。

 それでも。

 シオはどんな時でも活路を見出そうと努力する。

 金の瞳はきっとその道を見抜くことが得意なのだろう。

「まだ私もここで死ぬわけにはいかないのだ」

 安全装置を解除してアオイは拳銃を両手で握り締めた。向かい合った二人の距離は余程の下手くそでない限りは身体のどこかにはあたるくらいには近い。

 激しく脈打つ心臓と、震えの走る手足に喝を入れる。

「今、奪われるわけにはいかない」

 夢も希望も、命も。

 ぐっと喉に力を入れて指に思いを込める。

 アオイにはシオのように上手く見出すことができないだろうが、せめて潔く迷わずにいきたい。

 そう願ってアオイは初めて生身の人間に向かって引き金を引いた。


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