エピソード160 運命か、縁か
「どうだった?」
夕焼け色に染まる庭を執務室から見下ろしてアオイは問いかけ、それから視線を上げて窓に映るシオの顔へと移す。
「どうって……よく、解んねえ」
頭を掻いて右頬を歪めると自信無さ気に返答する。
危険か否かを判断して欲しいと頼んだが、どうやらシオにも彼女がどちらなのか解らないらしい。
正午過ぎに来て太陽が赤くなり始めるまでヒビキは滞在し、その間ずっと相手をさせられていたシオは入室するなり不機嫌そうな顔で「疲れた!」と文句を言った。
「随分長居をしていったけれど、ヒビキ殿はシオを気に入ったみたいだな」
「はあ!?なんでだよっ」
声を荒げて噛みついて来るが、ウツギが対応していた時には一時間から長くて二時間ほどで帰っていたことを考えるとシオと過ごす時間が彼女にとって楽しかったのは間違いない。
「副隊長が堅苦しかったからだろ、そりゃ」
「もしくはウツギの腹黒さがご令嬢に伝わっていたか、のどちらかでしょう」
「ヒナタ、それは言い過ぎだ」
あんまりな言われ方に同情して注意すると護衛隊長は憐れむような瞳でアオイを見つめ「アオイ様はあいつの性格の悪さをご存じないからそんなことが言えるんですよ」と嘆く。
幼馴染として育ってきた二人は互いの良い所も悪い所もよく見えるのだろう。
「ウツギの代わりに何度身に覚えのない罪で罰を受けて来たか……。平然と悪びれもせずに嘘をつくような男です。隊員たちにウツギにだけは逆らうなと恐れられているくらいですから相当なものですよ」
真剣に訴えているのだろうが、どこか冗談めいた雰囲気があるのは否めなかった。腹黒だの嘘つきだのと言いながら、いつも仲良く食事をして喋っているのだから本気で陳情しているわけでは無い。
「ヒナタが隊員に軽んじられているのだからウツギが恐れられている位が丁度いいのだろう」
「軽んじられているのではなく、慕われているのです」
断じて違いますと力説するヒナタの必死な表情にアオイは思わず噴き出す。
朗らかな笑顔と大らかな性格のヒナタは親近感が持たれやすく、隊員たちからは相談事もしやすいと人気がある。ただ少々抜けている所があり、それを手助けし支えているのが副隊長であるウツギだ。
長い付き合いのせいか互いの欠けている部分を知り尽くしている分、そこを補い合えるいい関係は見ていて頼もしく又羨ましくもあった。
「しかしウツギでは聞き出せない本当の目的をシオにならば話してくれるかもしれないな」
護衛隊の内情についての話を切り上げてシオへ顔を向けると、青年は「どうだか……」と浮かない顔をする。
「カルディアの令嬢が、おれみたいな口も態度も悪い男に気を許すとは思えねえし」
「案外新鮮で楽しいものだが」
「ああ?楽しい!?」
シオは目を丸くして驚いているがアオイは彼と話をするのは楽しいと思う。出会った時から自分の中の価値観を変えてくれるような発言をするシオとの会話は新たな発見やものの見方を与えてくれる。
殆ど不機嫌そうな顔をしているが、気持ちを伝えようとして口から出てくる言葉は感情豊かで聞く者の心を激しく動かす。
きっと性根が真っ直ぐで純粋だからだろう。
使う言葉や口調は乱暴でも、心の籠ったその声は相手に伝わる。
「見習わねばならないと常に思っているくらいだ」
「――――なんだよ!それはっ」
恥ずかしさに身悶えながらシオは足を踏み鳴らす。きっと許されるのならばこの場から走って逃げ出したいと思っているのだろう。
解り易すぎる。
「聞き出してくれるか?」
アオイとの面会を求めて毎日来ているが、長時間待たずに帰って行くヒビキの不可解な行動から彼女の目的が面会では無いことは薄々勘付いてはいた。
ならばなにをしにここへと毎日やって来るのか狙いが解らない。
怪しげな素振りも見せず、ただテラスに座り一、二時間滞在してウツギと世間話をして帰って行く。ここ数日彼女と過ごして副隊長が抱いた感想は「意外に強かですね」という印象だけだ。
「おれは上手く聞き出すとかできない。駆け引きとかそんな面倒なのは嫌いだからな」
それでもいいからと笑顔で頼めば観念したかのようにシオは両手を挙げて大きくため息をつく。
「あいつが泣いても責任取らねえぞ」
「そんなにすぐに泣いてしまいそうな女の子なのか?」
「アオイ様、そこは泣いてしまいそうな手段を取るつもりなのかどうかを聞く所では?」
ニヤニヤと笑いながらヒナタが話を混ぜっ返し、舌打ちしてシオはそっぽを向く。
「ヒナタ……今は冗談を言っている場合では無い。ウツギは彼女を見た目通りの大人しげな性格ではないと言っていた。シオから見てヒビキ殿はどう映った?」
「どうって……」
さっきまで一緒にいたヒビキとのやり取りを思い出しているのだろう。シオの金の瞳がぼんやりとここではない場所を見ている。その瞳は常に生きるための道を探し、力強く輝いておりアオイを励まし鼓舞してくれた。
黄金よりも得難く価値のあるものであると自信を持って言える。
全てが終わり、シオが統制地区の家へと返ってしまえば再び会うことは難しくなるだろう。
歯に衣着せず気安く接してくれるシオを秘かに友人のように思っているアオイにはそのことが酷く寂しい。
身分や立場など煩わしいばかりで良いことなどなにひとつ無いのだと虚しくなる。
そんなことを口にすればきっとまた「贅沢言うな!」と怒られてしまうだろう。
「カルディアの令嬢にしたら肝が据わってるな……とは思ったな」
「それは、何故だ?」
「おれが怒鳴った時驚いただけで、恐がっているようには見えなかった。普通いきなり怒鳴られたらビビるだろ?」
誰もが突然声を荒げられれば竦んでしまうだろう。驚きよりも恐怖を感じる方が普通だ。それがカルディアの大切に育てられたお嬢様なら尚更。
「成程……それは確かに」
ナノリは冷酷で厳しい男だと聞く。だが末娘には甘いという噂も聞くので、きっとヒビキは怒られたことも叱られたこともないだろう。
シオの怒鳴り声に怯えなかったとは、余程鈍いか度胸があるかのどちらか。
「ただ兄貴の話をした時には様子がおかしかったな……」
「兄上……。ああ、ヒビキ殿の兄上は反乱軍討伐隊を率いていたが、今ではその反乱軍と手を組んで自由を求めて立ち上がったと聞く」
「あ?なんだよ、それ。無茶苦茶だな」
簡単に説明したくらいでは事情が呑み込めず、シオは首を傾げて理解不能だと文句を言う。苦笑いしてアオイはホタルの名誉のためにもなんとか理解してもらおうと口を開いた。
「もとよりホタル殿は無理矢理父であるナノリ殿に従わされていただけなのだ。私と一緒でやりたくもない仕事を押し付けられ、断れずに戦場へと立たされただけ――どうした?」
だが途中で顔色を変えて見る見るうちに不機嫌そうになって行くシオに驚いてアオイは言葉を切って理由を問う。
眉間に皺を刻み、口の端を下げて黙ったままのシオはもう二度と喋ってはくれないのではないかと思わせるほどに機嫌が悪い。
「なにか気に障るようなことを言っただろうか?」
自分の口から出た声が思いがけず弱々しく不安げだったので、父を討ち次の総統になろうとしている人間としては不合格であることを自覚する。人の顔色を窺って怯えていては人々を導いて行けないのだと解ってはいても中々治せない。
「………………違う。ただ、似てねえなって思っただけだ」
「似てない?どういうことだ?」
訳も解らずに愚かにも問うことしかできずにいると苛立ったようにシオは「だから。兄貴とあいつが似てないってことだよっ」と吐き出す。
「ホタル殿とヒビキ殿が、似ていない……?」
アオイは自身と同様に本意では無い役目を押し付けられた者同士、勝手に親近感をホタルに抱いていたが面識はない。
名前もヒナタに教えてもらわねば知らなかった位だ。
それなのに。
「シオはホタル殿を知っている?」
ぞんざいに頷くシオの顔を信じられない思いで眺めた。
「何故、副参謀の御子息とシオに面識があるのだ!?」
「知るか!隣に住んでる奴がカルディアの偉い奴の息子だと知ってたら、もっと文句も愚痴も言ってやったのに。あの野郎」
シオは唸って心底悔しがっている。
本当にシオの知っているホタルと、アオイが言っているホタルが同一人物なのか困惑していると「大学の研究が忙しいらしく、統制地区で独り暮らしをしていると聞いています」とヒナタが補足したので間違いないようだ。
「銀の髪に馬鹿みたいに綺麗で澄んだ青い眼をしてるんだから、似てはいないが兄妹だろうな」
面白くなさそうに断言して「兄貴がホタルのことなら、おれなんかよりよっぽどあいつを大切に思ってるだろうに」と呟いて口を噤む。
「……世間は思っている以上に狭いな。それとも、そういう運命か。縁なのか」
ならばなおさらヒビキのことをなんとかしなくてはならない。
利用されているのなら助けなければならないし、近づいてきた狙い次第では捕えなければならないだろう。
ますます放ってはおけなくなった。
「運命や縁なんかじゃない。これは、」
呪いだと辟易した口振りで続けヘッドフォンを耳に装着する。そして「努力はする」と言い置いてシオは部屋を出て行った。
思いがけない幸運にヒビキは夕暮れまで待ち、金の瞳の青年を殺害する隙を窺っていたが残念なことについぞその機会は訪れなかった。
今日はウツギが忙しくどうしても相手ができなかったから代理としてシオを立てた可能性が高く、明日訪問した所で彼がまたヒビキを迎えてくれるとは思えない。
だが日が暮れても帰ろうとしないのはあまりにも不自然であり、危ないので送って行きましょうと車で屋敷へと連れて行かれてはこちらが困る。
これ以上の長居は危険であると見切りをつけてヒビキは「とても楽しかったです。できればまた明日もお会いしたいです」と告げると、明らかに機嫌が悪くなり「おれだってそんなに暇じゃない」と冷たく返された。
それでもゆっくりとした歩調で門へと送り届け、ヒビキが見えなくなるまで見送ってくれたのには思わず苦笑してしまう。
実際楽しかった。
言動は荒く雑だがこちらが話しかければちゃんと答えてくれるし、妹がいるせいか年下のヒビキに対する思いやりも垣間見えることもあった。ダウンタウンの様子や、統制地区での暮らし、どんな仕事をしていたのかという話も嫌々ながらも話してくれた。
保安部に捕えられマラキア国との戦いのことは流石に言いたくないと断られたが、無戸籍者であり虐げられ続けた者から聞く国への批判的な言葉は新鮮でもあった。
彼らがどんな考えを持ち、どんな気持ちで口を閉ざして生きて来たのか。
カルディアの人間には直接ぶつけられることのなかった思いを聞いて、ヒビキはほんの少しだけ同情した。
だが富める者が住む貧困とは無縁の街であるカルディアにも不満や問題が無いわけではないのだと教えるとシオは興味深そうに金の瞳を輝かせて身を乗り出してきた。
結局どこへいっても格差は存在し、人は不平不満を抱くのだ。
「持っていても文句が出るんなら、持っていない方がマシだな」
生まれ、職種、収入、階級で明確に待遇が変わるカルディアの暮らしはシオにとっては羨ましいものではなかったようだ。病で死ぬことも、餓死することもないカルディアよりも統制地区を選ぶ理由を問えば「大切なものを見失わないで済むから」だと述べる彼の方が余程豊かなような気さえした。
話せば話す程不思議な青年で、もっと話したいと思わせる。
表情は険しかったり、仏頂面なのに一緒にいる時間がとても楽しく抗いがたい魅力を持っていた。
そんな人間を殺さねばならないのだと思うと残念でならないが、ヒビキの人生を取り戻すためには彼に犠牲になって貰わねばならない。
さてどうやって殺そうかとその方法を考えて困り果てる。
銃を扱ったことも、ナイフ等の刃物を持ったことも無い。細身とはいえマラキア国との戦争を生き抜き、国軍と戦っている青年に非力なヒビキが敵う訳も無かった。
テラスで彼をなんとか亡き者に出来たとしても、そこから門まで逃げる間に捕まってしまう。
それでは意味がない。
では門の所まで送ってもらった時に殺してしまうか?
いや、そこには多くの兵たちがおり危険な動きをした途端に取り押さえられるだろう。
簡単でシオを殺した後、誰にも捕まらずに屋敷を出られる方法は無いだろうか。
銃や刃物を持ち込むことは難しい。
ベルトやスカーフなどの紐状のもので首を絞めるという方法もあるが、抵抗されてしまえばヒビキの力で抑え込むことはできないだろう。
持ちこめるほど小さくて、シオに気付かれずに殺せるようなもの。
できればヒビキが屋敷を後にし、安全な場所まで逃げられるまで他の人に怪しまれずにすむものがいい。
「そんな都合のいいもの――」
ないだろうと頭を振り嘆息しかけてはたと気づく。
「毒殺ならどうかしら」
即効性のあるものではなくゆっくりと効くものならばヒビキが帰った後で効果が表れるだろう。
犯人がヒビキだと解ったとしても二度と屋敷を訪ねることは無いのだからどうでもいい。
自ら手を汚すよりも間接的に殺害できるところが気に入った。
「どんな毒薬でシオを殺してあげたらいいかしら」
仲良くなった彼には苦しまずに逝って欲しい。
まずは毒について調べてみなくてはと心を浮き立たせて、ヒビキは地下道を急ぎ足で進んだ。