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C.C.P  作者: 151A
異能の民
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エピソード157 完膚なきまでに


 振り返れば暗い道に黒い色がポタリポタリと落ち、歩くのもやっとのリョウの足が踏み躙り引きずった跡が残っているのが見えた。

 大量の血が流れる左肘から先はキョウの腕の中にあり、指を失った右腕を首に回して支えて歩くがカルディアと統制地区を隔てる壁までの距離が果てしなく遠い。


 早く。


 早く戻らねばリョウが死んでしまう。


 焦る気持ちとは裏腹に歩調は鈍く、永遠に辿り着かないような気さえしてくる。出血のせいか、痛みのせいなのか、何度も抱え直さなければならないほどリョウの身体はずれ下って行き、荒い呼吸以外その唇から出てくるものはなかった。

 クラルスの頭首によって切り落とされた腕を捨てて、キョウの左手で腰を掴んで進めればもう少し早くゲートへと向かえるのだろうが、二度と元のように繋がらないと解ってはいてもリョウの身体の一部をその辺の道へと放り出していくことは考えられない。

「今、どの辺りなの――?」

 視線を動かし景色を確かめるが五区と第二区の境を漸く超えた辺りだった。絶望的な思いに足が止まりそうになるが、治療をすれば助かるのだからと言い聞かせてキョウは重い身体を引きずりながらゆっくりと進んだ。

 こうして寄り添いながら歩く道程のなんと険しいことか。

 遅々として進まず、変わらない景色の中でただ時間だけが過ぎて行く。

「私が、悪かったの」

 臆病で、確かめることが怖かったから。

 リョウの気持ちも、彼の欲したものも自分とは全く違うもののような気がして。不可思議な力を操ると聞いて信じなかった自分の愚かさや、この国や世界すらも手に入れようとしている怪しげな組織へ属していることも受け入れられずに。

 リョウが信じて夢見ていた世界を知りたいとも、一緒に見てみたいとも思わなかった。

 ただ自分の中の価値観だけで判断し、歩み寄ろうとしなかったのはキョウの方だ。

「ごめんなさい」

 呟いた途端に涙が溢れ、視界を大きく歪ませた。込み上げてくる嗚咽を飲み込もうとしたができずにうまく呼吸ができなくなる。

 涙や洟だけでなく、キョウの後悔と謝罪の思いも共に流れ落ちた。

 今まで自分から動こうとしていなかったことをこの年になって気付かされ、努力しても認めてくれないと僻んでいた己に赤面しそうになる。相手が望んでもいないことをいくら努力して誉めて欲しいと見つめた所で、それが伝わることなどないのだと何故気づかなかったのか。

 あまりにも自分本位で、自分勝手な欲望に誰が優しく手を差し伸べてなどくれるだろう。

 父の気持ちを知ろうとしなかった、兄の夢を理解しようとしなかった、妹が笑顔の裏でなにを考えていたのか聞こうともしなかった。そして弟が家を出た理由を探そうとしなかったのは他でもない。

 キョウ自身。

 表面的なことばかりを見てきたから今の惨めな自分がいる。

「お願い、死んではだめ」

 ちゃんと歩いてと叱咤してもリョウは目を伏せたまま、キョウが前へと足を踏み出し次の歩を交わすまで動こうとはしない。

「リョウ、お願い……ちゃんと、変わるから。本当の貴方のことが知りたいから」

 その機会を私に与えて欲しい。

 今度こそ間違わずにできるから。

 どうかもう一度。

「――――誰だい?」

 突然の誰何にキョウはびくりと身体を竦めて歩みを止める。気付けば地下鉄の駅へと下りて行く階段が通りの向こうに見え、保安部が常に隊を置いて目を光らせていたゲート前の広場が薄闇の中に微かに確認できた。

 撤退命令が出た後の広場には兵の姿は無く、門の所に警備のための人間が複数人立っているだけだ。

 急いで撤去された陽射しを遮るためのテントや多くの資材を入れてあった残骸が残る広場は雑然としており、なにか目ぼしいものでも落ちてはいないかと集まった統制地区の貧しい人々の姿がちらほらある。

 キョウに声をかけてきたのもみすぼらしい格好をした中年の女で、白目が黄色く濁った眼でジロジロとこちらを見て来ていた。

「急いでいるの。構わないで」

 再び動き出そうとしたがその前に女が立ち塞がり行く手を阻む。一際重い音を立ててリョウの腕から血が滴り落ちてキョウは背筋が凍るような思いをする。

「……怪我、してんのかい?」

「そうよ、だから、どいて」

 迂回しようと斜め前へと進もうとするが口元を歪めて女は再度道を阻んだ。嫌な笑みを浮かべている顔を見てカッと頭に血が昇り、キョウは声を怒りで震わせながら「どきなさい!」と叫ぶ。

「あんた、見覚えがあるよ。保安部の人間だろ?女の軍人なんざ珍しいから嫌でも記憶に残っちまう」

 汗と体臭が混じりあった匂いが近づいて、顔をのぞき込んで来た女の吐く息にキョウは胸が悪くなる。腐った魚のような匂いがするのはきっと内臓を病んでいるのだろう。

 よくよく見れば女は異常に痩せており、唇も爪も罅割れていた。

「ちょっと、みんな来とくれよ!この女、ジムんとこの一家を容赦なく連れて行ったやつだ!」

「ジム?なんのことを言って、」

 突然騒ぎ出した女の呼ぶ声に広場でなにやら拾っていた人間たちが寄ってくる。手にしているのは棒切れや破れたテント布、空き瓶や薬莢や縄などからなにに使うのか解らない物まで様々だった。

 その殆どが女で子供の姿もあったが、誰もがみな胡乱な目つきでキョウを見ている。

「あたしも覚えてるよ!この女にあたしは捕まって、工場に連れていかれたんだから!」

「おれの父ちゃんも連れて行かれた!」

「わたしの家族も、友達も、親戚も!」

「そんな……!」

 口々に女と子供に責め立てられキョウは戸惑いながら青くなった。覚えていると言われても言われている方は記憶にない。多くの無戸籍者たちを捕えて労働に向かわせ、死地へと赴かせたがその全ての人間の顔や名前をいちいち把握できるわけがないのだ。

 一か所に集めて名前や住所、年齢性別髪や目の色を記録したが、それはあまりにも膨大な量で覚えておくなど到底できはしない。

「戦争に行った男たちは二度と帰ってこない!それに無茶な働き方をさせられた工場でどれぐらいの女子供が死んだか!あんた知ってんのか!?」

 詰め寄られても答えられずあまりの剣幕に慄いてじりっと後退した。

「私は、捕えるのが仕事で、その後のことは――」

「知らないで済むと思ってるところが本当腹立たしいったらないよ!」

 捕えた数が五日間で四千人程おり工場に千七百人ほどが送られ、二千三百人が戦場へと投入された。だがその殆どの人間がどうなったかをキョウたちは知らされなかったし、また知る必要も無かったのだ。

 目の前にいる彼女たちは工場で働かされていた千七百人の中で生き残り、反乱軍に解放された人たちなのだろう。

 そんな人を前に知らないと答えることがどれほど無責任なことなのか。

「私は、」

 どうすればいい。

 命じられただけだと言った所で彼女たちの溜飲は下らないだろうし、逆に怒りを増長させることにしかならない。

 謝ればいいのか、それとも開き直ればいいのか。

「お願い、今はリョウの治療を」

 リョウを運び込んだ後ならば幾らでも詫びるし、金や食料が欲しいのなら幾らでも渡してやろう。

 だから今は邪魔をしないで欲しい。

「工場の機械に挟まって怪我をした友達は治療なんかしてもらえずに苦しんで死んだ」

 ぽつりと呟いたのは小さな男の子だった。

 暗い瞳をしてどこを見ているのか解らない顔をじっとこちらへと向けている。無表情なのにまるで責めているように感じられた。

 泣いているようにも怒っているようにも見えるが、純粋に不思議がっているような雰囲気もある。

「カルディアの人間なら助けられて、統制地区の人間は死んでもいいんだ?」

「そんなことは、」

 ないと言いかけて止めたのは彼女たちの瞳に剣呑な光りが宿ったのを見たからだ。その場を言い繕うための言葉では決して赦してなど貰えない。

 捕えた後の彼らがどうなるのか考えれば解るのに、深く追求せずにただ仕事としてこなしてきたキョウが統制地区の人間の命を軽んじていたのは間違いなかった。

「止めて!」

 ぐいっとリョウの身体を引っ張られ、しっかりと首に回して掴んでいたはずの右手から抜けて行く。悲鳴を上げて腕を伸ばすが嘲笑う女たちの手によってリョウは道路へと転がされた。

 青白い顔を横向けて俯せに倒れた青年は身動きすらできないのか、ただ微かに肩を上下させて息をしている。

「お願い、止めて」

「あたしたちもそう言って頼んださ」

 捕まる時に、働かされている時に、友人知人が連れて行かれる時に。

「でも誰も止めてはくれなかったし、助けてもくれなかった」

「次はあんたの番だ」

 同じ目に合えと冷酷に告げられてキョウは天も世も無く泣き叫んだ。いやだ、止めてと繰り返し、目の前の女に縋りつく。

 じわじわと傷口から流れる血が地面に染みを作って行く。もう身体中の血液全てが流れ出したのではないかと不安になる程だった。

 拳をぐっと握り締め、服を掴んでいた女の肩を殴り、頬に平手を打ちつけ引っ掻いた。女が髪を鷲掴みしてきたので、滅茶苦茶に暴れて腕や脚に触れるもの全てに苛立ちをぶつけた。

 そうしなければあまりの無力さに押し潰されて、立ち上がれそうになかったのだ。

 自分たちのしてきたことがどれほど残酷で、無慈悲なことだったのか。

 軍国主義を貫き厳しく道を敷かなければ、民人は簡単に道を踏み外すのだと彼らの思いを無視して意見も聞こうともせずに。


 なにを見てきたのだ。


 結局なにも見えていなかった。


 同じことをされ、同じ立場になって初めて解るとは。


「う、あ!」

 重い衝撃を後頭部に受けてキョウは地面に膝を着き、その勢いのまま倒れ伏した。鼻頭を擦り剥き、額を打ち付け、切れた口内の血が溢れて端から流れる。朦朧とした意識をガンガンと脈打つように激しく痛む部分だけが現実へと引き止めていた。

 顔を横向けた先に紺色の制服に包まれたリョウの左腕があり、震えながら指を伸ばす。

「リョ……ウ」

 意地汚く求めながら、その腕が既に愛しい男の腕からは切り離された部位であることを思うと切なくなった。

 触れても温もりは感じられない。

 それでも触れたいと願うのだから憐れだと涙する。

「ひゃああ!」

「なんだ、ばけも」

 どこか紗のかかったようにしか聞こえなかった耳に断末魔の悲鳴が届いた。嵐の時のような風が轟々と鳴り響くような雑音の向こうから身の毛もよだつ声。

 なにごとかと地面が横たわっている視界からほんの少しだけ顎を動かして向きを変えると、その先にどさりと女の顔が落ちてきた。

 黄色く濁った白目の女――。

 穴という穴を全て開いて恐怖を体現している。

「な、に?」

「キョウ、大丈夫か?」

 目の前が暗く翳り、呼び掛けに顔を上げればそこには心配そうに覗き込むリョウの顔があった。灰青色の瞳は優しげで、怪我の具合を問う声にも思いやりがある。久しく向けられなかった眼差しと声音はキョウの心をあっという間に満たして孤独も不安もどこかへと消し去ってくれた。

「――――リョウの方が、」

 大変な怪我をしているのだからと腕を上げて、蒼白な頬にそっと触れる。

 酷く冷たくて驚くと、澄んだ笑みを浮かべてリョウは「許して欲しい」と呟いた。

「なにを?」

 許せばいいのか。

 解らずに問うが彼は答えずに身を起こしてキョウの視界から消える。その右手が細く尖っていて刃物のようになっていた。

 またあの能力を使って女性たちを殺したのだろう。

「待って――」

 どこへ行くのか。

 去っていくことを謝っていたのだとしたら許してなどやらない。


 もう二度と失いたくないのだと解って欲しい。


「リョウっ!」

 地面に手を付き半身を起こすとぐらりと世界が回った。それでも辺りを見回してリョウの姿を探すが、そこかしこに転がっているのは女と子供の死体だけだ。

「リョウ!!お願い、」

 行かないでという声は届いただろうか。

 こんなにも苦しくて辛いのならば死んだ方がましだ。

 いつかまた会えるなどと甘い感傷や期待など抱けない別れなど望んでいないのに。


 解っていたはずなのに何度も何度も経験してもキョウは学べない愚かな女なのだ。


 また次の無い別れが唐突に訪れて、今度こそ完膚なきまでに打ちのめして行った。


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