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C.C.P  作者: 151A
異能の民
157/178

エピソード156 感情という楔

 向かい合う青年は自分がどれほど悲愴な顔をしているか解ってはいないだろう。痛ましいほどに愁いを帯び、欺き続けた女性の前で異能の力を発揮して戦わねばならないことを酷く悔やんでいるかのように見えた。

 初めて会った時は飄々としており掴み所が無いように思えたが、今目の前にいる青年が纏っている雰囲気は暗く沈み迷いの中で苦渋の決断をしているようだった。

 その青年の背中を見つめホタルの妹が蒼白な顔で引き止めようと腕を動かしたが、気付いていたのか解らないが地面を蹴り鋼の刃をタキへと打ち付けてくる。

「くっ――!」

 重い一撃は上段からで、頭上に振り上げた剣で受け止めるのがやっとだった。紺色の軍服に包まれた身体は細身に見えるが、どうやら見た目と違い十分な力と柔軟な筋肉がついているらしい。

 打ち込んで来た時に深く被っていた制帽が脱げて金茶の髪が夜の闇に流れて煌めいた。

 くすんだ灰青色の瞳の目元が僅かに朱に染まっており、寄せられた眉の皺が苦悩を滲ませている。

 タキと戦うことが苦しいわけでは無い。

 気持ちが現状へと追いつかずに戸惑いただ立ち尽くしているキョウへと視線を向ける。途方に暮れた顔は美しく儚い。


 第五区へと戻ろうとしていたタキの前に突然現れたキョウは銃を向けた相手が何者であるか解っていないようだった。ただ短く、反乱軍クラルスのメンバーかと問われたので「そうだ」とだけ応えた。

 どこかほっとしたかのように脱力し、狙いをタキの額へと移動させて漸く金色に輝く瞳に気付いたようだった。

「クラルスの頭首――?」

 驚いて隙だらけの声が可憐な唇から零れ、タキは思わず嘆息する。「じゃあ、あの時の」と続いた言葉にゆっくりと首肯した。

 彼女が言っている“あの時”がタスクを殺された夜のことであると解っていたからだ。

「ならば好都合」

 唇の端を持ち上げて艶やかに笑うと左手を銃把に添えて固定し、安全装置を外して引き金を絞り始める。

「……総裁と参謀長から書簡が届いていたが、そちらにはなんの命令も行っていないのか?」

 カルディアの真意が解らずに結局は静観することには決まったが、保安部との戦いは挑まれれば応戦しなければならない。

 できれば引いて欲しいと願いながら尋ねれば「撤退命令が出た。でも私は退くつもりはない」と笑いキョウは誘うように銃口を揺らした。

「……ホタルが悲しむ」

「兄を知っているのね。当然かしら」

 連合軍として肩を並べて戦っているのだからと皮肉気に口元を歪める。

 友人の妹と戦うなど冗談では無い。逃げ道は無いかと視線を彷徨わせながら後退すると、キョウがその分をゆっくりと詰めてくる。

 逃がしはしないという気迫と強い気持ちに押されてタキは覚悟を決めるしかなかった。

 武器は抜かずに素手で応戦し、気を失わせてしまえばいいだろうと。

「ありがとう。女だからと特別扱いされるのは嫌いだから」

 拳を握ったタキの決意を見て取りキョウは心底嬉しそうに目を細めた。

「それにこれ以外私に道は残されて無いから」

「どういう、」

 意味かと問う前にキョウの背後から駆けてくる保安部の若き下級将校の姿が見え、標的がタキであることに気付いて色を失いながら彼女の手を掴んで止めたのだ。


 内心でキョウと戦わずに済んだことを感謝しながら青年の剣を弾き返す。澄んだ音が響き渡り火花と水飛沫が散る。

「少しは鍛えたみたいだけど、これならどうだ?」

 皮肉気に笑い喉を狙って剣先を突き出してくるのを後ろに飛んで避けたが、ぐいっと追いすがる様に伸びてきた切っ先にタキは驚愕し慌てて大剣で凌ぐ。


 今、刃自身が伸びてきた。


 通常ならば有り得ないが金属を思うがままに操れるのならば瞬時に伸ばしたり縮めたりすることは可能なのだ。

 そのことを失念していたタキは舌打ちをして、避けるにしろ受け止めるにしろ慎重にならなければならないと思い直した。

「能力者とは……厄介だな」

 改めて異能力を持つ相手と戦うことの難しさに愚痴を零すと青年は「そうでもないさ」と首を左へと傾げる。

「厄介なのは力では無く、感情だ。全てを捨て去り、心を無にしてメディア様に捧げることができればいいが、――古来より人とは愚かで過ちを犯すさがらしい」

「感情……」

 つまり彼は感情に心を動かされ苦しんでいる。純粋に母なる彼女に身も心を捧げられればいいものを、それを阻むように湧き上がってくる自身の思いによって翻弄されているのだ。

 それを愚かな過ちであると決めつけるのは違う気がする。

「同じ目標を掲げて同じ気持ちで進めるほど人は単純では無い。それぞれが別の意思や思考を持つ存在だから当然だ。それを望みそれが正しい姿だと妄信し実現しようとする方が歪で愚かだと俺には思える」

 心を失い、たったひとりの女性に仕える者ばかりがいる世界など歪んでいるというのに。

 タキとホタルが共に手を取り合えるような国を作ろうと連合軍として動き出しても、そこに所属することになった人々がみんなそれを本当に望んでいるかどうか自信も無い。

 それでもタキたちの思いを支持し、ついて来てくれている人たちのためにも尽くして行きたいとは思っている。

「歪だろうが世界はそれを望んでいる。そして天にいる大いなる存在もこの穢れた地の浄化を心待ちにしているのだ」

「選ばれたたった一握りの者にしか住むことを許されない世界など到底受け入れられない」

 どこまでも選別される運命を辿る人類の歴史は反吐が出るほどにタキの心を憤らせる。全ての人間の命は平等では無く、なんらかの量りによって価値を決められるなど我慢がならない。

 大いなる存在やメディアという稀有な者が定める選別方法がどんな物だろうと関係無かった。

 どの人間もただ幸せになろうと必死で、少なからず罪を犯しながら生きている。そうでもしなければ生き抜いて行けない状況の中で、善と悪ではっきりと分けられることは難しいだろう。

 誰もが善人であり、悪人でもある。

 そして生きている限りみなが罪人つみびとなのだ。

「死という恐怖を乗り越えられれば永遠が与えられる。この世界が大きく変容しても、天の営みは発生当初から長らく変わらず永遠と共にあるんだという話だ」

 死してのみ行ける場所のことなど語られてもタキの心を安らかになどしない。今を懸命に生きられぬ者に次が与えられるなど簡単に信じられるほど純粋な気持ちは持ち合わせていなかった。

「例えそれが真実だとしても、永遠を望むには頼りない話だ」

 青年は鼻で笑い「そうだろうな」と自信も信じ切れぬ顔で頷いた。

「だから、タキ。おれの心を無にしてくれ。感情という楔を断ち切ってくれるだろう?」

「それが望みならば、自身で努力したらどうだ」

「できそうにないから頼んでるんだけどなー……」

 困ったように微笑んで青年の持つ剣が血を欲しがるように身悶えた。

 タキの大剣も焦れたように表面を波立たせる。

 じりっと足先が地面を擦る音が耳に入り、青年がゆっくりと正眼に構える。話すことで感情の昂ぶりが治まったのか余計な力が抜けた自然な立ち姿だった。悲愴さから悲壮へと変化し、柔らかく微笑む青年の覚悟が透けて見える。

 国との戦いが終われば異能の民との戦いへとなるのは解っていた。

 本格的な戦いになる前に少しでも能力者を減らしておく必要があり、それができるのは連合軍の中でタキくらいのものだろう。

 勿論先日ミヅキとの戦いでフルゴルの射撃の腕に助けられたように、常人でも優れた技術を持つ者であれば能力者と遜色なく戦える。だがリスクが高いことには違いが無く、できるならば貴重な人材は多く残しておきたかった。

「……タスクの仇を取らせてもらう」

「望む所だ」

 透明な笑みに胸が騒ぐ。


 どこかで似たような表情を見た。


 どこだったかと思いを巡らせていると青年の揮った鈍色の剣が左側から質量を増やして迫ってくる。

 重い斬撃に足を踏ん張って弾き返し、一歩踏み込んで下から斜め上へと大剣を一閃させた。

 青年はひらりと踊る様に避けて続けざまに突きと斬りの攻撃を仕掛けてくる。一方的に押されながら必死で記憶を辿ると、三年ぶりに孤児院を訪ね再会したミヤマが軍を悪しざまに言った後で「あたしが死ぬ前に会いに来てくれてありがとうね」と同じように笑ったのを思い出した。


 ミヤマは死を覚悟していたからこそ、あのように美しく澄んだ顔で笑っていたのだ。


「お前も、」

 死を覚悟しているのか。

 能力者同士の戦いで命を落とすことを覚悟しているというよりも、いっそのこと死を望んでいるかのように。

 やはりゾッとしてタキは頬の内側を噛む。

「どうした?手応えが無さ過ぎてつまらない」

 逃げと防戦に終始しているタキに苛立ったのか深く懐へと入って来た。同時に肌を掠めるひやりとした鉄の感触に震え上がる。

 互いに命をかけて戦う生存競争の末に屠り、屠られるのならばいい。

 ただ片方が死にたがっている場合、生き残り手にかけた方の罪悪感は計り知れないほどだろう。

 全力で戦って勝者と敗者が分かたれるのではなく、相手に乗せられるままにその命を奪わされるのは釈然としない。

「お前がってくれないのならば、別の人間に頼んでもいいか……」

 仕方がないと呟き、鋭く抉るように剣先を繰り出してきた。丁度胸の中央。避けきれないと判断し、タキは大剣を消して水に濡れた右腕に意識を集中させ能力を集めると胸の前へと差し込んだ。

 なにかが弾けるような甲高い音が聞こえた。

 それがなにかを確かめることはできなかったが、驚愕に目を見開き青年は掌を凝視し直ぐに新たな力を集めて己の肉体を硬化させ始めた。

 指が奇妙に伸びて捻じれ一本の剣へと姿を変える。その一瞬を逃さず拳を握り青年の左頬を殴打した。

 骨がぶつかる鈍く硬い音が響き、キョウが悲鳴を上げる。

 よろめいたが青年は持ちこたえ不完全ながらも硬質な刃でタキの腹部を斬り裂いた。鮮血が散るが臍の上を浅く横に刻んだくらいの傷がひとつ増えたくらいで今更動揺はしない。

 死にたがっている人間を殺すことに後味が悪いと尻込みしている場合では無いことを残念に思いながら、脅威となる能力者がひとりで減らせるチャンスを無為にできないと心を奮い立たせた。

 贅沢を言っていられないのはこちらの方なのだから。


 有難いと思うしかない。


 そう腹を括ってタキはもう一度濡れた手に力を集め、突き出された青年の剣を巻き込むようにして抱えて止めた。

 眉を寄せて怪訝そうな顔をした青年の灰青色の瞳をじっと見据えながら、徐々に力を込めて引き絞る。

「なにを――?」

「……望みどおり、ってやる」

 体重をかけてゆっくりと下方へと力を加えてやるとミシミシと軋みを上げて刃が撓る。なにをしようとしているのか気付いた青年がさっと青くなり具現化を解こうとして焦った。

 冷静さを失えば力を制御する精度が落ちる。

 瞬時に出したり消したりができるはずが焦りのせいで遅れた。


 パキッ――――。


 思いの外軽い音と共に刃は中程で折れ、青年の言葉にならない絶叫が喉を通り抜けて行く。

 血が滴り、タキの肘の内側に残された刃は中指と薬指へと姿を変え、地面には小指と人差し指がまるで作り物のように転がっていた。

「悪く思うな……」

 新たな返り血でコートを汚しながらタキは大剣を再現する。

 痛みに悶える青年は血が流れる掌を必死で押えながら青白い顔で乱れた精神を落ち着かせようと荒い呼吸を繰り返していた。

「望んだのはお前の方だ」

 息を吐き出す瞬間に振り下ろした大剣を避けもせずに、青年は反射的に左腕を持ち上げて頭部を庇った。その口元にあの透明な笑みを張りつかせているのに気付いたが、全てを断ち切るように腕を振り切る。

「やめ、」

 涙に濡れた懇願が聞こえたが、既に血飛沫を上げて青年の腕は宙を舞っていた。肘から先の紺色の袖に包まれた腕は地面に叩きつけられた後で二度ほど跳ねて漸く止まる。

「いや、ちがう」

 混乱しているのか何度も頭を振ってキョウは腕を拾い、泣きじゃくりながら胸に抱き締めた。

「こんな、生殺しみたいなやりかたしてないで……さっさと、殺せよ」

 乱れた呼吸の合間に青年は早く引導を渡せと責め立てる。己が流した血だまりの中に立つ青年の姿は断罪を待つ罪人のようだった。

 感情という愚かな楔を断ち切れなかった青年の懺悔を聞くことはできない。

 それはタキの役目ではないだろう。

「すぐに楽にしてやる……」

「だめ!それはだめ!」

 弾かれたように叫び、キョウが足を縺れさせながら間に入り込んできた。涙に濡れた瞳で真っ直ぐにタキを見つめる。

「死にたいと望んだのは私。死ぬべきなのは私なの」

 リョウじゃないと涙を流すキョウの告白にタキは口を閉ざし、青年は苦しげに息を詰めた。

「裏切り者とホタルを恨みながら、国を狙う許されざる敵であると警告されてもリョウを失いたくないと愚かにも思った私の方が余程罪深い。どうせ叶わぬ想いなら、」

 死にたいと願った。

「なのにどうしてこうなったの?私じゃなくてリョウが死ぬなんて、そんなのいやよ」

 悲痛な声は星の瞬く夜空へと吸い込まれて消えていく。

 青年の表情に変化は無く、喜びも驚きも迷いも無かった。ただ諦念の色を浮かべた瞳でキョウの横顔を眺めている。

 ひとりの女にこれほど求められたとしても異能の民として生きていくことの方が重要なのだろうか。タキには解らないが青年の恐れた自分では押えられぬ感情がキョウへと通じていることは間違いない。

「……馬鹿馬鹿しい」

 互いが想い合いながらも立場のせいで結ばれないからと死にたがっている男女を前に急速に気持ちが萎えてくる。

「一旦休戦だ」

 背を向けたタキに向けられる二組の視線はそれぞれが違う感情を持って注がれていた。「おい、待て」と呼び止めた青年の声には手を上げて応えてその場を後にする。

 能力者を葬ることはできなかったが、怪我が癒えるまではたいした動きはできないだろう。

 戦力を削ぐことはできたと思い、由とすることにした。


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