エピソード152 問題点
反乱軍クラルスと第六区のフォルティア、そして義勇軍のフルゴルの部隊によって第五区の海軍基地は落とされた。
その最中にタキが新たな能力者と出会い、怪我を負ったことは少なからずホタルに衝撃を与えたが、友人を見舞う僅かな時間を作るよりも山積みになった頭の痛い問題を片づけることを求められそっと嘆息する。
幸いにもタキの怪我は快方に向かっており、日常生活に問題は無く、基地制圧の最期には戦闘にも参加したというから罪悪感はあるが止む無しと諦めることはできた。
現在タキは第五区に留まり、消波ブロックの撤去と保安部との攻防で忙しい。
彼もまた玉砕覚悟で向かってくる保安部の戦い方に心を痛めているようだが、同情や手加減した所で彼らのカルディアと統制地区を隔てる壁よりも高い自尊心はそれを拒むだろう。
「……結局、父が言っていた通り自立を阻むのは食糧の確保と資金か」
苦々しい思いで次々と寄せられる要望書や嘆願書を前にホタルは頭を抱える。特に第一区にある武器工場からは雇っている無戸籍者に払う給金が足りなくなっていると毎日苦情に近い書類が届けられていた。
ホタルが無理難題を最初から押し付けたせいで、工場長の頭が薄くなったと嘆いているという噂も聞く。
「当初は材料をカルディアから納品していたが、今では港に入ってくる個人の貿易船から細々と金属を買い入れるしか方法はないし」
「材料の不足と資金源の不足は如何ともしがたい問題ではありますが、早急に対処しなければのちのち困ることにはなります」
第七区の工場地帯を担当しているラディウスは、その地区で工場を経営している人々からの声をホタルに上げるために第二区へと訪れている。
眩いまでの白皙の面にフレームの無い眼鏡をかけたラディウスの容姿は軍人というよりも有能な官吏のようで、実際計算に強く銃を持つよりもこちらのほうが性に合っているようですと十五年も軍に身を置きながら発言するような男だった。
「資金に関しては元々統制地区内にスィール国の貨幣が少なすぎたんだ。充足したくとも造幣施設はカルディアにしかない」
「金融不安に加え情勢が不安定な国に貿易船や商船も入っては来たがらないでしょうし」
「未だに内戦で荒れているとなれば尚更だな……」
「しかも今の状態ではどなたが統制地区を治めているのかも解りませんしね」
ラディウスの含みを持った言い方にホタルは苦い表情を浮かべ、手にしていた書類の束を机の上に置いた。
連合軍として動き始めた時からどちらが主導権を持つのかと双方から強い懸念と共にはっきりさせるべきだと言われ続けている。
ホタルもタキも互いのできぬことを補い合いながら協力していければいいと思っているのだが、周りはそうとは思っていないらしい。
主導権や指揮権などはそもそも率いている部隊が違うのだから、どちらが上かと明確に示さずとも問題は無いだろうに。
「今の所大きな弊害や障害にはなっていないはずだ」
この話はしたくないが多くの兵たちに故郷を離れて、今まで仕えていた軍と国に背けと命じた手前彼らの不満や疑念を晴らす責任はホタルにはある。
「今の所は、ですが」
本来単なる学生であるホタルの命令に従わされることへの苛立ちや不平を今は面に出さずにいてくれているが、それが表面化し始めれば彼らを説得することも抑えることもできないだろう。
タキとは違い彼らからの全幅の信頼を得ているわけではないのだから。
見えぬ所でセクスが動いてくれているのを知らぬほどホタルは阿呆ではないつもりだ。
「今最も重要なのは誰がこの地区の権限を持つかではなく、資金繰りと食糧確保の方だ」
統制地区の人口は約一千三百万人と言われている。飢えと激しい戦いや争いで奪われた命があるとはいえ未だ多くの住民がこの地区にはいるのだ。
彼らの生活を支え、この街の機能を維持するためには銃よりも頭が必要だった。
「首領自治区はどうしているんだろうか……」
「あそこはボルデという港街があり、独自の交流がある国々から物資が入って来ています。更にコルム国から三ヶ月に一度船が入り医療支援や食糧支援を受けているそうです。貨幣についてはスィール国のものを使用してはいますが、自治区で出回っているものは処分される前のものや古いものばかりのようですね」
自治を認められてから五十年が経っているのだから独自の取引先ができているのは当然だろう。貧しいはずの自治区の市場にあれほど活気があったのも他国からの物資が多く入っているのならば頷ける。
「……でも、プリムスには代わりに取引できるような産業も特産品もない。なにを元手にしているんだ?」
「自治区と交流のある国は全て先進国です。彼らは自国で不要になった衣類や金属加工品や生活用品、売りものにならない野菜や賞味期限の切れた食料品といった、いわばゴミ同然のものを運んでくるのです。そして、」
自治区の先にある汚染地区の砂や水、植物や住民の血液や細胞を持ち帰り科学兵器がどのように影響を与えているのか調べているのだと教えられてホタルは言葉を失った。
プリムスは研究材料を差し出す代わりに多くの品物や支援を受けているのだ。
その強かさに驚愕し、そしてそれ以外には他国に差し出す資源がなにひとつ無かったことに胸が苦しくなる。
自分たちの寿命や健康を損ねている原因を元手に日々の生活の糧を得る――なんという凄まじい生の執念か。
「……私たちにはとれない方法だな。統制地区には他国が魅力を感じるほどの資源はなにひとつない」
「特筆できるような産物もありませんし」
五十年前ならば豊富な水と進んだ科学技術があったが、今では衰退の一途を辿るこの国には誰もが見向きもしない。
こうなる前に手を打つことはできただろうが、総統はただ手を拱いて見て見ぬふりをし続けた。
「なにかいい策はないのか……」
このままでは金が回らずに破綻する。
事業者だけでなく住民からの苦情が出始めるのも時間の問題だろう。
袋小路の中へと追い込まれたかのように逃げ場を失った状態で苦しんでいると、執務室の扉が叩かれセクスがカルディアから書状が届きましたと入ってくる。
「カルディアから?」
もしや休戦の申し出だろうか。
期待して受け取り、しっかりと糊をつけられ封をされた書状を鋏で開けて開く。三つ折りにされた紙を伸ばして目を走らせると、飾り気のない簡潔な挨拶文の後で幾つかの条件が連ねられていた。
統制地区で生産される全ての商品の三割をカルディアに納めること、武器の製造は国の監視の下生産量を決定すること、新しい技術や産業は国に認可を求めその売上げ金額に応じて国へ税を納めること、国から求められた情報は全て開示すること、これまで通り電力供給をカルディアにも送電すること、協力を求められた場合直ちに総統の名の元に総力を挙げて戦いに赴くこと――以上の条件を許諾し順守するならば。
「――――自治を認める?」
目を疑うような内容にホタルは震える声で語尾を上げた。セクスが眉を寄せ、ラディウスが興味深そうに目を光らせる。
「どなたからの書状ですか?」
信じ切れないセクスの問いに慌てて最後の署名を見た。
「……総裁の名と、中央参謀長の名が」
政の長たる総裁コガネと中央参謀部の長であるラットの名を見てホタルは困惑する。条件付きで統制地区の自治を認めるとは書かれてあるが、そこにこの国の総統の名は書かれていなかった。
全ての権限は総統にあるはずで、正式な文書としての効果がどれほど目の前の紙にあるのかは解らない。参謀部には父ナノリも賭けをしているハモンもいるはずで、突然の書面に惑うことしかできなかった。
「どのような思惑の元で作成されたか解らぬ以上、迂闊な返事はできかねますかと」
慎重なセクスに対して戦っている場合ではないと主張するラディウスの間でホタルは天井を仰ぐ。
「…………相手の出方を見るしかないだろう」
戦うだけが方策ではないはずだとずっと考えて来ていた。
カルディアから出された自治への道を選びたい思いがある。それでもセクスの言うようになにか裏があるのならば簡単に飛びつくわけにはいかない。
「それから決断を出す」
「おひとりで?」
胡乱な言い方でラディウスがこちらを見るが、ホタルは嘆息しながら「我々は連合軍だ。他の組織とも話し合う必要がある」と立ち上がり届いたばかりの書状を懐に忍ばせて机を迂回する。
「時間が無いので今から主要な各区の代表者すべてに連絡をしてくれ。二時間後に集まってくれるように……頼む」
セクスは恭しく了承し頭を垂れたが、ラディウスは不満げな顔をしている。
「できれば私もセクスも戦いより、平和的な道を行きたいと思ってはいる。少しでも早くみなが自分の家へと戻れるように努力する」
だから今は我慢してくれと願う気持ちで視線を注ぐと、諦めたようにも呆れたようにも見える瞳で見つめ返してきた。そして美しい敬礼をし「朗報を待っております」と応えた。