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C.C.P  作者: 151A
異能の民
152/178

エピソード151 ゲームをしよう



 目の前に並べられた昼食は小さな円卓いっぱいに乗せられ、見た目には鮮やかだったが作られてから随分と経っており、反乱軍で提供されていた粗末な食事の方が余程美味しそうだったと感想を抱く。


 ダニエラはどうしているだろうか――。


 あそこでヒビキの世話をしてくれていた少女の顔を思いだし、ほんの少しだけ心が沈む。彼女がどれだけ気を使ってくれていたのか、離れて初めて気づいたのだから愚かなことだ。

 初めて会った時になにかをする前には必ずヒビキの意思を聞き、ベッドに近づく時でさえ「そっちへ行っても大丈夫?」と確認してきたのは心身ともに傷つき怯えていたことを考慮して思いやってくれていたのだと今なら解る。

 そして細心の注意を払いながら、ヒビキの気持ちに寄り添って対処できたという事実が彼女もまた同様の恐怖体験があったと察することもできた。


 それなのにどうしてあんなに明るく笑っていられるの?


 できるのならば彼女の元を訪ねて聞いてみたいが、それは許されない。

 ヒビキは目の前に座る美貌の男を軽く睨んで、選りすぐりの食材で丁寧に作られた料理をいらないと態度で示す。

「……総統の食事を作る料理人が腕をふるったものがお気に召さないとは。さすがは副参謀ナノリ殿の御息女だ」

 我儘でいらっしゃると続く言葉に強い嫌悪を燃え上がらせた。

 勝手にここへと連れてきて、勝手に用意された食事だ。ヒビキの意思はなにひとつ入っておらず、食べたい物ではないのだからと拒絶を示したことを我儘だと非難されることは我慢がならない。

 ヒビキをここへと連れてきたのは目の前の金髪碧眼の美麗な男ではないが、むっつりと黙りこくって陰気な雰囲気のアキラという名の男よりはまだましだった。

 召し上がらないのならば、と円卓に椅子を寄せてナイフとフォークを使って上品に食べ始めた男の名はヒカリというらしい。

 ここが中央都市カルディアの中でも随一の栄華と繁栄を誇る総統の住まう黒き城だと説明された時には跳び上がる程驚いた。物心つく頃から遠目に見ているだけで、一度も訪れたことは無い城の中にいるのだと聞かされても素直に受け入れられない。

 だが窓から見える建物や三つの城壁が距離を置いて強大な黒い建物を囲んでいる姿は嘘偽り無く真実であると告げていた。

 ヒビキがいる建物は大きな城の端の端にある離れのような塔で、朽ち果てた花壇とくすんでなにも見えない硝子でできたサンルームが傍らにあるだけの寂しい場所だった。

 開放的なほど大きな窓は嵌め殺しで部屋の中に陽射しを燦々と降り注いでくるが、開けられないのでは爽やかさとは程遠く、まるで日中はサウナのように汗が滲むので仕方なく日が暮れるまで太陽の光から逃れるために部屋の隅で蹲るしかない。

 美しい庭園でも見えるのならば退屈を紛らせることもできるし、窓が開くのならば心地良い風を感じ鬱屈した気分を晴らすことができただろう。


 なんなら高い塔の上から飛んでみるのも良い――。


 結局は囚われの身であることに変わりは無く、丁重に扱われてはいても自由は無かった。

「ナノリ殿は本当に貴女のことを溺愛しているようですね」

 血の滴るようなステーキ肉をぱくりと口に含んで咀嚼し、飲み下した後で笑い含みにヒカリがこちらを見つめる。

 塔の端から身を躍らせ重力から一瞬だけ解放された後で、強烈な引力で大地へと落下しただの肉塊へと己が変わるさまを夢想していたヒビキは現実へと戻されて臍と唇を曲げた。

 父の愛情がどれほど深かろうが、所詮は救うことはできなかったのだからヒビキにとって意味も価値も無い。

「貴女の情報をチラつかせるだけでこちらの思惑通りに動いてくれるのだから」

「………………どうでもいい」

 父のことも、ヒカリの思惑も。

 利用価値があるせいで死ぬことを赦されず、こうして生かされているのだから迷惑な話である。

 相変わらずどうやって死のうかと考えることが唯一の楽しみであり、突然おぞましく嫌な記憶が蘇る現象から逃れられる精神安定剤でもあった。


 私は穢れている――。


 身体も心も。

 誰にも暴行を与えられない日々がどれほど続いたとしても、あの男たちが刻みつけた痛みと屈辱はとてもじゃないが許容できない。

 今でも肌の上を這い回る汚い指や唇の感触が残り、己の欲望のみを満足させるべく無理矢理身体を開かされ貫かれる行為がもたらす苦痛は消えることはなかった。


 生きている限り一生忘れることも、癒えることも無い。


 女として生まれたことを何度も後悔し、母と父を、そして神を恨んだが、そんなことをしても性別が変わることもなく、ヒビキが受けた穢れや記憶も消えることはないのだ。


 だから終わらせるしか方法は無い。


 ヒビキの人生を。


 母の愛を知らぬとも父からの愛を得て、兄と姉の優しい眼差しと周りの温かな思いやりで包まれた幸せな人生だったが、それはついこの前までのことで、あっという間に転落して今では地べたを這うような苦しみを味わっている。

 幸福と幸運の前借をし終えた後はもう不幸と不運しかヒビキの元には届かないのだ。


 ならばなんのために生きろというのか。


「今まではナノリ殿も参謀部が推し進める理想の歴史を作りだし、その為の道筋を辿ることを優先していたが……今ではラット参謀長にまで反抗的な態度を示し、参謀部から締め出されようとしている」

 それも全て貴女を取り戻すためにだよ、と優美な微笑みを向けられても嬉しくもなんともなかった。

 例え家へと戻れたとしても、腫物を扱うように気を使われて過ごし、更に使用人達から統制地区の男たちにどんな仕打ちをされたかと陰で噂されるなど考えただけでも憤死しそうだ。

 この国のどこにも行きたくはないし、戻りたくもないのだから放っておいて欲しい。

「愉快だよ。総統の傍から引き離そうと躍起になっていたナノリ殿が、信用を失墜させながら僕を護ろうとしてくれているんだから」

 ヒカリの声は華やかで聞いていて心地が良い。

 そんな声で父が立場や今まで積み上げてきた実績を全て無に帰していると聞かされてもちっとも実感が湧かなかった。


 結局父も愚かなのだ。


 智謀と冷酷無比な態度を誉めそやされていながら、末娘を救おうと全てを捨て去ろうとしている。

 最早手遅れであるヒビキを助けるくらいなら、兄や姉へとその愛情を向ければいいものを――。

「……………苛々する」

 自分が犯した愚行も、父の偏った愛情も、兄や姉が父を恐れ嫌う心の狭さも。

 全部が許し難く、激しく嫌悪した。

「もう、疲れた……。傷つくのも、悲しむのも、苦しむのも、恨むのも、腹が立つのも」

「生きているのも?」

 優しげな響きで問われた言葉にこくりと頷くと、ヒカリが「死にたいんだね」と囁いた。

「そう……死にたい。この世界から、消えたい」

 雁字搦めに縛り付けている肉体から解放されたいのだ。

 真の意味での自由が欲しい。

 泣きたくても涙は出尽くしてしまって、自分のために泣くことすらできないのだ。人が限界まで追い込まれた時には憐れんで、慰めることもできなくなるなんて知らなかった。

「随分と辛い目にあったようだね」

 食事を終えて口元を布巾で拭いながら碧色の瞳にほんの少しだけ憐憫の色を乗せてため息を吐く。いつの間にか円卓の上の料理は全て平らげられ、空の皿だけになっていた。

「忘れさせてあげようか?」

 まるで下手な口説き文句のような言葉だが、ヒカリは真剣な顔で美しい声を使って誘ってくる。

 甘い響きは欠片もない。

 暗い目をして人生を悲観している子供に色目を使わねばならぬほど、目の前に座っている男は女性に困ってはいないだろう。

「勿論、ただでとは言わない」

 壮絶なほど綺麗な笑顔を浮かべるこの男はまるで天使か、はたまた転落を唆す悪魔か。


 どちらでもいい。


「こんな所にずっと閉じ込められていては貴女も気が塞がるばかりだろうし、ゲームをしないかな?」

「ゲーム……?」

 外へ出してくれるかもしれないと仄めかされて興味を示すと、ヒカリはそうだよと優しく囁いた。

「僕の願いを叶えてくれたら、貴女の嫌な記憶を全て忘れさせてあげるよ」

「そんなこと……できる訳ない」

 どんなに幸せな記憶や経験を上書きしてもヒビキの中に刻まれた悪しき感情と記憶が薄らぐことは無い。

 全て忘れさせることなどできないし、もしできるのだとしたら一体どんな方法を使うのか。

「いいや。できる。試しにひとつだけ忘れさせてみようか……。さあ、僕の目を見て」

 促されるまま見つめてしまった青よりも緑の色味が強い瞳の中は、どこまでも綺麗で深く広がっていた。吸い込まれて深みに嵌っていくような恐怖と不安が湧き上がり、ヒビキは思わず身じろごうとしたが身体が固まり動けない。

 じっとりと汗腺が開いて冷や汗が滲む。熱すぎるぐらいの部屋にいながらゾクゾクとした寒気に襲われ思わず悲鳴が喉元まで上がって来たが、声帯が凍りついたのか呻き声ひとつ漏れ聞こえなかった。

「……そうだね、恐怖を、忘れさせてあげようかな」

 その方が都合がいいとヒカリはまるで歌うかのように声を弾ませた。その伸びやかで空気を震わせる旋律はヒビキの耳を奪い、そして心をも奪ったかのように鼓動が跳ね上がる。

 急速に速まる心拍に追いつけずに息苦しさを感じ、眉根を寄せて必死で呼吸を繰り返す。

 死にたいと望みながら、息ができないことに焦りを覚えるとはなんと浅ましい人間なのかと激しい失望感に苛まれ、悔しくて歯を食いしばる。

「恐れるものなどなにもない。貴女にはこれ以上失うものはなにも無いのだから」

「……そ、う……だわ」

 ヒカリが言うようにヒビキは今まで大切にしてきた全ての希望や理想を打ち砕かれ、その手にはなにも残ってはいない。

 人が恐怖を抱くのは失われることを本能で忌み嫌うからに他ならないのだ。

 ヒビキが欲するのは死であり、最後に残ったものはこの身ひとつ。つまり殆どの生物が恐れる死すらも、ヒビキを損なうことができないということ。

「なにも、恐くない」

 恐怖という感情を手放したことで不思議と心が軽くなった。

 再び悪漢に囚われて無理強いされたとしても、今までのように暴力に屈することはない。無力な子供だと相手が思っている隙をついて、その命を逆に奪ってやればいいのだ。


 もう二度と触れさせたりはしない――。


 その決意さえ持てればよかったのか。

 漲る力に支えられヒビキは達観した気持ちで瞳を瞬いた。

「どうだい?忘れられただろう?」

 素直に首肯してみせるとヒカリは機嫌よく笑み崩れる。

「ではもう一度問おうか。僕とゲームをする気はあるかな?」

 彼ならば全てを忘れさせてくれるかもしれないと何故だか疑いも無く信じられる気がした。実際に恐怖感という目には見えないものをヒビキの中から消しさってくれたのだから。

「――なにが望みなの?」

 慎重に聞こうと思っていたのに、気が焦って単刀直入になってしまった。

 そんなヒビキを微笑んで眺めヒカリはある男の殺害を依頼した。


「革命軍にいる金の瞳の青年を殺して欲しい」


 銃を持ったことも無い十四歳の小娘に平然と頼むヒカリの神経を疑うが、それを二つ返事で頷いた自分の神経もまともではないのだと自覚して口の端を持ち上げて久しぶりに笑顔に近い表情をヒビキは作った。


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