エピソード144 連合軍
「治安維持隊は構成している人員が全て統制地区の人間だからこちら側へと速やかに投降してくれたけど、やっぱり保安部はそうはいかないみたいだ」
その殆どをカルディア出身の人間が占めている保安部は、選良意識が高くどんなに戦力が劣っていようとも武器を捨てて投降することはなかった。
反乱軍討伐隊は名称を義勇隊と改めて、クラルスと共に連合軍として動いている。
主に治安維持隊が見回りをして、保安部と戦うのは義勇隊の仕事だ。クラルスは第五区にある水力発電所を擁する海軍基地を落とすべく今は全力を尽くしている所だった。
第七区の工場が稼働し始め、少しずつ港から荷物も入るようになってきており人々の暮らしは落ち着きを取り戻してきたように感じられる。
略奪が横行していた商業施設のある第三区も維持隊が目を光らせ、目に余る者たちを義勇隊が捕えることで徐々に治安はよくなっていた。
「……ただ、まだ他国の大型船が入ってこられるようになるには難しいか」
「仕方ありません。大型船は国の許可が無くては入港ができませんから」
セクスの冷静な答えにホタルは頭を抱える。勿論国が統制地区に食糧や日用品を積んだ貿易船の入港を許すわけがなく、訪れるのは小さな個人の商船やスィール国の貿易商が帰って来るくらいのものである。
それでも全く無いよりは断然有難く、彼らのお陰で統制地区の住民の元へ少ないながらも商品が届くのだから。
人工栽培所も商売相手をカルディアから統制地区へと切り換えて、利益は無いのに協力的であることにも救われていた。
「アオイ様の方はどうなっているんだろう……」
カルディアの情報は保安部によって閉ざされ、統制地区には漏れ聞こえてこない。反乱軍討伐隊として東の壁の内部に本部を持っていた時にも届けられる情報は少なく、都合の悪いものは全て情報部と保安部によって揉み消されていたはずだ。
「統制地区全てを解放して門を突破して、心願成就の御助力が早くできればいいんだけど」
現在は門の丁度正面にあたる第二区にある大学の施設を占拠し、連合軍本部として使用していた。
門の東壁側にある第一区は人工栽培所や武器工場もある上にカルディアの傘下である大企業や優秀な技術者たちが働く場所だ。保安部は第一区を取り戻そうと躍起になっており、ここを落とされては武器と食材の調達もままならなくなることから連合軍も必死の攻防を繰り広げている。
速やかな対応をするには陸軍基地からでは遠く距離がありすぎ、第五区の海軍基地を落とすのにも便利であるとして第二区へ本部を設置したのだ。
ホタルには馴染のある大学校舎であり、抗議を受けに通った教室や師事を仰いだ教授の部屋などがあるここは心が落ち着く。
「まずは目の前のことに集中できねば、その先など考える資格はありません」
「解ってるよ、セクス」
保安部は全勢力を使って戦いを挑んできている。彼らは誇りと軍国主義への忠誠を唱えて反国勢力である連合軍を討ち滅ぼそうとしていた。
妹が所属する部隊が烈火の如く攻めてくることに複雑な思いを抱きつつ、キョウが戦場へと出てこないようにと無駄なこととはいえ祈らずにはいられない。
戦闘後に回収され、一様に並べられる遺体の間を歩きながらそこに妹の姿が無いかと目を走らせる作業が一番辛く気が重かった。
全てを話して、キョウを引き抜いていればこんな思いはしなかっただろう。
だがそれではどこからか洩れる恐れもあり、正直悠長に妹と話す時間すら取れなかったのだ。睡眠時間さえ削り、セクスと打ち合わせを重ねながら通常の業務をこなす。時間をかけ過ぎれば機を逸し、そしてハモンに逃げられる可能性があったホタルには焦りしかなく、キョウのことに頭を割く余裕などどこにも無かったのだ。
言い訳に過ぎないと解っている。
自分の決断がやがて妹と敵対することになることに気付けない程、周りが見えていなかったわけではないのだから。
結局後回しにしたせいでキョウに謝罪も説明もできぬまま敵として立つことになってしまった。
きっと怒っている。
恨んでいるに違いない。
父を裏切り、妹にさえ銃口をつきつけることになったのだから。
更に妹の傍に異能の民の能力者がいると聞けば尚更心穏やかではいられないが、敵対してしまった以上キョウと顔を合わせるには戦場でしか可能性がない。
だが硝煙の匂いが立ち込める場所での再会など望んでおらず、それならば他に手を尽くして警告をした方がいいのだろうがいい案が思いつかぬまま日は経っている。
「第五区を任せていたフルゴルとタキは上手く合流できたのか?」
「滞りなく、と報告を受けています」
「では間もなくか、」
ホタルが毎日のように通っていた研究所があるのは第五区である。車などほとんど通らない罅割れたアスファルトと黒い岩場の続く海岸線。そして海側に作られた大学の水質研究所。国に護られたその場所は今どうなっているのだろうか。
学生も教授も自宅へと避難して統制地区から引き揚げてしまったせいで、人々の渇きを癒すための研究は中断されているに違いない。
こんな中でも熱心に研究をしている人間がいるとしたら人々を救う責任感に燃える研究者か、単なる勉強と研究にしか打ち込めない変人かのどちらかだろう。
あそこへと通っていた頃は大義も正義も持ち得ない自分にはなにも成せないと僻んでいたが、今はこうして友と肩を並べて新たな国を作るために戦っているのだから驚くべき変化である。
まだ勇気無き偽善者の域を出ないホタルが真の善たる者となるには努力も実力も足りなかった。
清くあることなど普通の人間であれば不可能であることなのだ。
ただ清くありたいと願い行動できるかどうかはその人物次第であると思うから。
「賭けにも、戦いにも負ける訳にはいかない」
全てが終わった時に父やキョウには謝ろう。
だからそれまで死なないで欲しいと願うのは随分勝手なのかもしれない。それでもそれが正直なホタルの思いなのだ。
不安定な情勢の中で安否の解らないままのシオやスイ、アゲハのことを考える。
アパートにスイもアゲハもいないことは遣いをやって確かめた。何処にいるのか解らないが、生きていてくれていると信じるしか今は方法がない。
行方を探すのも全てが済んでからしかできないのだ。
なにもかもが今どうすることもできないことばかりで歯痒いが、今しかできないことが山積している中ではどうしようもなかった。
セクスが言うように目の前のことに集中して挑むことができないのならば、次のことを考えることも進むことすらできないのだ。
そんなに器用な方ではないから。
ハモンや父のように参謀部の人間ならば一度に複数の案件を抱えて対処することができるだろうが、残念ながら彼らから見ればホタルは低俗であり無能であるといえる。
慎重を通り越してただの臆病者なのだから、あれこれと無駄に思い悩むことが多い。優柔不断だと言われる原因でもあった。
「ラディウスから第七区の工場稼働における生産の状況と消費電力の問題の報告を受けておいてくれ。私はアルブムと共に前線に立つ」
「ホタル様……」
心配しているのがありありと解るセクスの声はため息交じりではあったが、不承不承に小さく首肯する。
「ご自分の射撃の精度が低いことをどうかお忘れなく」
「解ってるよ、全く」
赤面すればいいのか、激昂すればいいのか解らない妙な注意を与えられてホタルは椅子から立ち上がる。自分が銃の扱いに向いていないことくらいよく解っていた。どんなに練習しても引き金を引く時に迷いや不安が過るのか、両手でしっかり構え狙いをつけていたはずの銃口は発射の衝撃と共に大きくずれる。
きっと怖いのだ。
弾が当たった時に苦しむ人の姿や、血を流して倒れ伏して動かなくなる姿を見るのが。
本当にどれだけ弱いのか――。
クラルスの孤児である少年兵の方が躊躇いなく撃つことができるという事実にひどく落ち込んだ。
そんな時にタキが笑いながら「ホタルは弱いんじゃなくて優しいんだ」と慰めてくれたが、義勇軍を率いるホタルが怖気づいていては示しがつかない。
「日が落ちる前にクラルスは頭首が先陣を切り海軍基地へと攻撃を開始する。我々は門前で保安部の攻撃に備える」
ここは任せたと続けると敬礼をしてセクスが応え「どうか御無事で」と武運を祈る。
それに笑顔で頷いてホタルは準備を整えて待っているアルブムの元へと向かった。




