エピソード142 適材適所
透明度の低いこの国の海はどこまでも黒く重い。西から吹く風は生臭く、“死せる海”の名を欲しいままにしていた。
それでも港に船が入って荷が下ろされているのを見れば、この海が人々の暮らしに必要な物を運んできてくれるのだと感謝したくはなる。
工場の煙突からも灰色の煙が上がり、第七区も数カ月前の賑わいを取り戻そうとしていた。
「タキ、忘れものだ」
世話になっていた親方の声は港に明るく響き渡る。振り返れば白い歯を見せてニッと笑っていた。その手に事務所に置きっぱなしだったカーキ色のモッズコートを持っており、ずいっと差し出されタキはそれを受け取る。
「保安部に捕まったと思ってたからな。戻ってこなきゃ形見にでもしようかと考えたが、流石にオレには小さいわ」
「親方がでかすぎるんだろ……」
がっしりとしたタキよりも更に筋肉と上背のある親方には、大抵の人間の服は小さいだろう。販売されている服も中々サイズが合わないのだと不満を漏らす親方にタキは苦笑いを返した。
「約束の一割は明日クラルスのアジトへと運べばいいんだよな?」
「そうしてくれ。俺は暫くアジトにはいないから、ハゼが対応してくれるはずだ」
「なんだよ。忙しいんだな」
呆れた顔の親方にタキは小さく首を振る。
「……仕方ない。まだ全てが解放され、目的が達せられたわけじゃないから」
壁は変わらずカルディアと統制地区の間に立ちはだかり、まだ活路が開かれてはいないのだ。
人々の暮らしや治安は少しずつだが上向き始めている。
それでも完全では無く、又仮初めの安寧でしかない。
統制地区には未だに第五区に海軍基地があり、そこには多くの海軍兵士が守りを固め尚且つ第六区との境にまで派兵してきているのだ。
アポファシスとフォルティアからなんとかして欲しいと要望が出ているので、これからホタルとその対応について作戦会議の予定があった。
「難しいことは得意じゃないんだが」
「オレたちは頭使うより身体使う方が向いてるもんな」
はははっと明るく笑い飛ばされて、タキも頬を緩めた。大きな硬い掌が背中を力強く叩いて「頭働かせるとこはあっちに任せて、お前は現場で身体張ればいいんだよ」適材適所だと元気づけてくれる。
「頑張ってこいよ。期待してんだからな」
「俺も、親方には期待してるさ」
「なにをだ?」
きょとんとした顔をして親方は首を捻る。
期待された所でなにもできないぞと言わんばかりの仕草にタキは破顔した。
「全てが終わったら、また親方の所で働かせてもらおうと思ってる。だから潰れないように頑張ってもらわないとな」
「お前、なに言ってんだ?クラルスの頭首まで務めた男をこんな、ちっせえ会社の荷降ろしの仕事なんかさせられるかっ!」
何故か顔を真っ赤にして怒鳴られて「なに考えてんだ!」と叱れて。
「ここがいいんだ。親方の会社で、船に荷を積んだり降ろしたりするのが一番俺にあってる。適材適所だよ、親方」
だからその時には雇って欲しいと頼むと大きく身体を震わせて「ふざけやがって、バカ野郎が」と洟を啜り上げた。
「じゃあ、行ってくる」
「おう、気を付けてな」
港を出て工場地帯をゆっくりと歩く。保安部に追われて逃げ回った夜がとても遠い昔の出来事のように感じられ、今まで色んなことがあったのだと感慨深く思う。
全てが自分の力ではどうにもできないほどの大きな障害ばかりで、悩み惑いながらも手探りで進んできた。
多くの仲間が倒れ、そして多くの敵の命を奪って今ここにいる。
正しいのか間違っているのか考える暇も無く突っ走って来たが、漸く見えてきた終着点はそれでも尚遠い場所にあった。
そしてタキ自身の願いも夢も明確に描けるようになったことは新たな心の支えとなっている。
第七区の先にある陸軍基地へと向かうと両開きの頑丈な門の前に立っていた見張りの兵たちが敬礼をして迎えてくれた。ついこの前までは敵同士だったのにと複雑な思いを抱いているのはお互い様だろう。
彼らの友人を血祭りに上げたのはタキかもしれないし、第八区の無抵抗な住民を殺しまわったのは彼らかもしれないのだ。
それでも今は同じ物を目指して戦う仲間だ。
過去のしがらみや恨みは一旦置いて、手を取り共に歩もうと誓った。
タキは会釈をして返し、開けられた門を通って奥の巨大な建物へと進んだ。
「ハモンの妹は学生時代に異能の民と接触。マザー・メディアに傾倒して入信し、それ以降行方が解らなくなっていたようです」
国へと反意を示した討伐隊はカルディアへと続く門を潜ることができず、家にも帰ることはできない。だが驚くべきことにセクスはハモンとその妹についての情報を仕入れていた。
「……本当に、どこにでも入り込んでいるんだな」
顎に手を添えて嘆息するホタルは呆れているようにも、怯えているようにも見える。仕方がないだろう。異能の民という得体の知れない集団がその素性を隠して一般人のふりをして普通に生活をしているというのだから。
「ホタル様はハモンが下級住民の出だと知っていましたか?」
「……初耳だ」
目を丸くして頭を振るホタルの隣でカルディアの格差を思いタキは眉を顰めた。才能も技術もあったソキウスが下級住民であったがために正当な評価をされなかった元凶である厳然とした階級構造。
あの狂気に憑りつかれたような男もまた下級住民の出身なのか。
「幼い頃から異常に知能が高く、それを見込まれて中級住民の養子となりました。その際に支払われた金で妹と両親は随分と贅沢な暮らしをしていたそうです。ハモンと妹はそれ以後会うことも無く、消息を絶った後も別段心配したり探したりする様子もなかった」
「それがどうして、」
自分の命をかけてまで妹を誘き出そうとするほどの執着を見せるようになったのか。
ホタルの疑問に「さすがにそこまでは」とセクスが返答した。
「恐らく詳細を知る者はどこにもいないでしょう。知っているのは当事者であるハモンとシモンだけ」
「聞いても教えてはくれないだろう。それより問題はハモンの生い立ちではなく、異能の民の持つ異能力だ」
「……それはタキ様の方が詳しいのでは?」
セクスの視線がスイッと動いてタキへと向けられる。明らかに年上の男に敬称をつけられては落ち着かないが、別の呼び方をして欲しいと頼んでもクラルスの頭首としての自覚が足りないのではと冷たく返された。
以来その件に関しては触れられず、タキは呼ばれるたびに居心地が悪い思いをしている。
「能力については俺にもよく解らないことが多い。今までなるべく使わないようにしてきたし、意識して使おうとしたのもつい最近のことで」
教えたくとも理解できていないことばかりで、自分の能力について説明しろと言われても言葉にするのは難しい。
「能力者も俺以外で知っているのはアキラとタスクを殺した男、それからこの間の女だけだ」
「アキラって、反乱軍にいたって人だよね?」
「俺より先にクラルスに参加していた。風を自在に操る男だ。至近距離で撃ってもアキラを仕留めることはできない」
彼女との決別を宣言した夜からアキラは姿を消し今でも行方がしれない。何故かアジトの近くで保護した少女を共に連れて行った不可解さがタキの中で消化できずに燻っている。
「前頭首を殺した男は?」
「……腕から刃を生やしていた。恐ろしい切れ味で頭部を真二つにできる。一瞬で刃を消し――いや、消すというより出し入れができると言った方が近いか」
あの男の刃はまるで生き物のように蠢いて掌へと収縮し、それから徐々に手指へと変化していった。身体の一部といって差し障りない気がする。
「シモンは生と死を操るって自分で言ってたし……」
本当に人間離れし過ぎて勝てる気がしないとぼやくホタルは腕組みをして黙り込む。
「異能力も万能じゃ無い。無から有は生み出せないと言っていたから、力を使うのにはその元となるものが必要なんだと思う。俺の力は水に関することのみで、使うには水が必要だ」
「確かにシモンも穢れた魂を使って傷を癒すって説明していたから、他者の死を糧に治癒の力を得ているのかもしれない」
「成程、あの時無駄に兵の命を奪ったのもハモンを救うために使った力の補給を行ったと考えれば腑に落ちます」
「……じゃあ、前頭首を殺した男はなにを操る力なんだろう」
「金属、では?」
「――――そうか!血液や体内に蓄積されている微量な金属物質を使って身体の一部を金属化させているのかも」
セクスの助言に勢いづいたホタルが立ち上がるが、あまりにも途方も無い推測に直ぐに萎れて座り込んだ。
「どれもこれも人ならざる力すぎる」
「ホタル、不可思議な力を持っていても元々はただの人間だ。傷を負えば血が出るし、永遠の命があるわけじゃない」
必ずしも勝ち目がないわけではないのだと解って欲しい。
方法さえ間違わなければ勝てない相手では無いだろう。
「……なにか、対策を考えないと」
「異能力についてはもう少し可能性や脅威を検討しなければならないようですね」
「そういう頭を使う難しいことは任せる。俺は第五区の制圧に向かう」
腰を上げるとホタルがもう行くのかと少し残念そうに見つめてくる。
「第五区の討伐隊隊長だったフルゴルには連絡しておく。合流地点は第六区側でいい?」
「そうしてくれ」
「了解。僕たちも第二区の準備ができたから明日にでも移動を開始するよ。そのつもりでいて。じゃ、健闘を祈ってるよ」
片手でホタルに挨拶をしてタキはドアへと向かうが、途中で歩を止めて振り返った。言いそびれていたが、これは伝えていた方がいいだろう。
「ホタルの妹は保安部にいるだろう?」
「妹?うん、いるけど……話したことなかったよね?」
戸惑いながらも首肯する友人の顔には申し訳なさそうな表情も浮かんでいる。
タキを追い、そしてシオを捕えて北へと送り込んだ国の手先である保安部に妹が所属していると認めることが辛いのだろう。
「名前は確か――」
あの時あの男が口にした名前はアキラのものだけでは無かった。もうひとつ名を呼んだはず。
記憶を辿りながらタキはゆっくりと「キョウ……だった」と告げればホタルはさっと青くなった。
「どうして――?」
「……タスクを殺した男が大事そうに護っていたが、いつ手のひらを返されるか解らない。十分に気を付けた方が良い」
「キョウの傍に、異能の民が」
それも能力者である。
青を通り越して白くなったホタルが気の毒だが、黙っているよりは知っていた方がいいと思ったのだ。
大切な妹のことだから。
「目的を遂げるまでは危険は無いだろうが、あいつらの目的と方法は俺たちには想像もできないから」
安心はできないと忠告して、タキはそっと部屋を後にした。