エピソード140 駄目な男
――――油断した。
いや、違うのかもしれない。
雄叫びを上げて小銃を乱射しながら敵陣へと突き進んでいく行程の中で、いつもと異能の民の様子が違うと感じたのは彼らの目に貪欲な殺意が見えたからか。
奴らは常に凪いだ海のように感情を消して戦場で戦っている。
それが更に不気味さを強調しており、夢にまで出てきて魘されることがあると仲間内では苦々しげに愚痴られていた。
異能の民がこれだけ長く岬を出て首領自治区に留まり続けるのは異例のことであり、ここでアラタたちを仕留めることが狙いなのか、他になんらかの目的があるのかのどちらかだろうとニチヤは嘆息と共に推測した。
恐らくは両方だったのだ。
アラタたち戦闘を担う者たちが長く町を離れている間に、弱みに付け込み仲間に引き入れて潜伏させていたセリたち異能の民を使って襲わせた。そうすることで住民を混乱に陥れ、そして首領であるアラタの動揺を誘う。
自治区は首領と言う名と存在に大きく依存している所が強みでもあり、また弱点でもあった。
首領を討ちさえすれば簡単に崩れる。
前回のように同じ戦場に次代の首領がいれば問題は無いが、アラタの他には次の首領を引き受けるにたる血筋も人材もいない。
こんなことなら真剣に次の後継者について住民と話し合い、決めておけばよかった――。
胸に二発鉛を食らった衝撃で後ろへと倒れ込みながら浮かんだ後悔は最早取り返しのつかない失策だった。
「うがぁ、ぐ、――はぁ」
苦しみに喘ぐ己の声は酷くざらついており、頭の中で反響しながら激しい脈拍と混ざり合いぐるぐると巡る。荒い呼吸を繰り返した所で上手く空気が肺へと入ってこない気がして、焦ったように喉を掻き毟れば傷口から溢れた血が腕を濡らして湿った音を響かせた。
段々と狭まってくる視界の端に銃を手に近づいて来る異能の民の姿が映り、ヘルメットの下でギラリと輝く双眸とまるで笑っているかのように唇を歪めた顔が脳裏へと焼きつく。
死ぬのか。
どこか冷めた思いで事実を受け入れ、その実酷く狼狽していた。
慌てて右手を大地へと滑らせ自身の小銃を探るがその指が現状を打破できるだけの武器を見出すことはできなかった。
――これまでか。
あれだけアラタを苦しめた首領の座から解放されるというのに、心に過るのは一抹の寂しさと残される自治区の住民のこれからを案じる思い。
必ず護ると約束した故郷が踏み躙られる姿を想像し胸が痛む。
絶望の淵に立たされながら住民たちは選択を迫られ、多くが命惜しさに異能の民へと堕ちるのだろう。
それを誰も責めることなど出来ない。
誰もが死にたくないともがき、少しでも幸せになりたいと願うのだから。
カチリ――。
銃口が向けられ引き金に指がかけられる。
観念して目を閉じれば深く沈む闇の中は居心地が良かった。多少の息苦しさと硬い大地を意識さえしなければ安息を得られる。
「アラタ!!」
遠くから聞こえるニチヤの声には怒りが滲んでおり、通常の彼からは想像もできない程荒々しい。
死ぬことは赦さないと言われているようで、アラタは頬を引き攣らせながらも笑みを浮かべた。
数発の銃声が飛び交い、ドッと地面越しに重い物が倒れる音と衝撃が伝わる。
「アラタ、聞こえますか!?」
「うる……さい、聞きたくなくて、も……聞こえて、る」
目蓋は重く目を開けることはできなかったが、頭の上から聞こえてくるニチヤの声になんとか返答することはできた。
情けないことに力が入らず弱々しいものだったが、相談役の男がほっと安堵の息を吐いたのは感じられた。
「ここはなんとか俺が持ちこたえて見せます。だから貴方は一旦引いて怪我の治療を」
「でき、んのか?」
なんとかすると言い切ったが、そう簡単では無いだろう。
先代の首領であるダイチが戦場で凶弾に倒れた時の動揺たるや凄まじかった。戦闘を放棄して逃げ出す者と凍りつき動けなくなった者がぶつかり合い、恐慌状態に陥った者が悲鳴を上げて騒ぎ立てる。
大混乱の中で異能の民たちは淡々と攻撃を続けた。
あの場にアラタが居たことはプリムスにとっては幸いだっただろう。
銃弾を掻い潜り父の元へと駆けつけ、視線を合わせた時にダイチは決断の時が来たと促しアラタはその想いに応えるしかなかった。
そうすることでなんとか瓦解するのを持ちこたえたものを、ニチヤひとりでなんとかできるとは到底思えない。
「アラタが生きていてくれれば、まだ俺たちに希望はある」
それが儚い希望だとしても。
「……後は、任せた」
どちらにせよアラタには自力で立つこともできない。任せて欲しいと言うのだから今はそうするしかない。
両脇の下と膝裏を抱えられゆっくりと持ち上げられる。
ふわりとした浮遊感と酩酊感に意識がぶれた。
「行くぞ!」
ニチヤの号令に戸惑った仲間の声が応と答えてアラタの運ばれる方向とは逆へと去って行く。
戦地を去る不甲斐無さに落ち込みながら、アラタはふとセリを思った。
幾つもの戦いの中で常に先陣を切り、敵を倒し生き延びてきたがそれを己の強さと思い込んでいた愚かさに恥じ入る。
きっとこの半年以上無事に戦地から帰ってこられていたのは、セリが異能の民と契約したからだ。
アラタとの子供を望み、そしてアラタの無事を願ってくれたセリ。
裏切りが露呈したセリの失敗は異能の民へと伝わっていたのか、敵の目は執拗にアラタの命を狙っていた。
オレは首領としても夫としても駄目な男だった。
首領と言う地位に奢りながら故郷を護れず、身近にいた愛しい女すら幸せにできなかったのだから。
自治区の住民がこれから歩まねばならない厳しく辛い不運な道を思いアラタは慟哭する。
もっとできることがあったかもしれない。
違う道があったかもしれない。
そう思い後悔してもアラタにやり直す機会が与えられるかどうか。
力を失っていく四肢と薄らいでいく意識の中でスイの声を聞いた気がしたが確かなことは解らない。
ただ必ず戻って来いと強く請われたのはアラタの願望では無かったと思う。
意識は混濁したり、時折覚醒するのか音だけが微かに聞こえる。
「すぐに、ボルデの街に連れて行きますから、それまで頑張ってくださいよ」
車の喧しいエンジン音の間から町の若手であるノルテの声がした。
聞かされた街の名前は港を持つ首領自治区が治める場所。そこにはまだコルム国の船が停泊しているだろう。
そこで治療を受けることができれば――。
拾えるかもしれない。
命を。
自分が生きているだけで自治区の人たちに希望を与えることができるのであれば生を渇望してもいいはずだ。
多くの命を奪ってきておいて浅ましいことかもしれないが、自分のためでは無く仲間のためにと願う。
そして。
生きて再びやり直す機会が貰えるのならば。
セリ――。
美人ではないが明るく微笑むセリは一緒にいて心が休まり、献身的に尽くし愛してくれた。勿論アラタもセリを心から求め、幸せにしたいと思っていた。
セリのいない家に帰るなど意味がない。
目覚めた時に彼女がまだ生きていたら。
その時は。
誰になにを言われようとも我儘を通そう。
そう決めて、アラタの意識は再び闇の底へと堕ちて行った。