エピソード136 三の門
城内外は闇を払拭せんと皓々と明かりを灯している。
予定時刻を過ぎていたがアオイ率いる革命軍本隊は正門から少し離れた場所にある、同盟者の屋敷がある美しい庭園の中でその時をただ待っていた。
「そろそろでしょうか」
護衛隊長であるヒナタが緊張気味の表情で頻りに時計を気にしている。その落ち着きのなさに苦笑しながらかつては生活の拠点として住んでいた城を、こうして外から眺め攻め込もうとしているのだと思うとアオイの心はシンと冷え込んで行く。
総統の息子として不自由なく育てられた日々を振り返れば、実に多くの人の手に護られていたのだと今更ながら思い知る。
優しい眼差しや温もりのある腕ばかりではなかったが、傍近くにいてくれた者の殆どが心根は清かった。憎しみの籠った視線や厳しい言動はそんな彼らによって取り除かれ、アオイの元に届くことは無い。
自分が軍部や官僚、政治家たちに疎まれ、侮られているのだと薄々感じられるようになったのは六歳の頃から出席させられていた会議の間に時折揶揄するように向けられる嫌な目つきや表情からだった。
そんな彼らに臆して表情を硬くするアオイの様子を見ては心の中で見下していた。
「……弱い子供も仲間を得れば強くなれるのだと証明しよう」
「アオイ様?」
己を鼓舞する為に口にした言葉を隣にいたヒナタが聞いており不思議そうな顔でこちらを見る。
「私も少しは胸を張って生きられるようになったなと思っていただけだよ」
「常々申し上げておりますが、アオイ様は少々御自分のことを過小評価し過ぎです。もっと自信を持ってくださいと何度も何度も、」
「解っているから。小言はそれくらいにしてくれないか?」
これから出撃すると言うのに小言など御免だ。
それもそうですね、とヒナタが笑って謝罪する。
「アオイ様、シルク中将の隊が正門へ進軍を開始しました」
走って来た伝令からの報告を持ってカタクが足早にアオイの元へとやってくると、アオイの鼓動が跳ね上がる。プノエー少尉たちが作戦を開始した後、まずはシルクの隊が正門を攻撃しその後方からアオイたちが進む手筈になっていた。
シルクが動いたということは少尉たちも動いたということ。
「さあ、全てを終わらせよう」
軍国主義による統治を。
そして悪政を敷いてきた現総統の治世を。
「国民全員が安らかで、幸せを感じられる国を作るために!」
集まっている兵士たちはアオイの言葉を真摯に受け止め、ただ静かに深く首肯した。返事が無くても彼らの想いも同じだということは解る。
胸を熱くしてアオイは声高に「出陣!」と叫び、低い声が応じてゆっくりと隊は動き始めた。
攻撃はどちらからともなく始まった。
角を曲がろうとして出くわした敵兵と撃ち合いながら三の門の方へと移動する。警護兵もまさか城の内部に敵が侵入しているとは思っていなかったのだろう。動揺を隠せないまま追撃してくる様子にシオは唇を歪ませて笑った。
手榴弾の安全ピンを引き抜いて立ち止まったクイナが腕を撓らせて、後方から追ってくる警護兵へと投げつける。
派手な音が聞こえ、熱い爆風が背後から押し寄せてきた。
黒い煙と倒れて呻き声を上げている警護兵たちの更に奥からやってくる追っ手に向かって、全力で次の手榴弾を投げてクイナは漸く追いついてくる。
前衛はプノエー少尉とサロス准尉で騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた新たな警護兵を舐めるように銃撃した。軍で訓練を積んできた彼らは無駄の無い動作で銃を操り、直ぐに物影や壁に身を潜めて反撃をやり過ごす。
「調子はどうだ?」
隣を走るクイナが体調を気にかけて問うてくるが、さっきまでの不調が嘘のように身体が軽くなっている。
あの“音”は本城から離れると少しずつ聞こえなくなり、三の門へと近づけば近づくほど気にならなくなっていた。城に近づかなければ問題は無いようなので、プノエーが作戦内容を変更してくれたことにほっと胸を撫で下ろす。
無戸籍者であるシオの発言と意思を尊重してくれたことは感謝しても、し足りないが少尉も准尉も簡単に人を信用し過ぎだと呆れもした。
カルディアの軍人なら無戸籍者の不調や言葉を無視して当初の作戦通りに推し進めようとしただろう。
そしてそれが普通であり、正しいことなのだと今のシオには理解できた。
ひとつの例外を許してしまえば、また次の例外も通さねばならなくなる。人が集まればそれをまとめるための規律や規則が必要で、取り締まる人間には正しさと厳しさが求められた。
軍のように多く立場の者が所属する場所ならば尚のことだろう。
少尉も准尉も普通の軍人では無いのだ。
「もう、大丈夫だ」
走りながら小銃を構えて気配を頼りに振り向きざまに発砲すると、斜め後ろの建物から飛び出してきた警護兵が血を吹いて崩れ落ちた。
「……そのようだな」
シオの様子を見て納得したクイナが苦笑いして自身も小銃を放つ。後衛を任されたからには守り通して見せる。絶対に少尉と准尉が道を切り開いてくれると信じてついて行く。
硬い決意を胸に惜しげも無く弾を撃ち続けた。
どんなに少数精鋭と持ち上げられたところで機動力はあっても、数で囲まれてしまっては元も子もない。
しかも多くの兵の気を引くためにわざと派手に撃ち合い、爆弾を使っているのだから次から次へと兵たちはやって来る。三の門へと向かいながら前を塞ぐ敵を撃ち払い、後ろから追いすがってくる兵を振り切るにはスピードが命だった。
もたもたしていては追いつかれる。だが急ぎ過ぎれば身を隠す場所で戦わねばならなくなるのだから、咄嗟の判断力や柔軟性が前衛には求められる。少し離れて後衛が追っ手を押えることで時間を稼ぐが、また前衛と後衛の間が開きすぎても隙ができるのでその微妙なバランスが難しい。
撃ち合いによる昂揚感と仲間との連携を常に心がける緊張感は長時間に及ぶごとに神経が興奮して麻痺していく。
頭で考えるよりも身体が自然と動いて視覚に頼らずとも前衛との距離や様子が解り、敵の影や気配を感じるよりも先に銃口を動かし引き金を引いていた。
クイナも同様に戦闘を重ねるたびに感覚や動作は染みついているようで、銃を使うべきか手榴弾を投げつけるべきかの判断を瞬時に行っている姿は一流の兵士として申し分ないと思う。
勿論こんな状態では難しいことは一切考えることはできない。
ただ生物に備わっている生き抜く本能をギリギリまで研ぎ澄ませただけの戦い方は、所詮軍人の足元にも及ばないのだ。
シオもクイナも細かい作戦について指図されなければ解らないのだから。
「……そういえば」
誰の指図も受けないと吠えていた少し前までの自分を思い出す。無理やり連れてこられた北の地での戦闘を経てどうやら随分考え方が変わったらしい。
サンが憐れむほど自分の見ていた世界も住んでいた世界も狭かった。そんな中で得られる情報や真実など高が知れており、随分と偏った思い込みと不平不満を抱いていたのだ。
人は変わる。
環境と周りの人間の力で変われるのだ。
だからきっと、この国も変わる。
そのためになにかできるのならば――。
そう思う自分が酷く照れ臭い。
ただアオイならばこの国を正しい道へと導いてくれそうな気がして。
信じたいと思った。
「この糞みたいな現実を、変えられるのなら」
見えてきた三の門には多くの警護兵がいた。それらはみなこちらを向いて門や隔壁の上から銃口を覗かせている。
「行くぞ!三の門を、抉じ開ける!!」
プノエーが怒声のような号令を出し、ヤトゥとクイナが手榴弾を投げつけた。サロスが銃を撃ち放ち、シオはその援護を受けて飛び出した。