エピソード135 気心の知れた仲
足元を埋め尽くす枯草と栽培していたプランターの残骸を踏みつけながらサンルームの奥へと入って行く。アオイが言っていた通り硝子は曇り、蔓草が蔓延って外から中を窺い見ることはできない。
離れの壁が影を作り、夕闇を更に濃くしていた。
「シオはどうしたんでしょうかね……」
座れる環境を整えた後で床に座り込んだヤトゥが心配半分不安半分の表情で呟く。幾度も窮地を切り抜けてきたシオの敏感な聴力と動物的な勘は、最早特殊能力と言ってもいいくらいの精度を持っている。
元々備わっていたのだろう反射神経と高い運動能力も相まって、戦場では重宝されて可愛がられていた。
本人は嫌がっているというよりも反応に困っているようで、苦々しい表情で口汚く返しているが、ただの照れ隠しだとみなが解っているからか更にからかわれてちょっかいをかけられている。
そのシオの様子が途中でおかしくなったのだから、これからの作戦遂行に陰りが見えて来たのかと恐くなっても仕方がない。
実際プノエーも「シオがついて来ていない」と緊張した声でクイナに報告を受けた時には目の前が暗くなった思いがした。
「今頃サロス准尉が探し出してここへ連れてきているだろうさ」
最近では気がついたら胃を擦っていることが多い。今も無意識にそこに手を当てながらヤトゥに弱々しい笑みを向けて見せていた。
「……なにかを気にしていたようだった」
それがなにかはシオにも解っていなかったようだが、とクイナも物憂げな顔で嘆息する。
「そのなにかが解ればいいが」
だがただひとつ言えることはシオがなにか不穏なものを感じたのならば注意しなければならないということ。
地下道を使ってたった五人の兵を送り込んだのには勿論理由がある。
城内を混乱させる騒ぎを起こすだけとはいえ、作戦を任せた人数が五人とは極端に少ない。サロスと共にシルク中将から呼び出された時に作戦内容を告げられ、好きな人間を三人だけ連れて行っていいと許された。
サロスが一番に名を挙げたのはシオで、それならばとプノエーはシオとも気心の知れているクイナとヤトゥを選抜した。
その時同室にいたオネストが満足気に頷いたのを見れば、プノエーとサロスがその三人の名前を口にすると見抜かれていたのだろう。
何故か先の戦いでディセントラの町の住民を殺さずに人質にとったことを高く評価されており、そのお陰でマラキア国と和平交渉ができたのだとアオイにまで礼を言われた。あの一件以来機転が利く男だと思われているようだがそれは間違いであり、できれば過分な昇進も注目も受けたくないと怖気づいている気の小さな人間なのだ。
自分よりサロス准尉の方が若いのに人徳があり、人を使うのに長けている。飄々としており、肉体も精神も強い彼の方が優秀で上に立つ素質を持っていた。
戦うよりも人質を取るといった消極的な方法がたまたま上手く行っただけなのに。
そのお陰で生き延びて、そのせいで危険な任務を任されているのだから皮肉である。
狭い地下道を大軍で使用すれば軍に見つかる可能性が高く、その際に毒ガスや爆弾を放り込まれてしまえば全員命を失う。更に地下道内の空気が少なく大人数での行軍が不可能なことも一因だった。
それでも五人は少ない。
シルク中将とオネスト参謀が五人で事足りると判断したのはサロスとプノエーが必ずシオを指名するだろうと予想していたからだ。
それだけ彼の優れた能力を二人とも認めているのだろう。
シオの並外れた能力とプノエーの慎重さ、そしてサロスの豪胆さ、クイナの剛腕とヤトゥの医療技術。
バランスとしては悪くない編成で、危なっかしさはあるが気安さといった点で士気力は高いと思う。
「結局シオの力を当てにしているのは否めないか……」
それはプノエーだけでなくシルク中将もオネストも、そしてアオイもまた然りである。それだけの信頼性を持たれているシオの勘を侮るわけにもいかず、また疎かにするつもりも無い。
シオが危険だと口にすれば作戦を無視して撤退する必要もあるだろう。
だが、いいのか?
根拠のない理由で与えられた任務を放棄することは本来ならば軍法会議にかけられるくらいの重罪である。
今プノエーが所属しているのは正確にいうならば国軍ではなくアオイ率いる革命軍だが、なにをしてもいいということとは違う。規律と護らなければならない法はあるのだ。
「また、難題を――」
愚痴をこぼすとヤトゥが気の毒そうに見つめてくる。「胃薬でも出しましょうか?」と言われて自分がまた胃を押えていることに気付く。
「いや、だいじょ――誰か、来たぞ」
唇に指をあてて制止を促し、息を潜めて入口を窺った。クイナもヤトゥも小銃を構えて強張った顔をしている。
濃密な空気と時間がまったりと過ぎて行く。寒いはずなのにじわりと汗まで浮いて来るのだから小心な自分が嫌になる。
入口を忙しなく五回ノックしたかと思うと、次はゆっくり二度叩かれる。なにかを意図するかのようにされたもので、それがサロスと決めていた合図のひとつであることを思い出した。
ほっと胸を撫で下ろしてクイナとヤトゥに視線で合図すると彼らにも伝わったらしく、緊張を解いて銃口を下げた。
人が通れるくらいの隙間だけ開き、そこから二つの人影が入って来た。勿論サロスとシオで明らかに顔色が悪い。
ヤトゥが立ち上がり座っていた場所を譲ってやり、サロスが腕を取ってそこへと座らせる。
「危険なのか?」
逸る気持ちが抑えられずに単刀直入に聞いてしまい、先に体調を気遣ってやればよかったと思ったが後の祭りだ。
シオは青い顔でぼんやりとこちらを見たが、いつもは鋭く光っている金の瞳も今は彩度を失っている。頭痛でもするのか目を細めて頬を歪ませるが「いや、」とプノエーの言葉を一旦は打ち消したが、続く言葉で「解らない」と首を振った。
「シオは嫌な感じがするって言ってる。できれば今すぐここを出て帰りたいってさ」
努めて軽い口調でサロスが補足し、それを認めるようにシオはゆっくりと深く頷いた。
酷く憔悴している様子に惑いながらプノエーはじっと枯草とプラスチックの残骸を見つめて考える。危険かどうか解らないが、嫌な感じがするという理由では退くことはできない。他になにか決定的な判断材料が欲しいと乞えば、途方に暮れたような顔で小さく頭を振られた。
「それではこのまま続行するしかない」
既に本隊や同盟者、協力者も準備を整えて作戦が実行されるのを待っている。作戦を破棄して退却するにはそれなりの理由が必要だった。
できれば調子の悪いシオの意見を通してやりたかったが、残念だが作戦を取り止めることはできない。
戦力として期待していたが今の様子ではいつものような動きは難しいだろう。
「続行するにしろ、別の方法を考えるとか」
「……別の方法か」
確かにその必要はあるかもしれない。
できるだけ負担が無く、確実に大規模な混乱を起こすための方法。
「シオ、総統の首を獲れなくなるがそれでもいいか?」
問えば無言で首肯する。
「元々は総統の住まう本城寄りで戦闘を開始する予定だったが、三の門辺りに変更しよう。総統の首は他の誰かに任せて、オレたちは本隊が楽に進軍できるように動く」
「……三の門の所なら、あの音も聞こえないだろうから」
いつも通りに動けるとシオがほっとした顔をする。
だが音とはなんだと首を傾げると「上手く説明できない」シオは俯く。
「なんでもいいさ。シオの調子が上がるなら」
「……悪い」
細かい作戦の変更を更にサロスと詰めていると横でじっと三人が聞いている。突発的なことに柔軟に対応できるのも気心が知れている利点だと改めて感じ、プノエーはできるだけ全員が無事に帰れるようにと心を砕いて作戦の穴を埋めようと努力した。




