エピソード130 正しいと思ったことを
「どういうことなの?」
帰り支度を整えて車に乗り込もうとしている所を走って来たリョウが引き止め、ホタルが率いている反乱軍討伐隊が役目を放棄したと報告を受けた。
よくよく聞いてみると放棄では無く第八区の反乱組織クラルスの頭首と共闘すると陸軍基地を占拠して宣言したらしい。
なにがどうなってそういう結論と行動に至ったのかキョウには全く理解ができなかった。
「アオイ様の謀反がきっかけとなったようです」
「本当に、ホタルが?」
信じられずにキョウは再度確認するが、今回の件は全てホタルが中心となり決断したことだと告げられた。
まさかホタルが。
父を恐れて機嫌を損ねないようにと苦心して生きてきた兄が、大学進学を折りに統制地区で独り暮らしを願ったのは単なる一時凌ぎの逃避でしかなかった。
アゲハのように反発して家を出ることもできず、だが暗黙の了解として望まれていた防衛大学へと進学するのを拒むくらいしか抵抗できなかったホタルは、きっと父の呪縛からは完全に逃げきれないだろうとキョウは思っていたのだ。
それを、まさか――。
足元を不意に掬われたかのような驚愕と激しい焦燥に駆られキョウは震える唇を引き結び、反乱軍討伐隊の本部がある東の壁へと足早に向かう。
その後ろをリョウが遅れずについて来る気配に心の不安が軽くなるのを感じた。
ヒビキが行方不明になって直ぐの頃、第一区へ足を延ばした際に思いがけず大物と出くわした。
反乱軍が工場の解放を目的に入り込んでいることは知っていたが第一区は広く、守っている人物も経験豊富な猛者であると聞いていたキョウはそう簡単に反乱軍の頭首と鉢合わせするとは思っていなかったのだ。
だが見かけた瞬間クラルスの頭首ならば統制地区の全てを知っているかもしれないと妹を探す手がかりが掴めればと後を追った。
今思えば軽率な行動だと解る。
保安部の制服は敵である証明であり、そんな女にこそこそとつけられてはいい気持ちはしない。
結局壁に追い詰められ、刃物を喉元に突き付けられた。殺気を放つ男の奇妙な面の下から覗く眼に怯えながら、ただ必死に止めてくれと首を振るしかできなかった。
途中でクラルスのメンバーらしき男が間に入ってくれたようだったが、頭首は仲間にすら怒りに燃える目を向けてキョウの鼻と口を塞いで呼吸を奪った。それ以後の記憶は無く、気付いた時には保安部の執務室でソファに横たわっていた。
目覚めるなり傍にいたリョウに浅はかさと警戒心のなさをこんこんと説教されたが、返す言葉も無くただ項垂れるばっかりだった。
結局姉妹揃って軽率さと愚かさを露呈させることになり、それ以後リョウは今まで以上に目を光らせて後をついて来るようになったが、それを嬉しいと思ってしまうのはやはり警戒心が薄いのか。
どうやら反乱軍討伐隊が反旗を翻したことは既に周知の事実となっているようで、東側の壁の内部に入ると落ち着かない雰囲気が広がっていた。
忙しそうに走り回る事務官が廊下を行ったり来たりして騒然としている。
討伐隊の部屋から人が多く出入りし、監察官が奥の方で押し殺した声で会話をしていた。
「…………本当に、」
中へと入ることは許されなかったが、外から覗き見る反乱軍討伐隊の本部内は備え付けられていた備品以外のものは全て持ち出されておりもぬけの殻だった。
それが調べられるために外へと運ばれたからなのか、討伐隊の人間が行動を起こす前に必要な書類や私物を運び出したからなのかキョウには解らない。
だが机や椅子が置かれているだけの部屋は侘しく、そして空虚で物悲しかった。
「そんな」
震える声を隠すために咄嗟に口を手で覆う。そうしなければ叫び出しそうでキョウは必死に奥歯を噛み締めた。
一時的に父を嫌って家を離れていたとしても、いずれは戻ってきてくれると信じていたから保安部で働き、少しでも力になれればと頑張ってきたのに。
「おい、あれは討伐隊を率いていた」
男の妹だろ――?と徐に囁かれ、奥の監察官が鋭い視線を向けてくる。
まるでキョウ自身が裏切り者であると言わんばかりの表情に怖気が走った。
「行きましょう。ここは空気が悪い」
いち早く異変に気付いたリョウがそっと促し、男たちの不躾な視線を遮ってくれる。小さく頷いて再び来た道を戻るが、擦れ違う人間が全てキョウを責めて睨んでいるように感じられて眩暈がした。
何故だ。
どうしてホタルは自分や父を裏切ったのか。
反乱軍の側につくということは、国と戦うということだ。
保安部に所属する妹であるキョウと直接戦うことになってもいいとホタルは思っているのだろうか。
「どうしてなの?」
父やキョウの立場を悪くしてまで、あの優しかった兄がなにをしようとしているのか。本当にそれはホタルの意思なのかとすら疑ってしまう。
誰かに唆されて、いいように利用され操られているのではないか――。
「アオイ様が総統の退陣と軍国主義の撤廃を掲げられ善戦していることに感銘を受け、ホタル様も新たなる国の可能性を夢見られたのでしょう」
「――夢?そんなもののために」
兄は妹や父を捨てたのか。
必死で国のために働き、兄のいない家で顧みられることのない努力を精一杯してきたのに、ホタルでさえキョウの頑張りを褒めるどころか足蹴にするなんて。
父も認めてくれず、兄にすら見捨てられた自分は惨めで哀れだ。
カルディアはアオイの率いる革命軍と総統の国軍との戦いによって乱れ、恐怖と力で支配されてきた有力者たちは派閥に分かれて更に殺伐としていた。
いつ流れ弾が当たるかと屋敷から出られずにいる住民は多く、不安な生活を強いられている。しかも悪いことにマラキアから支援を受けている革命軍は略奪をしないが、国軍は近隣の屋敷へ食糧や武器の調達を強制せざるを得ず、そのせいで国に対する不満は膨れ上がり世情はアオイの革命軍への支持を強めていた。
今までにないほどカルディアは荒れている。
人々の感情も日常も変貌し、アオイが総統を討てば彼らは諸手を上げて喜び彼を次の総統として迎えるだろう。
そして長きにわたる軍国主義も終わりを迎える。
果たしてそれでこの国は救われるのか?
人は飽くなき欲望を訴えて、更に多くを望み始めるだろう。
革命と反乱により新たな時代を迎えられることに味を占めた国民が、気に食わないことがあるたびにテロ行為をし始めれば収拾がつかなくなる。
軍が抑止力となり、国が厳しい法律を作って規制せねば人は簡単に道を外れるのだ。
だからこそこの国は軍国主義を貫いて来たのに。
「ホタルはなにを勉強し、なにを見てきたの……」
詰ってやりたいが相手はもう手の届かない所にいる。
ホタルはなんの相談もせず、独りで決断して去って行った。
今更話した所で歩み寄ることはできないだろう。
「もう、いいわ」
キョウの仕事はこの国の安全を保つことにある。反乱軍と手を組んだ討伐隊は国の転覆を狙う逆賊だ。
「そっちがその気ならば、私も最善を尽くし最後まで戦う」
「いいんですか?」
どこか浮かない顔でリョウが尋ねるが、最早引くことはできない。カルディアも統制地区も今は反国主義の連中が幅をきかせて我が物顔に暴れ回っている。それを鎮め、規律と法で護られた国へと戻さねばならない。
「私は私が正しいと思ったことをする」
それだけだ。
頑なな気持ちを抱えて、キョウは壁を出ると待たせていた車に乗り込み家路についた。