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C.C.P  作者: 151A
異能の民
130/178

エピソード129 うんざり

 どっぷりと疲労が溜まった身体を引きずりながら戻った野営地の外れで、出て行った時と同じ場所に立ち尽くしているスイの姿を見て苛立ちが募ったのは何故だろうか。

 小さなその姿は寄る辺のない子供のようだが、黄金色に輝く瞳には神秘的なものさえ感じさせる。

 耳の下で切りそろえられた茶色の髪が風に揺れて顔の半分を覆い隠し、邪魔くさそうに左手で跳ね除けるが利き手では無い腕だけに思うようにいかず大きく頭を振ってから「アラタ、お帰り」と無事の帰還に緊張を緩ませた。

「…………まだいたのか」

 素っ気無く返せば頬を持ち上げて笑い用事はまだ済んでないのだと覚束ない足取りで後をついて来る。

 ずっと立ちっぱなしで筋が伸びきっているのだろう。

「じゃあさっさと済ませて戻れ」

「それが望みなら、二人きりになれるようにして欲しい」

「はあ?」

 戦闘による興奮状態の男と二人きりになろうなどと普通の女なら思ったりはしない。なにをされても文句は言えず、誘っているのだと誤解されてもおかしくは無いのだ。

 ふざけるなと怒鳴りつけると目を吊り上げてスイは前へと回り込み、下からアラタを睨み上げてきた。

「さっきは全然話を聞いてくれなかったじゃないか!まだ言いたいことも、伝えたかったことも沢山あったのに、勝手に戦いに出て行って、帰って来たと思ったら『まだいたのか』じゃいい加減腹も立つよ!!」

 行く手を阻むようにして立ち塞がったスイの横をさっさと擦り抜けて進むと、後ろから小さな手が腕を掴んで引き止めようとしてくる。その頼りないほどの弱さと、必死にしがみつこうとする指が食い込む感触が無性に切なくてアラタは乱暴に振り解くことができなかった。

「……今は二人きりにはなれない、暫く飯でも食っておとなしくしとけ」

「なんで?どうして今じゃダメなの!?」

「お前みたいなガキを相手に悦ぶような変態にも、義理だろうが妹を襲うような見境ない男にもなりたくないからだっ!いいから余所に行ってろ!」

「――――解った」

 渋々納得した風の声を聞きながら、解放された腕を振って自分のテントへと向かう。殺気立っている戦闘後の男たちが首領の妹であるスイに手を出すことはないので、暫く放置していても問題は無い。

 だがテントの中へと入る前にどうしているかと心配して探せば、さっきまで立っていた場所へと戻りなにもない風景を凝視していた。

 自治区にいる時もそうだったが、刻々と変化していく砂の景色を飽きもせずにスイは見ていた。

 アラタからすればなにが面白いのか理解できないが、自然の雄大さだとか美しさだとかを懸命に伝えようとするスイの感性には面白味があった。キラキラと目を輝かせて「すごいんだ」と声を弾ませる少女の純粋さに目を奪われる。

 昔から自然は街そのものを飲み込む驚異として傍にあり、荒ぶる風と容赦の無い熱さと太陽の照り返し、時折起こる砂嵐や夜間の凍えるような冷え込み、植え付けても育たない作物と厳しいばかりで感謝や感動など抱いたことはなかった。

 だがスイはその全てを楽しみ、統制地区よりも不便な暮らしすらも受け入れて。

 身体は小さい癖にエネルギーだけは有り余っているかのようにちょこまかと動き回り、笑ったり怒ったりといつでも騒がしい。


 これがオレの妹なのか。


 不可思議な感覚にアラタは囚われながら、感情豊かなスイと自らの父とを比べてみるが真面目で口数の少なかったダイチとは共通点が少ない。

 ならば母親の方に似ているのだろうと前にそれとなく聞いてみれば、スイを産み落として直ぐに死んだのだとあっけらかんと告げられた。

 あまりにも感慨なく短く語られたことに驚いていると、二人の兄がいつも傍に居てくれたし育ててくれた老女ミヤマが母親代わりになってくれていたから寂しいなんて思ったこと無いから――と幸せそうに笑ったのでそれは真実なのだろう。

 兄弟がいないまま育ったアラタにとって羨ましいような話だ。

 十を迎える前に母親は病で死に、元々次の首領になるのだからと幼い頃からしつけられたアラタには甘えることも弱音を吐くことも許されていなかった。


 兄弟がいれば違っただろう。


 寂しくて独り隠れて流した涙も、悔しくて泣いた夜も、決断を迫られて実の父の屍を踏みつけて起たねばならなかった時も、そしてセリの裏切りを知った今も――。


「――――っく」

 拳を握りしめてテントの中へと潜り込む。地面を掘って敷物を底に敷いた寝床と荷物を置くだけの広さしかない場所は程好い狭さでまるで包み込んでくれているかのようだ。

 重いだけの装備をかなぐり捨ててアラタは膝を着くと、両手を地面に叩きつけその上に額を押し当てた。食いしばった歯の間から呻き声が漏れ、身の内から湧き出てくる虚しさと苦しさを必死で堪えようとしたができず、おこりのように身体を震わせて自らの首領という立場を呪う。


 誰でもいいから、代わってくれ。


 自分の感情よりも立場を優先しなければならない首領という座を、欲しいのならば誰だっていいから譲ってやる。


「――もう、」


 うんざりだ。


 なにかを決断することも、感情を殺すことも、自治区の民の顔色を窺うことも、異能の民と戦うことも。


 全てを放って逃げ出したい。


 どうだっていい。

 なんだっていい。


 もう、どうにでもなれ――。


「なんでっ」

 オレばかりがこんな辛い目にあうのだと、運命を呪った所で逃げられはしない。

 逃げられないのなら、今まで通り毅然と立ち尊大なまでに振る舞わなければ。

 それがアラタに与えられた仕事なのだから。

「アラタ」

 背中に柔らかな掌が当てられはっと身を硬くする。涙で歪んだ視界に敷物の上を太陽の白い光の筋と影になった部分がくっきりと映し出された。

 細いその光の当たり具合でテントの入り口の隙間からスイが覗き込み、蹲るアラタの背をそっと撫でてくれているのだと解る。

「中に入れてよ」

「――――っ。あっち行ってろ」

 こんな格好悪い所を見られたくない。

 誰だろうと。

「……別に許可をもらう必要ないから、入る」

「お前っ、――重!」

 アラタが入口で蹲っているせいでスイが中へと入るには無理矢理押し退けるか、乗り越えていくしかない。どうやら後者をとったらしく、膝をアラタの背中に乗せてから全体重をかけ「よいしょ」と軽い声掛けをして一段下がった地面へと降り立った。

 入口に尻を向けている状態で丸くなっているアラタの丁度正面に座るスイから逃れるには一旦起き上がる必要があり、顔を伏せたり背けたりした所で泣いていたのがバレてしまう。

 結局動けずにそのままの姿勢を貫くほかなかった。

「いつもそうやって独りで泣いてたの?」

 少し呆れたような声でスイが問いかけ、それに無言で応えると「バカだね」と溜息を吐く気配がした。

「みんな本当にバカだよ。誰だって辛い時や悲しい時はあるのに、アラタはそれを外に出すことを自分に許さないし、みんなもそれが当然だと強要するんだから」

 辛かったねと零れた最後の一言がギリギリの所で留まっていた理性を崩壊させた。

 みんなを導く強く気高い首領であれと望まれ、そうあらねばならないのだと必死で努めてきたアラタを誰もが尊敬して従って来てくれたが、誰一人として労ってくれたことは無かった。


 孤独も苦労も全て理解してくれる者はきっといないのだと思っていたのに。


「泣いたっていいんだ。男だって、大人だって、勿論首領だって。人間なんだから」

 まるで小さな子供にするかのようにスイの手が頭部を優しく撫でて行く。汗をかいて縺れたままの赤茶色の髪を指で梳いて「セリはね、」と語り出す。

「アラタのことがとっても好きだったんだ。知ってると思うけど。きっとアラタが思っていた以上に強く、深く想ってたんだよ。首領として異能の民との戦いに出て行くアラタに無事に帰って来て欲しくて、つい魔が差したんだ」

 まるでセリを庇うようにスイは言葉を次ぐ。いつも出立の時には目を潤ませて「いってらっしゃい」と微笑み送り出してくれたセリは慎ましやかな女だった。

 明るく働き者で家事をしながら自治区に住む人々の世話までして、具合が悪い者がいれば看病をし、赤子が生まれたばかりの女のために子守りや煮炊きもする。不幸があれば率先して葬送の準備を担い、祝い事があれば式の段取りや衣装の手配もした。

 住民の幸せにも、不幸にも寄り添って首領の妻としての仕事を懸命にやってくれていたセリが、アラタと自治区の人間を裏切るなど今でも信じられない。

「異能の民に奇跡の力に縋れば子供を授かることもできると唆されて、戦場で戦うアラタが命を失うこと無く帰って来られるからと囁かれて」


 堕ちたのか――。


 そんなことで簡単に異能の民へと心を売ったのかと思うと腹が立ち、そんな所まで追い込まれていたことに気付いてやれなかった自分の不甲斐無さに怒りが込み上げる。


 セリだけが悪いわけじゃない。


 きっとアラタが話を聞いてやり、子供のことや後継者についてじっくりとお互いに話し合っていたら違っていたはずだ。

 不安や悩みを抱えていることを知りながら、次代の首領問題についてはアラタ自身も確かな答えを出せていなかったのでうやむやにしていた所もあったから。

「―――――オレが、」

「違うよ、アラタ。原因はアラタにもあったかもしれないけど、異能の民になると決めたのはセリ自身だ。迷って決断して、行動に移したセリたちが悪い」

 スイの容赦の無い断罪に思わず息を飲み、アラタは肩を震わせた。熱を持つ目蓋を硬く閉じて歯を食いしばる。

「人は誰だって間違う。罪を犯す。生きていれば大小はあるけど悪いことに手を染めなきゃならない時が来るから」

 髪の上を動いていた掌がそっと耳を掠めて下り、アラタの右頬を優しく包み込んだ。

「アラタがセリに与えた罰は罪に対して相応のものだと思う?」

「――――ああ」

 掠れた声で返答し、セリが自治区の住民に与えた衝撃と損失は死に値するものであると肯定した。

 銃殺せよと命じたことを責めているわけでは無いようで、スイは「そっか」と軽い調子で応じた後で洟を啜る。声には涙など感じさせない強さがあったのに、どうやら泣いているらしい。

 驚いて目を上げると伏せた睫毛の先からポロポロと涙の粒を落としていた。

「お前、泣くくらいならセリの罪が軽くなるようにオレに頼めよっ」

「っ違う!これは、アラタが泣かないから代わりに泣いてやってんだよ!」

 アラタの頬に触れていた手を離し、スイは自分の目元を拭って涙を隠す。照れ隠しからか怒鳴るように言い放った強がりを苦笑いしながら受け止めた。

「なんだよ、その言いわけ……」

「逆になんで泣かないんだよ!アラタは」

「格好悪いだろうが、人前で泣けるか」

「なんでだよ!兄妹なんだろ?妹には見せたっていいんだ。弱い所とか、格好悪い所とか」

「妹だから余計に見せられねえんだよ」

 全く男の心理を理解していないスイに呆れながら、代わりに泣いてやっているのだと主張する妹の頭を今度は撫でてやる。

 サラサラと流れる茶色の髪からは嗅ぎ慣れた薬草の香りが漂ってきて、初めて自治区へと迷い込んで来た時より肌もすっかり日に焼け、もうこちらの人間であるかのように馴染んでいた。

 本当の兄がいるスイは突然出現した新しい義理の兄であるアラタのことを受け入れ難く思っていたようだが、こうして兄だの妹だのと口にして言えるようには心の整理がついたのだろう。

「ありがとな」

 セリのことをわざわざ伝えに来てくれたのはアラタを気遣ってのことだろう。礼を言うと不服そうに頬を膨らませて「いっぱいアラタを泣かせて来るってゲンさんと約束したのに」失敗したと文句を言う。

「……今は泣けねえが、家に帰ったら」

 泣けるかもしれない。

 帰る頃にはセリはもういないのだから。


 だからその時は。


「お前が勘弁してくれって言うまで泣いてやるよ」

 目を丸くしたスイの顔が愛おしくて、最後にアラタは乱暴に髪を乱してから立ち上がる。そして入口を潜って外へ出ると大きく空へ向かって両手を突き上げた。

 胸いっぱいに空気を吸い込めば苛立ちも苦しみもどこかへと消えていくような気がして。

 荒涼とした世界の広がる首領自治区プリムスと汚染地区は美しさとは無縁だが、力強さと厳しさは存在する。

 決して恵まれた土地では無いが、ここが自分たちの故郷であり、唯一無二の楽園なのだ。

「それを奪われてたまるか――」

 必ず守り抜くと新たに心に刻みつけてもう一度深呼吸した。


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