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C.C.P  作者: 151A
異能の民
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エピソード127 西を目指して


 砂塵の舞う中を車は疾走する。

 ただ一路西を目指して。

 背後から昇ってくる朝日の帯がゆっくりと砂地を舐めて、煌めく金砂が眩しくてスイは目を細めた。

 軍から払い下げられた車は随分ガタついており、タイヤが砂で空転し大きく車体が傾ぐことも多い。そのせいで平衡感覚が乱れ、吐き気を伴う気持ち悪さに襲われるが降ろしてくれとはさすがに言えなかった。

 慣れるしかないのだろうと懸命に左手でドアに捕まり、青い顔で速く到着してくれと願うがどうやら目的地はまだ先のようだ。

「大丈夫か?」

 ハンドルを握るのは自治区の男衆の中で一番若いノルテという青年だった。真剣そのものの顔で走らせているが、柔らかな砂に嵌って動けなくなるのを苦慮しているからで、決して運転が不得手なわけでも未熟なわけでもない。

 何度も彼は海側の港のある自治区が治める街へも車を運転しているし、こうして戦闘の行われている場所まで頻繁に往復もしている。

「――――大丈夫じゃ、ない。けど、我慢する」

 切れ切れにしか言葉を継げないのも気分が悪いせいで、何度も食道を胃液が上がったり下がったりしていれば喋る余力などどこにも無い。

 気を抜けば車内に嘔吐してしまいそうで必死で口を噤んでいるしかできなかった。

「そうか、じゃああと二十分ぐらい我慢してな」

「そんな――に」

 具体的な時間を出されると目の前が真っ暗になり、限界を迎えそうになるから不思議である。聞かない方がきっと我慢ができただろうに、ノルテは残酷なことをすると心の中で愚痴った。

「これでも近い方だ。今回は随分東側に押されて来てる……。異能の奴らも必死なんだろうな」

 首領自治区プリムスに潜ませていた異能の民に与する住民たちに行動を起こさせたことからも窺えることだった。

 この時点でセリが敵と通じていた裏切り者だと判明すれば精神的にアラタを追い詰めることができると思ったのだろうか。

 結局首領の妻であるセリの処遇に困り、自治区の人たちは一箇所に異能の民を集めて閉じ込め見張りをつけるに留めていた。アラタが直ぐに自治区に戻ることはできないだろうから、スイとノルテで判断を仰ぎそれを持ち帰る予定だ。

「セリは、」

 厳しい処罰を受けるのだろうか。

 愛する夫から下されることになる罰をどんな思いで待っているのかと、やはり案じられずにはいられない。

 セリの自分本位で赦し難い身勝手な行動も、女として生まれた以上その手に我が子を抱く瞬間を夢見た気持ちを解らぬほどスイも薄情では無かった。

 スイに向けられた彼女の優しさも、思いやりも嘘偽り無いものだったのは間違いないから。


 ただ道を誤っただけ。


 間違っただけなのだ。


 罪なき女性や子供、戦えぬ男たちが屠られなければ、一言謝罪すれば済むだけの醜い嫉妬による反抗だったのに。


 セリは逸脱してしまったのだ。


 一般人と犯罪者の線引きは極めて紙一重の所にある。超えてはいけない部分が確かにあるのに、それは視認できるものばかりでは無い。

 それぞれの倫理観と善意によって変化し、状況と立場においてもまたそれは変わって行くのだ。

 人の世は目に見えぬもので成り立っているのだとつくづく思い知らされ、そしてその不確かさに酷く不安になる。。

「見えて来たぞっ」

 ハンドルを右に切りながらノルテが声を弾ませる。同時に車も大きく弾んで胃がふわりと浮き今日一番の気分の悪さを感じた。吐き出して汚さなかっただけ誉めてもらいたいが、彼は嬉しそうにアクセルを踏み込むと更に加速して砂地を抜ける。

 漸くタイヤが硬い地面を踏みしめて安定し、ぐったりとシートに身体を埋もれさせた。

「それじゃ、帰りが思いやられるな」

 苦笑いしたノルテの声に「放っといて」と返し、スイは窓から入ってくる空気を大きく吸い込んだ。乾燥し砂が混じったものだったが、新鮮な風は夜の冷えた温度を持っていて冷や汗をかいた額を心地良く撫でて行く。

「お前さ、あの女みたいな奴と……どうなんだよ?」

「どうって、なにが?」

 横目で運転席を窺えば、どこか緊張した様子でそわそわと落ち着かないノルテがいた。女みたいな奴がアゲハを指していることは解るが、質問の意図が解らずにスイは不機嫌に聞き返す。

 まさか聞き返されるとは思っていなかったのか、ノルテはもごもごと口籠り「なにがって……」と視線を彷徨わせている。

 運転に集中しなくても飛び出してくるような人間などいないだろうが、戦場が近いのだから襲われる可能性も否定できない。頼むから安全運転をして欲しいと苦言を呈しようと顔を向けると意を決したように「デキてんのか?」と直截に聞いてきた。

 流石に男女間の関係を聞かれているのだと解らない程スイも鈍くは無かったが、成長の足りない容姿と身体であることを十分すぎるくらいに認識しているので呆れて一瞬返す言葉に詰まる。

 そもそもアゲハを女のようだと蔑み気色悪がって男扱いをしていない癖に、スイとの関係を邪推する歪んだ思考を持っているノルテの頭の中を真剣に心配してしまう。

「……なんだよ、やっぱりそうなのか」

 答えないことを肯定だと思ったのか、青年は何故か酷く落ち込んで肩を落とした。なにがなんだか理解できないが、スイとアゲハが深い仲だとノルテは困るらしい。

 アゲハの名誉のためにも否定すべきだろうと「アゲハは友達だ」と告げれば「本当か!?」と喜びの声を上げてハンドルから手を離しスイの肩を掴んできた。

「ちょっと!運転中!ハンドル!しっかりしろよ!ノルテと心中なんかごめんだ!!」

「おれはスイとなら――」

「ふざけんな!死にたいなら勝手に独りでやれっ!気持ち悪い!!」

「気持ち悪い!?なんだよ、それ――ってうわあああ」

 突如車が上下に揺れたかと思うと右側に傾いて停まった。取り乱したままのノルテを放置してスイは傾いだままの車から降りて現状を把握する。

 硬い地面が陥没している隙間に右前輪が落ちて車の底が落ち窪んだ縁に引っ掛かっていて横転するのを免れていた。だがずるずると穴の中へと落ち始めている。そう深くは無いが、完全に落ちてしまえばスイとノルテの力では引き上げることはできない。

「どうする……」

 引き上げることはおろか、右前輪が完全に落ちてしまっている車を元の地面へと戻すことも難しいだろう。

「諦めるしかないな」

 早々に判断し、スイは歩いて進もうと提案する。不安定な車から飛び降りたノルテが苦笑いして「そういう所はアラタによく似てるな」と誉めているのかどうか解らない微妙な言葉で評した。

「目的地までは徒歩でどれくらい?」

「もうすぐだ。五分も歩けば見えてくる」

 こっちだと前を歩き出す背中は運転している時よりも逞しく広く見えたが、貴重な車を脱輪させて歩かなければならなくなったのはノルテのせいなので評価は下がる。

 それでも目印の無い場所を迷いなく進む青年は、確かにこの地で育った人間であると雄弁に語りスイは羨望の眼差しを向けざるを得なかった。

 どこも同じような景色に見えるのに。

 特に砂漠は風が吹けば数秒前の姿からも変わり、方向感覚を失わせてしまう。それでも彼らは道を見失うことなく力強く進むことができるのだ。

 それはきっとこの地で生まれ育たなければ備わらないもの。

 スイには無い。

 右腕をゆっくりと揉み解しながら歩き続けると、ノルテの言うように直ぐにアラタたちが張ったテントが見えてきた。土色をした半球型のテントは風を避けるように低く設置され、その周りに見張りの人間がいなければ地面と同化していて遠くからでは判別がつかない。

 すっかり朝日の昇りきった大地は熱を帯びて陽炎を燻らせている。

 二人に気付いた見張りが誰かに呼びかけて走って来た。小銃を手に警戒しながら軽やかに駆けてきた男は徒歩で現れたスイとノルテに異常がないかを確認する。

 来る途中で襲撃されたのかと心配してくれる男にノルテが申し訳なさそうにハンドル操作を誤ったのだと説明したが、正しくはハンドルから手を離し運転を放棄したからだと告げ口してやった。

「ノルテ!お前!ちゃんと責任持って車を引き上げてこい!」

「う、すんません!」

 狼狽えたノルテが来た道を引き返すのを見送り、男が近くにいた人間を五名ほど指名して手伝って来いと命じた。

「しょうがねえな。ノルテの奴」

「スイとのドライブが余程楽しかったんだろうよ」

「挙句に脱輪じゃ格好悪すぎだろ」

 笑いながらも彼らは急ぎ足でノルテを追っていく。軽口を言い合う楽しげな様子にスイの口元にも笑顔が刻まれる。

 羨ましいなと思いながら統制地区に住んでいた時に、友達と呼べるような相手を持っていなかったと今更ながら気づき胸が切なくなった。

 アゲハのことも友人と言えるほど知らなかったし、あの頃は親しい隣人と友人の丁度中間辺りの間柄だったように思う。今では友達だと誰憚ること無く言えることに少しだけ慰められる。

「行こう」

 促されてスイは顔を前に向けて歩き出す。テントの間を抜けながら進んでいくと、おもいおもいの朝食を食べている男たちの顔に戦闘で疲れた雰囲気があった。

 それだけ長い間異能の民と戦っているのだから仕方がないだろう。

 スイの姿を見つけて目が合えば、会釈をしたり小さく微笑んでくれる彼らのことを最早他人事のようには思えない。

 やはりスイの身体の中には前首領である男の血が入っているのだ。アラタの父であり、スイの父でもあるダイチの血が。

 見張りの男が呼んでくるようにと指示していたのだろう。赤茶の髪を下ろしたまま靡かせながら、アラタは張り詰めた気配を纏って足早に現れた。

「なにかあったのか?」

 スイが戦場までやってきたことで、なにかがあったのだと直ぐに勘付く。ここで言うべきかどうか悩み、結局は自治区の住民にとって隠しておける内容では無いと判断してゆっくりと重い口を開いた。

「夜中に自治区が異能の民に襲われた」

「襲われた!?それで、みんなは、セリは――」

 真っ先に住民を案じたのは首領である立場を常に忘れずに行動して生きているからだ。愛すべき妻の名を最後に口にしたアラタを見上げてスイは大きく息を継ぐ。

「襲われたのは女と子供、それから戦う能力を失った男たちばっかり。寝ている所を押し入って殺された。セリは、」

「セリ?セリになんかあったのか?」

 息せき切って聞いてくる必死な様子に真実を伝えることを躊躇ったが、それでも事実は変えようがなく、アラタに伝える役目を立候補したのはスイ自身。

「住民の三十人近くが異能の民だった。その中にセリも入ってた」

 後回しにした所で与える衝撃は薄まらない。

 目を瞠り顔色と表情を失ったアラタは返す言葉も無く息を止めた。オレンジ色の瞳は太陽の光を受けて金色に輝いていたが、生気を失った顔にはとても不釣り合いでちぐはぐに映る。

「今は一箇所に集められて閉じ込めているけど、処遇をどうするかアラタに決めてもらわなくちゃいけない」

「――――セリが、」

 異能の民と掠れた声が風に飛ばされた。周りで聞いていた男たちにも驚愕と動揺が広まりざわつき始める。聞こえる場所にいなかったはずの男たちも空気感染したかのように得体の知らぬ不安を恐怖として捉えていた。


 このままでは士気に係わる。


 首領であるアラタの異変は些細なことであれ、人々に影響を及ぼすものなのだと身をもって知る。

 なんとかしなくてはと焦ったスイが口を開く前にアラタが沈鬱な声で「全員、射殺しろ」と唸るように命じた。怒りすら感じさせる声音に居合わせた者たちはみなびくりと身体を竦ませる。金の瞳に燃え上がる朱色を滲ませて「裏切り者は誰であろうと赦さん!」と恫喝した。

「敵は一人残らず全て駆逐する。例外はない。お前ら!今すぐに準備しろ!オレたちの街を襲撃し、女子供や抵抗できない人間を殺した奴らに一泡食わせてやる!!」

 戸惑っている男たちを叱咤して、アラタはくるりと背を向けた。自分のテントへと準備のために歩いて行く後ろ姿に悲しみや苦しみは見当たらない。

 既に動揺も無いのか、歩調に乱れも無かった。


 でも。


「アラタ!!」

 堪らずにスイはその背中を追った。殺気立ったアラタに声をかけるのは正直恐いが、それでも必死で追いかけてその腕を引く。

「なんだ?セリの命乞いでもするつもりか?オレは相手がセリであろうと敵であるのならば容赦はしない」

「違う!アラタの決めたことには従う。ちゃんとそう伝えるし、全てを見届ける。でも、」

 激情のまま攻撃を仕掛けることになんの意味があるのか。

 冷静さを失っては勝てる戦いにも勝てない。

 だがアラタはスイの懸念を鼻で笑い飛ばす。

「不安や恐怖をみんなが抱いたからこそ、戦いで全てを払拭させる必要があるんだ。お前はオレを誰だと思ってんだ?オレは十三代目首領、プリムスを導く男。目の前に敵がいるのならば、戦うのみ!」

 乱暴に振り払われた手を伸ばしたが、アラタはさっさとテントに入り手早く装備を整えて出てきた。スイに目もくれずに男たちを待たずに単身西へと進んで行く。

「アラタ!!」

 呼んだ所で振り返ることなどないと解ってはいても声を張り上げるしかなかった。小銃を抱えて自治区の男たちが首領を追って走って行く。多くの背中を眺めながら、その中の誰かが命や手足を失ったりするのだと目蓋を熱くさせた。

 鬨の声を上げながら遠ざかって行く彼らを見送って、スイは動かない右腕を強く握り締める。

「この腕さえ動けば」

 共に戦えたのに。

 こうして送り出すだけでなく、その瞬間一緒に命を燃やすことができた。

「みんな、無事に戻ってきて……」

 やがて乾いた音が響き、銃声が重なり大きくなっていく。

 ただ彼らの帰りを待つだけの無力さに打ちひしがれながら、太陽が中天に上るまでそこに立っていた。


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