エピソード122 希望と期待を胸に進む者
「おい!セリが異能の民ってのは本当なのか!?ってか、お前大丈夫なのか!?」
中央の広場に集められた異能の民はセリを含めて二十八人。決して住民が多くは無い自治区において三十人近い人数が敵であったことは、少なからず困惑と混乱をもたらした。
縛り上げられた異能の民の顔はみんなが良く知ったもので、裏切られたような気持ちが拭い去れないのはスイも同じだ。男衆と移民たちによって捕えられた彼らを、深夜に叩き起こされた住民たちが遠巻きに見ている人垣の外から駆けつけたゲンがスイを見つけて腕を引く。
「信じられないけど、本当なんだ」
スイの身を案じてくれたゲンへ視線を向け、まだ気持ちの整理がつかないまま素直な思いを口にする。
人垣から少し離れた場所に襲われて命を失った者たちの躯が整然と並べられ、家族、親戚、友人、知人たちが篝火の下で慟哭の涙を流していた。
殺されたのは女性や幼い子供が多く、後は身体が欠けて戦えない男たちばかりだったので、無力で抵抗できない相手を中心にその力が揮われたことが解る。あまりにも卑怯なやり方に虫唾が走るが、その仲間にセリが加わっていたのかと思うと悔しくて仕方がない。
異変に気づき外へ出ようとしたスイを引き止めた彼女の中で、殺されたくない人物のひとりとして扱われたことを喜ぶことなどできなかった。
最近現れたスイよりも、殺された人たちの方がセリと長く接して親しいはずなのに、そこへ優しさや思いやりを持てなかった彼女の精神状態は普通では無かったのだろう。
でなければこんな暴力を許せるわけがない。
女性とその子供が多く手にかけられたことがセリの指図であるように感じられ、もしそうならばその嫉妬の根深さは最早手遅れに近いだろう。
ぶるりと震え上がり、スイは吹き抜ける風の中に生臭い血の匂いを感じて唇を前歯で噛む。
「アラタが知ったら……」
あんなに仲が良く、セリに対して愛情を注いでいた首領のアラタはこの事実をどのように受け止めるのか。
「お前は知らないからな。アラタの恐さを」
「アラタが、恐い?」
自分たちの掲げる首領を軽んじられたと思ったのか、ゲンが上から見下ろして鼻で笑い飛ばす。良い気持ちのしない行動だが、不遜な態度はいつものことなので大目に見る。
ただアラタは軽快さと乱暴者の丁度中間辺りの印象があり、荒っぽさと大雑把さが見えるが、畏怖という感じを抱かせるほどの迫力と威圧感は無かった。だがどうやらそれはアラタの本性を知らぬスイの思い込みらしい。
「恐いっていうよりは割り切りが早いってのか。小さい頃から首領になるように育てられたからな。決断は早い。周囲の人間がびびるぐらいにな」
人垣から離れようと顎をしゃくってゲンが歩き出す。黙ってついて行きながら、広場の騒然とした雰囲気から離れられてほっとしていることに気付く。
あの場にいると無気力に座り込んでいるセリの姿が嫌でも目に入り辛いのだ。それでも他に行く場所が無くて、あの場に居続けていた。こうして連れ出してくれたことがありがたく、心配して駆けつけてくれたゲンには感謝するばかりだ。
「半年前に首領が交替したのは知ってるな?」
異能の民との戦いで前首領でありアラタの父であるダイチが命を落としたのを契機に、次の十三代目首領としてアラタが継いだと聞いている。だから首肯して知っていることを伝えると、ゲンは顔の片方を引き攣らせて少し怯えたように瞳を揺らす。
「あん時の戦闘で多くの自治区の人間が傷つき倒れた。前首領のダイチも例外じゃなかった。混戦の中で敵に至近距離で腹を撃たれたダイチは、次の銃弾で大腿部をやられて転倒した。何故プリムスの人間が首領に従うか解るか?」
問われて思いついた答えは偉大だった歴代の首領の血を継いでいるから、とういうありふれた物だった。そんな解りきった答えならばきっとわざわざ聞いたりはしないだろう。
早々に諦めて首を振る。
「誰よりも先陣切って最前線で戦うからだ。勇ましく戦う姿で見方を鼓舞し、強者としての威厳を示すからこそ従う。安全な場所で口だけを挟む男ではないから、戦地へと赴くことに恐怖はあってもみんながついて行くんだ」
プリムスとして戦う誇りを胸に。
「そんな存在の首領が戦闘時に倒されるなんざ、セリが異能の民だったってことより余程の大事件だ。拠り所を失い、戦意を喪失し逃げ腰になるのは当然だろうさ。すっげえ恐慌状態の人間の集団ってのは有り得ない動きをする。その場は大混乱だった」
「……まるで見て来たみたいに言うんだね」
「見て来たからな」
平然と返された声にスイは目を丸くする。てっきりゲンは自治区で人々の健康や怪我に対応するために残っていたのだと思っていた。半年前までは戦地へと同行して戦っていたのか、それとも医療行為を施すためだけにいたのか。
「勿論アラタも、そこにいた」
同じ戦場にいながら倒れて見えなくなった父をアラタはどんな思いで見ていたのだろう。
ゲンは笑いながら「そこからがアラタのすごい所だ」と誉めているとは思えない声音で続ける。
「勢いづく異能の民の奴らと、混乱し銃を乱射し始めた仲間の激しい銃撃戦が行われる中を突っ切ってダイチの元へと走って行った。不思議なことにあれだけ弾が流れている所を掠り傷ひとつ受けることなく辿り着き、まだ地を這いながらも敵と撃ち合っていたダイチと合流した」
ここまでは美談と武勇伝だ。
ゲンが言う通りアラタのすごさが伝わってくる。だが物憂げな表情を浮かべて嘆息するむさ苦しい風貌の医師は右手で頭を乱暴に掻き回すと、最後に舌打ちして当時の光景を思い出したことを後悔しているようだった。
「アラタは首領の怪我を一瞥し、生き延びたとしても二度と戦場に立てないと判断して」
容赦も躊躇もなく父であるダイチの頭部を撃ち抜いた――。
「これには異能の民も驚いたみたいでな」
愉快気に言葉を次いだが、その場の状況を想像してみて両者共に戦慄が走ったのだろうことはスイにも解る。
「しかもその場で十三代目首領の名乗りを挙げ、先頭に立って怯んでいる異能の民を殲滅し、結果奴らを岬の先へと追い帰すことに成功した」
父へ引導を渡たして敵味方の前で首領を引き継ぎ、初仕事を勝利で治めるなど一体どういう心理と思考で決断したのか。
スイにはとてもじゃないが理解できない。
決断が早いとか、割り切って物事が考えられるとか、そう言う次元じゃない気がする。
「短絡的すぎる……」
あまりにも衝動的で短慮に過ぎるように感じられるが、戦場で味方の混乱を鎮めて戦意を取り戻させるためには必要なことだったのかもしれない。そこに感情が入り込む余地など無かったのか。
あまりにも殺伐とした内容に、自治区の置かれた状況が透けて見えるようだ。
スイは痺れた右腕を左手で擦りながら震えを押え込もうと必死だった。
「だからな、大丈夫だ」
からりとした口調に違和感が残る。
心の内側に爪を立てられたかのような鋭い痛みに思わず眉を寄せた。
「セリのことも、アラタは同じように斬り捨てられる」
そうだろうか?
アラタにも悲しみや怒りや、苦しみの感情があるのだ。
それでも首領であることを求められ続けたアラタは割り切ってなんでもないかのような顔をするだろう。
できるはずだ。
でも――。
「アラタだって……押し殺さずに、全てを出して泣き叫びたいこともあるよ」
きっと今回のことは相当アラタを打ちのめす。
そして父を撃ち殺した時でさえも、人知れず苦しみ泣いたに違いない。
その時は傍にセリがいてくれ慰めてくれたかもしれないが、今回は誰もアラタの悲しみを一緒に受け止めて泣いてくれる人はいないのだ。
次の首領がいないまま、自治区はどこへと向かって進むのか。
「力になれない――」
スイにもアラタにも次代へと続けられる機能が無い。
首領の血が絶える。
このことがこの街の未来を絶望へと向かわせなければいいが。
そういえばタキやシオには血を繋ぐ力があるのだろうか。
聞いたことが無いので解らないが、もしそうならば可能性はある。
全てが片付いたら、二人をここへ連れてきてもいいな。
スイの儚い願いがぽっかりと胸に浮かぶ。
再会が叶うのかさえも解らない願いに切なく疼く。
希望や期待を抱くことくらいは許されるだろう。
「誰が、セリのことをアラタに伝えるの?」
「……早朝に男衆が報せに走るようになってんだろ」
それならば。
「行く。行ってセリのことを伝えるのは妹の責任だ」
「お前!」
ハッと息を飲んで立ち止まったゲンの前に回り込んでスイは笑った。上手く笑えたかどうか自信は無いが、それに近い表情にはなっただろう。
「まだ全然実感ないけど、多分きっとアラタはお兄ちゃんなんだと思う。だから、行かせて」
今尚激しい戦闘を繰り広げているアラタへ伝えられる報せが与える衝撃を思えば、少しは苛立ちや苦しみを吐き出せる人間がいた方が良い。
それは自身が治める住民たちでは無いスイが一番適任だ。
見苦しい姿を見せてもアラタの地位には少しも傷がつかない。
そして。
スイとアラタの間には同じ血が半分流れているから。
「頑張って、いっぱい泣かしてくる」
だからお願いだと懇願するとゲンの方が目を潤ませて「ああ、頼む」と呟いた。
ただ戦場であることを十分に理解し、注意するんだぞと言い聞かせて。
「任せてよ」
「……じゃあ話をつけに行こう」
促されて広場へと戻る道を帰る。
一際冷たい風が吹き抜けたが、もう震えは止まっていた。