エピソード116 厄介な荷物がひとり
第八区と第七区の間に建設されている巨大な軍の施設は、訓練のための演習場や会議場、それから講義を受けるための部屋や寮、食堂に娯楽施設なども完備しているらしい。
第八区の西側にある陸軍の基地には仮眠しか用意されておらず、殆どの兵たちは軍の施設にある寮から通って任務についていた。
この施設で働いている統制地区の人間たちは、あそこはまるで別世界だと口を揃えて言う。施設内の設備は最新鋭の機械や機器が備え付けられ、暑さ寒さも感じぬ快適な生活を送っているらしい。掃除が隅々まで行き届き、豊富な種類の食事と高価な酒があり、いつでも好きな時に風呂に入られる、まるでカルディアの富裕者の暮らしがそこにある。
ダウンタウンのすぐ傍で、そんな裕福な生活をしているのだと思うと腹も立つ。
「てなわけで、食糧調達と武器の補充先としては申し分ないわけだ」
ハゼがぐびりと酒を呷った後でコップを敷物の上に置き、半分ほど残っている瓶を引き寄せて蓋を外し注ぎ入れる。
「武器よりも食べ物の方が最優先事項だな。これ以上飢え死にする人間を出したくない」
「両方手に入りゃ万々歳だろ?」
「人工栽培所の見切り品が配給されてはいるが、第八区までは届かない。工場の雇用も最初はなにか裏があるんじゃないかと思ったが、今の所なんの問題も無いようだしな……」
顎の下を撫でてタキは複雑に織り込まれた絨毯をじっと眺めた。決まった模様が図案として織られたわけでは無く、見る人間の見方や感じ方でその柄は変わる。
タスクがこの絨毯の上に好んで座っていたのは、角度によって変化する模様がまるで目まぐるしく動く戦いの中の景色のようで退屈しなかったからかもしれない。
突然始まった国からの配給と、降って湧いたような優遇され過ぎともいえる工場の作業員募集は統制地区の住民を戸惑わせた。またなにか妙なことを始めたと人々は懐疑的に受け止め、すぐに飛びつくことはしなかった。
何度も国に裏切られ続けていた住民たちはそう簡単に国を信じることなどできない。
当然だ。
「遠くから工場に行く奴には飯まで食わせてくれるらしいってんだから、一体全体どうなってんだって感じだな」
「だが実際に仕事を失って生活ができない人たちが工場に働きに行くことで助かっている。カルディアも変わろうとしていると考えて……いいのか?」
こんなに早くカルディアが動くとは思ってはいなかった。動くとすれば総統の息子の反乱が成功し、総統が退陣してからだと考えていたのだが。
「お前そんなことよりも、どうやって統制地区をひとつに纏めるか考えろや」
このままじゃ国に人心を持って行かれるぞと警告され、タキはそっとため息を吐いた。
タスクを失ってから多くの人間が反乱軍を離れて行ったが、タキが頭首を引き継いで求める未来像を明確に打ち出したことで少しずつ人が戻り、新たな人員が集まってきている。
それでも全盛期だったころの人数には程遠く、クラルスを支えているのは幼いともいえる孤児たちだった。
第六区のアポファシスやフォルティア、第三区のロータスなど協力組織もいるが、統制地区をひとつにと目標を掲げているタキたちにはまだ多くの協力者が必要だ。
どうやって集めるか。
それが問題で、簡単にその辺にたむろしている御し難い人間を仲間にするのは危険であり、取り込んだ人間を上手く扱う自信もまだタキには無い。
「まずは慢性的な食糧難をどうにかしないと……」
育ちざかりの子供たちのことを考えるとクラルスの食糧庫が空なのは問題である。国の配給もここまでは行き届かないのだから、第八区の人間が飢えから空腹の状態に改善できるように動くのは反乱軍にしかできないことだろう。
「少しでも腹が満ちれば少しは治安も良くなるかもしれないし……」
「苛々が無くなって余計なこと考え始めるかもしんねえけど」
「その時はまた別の方法を考えるしかない」
頭を抱えたくなるのを我慢してタキは空になっていたハゼのコップに酒を注いでやる。かなり強いのか度数の高い安酒を割らずにそのまま飲んでいるのに、けろりとした顔で次から次へと胃の中へと収めて行く。
いっそ気持ちがいいくらいに。
「ハゼ、行ってくれるか?」
「あ~?なに言ってんだ」
鋭い犬歯を覗かせて目尻のつり上がった青い瞳を細めて頬を歪める。不機嫌そうな口調だが、それはいつものことなのでタキは苦笑いで受け流す。
「どこだろうが行ってやるから、そんな下から物を頼むんじゃねえよ!お前は頭首なんだろうが!」
「俺はタスクとは違う。同じ頭首という座でも、人が変わればやり方も変わるさ」
「うっせえ!生意気だな、タキの癖に」
舌打ちして飲み干したコップをずいっと差し出してくるので、その中になみなみと酒を満たした。すぐさま喉仏を上下させて持っていたコップを下ろすと手の甲で口元を拭う。
「で?どこに行ってなにすりゃいい」
切り替えの早い所がハゼの良い所で、言動は荒いが裏表の無い性格は一緒にいて楽だった。孤児の少年たちに懐かれているのも暇さえあれば構ってやり、頻繁に声をかけてやっているからだ。
決して精神年齢が近いからでは無いと思いたい。
「さっきハゼが提案してくれた、軍の施設を攻撃し食料と武器の調達をして欲しい」
「任せとけ」
「ただし、アキラも連れて行け」
「ああ!?なんでだ!」
ダンッと拳を床に叩きつけハゼがそれだけは嫌だと拒絶する。
何故だという質問に戦闘時には有利となるアキラの能力の秘密を明かすわけにはいかないので「命令だ」と諭すように言えば、歯軋りしながら悔しそうに唸った。
「お前も、あいつを信用して特別扱いすんのか!」
ハゼは動物的な勘のようなものでアキラの異質さを嗅ぎ取っている。
あいつは信用できないと面と向かって言い放つぐらい毛嫌いしていた。それはタスクが不可思議で掴み所のないアキラを面白がって傍に置いていたことを、特別目をかけて可愛がっていると勘違いしていたことも要因のひとつでもある。
「逆だ、ハゼ」
信用していないからアキラを敵視しているハゼと組ませるのだ。
どんな思惑で動いているのか解らないアキラを、危険視していない人間と行動させるのは避けたかった。
「信用はしていないが、アキラの能力は無視できない」
率先して銃を撃って敵を倒す方ではないが、どの戦いに参加しても擦り傷ひとつ負わずに平然とした顔で帰って来るアキラに仲間たちは一目置いている。
アキラと出陣すれば無傷で生きて帰れるとまで言われて有難がられているぐらいで、それを本人は煩わしそうに思っているようだ。
「ハゼには無傷で生きて帰って来て欲しい」
「あんな奴の力なんかに頼らなくても無傷で戻ってくるが、」
そこまでいうのなら仕方ないと渋々ながら受け入れて、ハゼはコップと瓶を手に立ち上がる。少しよろめいた所を見ると酔っていない訳ではないらしい。
だが立ってしまえばふらつきもせず、挨拶も無しにドアへと向かう足取りもしっかりしていた。話し始める前に封を切った瓶の中身はあと二杯程しか残っておらず、全てをひとりで飲んでしまったのだから驚くべき強さだ。
「じゃあな」
ドアが閉まる直前に聞こえた別れの挨拶にタキは苦笑を浮かべ「ああ」と返答するがきっとハゼの耳には届いてはいないだろう。
「まだまだ問題は山積みだが……」
アジトの場所が討伐隊にばれている以上、おいそれとここを動くわけにはいかずにタキは孤児院に戻れずにいた。ミヤマのことが気にはなるが、代わりに少年たちがつき甲斐甲斐しく看病してくれているようなので、今はクラルスのことに集中することが大事だと無理矢理納得させる。
なにか異変があれば報せてくれるのだからと、必死でミヤマの元へと心が動くのを留めた。
「……信用していないとは、随分な言い草だな」
音も無く扉が開いてハゼが出て行った所からアキラが入ってくるなり不服そうに意義を申し立てる。
彼の能力は風を操る力だ。どんなところにでも風は流れており、空気を震わせて音になる声を聞こうと思えば離れた場所にいても聞くことができる。
「盗み聞きとは趣味が悪すぎる」
「聞かれていると知っていたのだろう?」
ハゼとの会話に耳をそばだてているかもしれないとは思っていたが、こうも堂々と開き直られてしまえば笑うしかない。
黙っていれば聞かれていたことなど解らなかったのに、アキラは隠さずに伝えてきた。
そういう所が嘘のつけない正直な性格なのか、隠す必要も無いほど取るに足らない些末事だと思っているのか解らないのが困る。
きっとタスクにはそこが愉快に見えていたのだろう。
全てにおいてアキラは落差がありすぎる。
容姿も、言動も。
「行ってくれるんだろう?」
だが聞いていたのなら話は速い。説明など飛ばして単刀直入に確認すると明らかに呆れた顔をして嘆息された。
「……あの男とは反りが合わない」
「アキラなら殆どの人間と合わないだろうに」
「違いない……」
そこは反論せずに素直に認め、アキラは小さく首肯し了承をする。
「この反乱は必ず成功するんだろう?」
かつてシオを助け出せぬままアジトへと帰って部屋に閉じ籠っていたタキを、そう言ってアキラは励ました。
それは気休めでも無く、ましてや不可能でも無い。
光に投影された彼女が揮った力はタキやアキラの能力とは桁違いの破壊力を持っていた。あの力があれば不利な状況も一転して勝利へと導くことができる。
「本願成就の内容がどんなものかは知らないが、革命が成功するまでは同じ道を行くんだと俺は理解している」
違うかと問えば「その通りだ」と満足そうに同意して、チラリと白い歯を見せて笑う。
儚げな笑みなのに、薄紫色の瞳だけは炯々と光っていてうすら寒さを感じさせた。薄幸さと、老成さが奇妙に同居する違和感そのもののアキラには感情が薄いくらいが丁度いい。
「アキラほど笑顔の似合わない人間はいないな」
「失敬な」
自覚はしているのだろうが、似合わないと言われて喜ぶ人間はいないだろう。憮然としたままアキラは扉の前に立ち、なにやら眉間に皺を刻んでどこかを睨みつけている。
「アキラ?」
そんなに怒るようなことだったのかと反省し、謝罪しようと呼びかけても固まったように動きを止めて返事もしない。どうやら怒っているわけではないらしいと漸く気付き、タキは正気に戻るまで放置して待つことにした。
こうしてまじまじと見るとアキラの顔立ちは理知的ともいえる。独特な喋り方や立ち居振る舞いもどこか洗練されているようにも感じられた。
彼は一体どんな場所で生まれ、どんな環境で育ち、どんな風にして彼女と出会ったのか。
今更ながら興味を抱いている自分に苦笑する。
なにも知らないのに、反乱が成すまではアキラが絶対に裏切らないと信じて疑っていないのだ。
その後は確実に決別することになると解っているのに。
不思議と憎めない男だ。
「アキラ、どこか痛むのか?」
どこを見ていたのか解らなかった紫の瞳が力を取り戻し、アキラの意識がこちら側へと帰ってきたことにほっとしながら一応不調が無いかを確認する。
「……問題ない。ただ、」
首を捻りながら伝えるべきか否かを検討しているようで、先を続けるのを一旦止めた。だが結局唇を動かして「妙な連中が入り込んでいる。討伐隊ではないが」この辺では見たことのない連中だと告げる。
「どの辺りだ?」
「南の路地を二ブロック進んだ先」
「行こう」
曲刀を手に立ち上がり、タキは扉の前に立つアキラの元へと歩み寄る。脇に身を寄せて道を開け、タキが先に進むのを待ち後ろからすっと音も無く着いてきた。
「人数は?」
「男二人に女が一人。それから荷物が一人」
「荷物?」
普通なら荷物は一個である。一人とは数えないはずだが「行けば解る」と端的に答え、それ以上の情報を与えるつもりはないのか後は黙る。
細い階段を下り切ってドアを出ると廊下を右へと進んだ正面入り口には五人の男が座ってカードゲームに興じていたが、タキの姿を見ると慌てて腰を上げてなにごとかあったのかと聞いて来るので「見回りに行ってくる」と言い置いて外へと出た。
あの日から噴水に水が戻り、天板を満たし掃除をさせた排水溝に豊かに流れ落ちている。涼やかな音を聞きながらタキは南の路地へと進入し、足早に二ブロック先を目指す。
丁度満月の美しい夜だった。
影は濃く道に落ち、天上から注ぐ青白い光がくっきりと白い肌を闇の中に浮かびあがらせている。
見るからに人相の悪い男と髭を剃ってそれ相応の服を着れば見栄えのする男が痩せた女を引き連れて南へと向かっていた。道にでも迷ったのか、時折歩を緩めて周囲を窺って空を見上げて方向を確認しているようだ。
悪相の男の肩に細長い荷物を担いでおり、それがアキラの言う荷物であることに間違いないだろう。
そのままアジトから遠ざかって行くようなら見逃しても構わなかったが、まるで荷物を人であるかのように数えたことが気になっていたタキは、迷っているのならば道を教えてやってもいいと声をかけることにした。
「どこに行くつもりだ?」
そんなに威圧的な声では無かったと思うが、三人はびくりと過剰に反応し勢いよくこちらを振り返った。月の光の下でも蒼白な顔でまるで幽霊と遭遇でもしたかのように驚愕の表情を浮かべている。
「道に迷ったのなら案内しよう」
「い、いえ。大丈夫です」
髭を生やした男が一番先に気を取り戻し放っておいてくれと手と首を振る。女が男の影に隠れるように一歩下がった。
「この辺は道が入り組んでいて解り難い。目的地に着く前に朝を迎えることになっても構わないとは……変わった連中だ。しかもそんな大きな荷物を担いでこの街をうろつくなんて命知らずだな」
悪人顔の男が肩の上の荷物を庇うように半身になり、一気に緊張感が増す。
やはりただの荷物では無いらしい。
解っていたことだがその確認ができただけでも上々。
「……その荷物、置いて行けば命は助けてやろう」
左手で鞘をしっかりと持ち柄を握った曲刀を素早く抜き去ると、軽やかな音と共に白刃が煌めく。女が悲鳴を上げ、髭の男が「曲刀持ちの、クラルス頭首か」と舌打ちした。
「知っているのなら、さっさと置いてどこなりと去れ」
「くっ!」
上着の胸元に手を突っ込んで引き抜かれる物と言ったら銃ぐらいだろう。もしくはナイフか。どちらにせよ当たらなければ意味は無い。
アキラがいる限りたいした脅威ではなかった。
元より抜かせなければよいのだ。
「……遅い!」
一歩を踏み込み同時に横一線に斬り払う。タキの腕は手加減が出来るほど技術的に高くない。相手の動きを見て次を予測し、その場所を力一杯振り抜く戦い方しかできないが相手を殺すだけならばそれで十分だった。
「ぐあっ!!」
鮮血が散り男の腕がごろりと地面に転がる。曲刀の素晴らしい切れ味と持って生まれた膂力だけでタキは戦う。
あまりにも愚直すぎて美しさに欠けるが、その方がタキに似合っている。
肘から下が無くなった男が泣き喚きながら膝を着き、己の腕を拾い上げて切断された部分同士をくっつけようと無駄なあがきをしていた。
「同じ目にあいたくなければ、置いて行け」
女は涙目で「置いて行こう」と促すが、担いだ荷物を下ろすことを拒んで男はじりじりと後退する。
「……次は命があると思うなよ」
「ひぃ!」
スカートを翻して女は路地の奥へと逃げ出した。男たちの命や、荷物の心配よりも身の安全が第一だと言わんばかりの素晴らしい走りだった。
「その荷物が命よりも大事か」
中になにが入っているのか。
興味がある。
腰を落として間合いを測りながら相手を観察した。人相は悪くとも体格は普通で、重そうな荷物を抱えているので簡単に斬り伏せることができそうだ。
相手の動きも単調になる。
息を短く吸って地を蹴った。男は迫りくる刃を前に顔を引き攣らせチラリと一瞬だけ仲間を見た。
地面に転がり痛みで狂ったようにじたばたと叫んでいる姿を。
「ま、待ってくれ!解った、置いて行く、置いて行くから!」
左手を前に出して懇願されタキは寸での所で曲刀を引いた。もう少し遅かったら間に合わなかったが、男は命拾いをしたらしい。
ガクガクと震えながら荷を地面に下す間もタキから目を離さなかった。そうしなければ斬られるとでも思っているようで、気の毒なほど怯えながら下ろした後は三歩後退し、タキが荷物の方に近づくのを見た途端身を翻して闇の中へと消えていく。
「仲間はそのままか」
呆れていると「後で回収しに来るだろう」アキラが放っておけと忠告した。捨て置かれた麻袋は細長く、丁度人が入るくらいはあるなと思っていたらもぞりと動いたので驚きつつやはりかとも思う。
「随分悪人が板についてきたようだな」
さっきのやり取りのことを揶揄してくるアキラを横目で軽く睨んでから袋の口を結んでいる紐を解こうとしたが、固く結ばれていて面倒臭くなり曲刀を使って袋を破いた。
「――――っ!?」
「……厄介な荷物がひとり」
嘆息混じりのアキラの声にタキは背中を寒気が走り抜け、怒りと共に残された髭面の男を斬り殺そうかと瞬時に殺意を抱いた。
だがぐっと我慢して袋の中からこちらを見つめる大きな灰青色の瞳に恐怖と怯えがあるのを認めて言葉に詰まる。
中にいたのは寒さに震える裸の少女だった。