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C.C.P  作者: 151A
首領自治区 ~Primus~
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エピソード115 身勝手な理由

 微かに聞こえる風の音の中に聞き馴染の無い音が混じっている気がしてスイは浅い眠りから目を覚ます。寒さを凌ぐために夜中火が入れられている竈の温かな色が壁と天井に揺らめく影と共に映し出されている。

 隣の布団で眠るセリは穏やかな寝息を立てており、異変に気付いている様子は無い。

「……気のせい?」

 訝りながらも目を閉じて毛布に包まる。だがなかなか寝付けずに頭が徐々に冴えてきた。こうなってしまっては再び眠りにつくことは難しい。

 セリを起こさぬように注意しながらそっと布団から抜け出し、水でも飲もうと土間に足を下ろして靴を履く。竈の横にある水瓶の蓋の上に置いてある柄杓を取り、木の蓋をずらした。なんとも言い難い匂いのする水を掬い上げた後で飲む気にはなれず、蓋をして柄杓を元の位置に戻す。

 自治区プリムスでは濁って独特の味や匂いのする水を使用して炊事洗濯を行う。流石に火を入れずに飲むことはせずに、薬草を煎じた茶を好んで飲む。そうすることで味と匂いを誤魔化している。

 わざわざ水を沸かして茶を淹れるほど喉が渇いているわけでは無いので、一段上がった床に腰を下ろしてぼんやりと竈の火を眺めた。

「アゲハ、どうしてるかな……」

 調査団と共に町を出てから一週間になる。

 始まりの場所でアゲハはなにかを見つけられただろうか。

 スイは港にある町まで一緒に行くかと車を運転する男衆に誘われたが断ったから、アゲハが船に乗り込んで出航する姿を見てはいない。

 だから今いち実感が湧かないが、船に乗って汚染の中心へと辿り着いた後で戻って来てくれていると信じるしかなかった。


 傷ついていないだろうか?


 苦しんでいないだろうか?


 隣人を案じるスイの気持ちは彼を追いかけて行きたいとまで思わせる。

 それほどまでにアゲハはどこか頼りない印象がずっとあった。


 スイが心配しなくてもアゲハは少し前までのアゲハとは違うのに。


 綺麗で柔らかな雰囲気の顔立ちは暫く見ない間に精悍で鋭くなった。意志を宿すコバルトブルーの瞳に感じやすい少年のような影はもう無い。口調や内面は変わらず優しく傷つきやすい部分があるが、それを補うだけの強さと自信を持っている。

 人々の視線も陰口も怯えて耳を塞ぐのではなく、聞き流してやり過ごす余裕すらあった。

 置いて行かれたという孤独感は離れた場所にいる純粋な距離の問題だけでなく、知らない間に成長してしまった友人の後ろ姿を眺めている心情的な部分もある。

「悔しいな……」

 スイはもうこれ以上の成長はできない。

 色んな経験をして心や感性は育っていけるが、肉体や容姿が大人へと変わることは無いのだ。

 ずっと、このまま。

 子供のような身体で一生を終える。

 勿論老いてはいくし、死もやがて訪れるが、魅力的な大人の女性には永遠になれない。


 取り残されたまま。


「ん?」

 砂漠を吹き抜ける風が自治区を通り、統制地区へと向かうのはいつものことだ。だがその風の音を縫って聞こえてくる細い悲鳴のような声にスイは首を傾げる。

 また夜中に異能の民との戦いで重傷を負った人を運んできたのだろうか?

 その割には車の音や慌ただしい気配も感じない。

 腰を上げて入口へと向かいかけたスイの手をいつの間に起きたのか、セリが掴んで引き止めた。

「ごめん、起こしちゃった?」

 夜着の上に厚手のストールを巻きつけたセリは緊張した顔で首を振るとスイの手を離して土間に下り、竈の前へと向かい鍋に薬草の茶葉を入れて水を汲んでからその中へと突っ込んだ。

 直ぐに香ばしいような苦いような匂いが漂い、最初は鼻に着いた香りだったが今では嗅ぐと安心する。

 身体に良さそうな匂いを嗅ぐだけで健康が保たれるような心持がするのだから、案外簡単に身体も脳も騙される物なのだ。

 あまり煮出すと苦くて飲めなくなるので、沸騰しはじめたらすぐに火から下ろすのがコツなのだとセリに教わったがまだ薬草茶を淹れたことは無い。右腕が利かないままでは竈の中に鍋を入れることが難しく、危険だからと許して貰えないからだ。

「はい、お茶」

 手際よく茶器に入れて差し出された茶は温かく、眠れない上に冷え込む夜の飲み物としては最高だった。そっと息を吹きかけて冷まして唇をつけると枯れた匂いと煎じた香ばしさが混じり合ってほっと心が緩む。

「ありがとう……セリ」

「いいのよ。それよりも眠れなかったのなら起こしてくれればよかったのに」

「そんな、子供じゃあるまいし」

 恐い夢を見て目が覚めた小さな子供なら隣で眠るセリを起こしていただろうが、見た目は幼いがスイは十六歳である。不満を洩らせばセリが小さく声を立てて笑い、右隣りに腰をおろす。

 オレンジ色の光を浴びて俯くセリの表情は冴えない。

「……アラタが心配?」

 中々帰ってこない旦那を心配するのは当然だ。しかも戦うために出ているのだから無事を願い、早く帰って来て欲しいと望むのはなにも不思議なことでは無い。

 小さく首肯した横顔は沈鬱で、いつも以上に塞ぎこんでいるように見えた。

「大丈夫?セリ」

「いいえ……。きっと、不安なんだわ」

 両手で包み込んだ茶器の表面が揺れているのは、彼女の身体が微かに震えているからだ。

 スイは器を床に置き、左手を伸ばしてセリの頭を引き寄せた。

「大丈夫だよ。アラタなら無事に帰って来てくれるから」

 気休めかもしれないが、不安を少しでも取り除けるのならどんなに言葉を尽くしても構わない。彼らが言う通りならばアラタはスイの義理の兄でもある。兄の嫁ならばスイにとっては姉になるのだ。

 セリはいつでも明るく接してくれて、スイの腕のことや生活の中で不自由がないかとなにかと気にかけてくれる。彼女の支えが無ければ今はなにもできないのだ。

 慰めて元気づけることができるのならば努力する。

「セ、――――なに?今の、」

 明らかに風とは違う音が聞こえてスイは身を硬くして耳を澄ませる。さっきよりも近い場所でまた甲高い声が夜の闇を切り裂いて響いてきた。


 なにかが起きている。


「見てくる!」

 ぱっと立ち上がり走り出そうとした矢先にまた腕を取られた。感覚の戻らない右腕をぐっと強く引かれてスイはよろめく。

「セリ!?」

「……行ってはダメ」

 見上げてくる目にはどんな感情も浮かんでおらず、いつも豊かに気持ちを表す瞳と同じ物とはとても思えなかった。背中を駆け上がる寒気にスイは青ざめ戸惑う。

 寝食を共にし、親しげに声を交わしていた相手が途端に見知らぬ人間へと変貌したような違和感は味わった者にしか解らないだろう。

「なにを、」

 違う。

 そうでは無い。

 聞きたいのは何故行ってはダメなのかというものでは無かった。

「なにが、」

 そうだ。

 一体自治区でなにが起きているのか。


 これが聞きたい。


 でも聞きたくない。


「………………」

 セリは黙して答える。

 さっき聞こえたのは確実に悲鳴だ。甲高かったから女性のものか、あるいは子供のものだったかもしれない。

 自治区プリムスが静かに襲われている。

 見張りはいるはずだが、彼らも殺されたのか。抵抗して発砲した音が聞こえていれば町は即座に警戒を強めて騒然と動き出すはずだがそれすら無かった。

「異能の民――?」

 ゲンがやつらはどこにでもいる、誰が異能の民でもおかしくはないと言っていたではないか。この町にも入り込んでいて、見張りすら異能の民であったなら住民に気付かれずに襲撃することは簡単だ。

「まさか、セリもなの?」

 僅かに瞳が揺れるが、これにも無言で済ませる。

 だがそれこそが明確な肯定となり、信じられずにいるスイの困惑を嘲笑う。

「そんな――じゃあアラタは戦っている相手てきの、」

 女を嫁に貰っていたのか。

 知らぬままに。

 それとも一緒になってからセリが異能の民に共感して入信したのか。

「騙してたの!?」

 スイをではない。

 この自治区に住む人たちを、アラタを平気な顔をして騙していたのかと思ったら怒りで声が震えた。

「子供が、」

 欲しかったのだと、か細い声が切実な響きを乗せて漏れる。

 アラタにもセリにも子供を授かるための機能が無いと聞いていた。子供などいなくても二人は仲良くて幸せそうだったのに、それだけでは足りなかったのだとセリは訴える。

「奇跡の力に縋れば、子供を産むことができる。異能の民になれば戦いでアラタが命を失わず無事に帰ってくると約束してくれた」

「それはどこの誰?町の中にいるの?どれだけの異能の民が入り込んで来てるの?」

 あまりにも身勝手で、戦場で真剣に命のやり取りをしているアラタや自治区の人たちの意思を無視している。同様に戦っている異能の民の命をも軽んじているセリの願いは独り善がりで虫唾が走った。

 そのためにアラタ以外の仲間が死んでも構わないというのか。

「教えろ!!」

 ふざけるなと叫んでセリの腕を左手で握り、捻るようにして振り解く。

「人の死を惜しまず、悼む気持ちの無い人間が母親になんかなれるわけがないだろ!産めないのなら別の方法で親になることはできたはずだ。貧しくて捨てられる子供はいくらでもこの国にはいるんだから!」

「っ!アラタの!あの人の子でなければ意味がないのよ!!」

 世襲制である首領の地位を繋いでいくにはアラタの血を引いた者でなくてはならないのだと喚くと「スイには解らないでしょうね。子を早く産めと期待され、顔を会わせれば子はまだかと責められる気持ちが」涙を流しながらセリは笑う。

「……解らないよ」

 首領の元へ嫁に行き、その腕に子供を抱いて次の首領へと育て上げる理想が打ち砕かれた時の絶望を理解しろと言われても難しい。

 周りの期待と言葉に振り回されて苦しんだのだろう。

 敵の甘い誘惑に簡単に靡いてしまうぐらいに疲れ果て、奇跡の力に淡い希望を抱くほど子供を欲した。

「でも町の人を殺されて心が痛まないような人間の気持ちなんか解らなくても良い!」

 ドアに寄り、鍵を開けて外へと飛び出す。

 誰が敵で、誰が仲間か解らない。

 下手に近所のドアを叩いて注意を促して、そこが異能の民の家ならば即座に命は奪われる。


 ならば。


 大きく息を吸い込んで腹に力を入れる。


 見た目には町は静かに眠りについているように見えるが、確実に住民は襲われ血を流しているのだ。

「敵襲―――!!異能の民が襲って来たぞぉおおお!!」

 大声で叫びながら道を走り抜ける。

 途中で遭遇した時は運が悪かったと諦めるしかない。

「敵襲だぁあああ!!」

 真っ直ぐ町の西端へ向かって進んだ。

 スイの声に驚いて住民たちが武器を手に飛び出してくる。

 喉が裂けても構うもんかと駆けた。

 異能の民を見つけたのか銃声が鳴り響く。

 優しくしてくれたセリの笑顔がちらついて、悲しくて、悔しくて、スイは声を上げながらひっそりと涙を流した。


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