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C.C.P  作者: 151A
首領自治区 ~Primus~
112/178

エピソード111 約束と本当の幸せ


 浅い息で苦しそうに眠っているミヤマの顔色は悪く、肺を病んでいる者特有の咳は眠っている時でも容赦ない。更に出始めると中々止まらず、血の混じった唾液が口の端から垂れてくるのだ。

 骨の浮いた痩せた背中を擦り、乞われるままに水を汲んできて飲ませる。それが一日の中で何度も繰り返し行われるのだから、看病しているタキの方も辛かった。

 幼い頃に無理矢理押しかける形で世話になったミヤマには恩返しのつもりでなんでもしてあげたいが、こうして日に日に衰え弱って行く姿を見るのは胸に迫る物がある。

 ダウンタウンの遺体集めは日に一度昼間の時間に行い、後は街の人々と何気ない会話をしながら彼らの望みを聞いた。それ以外の時間をミヤマの傍で過ごし、夜中に容体が悪化するのが恐くて、この狭い部屋で床に転がって眠っている。

 子供の頃のように四六時中一緒にいる生活は穏やかであり、そして苦しくもあった。

 思い出されるのは弟妹を含めた四人で囲む粗末ながらも温かい食卓、泣かされて帰ってきたシオを「男の癖に泣いて帰って来るんじゃないよ!たまには相手を泣かせて帰ってきな!」と尻を叩いて放り出すミヤマ、歩くようになるとミヤマのスカートに掴まってどこへでもついて回ったスイの姿。

 どんな時でもミヤマは兄妹たちを愛情に満ちた瞳で見守ってくれていた。

 彼女と共に時間を過ごし大きくなってきたのに、仕事を得てから部屋を借り移ってからは会いに行くこともせずに疎遠になったまま。

 忙しかったことを言い訳にするのは卑怯だろう。

「―――――っ!」

 気管を震わせていつもの咳が始まる。身体を折り曲げて覚醒したミヤマは肺が破けるのではないかと心配になるくらい激しく咳き込む。骨と皮だけになってしまった老女の四肢は苦しみから逃れようと必死で布団にしがみ付くだけで折れてしまいそうだ。

 食が細くなってしまったミヤマが食べられるのは麦や米などを柔らかく煮たものぐらい。それに香草を入れたり、塩で味をつけたりするくらいしかタキにはできなかった。

 不器用なせいか料理は苦手で、シオも面倒くさがりが過ぎて即席麺などを好んで食べる。スイは野菜の皮を剥いたり刻んだりは上手いが、生でも食べられる物を加熱調理する時間がもったいないと手軽さを重視する。

 食生活が破綻していると言っていい状況をホタルやアゲハの朝食がタキたちを支えてくれていたのだ。

 有難かったなと今更ながらに感謝する。

 料理も又才能がなければ上達はしないのだと努力した結果学んだ。

「……く、やしいね」

 荒い息の中で忌々しげにミヤマは毒づく。

 病に対する苛立ちかと曖昧に頷くと「あんたたちの手を煩わせるなんてまっぴら御免だと思っていたのに……」タキに看病されている現状に腹を立てているらしい。

「そんなことを言わずに少しは恩返しをさせてくれてもいいだろう?」

「必要ないよ……」

 顔を背けて小さな窓の方を見る。その向こうには裏庭があり、食べるために野菜を植えていたが中々芽を出さない物が多く、芽を出しても育たない物が殆どだった。それでも毎朝畑に水をやり、出てきた双葉を見ては一喜一憂した思い出がある。

 スイが地面に絵を描き、ミヤマが誉めてシオが「おれはこんな間抜けな顔じゃない」と文句をつけて、タキはその遣り取りを微笑ましく眺めていた。

 第四区のアパートで暮らしていた時は忘れていたはずのことも、ここでミヤマと暮らすうちに色々と思い出すのだ。

 何気ない毎日が本当に幸せだったのだと。

「恩返しなんかする必要ないんだ……。あたしはもう十分返してもらってるんだから」

「まだなにも返せてない。だからミヤマ、頼むから長く生きて欲しい」

「……こんな、歳になるまで生きたのに、まだ楽にはさせてくれないとはね。とんだ親不孝者だよ、タキは」

 垂れ下がった目蓋の下から流れる涙をタキは見ないふりをして背中を擦り続ける。

「ミヤマが長生きしてくれるなら、俺は親不孝者でいい」

 ダウンタウンに住む人々の望みは安心して暮らせるだけの基盤と、病に因る体調不良時に薬が簡単に手に入ればという物だった。痛みから逃れるために第八区の住民が手にするのは重篤な中毒症状を引き起こす薬物か安価な酒。

 できれば安全で良く効く薬が欲しいが、高価すぎて手が出せないのだ。

 貧しいために危険を伴う物を選択するしか方法がない。

 安酒で痛みを和らげるためには過剰摂取するしかなく、薬物は僅かな量で効果があるが幻覚症状や感情の抑えが利かなくなる。両方とも依存症に陥りやすく、そうなってしまってはもう二度と普通の生活には戻れない。

 ダウンタウンにはそういった人間が多く、朝起きたら冷たくなっていたという末路を辿る。

 国や総統が悪いとは思っていても、彼らが責任を果たしてくれるとは思っていない。

 第八区の殆どの住民たちは漠然とした「今より良くなればいい」という思いや望みしかないようだった。

 どうすれば暮らしが今より良くなるのかといった過程や原因などどうでもいいのだ。

 彼らはずっと受け身でその日暮らしを細々と続けて生きてきたから。

 物事を深く考えることはしない。

 だから突発的にその場の感情で人のものを奪い、空腹を満たし、欲望を叶える。動物的で解りやすく、自分より強い者には反抗しない。

「シオは……どうしているのかね」

 胸を押えてミヤマがポツリと呟く。その場所にはスイが描いた家族の絵が折り畳んで大事にしまわれている。庭にミヤマがいて、スイとシオとタキもいた。それはタキたちが孤児院を出る前にスイが描き、贈り物として置いて行った物だ。

 ミヤマはずっと大切にしてくれていた。

「きっと、無事だ」

「だろうさ。あの子はしぶとい子だよ。簡単に死んだりするもんか」

 鼻を鳴らして無事であることを願うミヤマの愛情とシオの身を案じる気持ちは母親として相応しいものだ。

「シオが帰って来たら精一杯甘えて困らせてやればいい」

「あたしがあの子に甘えるだって!?」

「あいつは随分ミヤマを困らせたから丁度いい仕返しになる」

 笑いながらそう勧めると老女はやれやれと言わんばかりに嘆息し「冗談じゃないよ」と首を振る。

 夕闇に暮れて行く窓の外を見ながらふと「でも、また四人で一緒に暮らせれば」と口にして途中で止めた。小さく頭を振ってそれを望んではいけないのだと苦く笑う。

 死を間近にしながらも遠慮するその想いが切なくて。

「また四人で、ここで暮らそう。暮らせるように頑張るから」

 胸の上の手にタキの手を重ねて約束する。

 ぎゅっと握って思いを伝えた。

「……くやしいね」

 肩を震わせて涙に濡れた声が小さな部屋に落ちる。

「嬉しいと、思うなんて、随分耄碌したわ」

「大丈夫、かならずそうなる」

 そのためには革命を成して新たな体制の国を作り上げなければならない。

 自由と平和を。

 安心と安全を。

 権利と義務を。

 全ての人が幸せを実感できる国へ。

「みんなで、実現するから」

 まだそのためのきざはしの下に立つことすら許されていないが、いずれはその段を上り頂へと至ることを夢みて。

「あたしの命がそれまで持つかね……」

「だから、持たせてくれなきゃ困る」

「…………お願いだよ。タキ。あたしより先に死ぬんじゃないよ?四人で一緒でなければなんの意味も無いんだから」

 不安そうな瞳が見上げてくるのをタキは笑顔で受け止めた。

 勿論だと頷こうとした時小さな窓が忙しなく叩かれ、びくりとミヤマが身体を揺らす。何事かと鋭い視線を向ければ、そこに覗いたのはミヤマを介して伝えられたホタルの伝言を第三区にいるタキへと届けてくれた少年の顔だった。

 大変だと叫ぶ声を窓越しに聞き、腰を上げて腕を伸ばして窓を押し開く。

「どうした?」

「アジトが、討伐隊に襲われて」

 右のこめかみから血を流している少年も命からがら逃れてここへ来たようだった。クラルスのアジトがあるのは西の端で、ミヤマの孤児院までは結構な距離がある。そこを駆け抜けてくるのは大変だっただろう。

 アジトは複雑な小道や路地の先にあり、見つけることは困難だが、道さえ知っていれば辿り着くことは容易である。

 しかも袋小路の場所で追い詰められれば逃げ場は少ない。

「どうして討伐隊に場所がばれたんだ……」

 彼らはダウンタウンの土地に詳しくなく、入り組んだ場所にあるアジトを探し出すことはまず不可能に近かった。

 途中途中で見張りも立っており、軍の人間や見知らぬ者が近づけば即座にアジトへと連絡が入る。そしてそれ以上奥へと侵入させないように攻撃し、その間にアジトは警戒態勢を整えるのだ。

 タスクがいる頃は機能していた物が今では上手く働いていないのか。

「裏切り者が、命の安全と食い物欲しさに情報を売ったんだ」

 悔しげな声に一枚岩では無いクラルスの実情が浮き彫りにされる。強い頭首がいなくなった反乱軍には自分を守ってくれる力も、空腹をしのぐための食料を与える余裕さえない。それならば、と思う者が出てくるのはしょうがないことだろう。

 誰もが命は惜しい。

「ハゼは?」

「アジトで戦ってる。でも、あれじゃ」

 絶望的な状況であることは少年の表情から伝わってくる。

 彼は逃げてきた訳じゃないだろう。

 ここに来たのはタキに加勢をして欲しいからだ。

「行こう」

 一度拒絶されたからとかつての仲間を見捨てては、統制地区をひとつに纏めることなど出来ない。

 少年の瞳に広がる期待と安堵にタキは笑う。

 望まれているのなら戦うのみだ。

「タキ、約束だよ?」

 狭い部屋を横切ってドアへと歩み寄るタキを呼び止めて、ミヤマが悲痛な声で懇願する。残り少ない時間を四人で過ごしたいと思っているのはタキも同じだ。だから頷いて「約束だ」と口にした。

 ミヤマはくしゃりと泣き笑いして「気を付けて」と送り出してくれる。

 玄関までは急ぎ足で向かい、外へ出てからは鍵をかけて少年と合流しアジトまでの道を全力で駆けた。

近づくほどに戦いの熱気と混乱が感じられて心がざわつく。


 久しぶりの戦闘に血が逸っている――。


 あれほど嫌悪していた行為を前に興奮している自分に呆れ、だが怖気づかない心に勇気を得た。


 大丈夫だ。

 やれる――。


 風に乗って流れてくる喧騒と硝煙の匂いの中へと身を投じながらタキは呼吸を整えた。


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