エピソード110 工場再開の準備
人工栽培所と武器を製造する工場は同じ敷地内にあり、真新しい工場は先の戦いの折に酷く損傷していたが、急いで修復させ運転再開の目途はついた。
ベルトコンベアーに乗ってくる部品をそれぞれの工程で完成させながら次へと送る流れ作業は素人や子供でも簡単にできる仕事だ。
工場内に灯りを灯して実際に稼働させてみると、組み立て作業員がいない空疎な空間をなにも乗せていないコンベアーがゆっくりと動いて行く。
「問題なさそうだ」
「はい。後は材料と人材が用意できれば直ぐにでも作業開始できます」
工場長が満面の笑みで早急に運転再開させたいと意欲を見せる。
材料である金属の搬入要請はしているので、明日にでも納品されると伝えれば小躍りせんばかりに喜び勇んで「それでは人材は前回のように無戸籍者を用意して下さるんですよね?」と確認までしてきた。
「いいや。今回は強制労働という形では無く、雇用という形で採用してもらいたい」
「へ……?」
賃金を払わないで済むうえに、就業時間にも拘束されない労働力を当てにしていた工場長は間抜けな声を洩らして困惑気味に視線を漂わせる。
人工栽培所も武器工場も国や軍の管轄であるが、運営は民間の企業に委託している形になっていた。労働者を雇用するとなると支払うのは国や軍でも無く工場長となり、今までは工場を稼働させればさせるほど儲けがあったがこれからはそうはいかなくなる。
「そんなバカな話は――」
泡を食って反論しようとした工場長をホタルはひたりと見据えた。
「寝る時間も食事も満足に与えずに無料奉仕で働かせる、という話の方が遥かに愚かでバカな話では?」
「ぐっ」
今まではそれを国が奨励していたくせにとは口に出来ない工場長は言葉を飲み込んで黙る。
「これまでに随分と儲けさせてもらったはず。その分を国へと返すのも事業者の義務では?」
「規定の税金ならばちゃんと払っています。そのことで責められる謂れは無いはず」
「成程……」
税金の支払い義務を怠っていないのだから難癖を着けられ、儲けの無い仕事を押し付けられる理不尽を訴えても構わないと男は憤然と返答した。
「材料と電気料金は国が助成して一切そちらに負担は無く、工場設置も国が出資して借金も無い。人件費も無戸籍者を使っていたのだから無料で在るのにも拘らず、治める税金が一割とは余りにも少なすぎかと」
しかも顧客は国であり、作られた銃器を全て買い上げてくれる。作る分だけ必ず売れていく商品は材料費も大量の電気を消費しても金がかからないのだから笑いが止まらないだろう。
国は商売の安定を保証し、少ない税金を納税するだけで工場は多額の利益を得る。
通常の規定ならば四割は納めなくてはならないだけの額を稼ぎながら、この男は一割しか納税していないのだ。
あまりにも優遇され過ぎている。
扱う商品が武器であり、国によって工場建設を要請された強みが男を傲慢にしているのだ。
「私がそうして欲しいと言ったわけではありませんよ。そちら側が先に条件を提示したのですから」
「そうですか。あくまでも譲歩はしないと?」
嘆息してホタルは工場の壁に残る激しい銃撃戦の跡に指で触れた。めり込んだ弾が鉄骨の柱に埋まったまま残っている。弾丸が掠めたのだろう抉れた壁も、床に残る穴も全て反乱軍や無戸籍者たちの怒りの現れであった。
「譲歩もなにも、そういう契約であったはずです」
勿論今回は働く人間の睡眠時間や食事には配慮をできるだけするようには努力しますが、と下卑た笑いを浮かべて追従してくる。
工場を再開させたいのはホタルだけでは無く、この男も金のためには早く稼働させたいのだ。
「それでは工場を再開する為に行った修復や修理代を請求させていただくが宜しいか?」
「宜しいかって、それは」
勝手にそっちが修理や修復をすると業者を寄越しておいて代金を請求するなどあんまりではないか――。
もっともな意見だったが、ホタルが工場再建のために手を打たねば捨て置かれたかもしれないのだ。
カルディア内部で陸軍とアオイ率いる革命軍が凌ぎを削り合いながら戦っており、統制地区の些末な出来事に構っていられるほど彼らは暇ではない。
勿論武器は欲しいが、工場を建て直すことも人手を集めることも、できることはそっちで勝手にやってくれと投げやりな態度だった。
ホタルが工場再建案と材料の手配を上層部に申請した時も二つ返事で了承し、審査も碌にせず書類の内容も確かめずに判を押してくれたのだから余程である。
「総統閣下は統制地区の経済と生産が低迷し、治安が悪化しているのを憂いていらっしゃる。その両方を改善するためには仕事を失い食うに困っている住民を優良事業者が雇用して安心して働いてもらうことが重要だ」
実際に総統が憂慮しているかは解らないが、軍の制服を纏うホタルが言うことによってその信憑性は増す。本当は学生に過ぎないホタルだが、そんなことは工場長の知る所では無い。
「その為に工場再建の予算を出してもらったのだ。住民の雇用を拒むのならば予算は下りない。よって、修繕費は実費となる」
「そんな……」
「正規の納税義務分の不足額に相当する残り三割を請求される方がマシか、それとも困窮している国民を救うために彼らを雇用して賃金を払うのがマシか」
にこりと微笑んで回答を促すと、男は青い顔で首を振る。
儲け重視で運営している工場長にとってどちらの案も受け入れがたいに違いない。
「人工栽培所の工場長は売り物にならない傷物の野菜を、貧困に喘ぐ住民たちのために提供することを快く承諾してくれたが、」
貴方はどうか?と問うも脂汗を滲ませて黙していた。
嘆息してホタルは工場長の肩に手を乗せる。
「了承してくれないのならば仕方がない。この国に事業主は貴方ひとりではない。特に商売相手が国である事業内容ならば引く手数多だ。工場は一旦こちらが買い上げて、新たな経営者を探そう。実に残念だが」
「いや、それは……」
漸く自分の方の立場が下なのだと思い出したようで、男は慌てて自分の肩に乗るホタルの袖を引く。
その指が震えていて気の毒に思えるが、ここで優しさを見せれば強かな工場長は少しでも自分に利益が出るように交渉しようとしてくるだろう。
「次は国の為に誠心誠意尽くしてくれるような人物を選ばなければならないな」
冷たく言い放ち肩から手を除ける瞬間に、男の指を冷酷に振り払った。
背を向けて出口へと向かい始めたホタルを悲痛な声が呼び止める。
「私も!誠心誠意国へ尽くせます!どうか、お待ちください!」
懇願にも歩を緩めずに無情ともいえる速度で進むと、なんとしても気を引きたい男が再度口にした内容にホタルは心の中で歓声を上げた。
「全て、全て要望通りにしますから!どうか、どうか……」
やっとか、と安堵しながらもそれを表情に出さないように注意して、数歩の余韻を残してゆっくりと立ち止まる。
勿体ぶったように数拍置いてから肩越しに工場長を振り返った。
彼は呼びかけに応えてくれたことに歓喜しつつも、僅かな不安と緊張に顔を強張らせてホタルの言葉を待っている。
「…………全て、と言ったな?」
「う、あ……はい」
言質を取られたことに今更焦った所で工場長の職を失うくらいならと覚悟を決めて男は首肯した。
「まずは速やかに戸籍が有る、無いに関わらず統制地区の住民を雇用しろ。その際雇用契約書を作成すること。その後で勤務時間や勤務日数の予定表と賃金の試算を全員分提出。週に六日以上、十時間以上の勤務はさせないこと。能力に応じて昇給させること。休憩時間を与え、それ相応の理由が無ければ解雇はできない。地下鉄道の利用が困難な今は遠くから通ってくる雇用者には食事を用意すること」
「食事まで、ですか?」
「なんなら歩いて来るのだから休憩時間を余分に与えてやってもいいかもしれない」
頭を抱えて唸る男に見えないようにホタルは苦笑いを浮かべる。
どう考えても雇用主よりも雇用者を優遇した内容に男が簡単に納得できるわけがない。だがそれぐらい破格の対応をしなければ住民たちが武器製造の工場で働きたいとは思わないのも事実。
工場は作業員がいなければ生産できず、商品ができなければ商売にならないのだ。
住民たちは国から委託されている工場で働くことを怖がるだろう。また強制労働をさせられるのではないかと怯えられて労働力を確保できないと困る。
「他にも色々と応じて貰わなければならないことがあるから、後で箇条書きにして届けさせる」
「…………はい」
まだあるのかと顔が雄弁に語っているが、それでも工場長は従順に返答する。
ホタルの狙いは武器を増産することでは無い。
法律によって仕事を失った住民の雇用が目的だ。
この第一区は法の適用外が用いられる唯一の場所。だからこそ人々に仕事を与え、普通の生活ができるだけの環境を整えてやれる。
最初はその金を無頼者が暴力で奪っていくかもしれない。
だが人工栽培所から食材を無料で配給し、食料と収入が安定して得られるようになれば徐々に治安は治まって行くはず。
国が国民のためになんらかの方策を講じ始めているのだと彼らに意識が芽生え始めれば、治安維持隊も保安部も仕事をしやすくなるだろう。
国に対する不満も減る。
今は地味に見えることをひとつずつ確実にやっていくことが大事だ。
「期待している。先程の言葉を決して忘れるな」
全ての要望を聞くと約したことを念押しすると工場長は何度も頷いて頭を深く下げた。