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C.C.P  作者: 151A
首領自治区 ~Primus~
109/178

エピソード108 現と死の境で

 風が運んでくる芳しい香りに誘われるようにして目蓋を押し上げると、辺り一面色とりどりの花が咲き乱れ美しい花畑を作り上げていた。

 空は穏やかな白い光で包まれ、吹き抜ける風は柔らかく心地が良い。

 暫く見惚れていたが、この花畑がどこまで続いているのか知りたくてゆっくりと歩き出す。

 そうすることで初めて足元を綺麗な水が流れているのに気付く。花々は水の中から茎や葉を出して咲き誇っていたのだ。足首までの水嵩しかなく、サラサラと流れている水は冷たく水底が見える程の透明感を持っている。

 これだけの花が咲いているのに虫一匹おらず、清き流れの中にも生命の気配は感じられなかった。

 頭上を見晴かしても鳥の影すら見えず、行けども行けども変わらない景色に満ち足りていた気分があっという間に萎んでいく。


 この世界に意思ある生き物は己のみなのか――?


 唐突に孤独と不安に襲われ必死で足を動かし先へと進む。最初は花を傷つけないように慎重に歩いていたが、途中でそんなことなど気にしていられなくなって夢中で駆けだした。


 誰か――。


 自分以外の人間を探して視線を動かすが、どこまでも続く花の絨毯の他にはなにも見えなかった。

 花を蹴散らし、水を跳ね上げて走り続けたが結局どこにも辿り着けずに疲れ果てて座り込む。所在無げに膝を抱えて風に揺れる花びらを眺めていると、遠く青やピンクや黄の色が滲む先に茶色が横一線にくっきりと浮かんでいるのが見えた。

 立ち上がり背伸びをして目を凝らすと、花畑が終わりそこからは茶色の大地が広がっているのが解る。

 その先がまた永遠となにも無い大地が広がるだけの世界かもしれないが、それでも花ばかりの景色よりはマシだと思ってそこを目指して再び歩き始めた。

 最後の方は丈の高い葉が密集していたので、視界を覆う緑のカーテンを力強く掻き分けながら進んだ。細く平らな葉は払い除けるたびに指や腕に傷をつけて痛みを刻みつけて行くが、そんな些細なことに気を取られるほどの余裕は無かった。

 夢中で花畑を抜けたと思ったら目の前に横たわる流れの速い川に行く手を遮られてしまう。

 向こう岸には茶色の大地が広がり、緩い稜線を描く山裾に田畑が見え家屋が建っている。明らかに人々が生活している気配があり、川さえ渡れれば寂しさからは解放されると喜びから胸が逸った。

 数歩近づき川辺から様子を見るが、とても歩いて渡れそうな深さでも無く、また渦を巻きながら流れる川は泳いで渡ることもできそうにない。

 なにか方法がないかと視線を巡らせると一本の杉の木があり、その下に粗末な木の小舟が繋いであるのに気付く。その小船は細長く、船首が尖っており上手く操舵できれば速い流れも渦も切り抜けて向こう岸へと渡れそうだ。

 足早に小舟の元へと進み、縁に手を着いて船底に水が溜まっていないのを確認する。大丈夫そうだと判断して岸に繋ぎ止めている杭から縄を外そうと身を翻した所で、杉の木の下に座っている小男に気付いて飛び上がるほど驚いた。

「…………向こう岸に渡りたいのか?」

 男は大きな帽子を深く被っているので顔の下半分しか見えない。皮肉気に歪められた唇から聞こえた声は年老いた男のもののようであり、また甲高い子供のようにも聞こえた。

 生成りのシャツにワインレッドのベストを着て、萌黄色のズボンを履いた小男は帽子の下からこちらを窺ってくる。

「やり残したことはないのか?」

 そう問われるとやらねばならないことがあったような気がする。

 だがそれも曖昧で、深く考えるよりも先に頷いていた。

「あっちへ渡ったら、もう二度と同じ時と場所には戻れない。それでもいいんだな?」

「同じ時と場所には、戻れない?」

 再度確認され今まで歩いてきた花畑の方を振り返る。

 自分がいた場所はもっと過酷で悲惨な所だったように思う。あんなに綺麗で心休まるような世界ではなった。

 色も少なく、食べる物も水も不足していて、人々は不満ばかりを口にしていた。

 そんな場所へ戻りたいなど誰が思うのだろうか。

 なのに。

 チクリと胸が痛んでその場所を抑える。

「なんだ、覚えてないのか?」

 ほんの少し同情を籠めた声音で男は身を乗り出してしげしげと眺めまわす。不躾で無遠慮な視線にまるで全てを透かし見られているようで落ち着かない。

 やがて小男は「こいつは驚いた」と心底呆れたように呟く。

「お前さんはよほど悪霊が漂う場所で死んだらしい」

「……死んだ?じゃあ、ここは」

「ここは現と死の境だから厳密に言えばまだ死んじゃいないが……。余計なもんいっぱい連れて、それじゃ船が沈んじまう」

 よっこらせと重そうに腰を上げた癖に男は軽快な足取りで近寄ってきた。

 “死”というものの実感が湧かずにぼんやりと首を傾げていると、男が背後に回りバンバンと凄い音を立てて背中を叩き始める。

 息が詰まる程の勢いに苦しくなって咳き込みながら、現と死の境に立っているのに息苦しさを感じたり、咳をすることがあるのかと微妙にずれたことに感心しつつ黙ってされるがままになっていた。

「全く仕事を増やしやがって」

 文句を言いながらぽちゃんとなにかを川に放り投げる音がしたので振り返ると、竹で編んだ籠のような物が水面に浮いていた。

「それは……?」

「お前が連れてきた未練たっぷりの魂たちだよ。こうして川の水に浸けて負の感情を流してからじゃないと、行く所には行けねえからな」

 強い流れの中で流されずに浮いている所を見ると籠の下に重りでも着けてあるのだろう。ぶつぶつ言いながらも余計な魂すら助けようとしてくれているのだから、この男も大概面倒見がいいらしい。

「本当にやり残したことはないのか?おれにはお前さんがなにも成し遂げてないように見えるがね」

「……なにも成し遂げてなければ問題が?」

「大いにある。心残りがあったり、志半ばで死んだ時はもれなく地獄へ堕ちる。これは自分の中の後悔や罪の意識が天上へ向かう道を閉ざすからだ。なにも神の裁きとかそんな大それたことが原因で地獄に行く訳じゃない」

 地獄へ堕ちるのは自らの罪悪感だというのなら殆どの善人は地獄へ行くのではないだろうか。

 人を殺した人間でも罪の意識が無ければ天上へと行けるということで、結局死んだあとでも理不尽はあるのだと少なからず意気消沈した。

「まあ勿論大罪人は問答無用で神の手により地獄へと落とされるがな」

「それなら納得できます」

 ほっと胸を撫で下ろして自分は地獄へと落ちるのだろうかと自問自答する。男が言うようにきっとまだなにも成し遂げられてはいないのだろう。

 多くの未練を持った魂を引き連れてここへ来るようなことに何故なったのか。

 そして誰も戻りたいと思うはずの無いような状況の場所へ帰りたいと思ったのは何故か。


 無事に帰ってきて――。


 そうだ。

 約束をした。


 そして。


「一緒に戦うって、」

 決めたはずだ。


 まだなにも成してない。


「戻らなきゃ」

 あの砂漠で倒れたまま死んでしまっては、また逃げたことになる。

 戻っても曾祖父の罪を償う方法など解らない。

 思いつかない。


 それでも。

 帰らなければ。


「帰るのなら急いだ方が良い。地獄の番犬は恐ろしく鼻が利いて足も速い。追いつかれる前にさっさと来た道を戻れ」

「ありがとうございます」

 礼を言って花畑へと向かうアゲハを男は引き止めた。急げと言った本人が引き止めたのだからよっぽどのことだろうと肩越しに振り返る。

「人が死ぬ時に恐怖するのは限りある時間が終わるからだ。魂だけになると“死”の括りから外れ永遠を生きることになる。永遠は安らかであり退屈でもある。地獄などに堕ちようものなら“死”という逃げ道がない魂は痛みと恐怖を永遠に感じ続けることになるんだ」

 帽子の下でにこりと微笑んで小男は「永遠よりも限りある時間の方が尊い」と続けた。

「限りがあるからこそ、その一瞬一瞬を大切に思えるんだ。現では辛いことも苦しいことも、永遠には続かない。幸せもまた然りだ。だから精一杯生きろよ」

 じたばた足掻いて後悔や心残りをして死んだとしてもおれがここで、洗い流してあっちへ渡してやるから。

 帽子の唾を持ち上げた男の顔は酷く幼かったが、その瞳は年老いた人間の持つ労わりや優しさを湛えていた。

 彼はきっと幼くして永遠を得て、ここで迷える魂を救っているのだろう。

 ずっと長い間。

「さあ、生きな。地獄の犬が悔しがるくらいに鮮やかに」

 首肯してアゲハは草を掻き分け花畑を目指す。

 今度こそ鮮やかに命の光を燃やして生きよう。

 辛いことも苦しいことも永遠では無いのなら、悩みも罪もまた永遠とは無縁なのだ。


 やり直そう。


 生まれ変わった気持ちで。

 全てを。


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