荒井智紀②
智紀はまず安部が捕まった警察へ向かった。安部が捕まる原因が環妃なら彼女は警察で事情聴取を受けている筈であった。
警察へ着くと報道各社が取材に殺到していた。その間を抜けて署内に入り正面の窓口にいる警察官に声を掛ける。
「すみません、こちらに尾花環妃が事情聴取の為にお伺いをしてると思うのですが」
智紀は出来る限り丁寧な言葉で警察官に問いかけた。
「尾花環妃さんね。ちょっと待って下さいね…ところで貴方は?」
「尾花の遠い親族になります。彼女は早いうちに両親を亡くしたのですが、1人で頑張ってまして」
それを聞いた警察官は内線で担当部署であろう刑事課に連絡をしていた。
少し会話をして受話器を置いた警察官が智紀に少し待つように言った。
数分経つと、先程の警察官の所にスーツを着た男が声を掛け、智紀の方を見ると近づいて来た。
「尾花環妃さんの身内の方?」
「はい、遠い親戚にあたります」
そう言うと智紀は1枚の名刺を取り出して、男に手渡す。
名刺を見た男は、1度智紀の全身を見渡してから、少し釈然としない顔をした。
「あの由緒ある神社の方…がご親族なんですね」
智紀は実家の神社とは、ほぼ疎遠ではあるが正階の階位は持っており、母の清音によって権禰宜の職階になっていた。そして、必要に応じてその名刺を使っていたのだ。
日本は、宗教や信仰に対しての概念が薄いとはいえ、冠婚葬祭や暦の行事など多くを神道や仏教に則って生活しており、それに従事する人間はある程度信用されている感覚を智紀は感じていた。
「尾花環妃はこちらに居ますが、面会されますか?」
「はい、顔だけでも見れればと思い参りました」
「では、どうぞ」
男はそう言うと智紀を連れて建物の3階へ案内した。
智紀は内心安堵していた。というよりも実家が神社であることに感謝した。
智紀が考えるに、環妃は元々存在する誰かに憑依しているか、そもそも、その存在自体が無い者のどちらかである。前者であれば親や兄弟が居たかも知れないが智紀はその可能性は無いと思い後者の考えに沿って話を進めた。
しかし、現段階での報道では被害者の内容は一切出て居なかった。
そして、聴取を受けている環妃も身寄りが無いのであれば警察にもそれを伝えていた筈である。
そうなれば例え縁の遠い親戚が居たとしても、ここに環妃が居る事は分からない筈であったのだが、受付をした警察官がそう言った事情を知らなかった事、また担当部署から来た刑事も状況よりも智紀の出した名刺の信用性を重視した事で、智紀は環妃に接見する機会を得たのだった。
取調室と書かれた札が挿さった扉の前で、刑事が智紀に少し待つように言うと扉の中に入って行った。
後は環妃次第である。あの名刺を見た彼女がどのような返答をするかによって、このまま帰らなければならなかった。
扉が開いて、先程の刑事が出てきた。
「ではどうぞ」
中に入ると正面に環妃が座っていた。扉のすぐ脇に書記がいて、環妃の向かいに女性の警察官が座っていた。
「あら」
環妃が智紀を見て呟いた。智紀は次の言葉を慎重に待った。
ここで環妃が発する言葉によっては、智紀が虚偽や公務執行妨害なりの犯罪者に成りかねない。
「荒井さん、お久しぶりです。心配で来て頂いたのかしら」
「ああ」
智紀は心臓を掴まれるような感覚でいた。鈿女に近づいていた事も考えれば造作も無いことではあるはずなのだが、智紀を見るなり鈿女と関係性がある人間という事を知り、荒井と呼ばれた事に智紀は一瞬、身動きが取れずにいた。
「あら、そんなに驚く事ではないわ。私はあの時にすれ違った時に既に気が付いていたし、貴方からはちゃんと鈿女さんと同じ匂いがするわよ」
それを聞いていた警察官たちは、何を言っているのか理解出来なかった。
「さて、貴方は私を迎えに来たのかしら?」
「ああ、そろそろかと思ってね」
「分かったわ、じゃあ刑事さん。そろそろ私は帰らせてもらうわ」
「いや、まだ聴取が…」
「これ以上話すことは無いわ。あの安部がした事を全て話したし、それが事実。後はあの男に聞いていただけるかしら」
環妃が少し厳しい目線を刑事たちにおくると、刑事たちは頷くしかなかった。
それを見た智紀は、彼女のあまりにも強い力に言葉を失った。
「じゃあ行きましょうか。ところで今日は鈿女さんは?」
「今ごろ学校で、この事の収束に追われてるかも知れませんね」
「あら、貴方はそれを解っていて彼女を学校に行かせたのかしら」
「ええ、これ以上はあいつには荷が重いだろうし、何より危険だと思ってね」
「それは考えすぎよ。でもいいわ、貴方のような人に彼女が守られているなら、私も安心よ」
智紀は困惑するしかなかった。環妃の言動には物の怪らしからぬ理性があまりにも伴われていた。
とにかく鈿女を巻き込まずに済みそうな状況になっていることが分かっただけでも先に進むべきだと思わせてくれた。
「じゃあ行きましょうか荒井さん。貴方が私と対等に向き合える場所とやらへ」
「色々とお見通しのようですね。じゃあご一緒して頂けますか」
環妃は頷くと、智紀とともに取調室から出た。刑事たちは身動きを取れないまま2人の姿を見送った。
智紀は警察署を出て、タクシーを呼び止め環妃に乗るように促し、乗り込むと実家の神社へと行き先を告げた。