荒井智紀①
ピンポーン、ピンポーン、ピンポーーーン。
放課後に鈿女は智紀の家に向かった。
呼び鈴を鳴らすが人が出てくる気配は無い。智紀は外出していた。
鈿女は、珍しく仕事なのかと思い肩を落とした。
後3日のうちに何が起こるのだろう。まさか環妃が人を殺したりはしないだろうと鈿女は自分に言い聞かせていた。
しかし不安は拭いきれない。
「智兄、この大事な時に…」
鈿女は、やり場が無くて玄関の扉に蹴りを入れるとメモ帳を取り出し、伝えたい事を書いてポストに入れた。
その頃智紀は実家に居た。
実家には古い伝記や書物の写本などがあり、智紀は環妃に感じた雰囲気について手掛かりがあるかと思い、それらしき本を読み漁っていた。
「あの感じは、こいつかな…だとすると鈿女は厄介なのに出会ったもんだな」
智紀は少し頭を掻いて思考する。鈿女に声を掛けて来たという事は、鈿女の能力をある程度察知は出来ている。
しかし、鈿女に手を出さない事が腑に落ちない。智紀が想像する物の怪ならば、確実に鈿女に何らかの怪異をもたらしているはず。
それが無いのは何故なのか。
考えられる事は幾つかあった。それは環妃に会い直接聞くしかないだろう。
「どうだい、何か解ったのかい」
清音が書庫に来て声を掛けた。
智紀は曖昧な返事を清音に返しながら、自分の考えが正しければ少し厄介な相手なので母に力を借りなければならないかも知れないと思いながら、今は清音に話す事はしなかった。
それというのも、環妃に対峙する時は実家で無ければ対等に相手が出来ないと、智紀は予測していた。
そうなれば、必然的に清音の力を借りる事になるであろう事も。
智紀が自宅に帰ると、玄関に靴跡が付いていた。
最近の子供たちは悪質な悪戯を思い付くものだなと思いながら、ポストの郵便物を取り出す。
「シキュウレンラクサレタシ。ウズメ」
と書かれたメモを見る。
何でカタカナで書いたのか、鈿女の感覚には今ひとつついていけないと感じながら、ここへ来て何かを伝えたかったのだろうとは思えた。
「もしもし、智紀ですけど鈿女は帰ってますか?」
「あら智紀さん。鈿女ちゃんならさっき帰って来てたわ。そんな事より今日は来られてたなら、晩ご飯ぐらい食べていかれれば良かったのに」
電話に出たのは苦手な都義姉さんだった。
「いえ、所用で寄っただけだったので」
「実家なのだから遠慮なんかせずに。それに鈿女ちゃんに用があったならなおのことだわ」
智紀は苦笑いをするしかなかった。
「それに鈿女ちゃんに智紀さんの家を教えて正解だったわ。鈿女ちゃんと仲良くしてくれてるみたいだし、実家にも来てくれるようになったもの」
智紀は、おっとりした雰囲気なのに、策士とも言える都には色々と逆らわない方が良いのではと思った。
都は少し待つように智紀に伝えると鈿女を呼んだ。
電話口からも聞こえるような音を立てて鈿女が部屋から掛けおり電話に出た。
「智兄、メモ見てくれたんだ」
「ああ、何で全部カタカナだったんだ?」
「何か危機迫る感じがするでしょ。そんな事より智兄、環妃さんが変な事を言い出したんだよ」
「変な事?」
智紀は環妃がいよいよ鈿女に対して何かしらの行動に出ようとしているのかと思った。
鈿女は昼間に起こった事を智紀に伝えた。智紀は昨日、環妃に会った時に一緒に歩いていた男性を思い出した。
単に男女の問題で別れが近いのではとも考えたが、鈿女が伝えた環妃の言い回しに、それとは違う物を感じた。
「鈿女、とにかく今はあまり彼女とは関わり合いを持つな」
「でも環妃さん、その人を殺したりしたら…」
智紀が想像する範囲の中に勿論それはあったが、前回の羽鳥という教師については殺すような事が無かったので今回も可能性は低いとも考えていた。
それよりも鈿女が環妃に関わる事を今は避けたかった。
「近いうちに俺が彼女に会って、真意を確かめてみようと思う。3日間はとにかく彼女の様子だけ見ててくれ」
「智兄がそう言うなら、変なことはしないようにするよ」
鈿女は納得は出来ていなかったが、智紀がそこまで言うなら従うしかないと感じた。
「ああ、頼むな」
智紀は、まず鈿女が無茶をしない事を確認でき安心した。そして早く環妃の正体を掴まなければならないと考えを巡らせながら鈿女との電話を終わらせた。
そして3日が過ぎた。
この2日は特に動きは無かった。このまま単に環妃と安部が恋愛関係に終止符を打ってくれていればと鈿女は思った。しかし、朝食の手が止まり動けなかった。
「昨夜、駒川大学3年生の安部泰成さん21歳が婦女暴行の容疑で逮捕されました。安部容疑者は未成年に対して淫らな行為を強要したとして昨夜逮捕されました」
鈿女が箸を止めていたその時、智紀も自室でその報道を見ていた。
智紀はこの報道を受けて、まず安堵し、そして先の教師の件も含めて環妃について確信めいたものを感じていた。
「智兄!テレビ!!テレビ見て」
鳴った電話は鈿女からだった。
「鈿女か、見てるよ。テレビ」
「これ、これって…」
「ああ、確かに別れる状況になったな」
「環妃さんがしたの?」
「あくまでだが、したと云うよりさせた。が正しいと思う」
「環妃さんて一体なんなの?智兄は解ってるの…」
「確信とまではいかないが、ある程度はな」
そう言うと智紀は鈿女にこれからについて伝えた。まだ結論に近い事は伝えていなかった。それは、智紀自身も完全な確信では無かったからである。
智紀の話を聞いた鈿女は大急ぎで支度を整えると学校へ向かった。
これから起こる事への不安と智紀が守ってくれるという安心を抱えへ学校へ向けて自転車のペダルを漕いでいた。