小人の靴屋(2)
翌日土曜日の日中、俺は決心した。――逃げられないように仕事が終わるのを待って、捕まえて直接話を聞くしかない!
幸いと言うか、足しげく通っているので彼のシフトはわかる。月~水は夜10時から翌朝まで、木は休み、金~日は夕方から10時まで。と言う事は、週末の内なら捕まえることが可能だ。
俺は、その夜9時半過ぎにコンビまで行った。中に入らず、外から加藤の存在を確認する。――いた。
そのまま裏口の方へ回り、なるべく目立たない場所に隠れると、彼が出て来るまで待つ事にした。今までの俺なら絶対にしそうにない行動に、気持ちが高揚する。気分は刑事ドラマの主人公だ。
しかし何もしないで待っている時間は、遅々として進まない。本物の刑事を尊敬しだしたころ、ようやくコンビニの裏口が開いて、加藤が出て来た。
俺を見ると、彼は驚いてその場に立ち尽くした。
「ちょっと込み入った話があるんだけど、つきあってくれる?」
俺がそう言うと、観念したように大きく息をついて頷いた。
「どうぞ、散らかっているけど……って、君が掃除してくれてるか」
俺は何気なく言ったつもりだけど、彼は顔を強張らせた。
俺達は、あの後真っ直ぐに俺の部屋へやってきた。24時間営業のファミレスへ行くという選択肢もあったけど、どんなに小声で話しても第三者が聞いているかもしれないというのは落ち着かないし、彼が全ての話が終わる前に出ていく可能性もあったので、絶対に逃げられない場所を選んだ。
「好きなとこに座ってくれ」
俺は冷蔵庫を開けて、缶ビールを出しながら言った。それでも立ったままの彼に缶ビールを手渡しながら、座るように促した。
「すみません!」
俺が座った途端、彼はビールを放り出して土下座した。
「すみません! すみません! すみません!」
いきなりの土下座にはビックリして動きが止まったが、俺は自分の缶ビールを開けると一息に飲んだ。その間も彼は「すみません」を繰り返している。
空いた缶を床に置くと甲高い音がして、彼がびくりと体を震わせた。俺は一息つくと、
「何に対して謝ってんだ?」
「……」
「俺は、話を聞きたくて呼んだんだ。謝っている理由を聞かせてくれないか?」
穏やかに話しているつもりなのだが、相手にとってはそうではないんだろう、床に頭を付けたまま身動きしない。
「朝までこうしているつもりか? 話してくれないと俺は君を開放するわけにいかなくなるんだが。最悪警察へ突き出すことになるけど、良いのか?」
そこまで言うと、彼はゆっくり顔を上げた。が、すぐに目を伏せて小さな声で、
「鍵を拾ったのに黙っていた事と、その鍵を使ってこの部屋に勝手に出入りしていた事、どうもすみませんでした」
今度はゆっくりと頭を下げた。
「わかった。それも含めて訊きたい事がいくつかあるんだけど……。その前に頭上げてくれないか、こういう格好はなんか尻がムズムズする」
俺が頼むと、彼はようやく頭を上げて俺を見た。
「まず、鍵はいつ拾ったんだ?」
「小銭と一緒にです。本当はすぐ返さなくちゃいけなかったんですが……」
「アパート追い出されたから、寝るとこ必要だったんだろ?」
「どうしてそれを……」
「二日前忘れ物を取りに来た時、偶然このソファで君が寝てるのを見た。そんで他の店員に、アパートを追い出されたってのを聞いた。無理矢理聞き出したんだから、責めないでやってくれ」
「いえ、悪いのは無断で入り込んだこっちですから……。本当にすいませんでした」
彼はまた頭を下げた。
「でさ、俺が一番疑問に思ってるのは、部屋の掃除してくれた事なんだけど、なんで? 多分掃除してなかったら、俺はずっと気付かなかったと思うんだけど?」
「借り賃のつもりだったんです。無断で場所を借りているから、せめてもの恩返しって言うか、お詫びって言うか……」
「それって、わざわざ自分の存在を知らせることになる、墓穴掘ってるって思わなかった?」
「思いました。けどあんまり散らかってたんで、つい……。オレ清掃会社のバイトをしてた事もあって、片付けとか掃除とか得意なんです」
少し得意げに、彼は言った。
――こいつ、馬鹿? 俺は内心そう思った。いくら得意でも、自分から不法侵入をバラすようなことしちゃダメだろう。
「で、アパート見つかった?」
他人のプライベートに首を突っ込むのは嫌だったが、何だか心配になって訊くと案の定、
「まだです。保証人がいないのとフリーターではなかなか貸してもらえなくて……」
「保証人がいないって、親は?」
「…………実は、オレ、家出人なんです」
「はあ?」
しばらく言い渋っていたと思ったら、とんでもない告白をしてきた。そして一番の秘密を話したからか、彼は饒舌になった。
「高校の時、親と大喧嘩して家を出てきたんです。こっち来てすぐに知り合った人が物凄く親切な人で、いろいろ教えてくれて……。それでその助言に従って年齢と名前誤魔化して飲み屋で働いて、その飲み屋の人が紹介してくれて部屋借りたんですけど、大家さんが代替わりして老朽化したアパートを建て直すから出ていってくれって……」
「ちょっと待った! 年齢はともかく名前を誤魔化したって、『加藤』って偽名?」
「はい。ありふれた名前の方が詮索されないからって、その人が教えてくれたので」
俺は頭を抱えた。だから、『警察へ突き出す』と言ったら素直に吐いたのか……。
「お前さ、部屋借りれないの、保証人がいないせいだけじゃないだろう。俺が不動産屋でもこんな胡散臭い奴、絶対に貸さないぞ」
「そうなんですか?」
彼は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で驚いた。今までその『親切に教えてくれた人』の言う事を、疑いもしなかったんだろうなぁ……。
「じゃあ、どうしたらいいんだろう……。オレ、ホームレス決定? 今はいいけど、冬大丈夫かなぁ……」
本気でうろたえている。
俺はため息をひとつ吐くと、腹を括った。
「おまえ、鍵は今持ってるのか?」
「いえ、取りに来られるかと思って店に置いてきました」
「じゃあさ、おまえ本当の名前と歳は?」
「?」
「それを言うんなら、あの鍵貸してやる」
「え?」
「掃除、得意なんだろう? 料理は?」
「飲み屋で働いてますから、少しは」
――清掃会社は過去形で、飲み屋は現在進行形か。
「じゃあ、家事やってくれれば住むことを許可する」
「え? でも、オレ、胡散臭いって……」
「胡散臭いのはお前の経歴で、おまえ自身はお人好しって言うか、危なっかしいって言うか……。このまま放っておいたらどうなるか、俺が気になる。別にこの部屋の物、黙って持ってかないだろう?」
「あ、あ、ありがとうございますっ!!」
彼は大袈裟なほど喜んで、めり込むんじゃないかというほど床に頭を擦りつけた。
◆◆◆ ◆◆◆
彼――本当の名前は久住圭一と言うらしい――が俺の部屋に本格的に住みだして一か月過ぎた。
彼との共同生活は、実に快適だった。
最初彼は生活費を半分だすと言ったのだが、俺は食費だけを負担してもらう事にした。それは初日にさっと作ってもらった『少しは』できるはずの料理が、本格的でべらぼうに美味かったのだ。本当はこちらから逆に食費を渡したいくらいなのだが、それを言うと逆に気を使うので止めた。
しかもバイトの掛け持ちをしている彼とは、滅多に顔を合わせることがない。顔を合わせるのは俺が休みの日の日中、彼がバイトから帰って来て寝るまでの僅かな時間だけ。一人でいた時とほとんど変わらない生活。
それどころか帰ってくると晩飯の支度はしてあるし、朝飯の用意をしてあることもある。食べた後はシンクに置いておけば綺麗に洗ってあるし、部屋は掃除が隅々まで行き届いている。いたせりつくせり、俺は何もしなくていいのだ。こんな快適でいいのだろうかと、不安になってくるほどだ。
こんな状況をどこかで聞いた事があると思っていたら、昔読んだ童話に『小人の靴屋』と言うのがあった事を思い出した。店主が寝ている間に小人達が見事な靴を作って、潰れかけていた靴屋を建て直したとか言う話だった。あれは小人に恩返しした途端に小人がいなくなったというオチだったと思う。俺は現状維持のために何も言わない事にした。
それからしばらくしたある日、彼から電話があった。
「実家へ帰るので、二・三日留守にします」
「実家? 急にどうした?」
「母親が入院したって聞いたんで。親父とは大喧嘩しましたが、母親には心配かけどうしだったから気になって……」
「大丈夫か?」
「ダメでも顔を見せて来ます。元気でやってる事だけでも知らせたくて」
「そう言う事なら、わかった」
「なるべく早く帰って来ます」
「出来れば和解して来いよ」
「はい。ありがとうございます」
この時彼の実家の電話番号を聞いておけばよかったと、後になって俺は後悔した。なぜならこの後、彼と連絡が取れなくなってしまったのだ。
しかもその三日後、仕事が終わって帰ると、誰かが部屋に入った形跡があった。無くなったものはなかったが、以前の俺の部屋だったら気付かないくらい僅かに物がズレていた。これは、彼が俺に内緒で帰って来ているという事だろうか? 俺に知られたらマズイ事でもあるのだろうか?
何だか中途半端ところで終わってます。申し訳ありません。次をなるべく早く上げるようにします。