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プロローグ



 森の陰鬱な影が、そこを支配していた。

 豊かな緑があるのに、なぜか動物の気配一つない。動くものは、風の揺らす緑だけ。やんわりと足にまとわりつき、行く手をふさぐ草木。まだ、陽の高い時間であるというのに、闇の足跡が迫ってきているような、独特の感覚。


 がさり、と音がした。

 音のした方から、草が割れ、一人の男が姿を現す。

 彼は、片手に手斧を持ち、行く手を遮るものを薙ぎ倒しながら、道なき道を、何かに追い立てられるかのように前へ進んでいった。


 前方に、ぽっかりと日の当たる場所が見える。


 男はそれを認め、はやる心をを押さえつつ、前へ進んでいった。

 そして、近くまで来て。

「やっと、、だな。陽の当たる場所に出たのは、初めてだ・・・」

 男は、すっと目を細め、陽を仰いだ。が――なんという姿であろう。青白い肌は何年も陽に当たっていなかったであろうことがうかがわせる、病的な白さ。落ちくぼんだ眼下には濃い隈が浮かんでいる。しかし、その身体は筋骨隆々たるもので、所々錆の浮いた板金鎧を身に纏っていた。

「泉・・・か」

 その、陽光の降り注ぐ場所。そこには懇々と清水を沸き立たせる小さな泉があった。深い、底の見えない蒼の輝きは陽光を反射して、森の暗さに慣れた目には少々まぶしい。傍らには細く川が流れており、深い森の奥へと続いていた。

 男は、無言で川に近付いた。腰に佩いた剣をすっと抜き放つと川岸に突き刺し・・・。

 そのまま、鎧を脱ぎ捨てると――水浴びを始めた。



「今日は・・・ここで過ごすか」

 陽が、かげってきた。太陽は天上を遥かに過ぎ、木々の頭へとさしかかっていた。

 森は、早く冷える。川の傍――となればなおさらだ。道中集めてきたのであろうか、枯れ木の山に火を付け、火をおこす。

 そして、適当に食事を始め・・・

 太陽が没したその地には、赤々と燃える焚き火と、剣を抱え眠る男の姿があった。



 ズズズズズ・・・・ズズズズズズ・・・

 奇妙な音。浅い眠りに入り込んだそれ、にぴくりと眉を動かす。

 規則正しい呼吸を維持しながら、体を動かさずに目だけを薄く開く。熾き火となった赤い輝きの下では、森の闇を見通すことは出来ないが、何かが、重い物を引きずっているようである。

「まったく。こんな物、老人に、持たせる、なんぞ・・・」

 しわがれた、だが不思議と深みのある声。それが罵詈雑言・・・とまではいかないが不平不満をまくし立てている。

 ズズズズズ・・・・ズズズズズズ・・・

「ほんに、重い、のう」

 やっと、声の主が広場に姿を現した。

 黒い、ボロキレの塊・・・。

 ヒトとしては小さい部類にはいるだろうその塊の、どこかしらからぬっと枯れ枝のような腕が伸び、片手で杖を、片手で二抱えはある大きな鉄瓶を引きずっている。

「おんや。そこに、だれか、おられるのかえ」

 焚き火の跡、その残り火を見てだろう。老人は声をかけた。男は微かに眉をひそめ、目を閉じた。

「すまんのぅ。起こしてしまったようじゃ。

 じゃが・・・。迷惑ついでに、手伝っていただけんかのぅ」

 虫の良い問い、であろう。だが男はなんの気まぐれか、その場から立ち上がる。

「これ、に、水を満たしてくれんかね」

 黒いボロキレの塊の足下に転がる鉄瓶。それをさして老人は言った。その大きさと、以外としっかりした重量に驚きながら、男は泉へ向かった。水をくみ、思いの外重くなったそれを、老人のところまで運ぶ。

「その重たいものを、老人に運ばせるのかえ?

 家まで、とはいわんが、多少なりとも運んでくださらんか。まあ、おまえさまの自由じゃがのう」

 老人は杖の上に両手を、その上に顎を載せ、飄々とした口調で言った。その言い様に、男はふっと苦笑する。

「おお。やってくださるか。さもありなん、さもありなん。

 老人とは、敬うものじゃて」

 老人は、男の答えも聞かずにそういった。くるりと振り返り、もと来た方向へ、鉄瓶の引きずった跡の残る方へと歩き出す。

 はああぁーっと、男は溜息をついた。足下の、いつものように纏めてある荷物を背負い、しばし迷ったあと焚き火に水をかけ、思ったより先に進んでしまった老人のあとをついていった。



「すまんのう。家まで運んでくれて。

 まあ、狭いところじゃが、入りなされ」

 森を歩くこと、10分少々。老人が家、と称した所は、何百年もの時を経た老木の虚で、男が身をかがめてようやくは入れる程度の大きさしかなかった。

「ほれ、どうなさった。早く来なされ」

 先に入った老人から、声がかかる。

 男は迷いの色を見せたが、頭を振り、意を決して中に入っていった。



 中はほのかに明るい。

 入ってすぐ部屋なのかと思いきや、そこは下へと続く螺旋階段で、男がかろうじて通れるほどの幅はあった。下を見れば、途中にかの老人であろう影が動いている。森の所々で見た光苔、それを壁に埋め込んでいるのであろう、壁が闇に浮かび上がっている。

 男はおそるおそる足を踏み入れる。

 上を見れば、なかなか天井が高く、光が吸い込まれていくような錯覚を覚える。男はそのまま先を急ぎ、老人の姿を追う。

 どのくらい降りたのだろう。老人の姿が大きくなってきた。

 思ったより距離があったことに驚きつつ、男はそのまま歩いていく。

「ほれ、ここじゃ」

 螺旋階段を下りきったそこ。奥の方に布が垂らしてある。その布をめくって老人は男を招き入れた。

「そこの上に、鉄瓶を掛けてくだされ。

 そうそう、それじゃよ」

 中は幌穴を改装したこぢんまりとした部屋である。部屋の中央にある素焼きの瓶に火を起こしてあった。奥にもう一つ部屋があるのだろう、奥にかかる壁掛けの下が揺れている。

「まあ、なんにせよ、人が来なさったのは久方ぶりじゃ。

 なにもないが、ほれどうぞ」

 老人は男に椅子と飲み物を勧めた。男は簡素な作りの椅子が自重に耐えられるかどうか確かめてから腰を下ろし、老人が飲み物を口にしたのを横目で確認して自分も飲む。

「わしの名は、ラリア。物語売りのラリア。

 おまえさま、は?」

 老人は詠うように言った。

「俺・・・か。

 俺はただの、旅人だ」

 唇の端に自嘲の笑みを張り付け、答える男。

「もう少しここにいて、この老人の相手でも、してくれんかの?

 ここには人はおらん。まともに他人と話すのは・・・そうさのう、五年ぶり、くらいかね」

 老人は不思議な笑みを浮かべた。

「五年ぶり・・・なのか。

 そうだな・・・俺は二年ぶり、くらいだな」

 男は、はじめて自分から話しかけた。その声は少しかすれているが、とても暖かいもので――。

 老人はふわりと微笑んだ。その、何もかも見透かしたような笑みの裏に含まれるもの、それに男は気づかなかった。

「物語はいらんかえ。物語売りとはいえ、お代など必要ないわ。ただ・・・そうじゃのう。鉄瓶を運んでくださった、お礼とでも、言っておこうか。

 まあ、老人のわがままといえば、それまでじゃが。

 物語は、いらんかえ」

 老人は悪戯気な口調で言った。

 その様子に、男はふっと苦笑し――。

「俺も長い間、人と会ってなかったからな。目的もないし、少しなら、ここにいてやってもかまわねぇが」

 男が、悪戯な笑みを浮かべ、言った。

「ならば、始めるとするかね。一つの物語を。

 移ろいゆく時の中に確かに在りし、一つの物語を」

 老人は話し始めた。その高く、低く響く、不思議な声色。

 その中に、いつしか男はのまれていた。



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