ドライブ
夏休みのある日。腐るほど時間のあるアホ大学二年生の俺とタカシは、ドライブに出かけることにした。一応の目的地は隣県にある温泉地。だが、そこまで下道を通って四時間はかかる。はっきり言って道中は暇だ。
「暇だな」と眼鏡のタカシ。
「暇だね」と俺。
「運転手代わろうか?」
「五分前に変わったけど」
「誰と?」
「お前と」
「俺と!?」驚くタカシ。
「そうだけど」前を見て運転する俺。
「そうだったな……」
山と山の間にある道を走っていく。建てられている建物はほとんど民家だ。
「じゃあ暇だし、しりとりやろうか」タカシはそう言った。
「まぁ、暇だし。やるか」
「じゃあ、おれからな。――しりとり」
「りんご」
「ゴン!」タカシは叫んだ。
俺は目の前の信号が黄色になるのを見てブレーキを踏んだ。
「『ん』ついたけど……」
「そういえばさ、昔、猫飼ってたんだよね」突然語り始めるタカシ。
「いや、しりとりは?」
「まぁ、聞けよ。家族の誰が決めたのか忘れたけどさ、猫なのにゴンって名前だったんだ」
「へぇ。珍しいね。しりとりで『ん』ついたけど」
「それでかなり賢かったんだよ。犬みたいにさ、『ゴン』って呼べば来るし、お手って言えばお手するんだよ」
「へぇ。それは賢いね。『ん』ついたけどね」
「それでさ、俺が高校生の頃、あれは冬だったかな。修学旅行でオーストラリア行ったんだよ」
「ああ、行ったな」
俺とタカシは高校一年生からの同級生だ。
「え? お前も? 奇遇」驚くタカシ。
「同じ高校だっただろ。あと三年間同じクラスだっただろ」
「奇遇」
「ん? まぁ、奇遇……っていうのかな」
「で、四泊五日の日程を終えて日本に帰ってくるわけだな」
「うん」
「ゴンはしばらく俺と会ってないから、俺が玄関扉を開けると駆け寄ってくるわけよ」
「へぇ。可愛いね」
「それでさぁ、犬みたいに茶色の尻尾を振ってさぁ」
信号が青になるのを見て、俺はアクセルをゆっくり踏んだ。
「そして俺の顔を見るなり鳴くんだよ」
「うん」
「わんわんわんわんわんわんわん!」
「犬だよそれ!」
「いや、猫だけど」とぼけるタカシ。
「いや、犬だよ。ゴンは犬だったよ」
「え?」
「わんわん鳴いたら、それ犬だよ」
「え?」
「『え?』じゃないよ。ゴンは犬だよ。あと『ゴン』は犬にぴったりの名前だよ。珍しくもなんともなかったよ」
「え?」
「いや、だから――」
「混乱だわぁ。ゴンは犬? ゴンは犬?」
「そう。ゴンは犬だよ」
「じゃあタマは?」
「知らねぇよ!」思わず大きくなる俺の声。
「俺、タマっていう犬飼ってたんだけど」心配そうな声のタカシ。
「それはどんなやつだったの?」
「そいつも賢いやつでさ」
「うん」
「餌も俺達が留守のときは自分で取るんだよ」
「へぇ。賢いね」
二つ前を走っている車のブレーキランプが灯る。信号は黄色から赤になるところだった。俺はブレーキペダルを踏んだ。
「でさ、俺がうつ伏せになってテレビを見てるとさ、マッサージをしてくれるんだよ」
「ふーん」
「前足で背中を押してくれるんだよ」
「いいねぇ」
「で、タマの思い出で一番記憶に残ってるのがボヤ事件」
「ボヤ?」
「そう。その日は俺と母親しかいなくてさ、母親が料理している途中で回覧板をやってくるの忘れたとかで急に出て行ったんだ」
「それで?」
「うん。しかも鍋に火をかけっぱなしでさ。あと残念なことに俺の母ちゃんおしゃべりで、何を考えたのか回覧板を持っていった家で立ち話始めたんだよ」
「危ないね」
「次第に焦げ臭いにおいが部屋に充満するんだけどさ、俺はその時自分の部屋で眠ってたんだよね」
「危ない」
「うん。そこでいち早く異変に気付いたのがタマ。急いで俺の部屋に来てさ、ベッドで寝てる俺をマッサージするかのごとく揺らして起こそうとするわけ。でも、俺は起きない。タマも焦っていたんだろうね。普段温厚で、あまり大きな声を出さないタマもそのときは鳴いて俺を起こしたよ」
「うん」
「キキー! ウキキ! ウキキキー!」
「猿だ。それ猿だわ。猫じゃなくて猿だわ。タマは猿だわ」
「猿?」
「そう。猿」
「あれが……猿?」
「そう」
前の車のブレーキランプが消え、ゆっくり発進するのを見て、俺もブレーキペダルを離した。
「……ゴンが犬で、タマが猿」
「そうだね」
「驚きだわ」タカシは首を振った。「ショックだ」
「そうなんだ」
眼鏡を上げ、前を向くタカシ。
「まぁ、でもいいんだ。ゴンが犬で、タマが猿でも」
「うん」
「どちらにしても、二匹は俺にとってかけがいのないペットだったし」
「家族ではないんだ」
「うん。……あと、この話、嘘だし」
「だろうね」
「うん」
外の景色は変わらない。山と畑と民家。そしてたまに信号機。
「暇だな」と眼鏡のタカシ。
「暇だね」と俺。