闇に生きる者への鎮魂歌
「私が注意をひきつけるから、その間に」
そう言いながら、ココは微笑んだ。
「な、何言って……」
悪い冗談だと思った。次々に仲間が死んでいくこんな状況下でも三人仲良くやってきたのに。どんなことがあっても、力をあわせて乗り越えてきたのに、そんなことを言うなんて信じられなかった。今更、誰かを犠牲にして助かろうなんて思えるはずもない。
「クー、ロッツ。前に、三人でピクニック行こうって約束したよね。アレ、守れそうにないわ。ごめん」
きわめて明るい声だった。平和だった時の、約束した当時のココそのものだった。
「だから、二人で行って来てよ。あ、そうだ。思い出話でもきかせてくれたら……」
「ココ!」
ロッツがさえぎるようにして叫んだ。あくまで声を潜めながら、だけど。
ココを見ると少し元気がなかったように見えた。それでもやっぱり笑顔で、単なる冗談にしか思えなかった。目は、真剣そのものだった。
――本気なんだ。
目を合わせるのが怖くて顔を背けた。
「……それ、本気で言ってるの?」
ロッツがつぶやく。傷ついた足をかばうように、壁にもたれながら立ち上る。そっと手を壁から離すと、少しばかりよろめいたが、しっかりと両足でふんばっていた。
「私なら、大丈夫だけど? こんな怪我くらいどうってことない!」
怒りを含んだ口調に驚いて顔を覗き込むと、ロッツは今にも泣き出しそうな顔をしていた。声も出せずにココを見つめると、いつもの困ったような笑顔を浮かべた。
「違うってば。それに、私の足なら逃げ切れない相手でもないっすよ」
「そんな……今までだって半分も帰って来れなかったのよ! お願いだから、一緒に……」
ココはロッツの肩に手を乗せると、ロッツを座らせた。
「こらこら。ロッツはそんな柔な子じゃなかったはずでしょ。私たちの中じゃ生まれたのが一番遅いくせに、いっつもお姉さんみたいで。口うるさいのは勘弁だけど、結構頼りにしてたんだから。しっかりしてよね、お姉ちゃん?」
ココはあっけらかんと声を出して笑った。ふいに笑顔が消えたかと思うとくるりときびすを返す。
「弟たちのこと、頼んだからね」
「ココ!」
私が叫ぶよりも早く、ココは建物の影から飛び出した。
「……の……せい?」
ロッツがうなだれる。大きな瞳から流れ落ちる涙で頬が濡れた。唇から乾いた笑いが漏れる。
「私の、せいなの?」
「しっかりしてよ! ココだって、言ってたじゃない! しっかり、って」
うつろな目をした彼女の肩を揺さぶった。
「夢よ、こんなの。夢なんだ……」
壊れたおもちゃのように同じことを何度も繰り返した。見ていられなかった。いつも冷静なロッツがこんな風になってしまうなんて。
「目が覚めたら、ココに話してあげなきゃ。『縁起でもない夢見ないでよ!』って起こられちゃうかな」
「ロッツ……。夢じゃない……夢じゃないの!」
私も、半ばヒステリックになりながら叫んだ。私もそう信じたい。けれど。
――夢ではないのだ。
気を張っていないと零れ落ちそうになる涙を手の甲でぬぐって、ロッツの腕を肩にまわした。怪我をした足が痛々しかったけど、今はそんなことを気にしている場合でもなかった。
「早く行こう」
彼女はまだぼんやりとした視線を空中に走らせていた。私は唇を噛み締めて一歩踏み出す。一歩、また一歩。ロッツを引きずるようにしてまた一歩。
急に肩が軽くなった。驚いて振り返るとロッツが立っていた。
「大丈夫。一人で歩ける」
まっすぐに見つめてくるその目は、少し陰っていたけど、普段のロッツと同じだった。
「ごめんなさい。クーも同じなのにね」
ロッツは小さく首を振ると歩き出した。気丈な態度を見せていたが、怪我が消えてなくなるわけでもない。どうしても引きずる形になっていた。
「本当に、大丈夫?」
「何してるの。いつまでもここにいたら危ないでしょ」
すれ違いざまにボソリとつぶやくようにして言った。
「ココに申し訳が立たないじゃない」
彼女は振り返らなかった。やりきれない思いがこみ上げてきたが、グッと押さえ込んだ。彼女の顔が見えないように、彼女の背中を見ながら後を追った。
裏路地にさえ入ってしまえば追っ手は来ない。考えることは同じなのかロッツの歩調も次第に早まった。
彼女が三つ目の角を曲がった時だ。
妙な臭いが鼻をついた。姉の言いつけを思い出し、とっさに鼻と口とを覆う。
「クー! 早く逃げて!」
ロッツが言い切るよりも早く、私とロッツの間を白い煙が遮った。ロッツが咳き込む。
「はやくッ!」
かすれた声で叫ぶと、ロッツはひざを折って倒れこんだ。思わず近寄ろうとしたが、ロッツが大きく腕を振る。臭いがしてからずっと息を止めていたせいで、苦しくなってきた。一歩後ずさると、煙の中からロッツは安堵した表情を見せた。
思いを振り払うようにして駆け出した。目頭がジンジンと熱をもって、痛いほどだった。目の前が霞んだ。
どこをどう走ったのかも覚えていない。とにかく煙の来ない場所まで走ると、息を吐き出した。もう臭いもしなかったし、妙にまとわりつく白煙のピリピリとした嫌な感じも消えていた。ホッとすると同時に、押さえきれない思いがドッとあふれる。
その場にしゃがみこんで、声が出せないまま泣いた。
泣いていた時間は、それほど長くなかった。いや、泣いていたというのも変な話かもしれない。涙は流せなかったのだから。
今までにもこういうことは少なからず体験している。自分になついてくれていた妹、頼りにしていたお父さん、まだ小さかった甥。みな、いつの間にか消えていったのだ。慣れてしまったというよりは、流す涙の量が多すぎて、飽和状態にあるのだと思う。どうせなら、さっさと何も感じなくなってしまえばいいのに。
暗い壁に沿ってにとぼとぼと一人歩き出す。どこかにいるはずの仲間のもとへ。どこかにいてほしい仲間のもとへ。
それからは何者かに導かれるように、ひたすら歩いた。
そう遠い場所ではなかったように思う。暗がりに倒れる影があった。助けなきゃ、と思うよりも、助かった、助けてほしいと頼る気持ちのほうが断然強かった。
期待していただけに、思わず駆け寄ったことを後悔した。
確かに、そこにいたのは仲間だった。が、その姿は“ひどい”という言葉では表しきれないほどであった。腕はひしゃげて変な方向に曲がっていた。顔も半分がつぶされていた。
神様とやらは残酷だと思う。せめて、顔の全てがつぶされていれば知ることもなかったのに。気づくこともなかっただろうに。
片側の顔だけでも十分に分かった。忘れるはずもない。
「ココ……」
変わり果てた友人をそっと抱きしめた。
とたんに辺りが光に満ち溢れる。光はこれほどまでに柔らかく優しいものだっただろうか。枯れたはずの涙が一筋、頬を伝う。暖かかった。
振り返る気は、なかった。
もう一度、友人を強く抱きしめると、大きな影が私たちを飲み込んだ――。
「弘人。もう、いないよね」
少女が廊下から覗き込む。それを見ると、弘人と呼ばれた少年は、スリッパと殺虫剤を床に置くと呆れたとでも言わんばかりにぼやいた。
「姉貴……。もういないから入ってきなよ」
「本当? 本当にいない?」
「いないって。ほら、潰したから。見る?」
その物体がいる場所を指すと、少女は体をビクッと竦ませると顔を赤くして怒鳴った。
「み、見るわけないでしょ! ゴキブリなんて見たくも聞きたくもないんだから!」
私もコイツらは大嫌いなんですけどね。
向こうさんにしてみれば生死をかけた大冒険なわけで。
そう考えると哀れみを感じ……(背後でカサカサという音)……ないですね。
アー○ジェットを餞別に、行くのだ弟よ!