17 : 口先道化師の逃亡劇
普通の人間が、人生において珪素生命体と関わる確率ってのはどのくらいなんだろうな。
桜崎高校に入学してから、当たり前のように梨鈴がいて、シリウスが来て。
ノアを家に連れてくるという暴挙に出た。
母さんがどんな反応を示すのか、全く想像もできなかったが、意を決してオレは口を開いた。
「こっちがクラスメイトの香城夙夜、こっちは……珪素生命体の、『ノア』。電話で言った通り、二人なんだ……けど」
言葉尻、逃げ腰になりながら。
母さんは、一瞬呆けた後、すぐリビングに向かって叫んだ。
「お父さーん! 加奈ー! ちょっときてきて! 護が珪素生命体の友達連れてきた!」
その声の後、二階からバタバタと大きな足音。
リビングからぱたぱたとスリッパの音。
玄関に、家族大集合となってしまった。
興味深げにノアを覗き込む父、守。少し遠巻きに動物の苦手な母、結花。そして父と並んで姉の加奈。
「父さん、帰ってたのかよ」
「今何時だと思ってるんだ。護、お前、最近帰ってくるのが遅いと注意したばかりだろう?」
オレに返答しながらもしげしげとノアを見ている。
珪素生命体が専門分野と言うわけではない工学分野とはいえ、大学で教鞭をとっている身だ。かなり気になるのだろう。
加奈姉さんも似たようなものだ。研究を志して大学へと通っているのだから。
このままではうちの家族のモルモットになってしまう。
「あとでまた話すから! とりあえずどいてくれよ」
オレは夙夜とノアを連れて、強引に二階の自分の部屋に閉じこもった。
ベッドにノア、勉強机に夙夜。
何ておかしな光景だ。
ノアは何もかも珍しいのか、嬉しそうに部屋の中を見渡している。
「この中なら、何でも勝手に触っていいぞ。壊すなよ!」
さっそく目覚まし時計をミシミシと言わせたノアにくぎを刺し、オレは床にへたり込んだ。
視界の端で、ノアが枕に水晶の爪を突っ込んで中身がまき散らされたのは見なかったことにする。
「疲れた……」
明日は幸いにも金曜だが、明日から始まるという掃討作戦に参加するとなると、学校に行っている場合ではないだろう。
「来週、テストなんだがな……」
「いいじゃん、テスト一回くらい。テスト終わったら、夏休みだよ!」
「オマエな、他人事だと思って」
そういや、こいつは一つ年上だった。どこで留年したのか気になっていたが、おそらく珂澄さんが夙夜を稲荷から連れだしたゴタゴタのあたりなのだろう。
大きくため息。
と、夙夜は唐突に首を傾げた。
「ねえねえマモルさん。『サトル』って誰?」
「?!」
「サトル!」
オレとノアが同時に反応する。
その名前には、いい思い出がない。
しかもこの家で聞くその名前には、特に。
「……サトルってヤツがどうしたって?」
「マモルさんのお父さんのマモルさんが電話してる」
謎かけのような言葉。
オレの父さんが電話をする相手でサトル、と言うと、一人しか思い浮かばない。
「サトルってのは、父さんの兄貴……オレの本当の父親だよ」
それを聞いて、夙夜は困ったように笑った。
「そっか」
何かを言おうか言うまいか、迷っているように見えた。
「隠すな、言え」
「あー、えーと、うーん」
かなり言い淀んでいる。
だいたいそういう時、夙夜が隠すのは珪素生命体関連だ。
オレの父親と、珪素生命体。
「サトル? サトルがどうしたの?」
ノアがオレの傍へやってきて、急かす。
無意識だろうが、肩に爪が喰い込んで痛え。
そう言えば、梨鈴もよくこうやってオレを無邪気に傷つけてたよな。
「明日から桜崎で用事があるんだって。もう桜崎にいるらしいよ。マモルさんのお父さんのマモルさんが、顔くらい出せって怒ってる」
「明日から、桜崎で用事?」
サトル。
ノアに名を付けた、サトル。
最悪だ――災厄だ。
いつからオレが珪素生命体に巻き込まれるようになったって?
そんなの、最初からに決まっている。
オレを捨てて出て行ったクソ親父のせいだ。
ああ、くそ。
最悪の気分だ。
胸元に重いものがぐるぐるとまわり続けている。
「これから、この家に来るかも」
とんでもない。
あんなヤツの顔見たくない。
「逃げるぞ」
オレは瞬間的に立ち上がった。
「え、サトルは?」
「後だ、後。オレんちのお泊り会は中止! 夙夜、オマエんちに変更だ」
一階から静かに靴を取ってきて、オレたちはこっそりと逃げることにした。
置手紙でも残そうか迷い、ふっと勉強机に目を移したところで、こんなにも散らかっていただろうかと首を傾げる。
この短い時間で、ノアは心行くまでオレの部屋を漁ったようだ。
ひどい荒れようは、研修旅行の部屋を思い出すな。
部屋の中で靴を履き、窓を大きく開く。ノアと夙夜が窓枠に足をかけた。
部屋の扉を開け、階下に向かって叫んだ。
「母さん!」
なあに、と呑気な返答。
「やっぱオレ、今日からちょっと夙夜んとこに泊まるよ!」
なにいってんの、という母の声を背中に。
オレはノアと夙夜の間に滑り込んだ。
人生初の家出ってやつだ。
思い切り窓枠を蹴り、しっとりとした雨の感触が残る闇の中へと駆けだした。