16 : 愛憎模様
そう言えば、あの時もそうだった。
シリウスが桜崎高校で消えた時も、こんな夜に、夙夜と二人で学校に来たな。それも、シリウスに会いに来たわけじゃなく、シリウスがオレ達に寄ってきたんだ。
「可笑しいな、こんなところにマモルがいるよ」
にしても、もう少しだけ心の準備をする余裕が欲しかった。
が、逆に力が抜けた。
そうだな。
きっと、オレはシリウスに『こう』したかったはずだから。
「よお、ノア」
初対面では恐ろしいと思ったノアの笑顔が、学校と言う場所では酷く幼く見えた。
相手がどう見えるかなんて、オレの感情一つなんだろう?
尻尾でも振りそうな勢いでオレの元に駆けてきたノアは、夙夜を見て足を止めた。
「大丈夫だ、夙夜はオマエを傷つけたりしない」
「ほんとかな?」
そして大丈夫だ。
ノアは、自分のやったことを後悔してマイクロヴァースを発動させるような事はしない。胸を抉る感情をため息と共に吐き出した。
「ノア、お願いがあるんだ」
「なあに、マモル」
こうやって見ればノアも梨鈴と何ら変わらない銀色のキツネだ。
「明日、神楽山にたくさんの人間が入る。そいつらは、珪素生命体を捕まえに来るんだ」
「ボクらを捕まえるの? 可笑しいな、無理なのに。壊れるよ?」
楽しそうにノアは笑う。
「ああ、無理だと思う。夙夜も、オマエに勝つのは無理だってさ」
可笑しそうにノアが笑う。
夙夜も、いつものように笑みを湛えたままだった。
もしかして、この二人は似てるんだろうか。
「だけど、オレはオマエが有機生命体を破壊するところは見たくないんだ」
「何で?」
「オマエが破壊するかもしれない有機生命体の中に、オレの友達がいるからだ」
友達、という言い方に少し引っかかった……が、白根と自分の間柄を示すのにふさわしい言葉を、オレは見つけることが出来なかった。
まあ、信頼はしている。
白根は隠すことはあっても決して嘘はつかない。常識からは少し外れているが、義に外れたことはしないし、最近では少しずつ感情も見せるようになってきた。例えば、オレと同じようにどうやら望月の事が嫌いらしい事も分かっている。
傷つかずに済むならばそれでいいし、戦わずに済むなら、アイツにだって戦ってほしくないというのが正直なところだ。
珂澄さんじゃないが、あの白根を作り上げたのが『稲荷』だってんなら、白根にはあの組織から解き放たれて欲しいと思う。
「……マモルは友達が多いんだな」
何故か、すねたような口調で言ったノア。見た目だけならオレたちより少し幼い程度の銀狐。
最初に会った時より、ずっと幼く感じる。
「ノア、少しこの場所から離れた方がいい。だから」
最初に会った時より、ずっと自然に手を差し出した。
「オレんちに来い。一緒に帰ろう」
こんな台詞、小学生の時から今まで、一度だって吐いたことねぇよ。
「マモルのおうち?」
びっくりしたらしいノアは、目を丸くした。
ああもう、こっぱずかしい。
早く返事しろよ。
とまあ、告白を終えた中学生のような心境で待っていたのだが。
差し出したオレの手を取ったのは、ノアではなく、へらへら笑うオレのクラスメイトだった。
「っちょ、待てよオマエ!」
思い切り手を振り払った。
「だってだって、俺だってマモルさんちに行ったことないよ、マモルさんちに行きたいよー!」
唇を尖らせてぷんぷんと怒る夙夜に疲労が増大する。
「どうせ明日から作戦だって言うんなら、明日から学校なんて行かないよ。俺もマモルさんちに行くー!」
「俺も、って……ノア、お前はどうする?」
「そうだなあ。ボクらも、行こうかな」
ノアが笑った。
「だって、壊れない有機生命体がどうなるのか、教えてくれるんだよね?」
「決まりだね」
夙夜が笑い、オレは自宅への連絡を余儀なくされた。
「……ああ、うん、帰ったら話すよ……ごめん、とりあえず、友達と帰るから。うん、二人」
自宅への電話を切って、改めて目の前の銀狐を見る。
和服に身を包んだ珪素生命体を友人と言い切ってしまったが、とても誤魔化す自信はない。
オレは覚悟を決めて家への道を歩き出した。
友人を家に連れて行くのは初めてだ。
それは、オレの特異な出生――夙夜ほどではないが――のせいもある。
だからかもな。
夙夜の過去を知らなくてもいい、と思っていたのは。
しかし、夙夜の過去を聞いておいて、オレが過去を話さないのはフェアじゃない、か。
「おい、夙夜。ここからはオレの独り言だから黙って聞けよ」
夜闇にさえ紛れそうな小さな声で。
この程度でも夙夜は聞いているだろうから。
「オレは叔父さんと、叔母さんに養われてんだ。オマエと、少し似てるな」
夙夜から返事はなかった。
もし、していたとしてもオレの聴力では聴こえない。
「オレの母はもういない。父は母が死んだあと、オレを叔父さんの元に置いて出てったらしい。うちに帰ったら、オマエはすぐに気づくよ……いや、オマエの事だからもう知ってんのか?」
柊護。
この名は、父親が名づけたものだ。
何故なら、オレの母が本当に愛した人間の名前だったから。
「オレと父親はオレと同じ名前だからな。間違うなよ」
柊守。
それが、今のオレの父親の名だ。
大人の複雑な愛憎関係は、オレにはよく分からない。
自分の弟を愛した亡き妻の気持ちを知って、オレにマモル、と名を付けた本当の父親の気持ちは分からない。
真実を知ってなお、未だ理解は出来ない。ただ、今では、オレの加奈姉さんはオレの姉で、両親はオレの両親だと受け入れている事実だけが残った。
夙夜は、静かにオレの隣に寄ってきた。
「……なんだよ」
慰めならうけねぇぞ、と突っぱねようとしたところで、夙夜が小さくつぶやいた。
「俺も同じだよ」
同じ、に不思議な響きを感じ、オレは顔をあげた。
夙夜は真っ直ぐ前を見ていた。
「オレを稲荷に連れて行こうとする朔伯父さんに協力的だったのは、父さんより母さんだよ。母さんは――」
夙夜は珍しくそこで言葉をきった。
何か言い淀んでいる。
らしくない間に、オレは不安を覚えた。
「母さんは、父さんじゃなくて朔叔父さんが好きだったから」
母さん、と呼んだのは珂澄さんの姉の事だろう。夙夜の生みの母。
その人が、本当は弟の方じゃなく、兄が好きだった?
きっと、酷く目がよくて、酷く耳のいい、勘のいいコイツの事だから、幼い頃からその事実に気づいていたんだろう。もしかすると、夙夜の実の父親が気づく前から。
ここまでコイツを信じられた理由が何となくわかった気がした。
ずっと自分一人の心の内に仕舞ってきた事実を吐露し、客観的に見つめて。
ほんの少し、前に進めそうな気がする。
「最後に一つだけ教えろ、夙夜」
「なあに、マモルさん」
「さっき言ってた、アポロンの息子のアクタリオンとかいうヤツは結局、どうなったんだ?」
なぜ、月の女神の神木が『絶望』などという花言葉になった?
心臓の鼓動が早い。
夙夜はやはりいつもの笑顔で、のんびりと返した。
「アクタリオンはね、狩りに出ていたんだ。信頼する数十頭の猟犬を連れてね。でも、アルテミスを見てしまった。アルテミスは、水浴びを覗いたアクタリオンを許しはしなかった」
「……まあ、神様ってヤツは変なとこで了見が狭いよな」
「うん。それでね、アルテミスはアクタリオンを鹿の姿に変えちゃったんだ。で、アクタリオンは自分の連れてきた、信頼する数十頭の猟犬に喰い殺されて、このお話はおしまい」
「喰い殺っ……?!」
予想よりヘビーな回答に、オレは息を呑んだ。
「マモルさんが猟犬に殺されないように、俺が見張ってるから」
縁起でもないこと言うんじゃねえよ。
しかも優秀な猟犬は、どっちかっつうとオマエだろ、夙夜。
おそるおそる家のドアを開けた。
いつもより3割減の声量で、帰宅を告げる。
「た、ただいま……」
その声を聞いて、奥から母さんが出てきた。
「護、遅かったじゃない、それに明日から学校を休むなんて、何を言ってるの? それにお友達って……」
そこで、母さんは息を止めた。
「珪素生命体……?」